大学時代のことをふりかえるのに、小ぎたねー男よりも、女が演じてたほうが、男のぼくとしては心が安まるというものだ。 作品にはあちこちにギャグや、ゆるくてヌルい大学生活のアレコレがちりばめてあってそういう意味ではこの作者の『それでも町は廻っている』に似ているんだけども、芯にはバンドをしている鯨井が音楽で成功したいという大望があって、そういう夢を追いかけることをめぐっての物語になっている。かなり「まじめ」な物語なのだ。
ドライブにでかけた夜の砂浜で入巣・鯨井をふくめた4人の男女が「夢」について語る(あらすじだけを書くとものすごくサムい話に聞こえるな)。
鯨井以外、とくに決まった夢がないことをダルげに表明するのに、鯨井がキレる、というか当惑する。
「お前ら……なんだ!?
なんの目的もなくただ毎日生きてんのかよ!?」
(おかしいなホントに筋だけ紹介していると、どうしようもない青春ドラマにしか聞こえないんですが)
男の一人が、達観というか諦観的にいう。
「先輩 最近は周りに情報が多すぎて
自分レベルの人間がどの地位止まりか
早い段階で見えちゃうんですよ」
「本当のところ先輩も自分の中ではわかってるでしょ…
自分の音楽のレベルとか
どこまで通用してどこで限界が来るか とか」
「なんとなく自分で分かってて努力するの
シンドイじゃないですか」
その「達観男」は鯨井にブン殴られる。
大学時代って夢についてこんなに切羽詰まってたっけ
でも、「歌手」とか「漫画家」っていうのはちがうんだろうな。
10代デビューがふつうで、20代っていうのはもうかなり焦らないといけない時期だし。
だから、まわりにそういうのをリアルでめざしているやつがいたらもっとビンビン感じたかもしれない。
こういう夢を追いかけることを焦りや切実さとともに考えるのは、むしろ20代の後半から30代くらいじゃないかなと思う。だから、大学でこんなにあれこれ考えたことはないなあ、というのがぼくの偽らざる実感なのである。
いや。
つうか、たぶん、みんなはもっと考えていたのかもしれない。
そうそう、思い出したよ。
大学時代、サヨ先輩だった人が大学4年生にして、研究者の道をあきらめて公務員になるといっていた。「なんで院に行かないんですか?」とぼくが聞いたら「紙屋、もうこういうトシになったら、自分というものを見切らんといかんで!」とぼくを叱ったものである。「見切る」とは自分の資質や能力、現在位置について認識をもつということだ。横にいた別の先輩も「そうそう、見切るのは大事やで」と言った。余談だが、その人は公務員になったあと、あきらめきれずに院に行っていまは大学のセンセイになってしまった。あの段階では見切りすぎてしまったのである。
そんなことを言われても当時、ぼくはまったくピンとこなかった。
正直いうと、いまでさえピンとこないという恐るべき状況にあるのだが。
だからだね、ぼくにとって、大学時代にこんな切迫感をもって夢を追うことを考えるなんて、とうていできなかったわけですよ。ゆえに、「大学生日常ストーリー」と裏表紙に銘打たれているものの、ぼくにはその点は今ひとつだったわけだ(まー、石黒本人、自分は大学生活を送ったことはあるけどもこの作品の多くの要素、女子寮とか音楽の世界とかバイトとか、は空想で描いたといっているから、整合性とか、リアル大学生活とかにはあまり頓着していないのであろう)。
先輩・後輩関係がある意味で理想的
現実に存在する先輩後輩関係よりもさらにふみこんだ、理想的で、居心地のいい関係がここにはある。
というのも、こうした関係は、自分が大学時代に経験した先輩・後輩関係にやや近く、自分にとってはそれはなかなかいい思い出であり、『ネムルバカ』はそのあたりの関係を今述べたとおりもっと徹底化して理想的なものにしあげているからである。
ぼくは大学時代、独居したことがほとんどなくて(多少ある)、学生時代の前半は先輩と同居し、後半は後輩と同居していた。いずれも共産主義者たちばかりである。
後半はどういうふうに自分がみえていたのかはわからないが、前半に同居した先輩からはぼくはかなり多くのことを学ばされることになった。
とにかくたくさんの本を読むことをすすめられ、食事中や活動の合間なんかにも読むように言われた。実際にその先輩はぼくがみてびっくりするくらいたくさんの本を読んでいたし、何かを聞くと返ってくる答えが異様に鋭かった。本を読んだ際にメモやノートをとること、理論書はどう読むべきかなども教えられた。
そして「紙屋、ちゃんと読んでるか?」とのべつまくなしにチェックされることは、決してぼくにとってイヤなことではなかった。
もちろん、それ以外にもギャグのセンスとか左翼組織自身を疑うことなんかもふくめて影響を受けた存在だった。
その先輩とはどこかに出かけて遊ぶとかいう付き合い方ではなくて、下宿(一軒家)でお互いに部屋にふらっと顔を出して、夜中までバカ話ふくめて語り合う、というのが常であった。
敬意や畏怖の感情があることは間違いなかった。
強い信頼もあった。
恋愛感情……というと明らかにいいすぎだと思うのだが、先輩がくれば明るい気持ちになったという感情をどう説明すべきだっただろうか。
以前も紹介したが、吉野朔実が『恋愛的瞬間』で
「友情は 相思相愛でありながら
抵抗によって達成出来ない 疑似恋愛関係」……
「友情は恋愛の一部ですか?」
「そうではないものを私は友情とは呼ばない」
と書いたことは至言である。おそらくこのことは先輩・後輩関係にもあてはまるにちがいない。
『ネムルバカ』に出てくる入巣と鯨井の関係は、ぼくと先輩の関係によく似ている、と思った。そしてそれをもっと徹底してちょっとした恋愛感情さえもホノめかすほどに描き込んでいるのは、あの時代のぼくの経験を「理想化」するものだと思った。お前と先輩は「疑似恋愛関係」だったのか? と問われるとぼくにとってはやはり抵抗がある。『ネムルバカ』ではそれを女同士の関係に変換することで、ぼくにとって抵抗なくのめりこめる世界になっているのである。