友寄英隆『「新自由主義」とは何か』





「学者の議論ってわかりにくいよなー。っていうか実践に使えねーよなー」

てな言葉を左翼仲間からよく聞きます。

 学術論文みたいなのはもちろん、総合誌や論壇誌にのっているようなのもそうです。共産党系の雑誌で言っても「経済」の学者の論文はそんなふうに言われたりしますね(笑)。「『前衛』読んでりゃいいや」とか。
 マルクスは革命と科学を分け、革命の情熱と、科学をするときの冷静な頭脳は別のもんでないとダメよ、と言ったんですが、まあつい「実践」で使えるかどうかを基準にしちゃいますよね。「実践」って、たとえば党派外の一般の人と政治的な対話をしている最中なんかのことですが、要はそういうときに「さっ」と使える数字や議論かどうか、という基準であります。

 余談だけど、連合赤軍事件の死刑囚・坂口弘の手記を読んでいて、

「下車した後、私が、『あの運ちゃんは日共の党員でしょ』と言うと、彼も、『自分もそう思った』と答えた。話の中でやたら統計数字をならべていたので、はは〜ん、代々木だな(私がこれまで接触してきた日共党員にはそういう人が多かった)、と私は思ったのである」(坂口『あさま山荘1972』上p.304、引用中の括弧内も坂口)

という一文に出会ったときは笑いました。

 話がそれました。んでもって、そんな印象のある雑誌「経済」ですが、ときどきクリーンヒットがあるのと、編集長である友寄英隆の文章は別格であります。
 友寄の文章は、学者的な晦渋さを一部に含んでいるけども、実践的に焦点になっていることにずばりと切り込むものになっているので、面白く読めます。共産党では不破哲三の文章(マルクス主義の理論問題を扱ったもの)が、全体として平易なのに、よく読むと学問的論争をふまえていたりして、ぼくなんかとうていマネできないな、と思います。
 友寄の文章はこれとはタイプが違います。
 「赤旗」の日刊紙にときどき掲載される友寄の「経済時評」は、このよさが全開になっているもので、ぼくは毎回欠かさず読みます。たまに、学者風に難しくしすぎて、肝心の中心点をハズしているときもありますが(笑)。

 たとえば、下記の「『国際競争力』論の落とし穴」はなかなか面白い。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-06-21/2007062104_01_0.html

 現在の格差・貧困論争で、大企業に応分の負担を求めると必ず「国際競争力は危機的な状況にあり、これ以上そいだら日本全体が沈没してしまう」というたぐいの議論が出てきます。まあ、これにたいしては、「ヨーロッパの企業にくらべても日本の企業は税や社会保障負担が軽い」という反論をよく聞くわけなんですが、「国際競争力」という考えそのものを検証した議論はあまり左翼の側では聞きません(いや、学問的にはすでにいろいろあることは知っています。「実践」レベルの話です)。

 友寄は上記の記事で、その焦点に切り込んでいるわけです。
 友寄はここで、国際競争力のあいまいな各種の定義のなかから、“労働者にまわす分を確保するだけの国際競争力の余剰はないか”というふうに問題をしぼりこみ、あいまいさを排します。そして、それはすでに財界サイドからも「ある」と提起されているとしています。さらに友寄は、それを内需主導型経済への転換の一助にすることで、実は本当に強力な国際競争力もできる、という論法をとっています。
 こういう議論は実践でもすぐ使えるものです。
 しかも、短い言葉での応酬じゃなくて、相手の家にあがってちょっとじっくりと話したりするときに使えそうな議論です。

 もちろんことわっておきますが、こんなふうに「実践のうえでどう答えるか」ということだけを基準に議論を探していくと、長期的には全然通用しないものになってしまうのは言うまでもありません。やはり、国際競争力なら国際競争力についてトータルに学んだ上で結論をくださないと、本当に国際競争力がヤバいことになっている場合にはとりかえしのつかない間違いを犯すことになります。

 しかし、地域にいるサヨのお年寄り、たとえば文字を読むのもやっとみたいな人に、いきなり学問的議論を全部見とけよ、そうしないとモノ言う資格はねーぞ、というのは酷な話です。
 そういうときに、少なくとも少し深く考えるきっかけをつくってくれるような記事や本があるといーなーと思わずにはいられません。
 で、友寄の文章はまさに焦点になっている問題について、だいたいの見取り図を提示してもらい少しつっこんで考えるきっかけを与えてもらうという意味では、うってつけのものなのです。

「新自由主義」とは何か 本書『「新自由主義」とは何か』もまさにそのような本です。

 新自由主義という言葉を最近よく聞くようになったけど、あれはなんですか、という労働者とか、市井の活動家のみなさんが、デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義——その歴史的展開と現在』をいちいち読んで理解しているわけにもいかんだろう、というときに、本書を読んで概観を知っておくのは悪いことではありません。

 目次はこのようになっています。
http://www.shinnihon-net.co.jp/catalog/product_info.php?products_id=1657

第1章 「新自由主義」とは何か(その1)
第2章 「新自由主義」とは何か(その2)——質問に答えて
第3章 「新自由主義」の基本的特徴をどうつかむか
第4章 「新自由主義」は、労働者をどう扱うか
第5章 古典的な自由主義と「新自由主義」は、どう違うのか
第6章 なぜ「新自由主義」の影響が広がったのか
第7章 日本的「新自由主義」イデオロギーと、どうたたかうか

 ぼくがこの本をいいなと思うのは、まず「新自由主義って、『神の見えざる手』とかいって市場原理を賛美したアダム・スミスと同じじゃねーの?」という疑問を軸にしながら、新自由主義の特徴を描き出していることです。
 そのなかでスミスがもっているモラルやケインズの意義なども、共産党系のマルキストの立場から明らかにしています。トヨタの奥田がスミスを「利用」しているのを批判したりして、現代的なものとひっかけて話をすすめているのが、ヴィヴィッドですね。
 つまり、スミスなどの市場経済論にはモラルがあるし、資本主義であってもそういうものは必要なはずなのだけど、新自由主義はあたかも市場原理主義が資本主義のもともとの姿なんだと偽装しているんだ、と告発しています。

「市民社会は、社会的分業にもとづく等価交換にもとづいていたからこそ、市民同士はお互いに『共感』できます。そこに不正は入り込みません。不正が入ると、市民社会そのものが成り立たないからです。スミスの言う『共感』は、奥田会長が言うような、自由競争で勝者が敗者にいだく『惻隠の情』(哀れみの心)などとは次元が違うのです。
……資本家と労働者の関係は搾取関係が基本になりますが、その前提である労働力という商品の取引(賃金による雇用関係)は、本来は労働力の価値どおりの売買(生計費をまかなう賃金)が基準になることです。そのためにこそ、労働基準法というルールがあり、市民社会としての当然のモラルに支えられていなければならないのです。
 『新自由主義』にもとづく労働法規の『規制緩和』は、公正なルールを無視して、資本の側に一方的に都合のよい恣意的な雇用関係をルールにしようとします。『ルールなき資本主義』は『モラルなき資本主義』と表裏の関係にあります」(本書p.21〜22)

 ルールは社会が決める、モラルは個人のもの、といって分けてしまうのが新自由主義だというわけです。

アダム・スミスの誤算 (PHP新書―幻想のグローバル資本主義 (078))ケインズの予言 (PHP新書―幻想のグローバル資本主義 (079)) 新自由主義を批判する上で、スミスやケインズの意義をふりかえる、というのは、はからずも『アダム・スミスの誤算』『ケインズの予言』を書いた保守論客・佐伯啓思と同じですなあ。佐伯もたとえばスミスについては新自由主義の始祖みたいにスミスを扱うことを批判することころから書き起こしています。

 本書はそのあと、実際に新自由主義の主張するところや、政策としてどのように現れるかを展開します。まあ、これは読んでももらえばいいと思います。そのなかで「子どもへの株教育」を批判しているのは面白いですがね。
 おそらく、ちょっとつっこんだ話としては、学派の淵源の紹介、すなわちシカゴ学派やモンペルラン協会、ノーベル経済学賞の問題について書いているのが興味をひきます。また、古典的自由主義との異同についても書いています。
 この種の議論は専門家や学者による非常に難解な言葉での解説しかないのがふつうですから、友寄くらい平易に書いてあると、労働者や市井の活動家は本当に助かります。

 あと、個人的に実は関心が高かったのは、最後の「補論」の「『市場経済』とは何か——理論的メモ」というところでした。

 しばしば「共産主義は市場を全否定する」と言われてきたわけですが、友寄は、それを退けています。そして、資本主義と市場経済を区別し、マルクスが『資本論』のなかで「市場経済」をどう論じたかなどをメモにしているのです。核心は、市場経済は生産様式ではなく交易様式だ、ということでしょうか。資本主義的生産様式は革命の対象なわけですが、交易様式はそれとは区別されている、というわけです。
 ただ、全体としては「メモ」というだけあって、生煮えという印象をぬぐえません。
 いずれにせよ、社会主義が将来の展望をつけようとすれば、この問題の解明は避けて通れないと思いますが。

 活動家サヨクのみなさんには、ぜひ1冊手元において、知ったかぶりにも使いつつ(笑)、実践に活かしていただきたいところであります。






新日本出版社
2008.2.28感想記
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