岡田有花『ネットで人生、変わりましたか?』



労働で自己実現できるか


 ソフトバンククリエイティブが出しているメルマガ「週刊ビジスタニュース」の07年11月21日号に特別寄稿させていただいた。
 今回は「マンガで労働を考えて何が悪いか!」というタイトルだ。

 最近、IT業界の重鎮と理系学生たちの討論会が最近あり、学生たちがIT業界のイメージを「きつい、帰れない、給料が安い」の「3K」でネガティブに語ったことが話題になった(@IT/07年10月31日配信)。
http://www.atmarkit.co.jp/news/200710/31/ipa.html

 そこでの重鎮たちと学生たちのやりとりに古典的で基本的な労働観の対立がみられるのではないかと思った。すなわち、「労働をつうじた自己実現」という労働観と、「やむえざる苦役としての労働」という労働観の対立だ。
 このことを入口に、数々の漫画のなかでのこの古典的対立、そしてマルクスはこの対立をどう克服しようとしたかについてのべているので、興味がある方はぜひお読みいただきたい。メルマガがウェブのログになり次第リンクしたい。

 この2つの労働観の対立を念頭においたとき、本書『ネットで人生、変わりましたか?』はこの対立を超克する労働観を提示しているかのようで、興味をもった。



遊びと仕事の境目のあいまいさ――ナナロク世代


ネットで人生、変わりましたか?  本書は基本的にインタビュー集である。2003年から2007年まで「はてな」の近藤社長、「mixi」の笠原社長、「GREE」の田中氏などいわゆる「ナナロク世代」(1976年前後に生まれた世代)のIT成功組を中心に、おそるおそるパソコンをはじめた50代主婦、岩手県からネット番組を発信する女性までをとりあげ、まさに「ネットで人生が変わったかどうか」を描いていく。

 本書に出てくる人のなかでしばしば見受けられる特徴は、「いったいこの人、将来とか職業とかどうするつもりなんだろう」と心配になるくらい、パソコンやネットで遊ぶことに「ハマって」いることである。

 「字幕.in」などのサービスを立ち上げた25歳の矢野さとるは勉強がまったくできず数学は2点をとったこともある。大学受験の予備校時代は、勉強そっちのけでHTMLの構築にはまり、つくったサイトで予備校とモメて追放されたりしている。
 あるいは、IT企業「paperboy」の家入社長は中学・高校と友だちがおらず、高校時代に買ってもらったパソコンにはまり、大学に入れず3年間ひきこもりながら、パソコンで遊び続けた。
 SNSコンサルティングを手掛けるという原田和英のインタビューでは、彼自身がmixiにハマるというか中毒状態になり、「起きてる間、ずっとmixiをやってました」という具合になる。

 また、ここに出てくる事業をはじめた人たちの少なくない部分が、即刻収益にならないような、ある意味で無駄とも思えるようなサービスをはじめ、人が喜ぶのをみてそれを続けている。そのなかで「mixi」のようにやがて収益に結びついてくるものが出てくる。

 つまり、この人たちにおいては、「遊び」とか「余暇」とかいうものと、「仕事」がごっちゃになっているという感覚が共通しているのだ。すでに労働そのもので自己実現するのか、余暇で自己実現するのかという古典的な対立はここでは消えているように見える。



ぼくもネットの「ムダ」にハマった一人である


 遊びと仕事の区別がつかなくなってしまう、あるいは、いったいこんな1円にもならないもの、有意義とは思えないものに時間すなわち人生を浪費し続けるこの感覚、実はぼくにも痛いほどよくわかる

 ぼくは、ネットをはじめたときメーリングリストに出会ったのだが、1000人近くが瞬時に議論を重ねていくこのシステムに衝撃をうけた。
 無党派系の平和運動のMLであったが、寝食を忘れて没頭した。はじめはまったく受け入れられなかった自分の発言も、次第次第に共感や理解が広がっていく手ごたえがたまらなかった。逆にトラブルに遭うと、本職を1日休んでしまうほどのダメージを受けたりもした。四六時中MLのことばかりを考えた。オフ会にも出かけ、まったく未知の「人種」と会うのが驚くほど刺激的だった。

 次に楽天でホームページを最初に持ったことがあるのだが、これは事実上現在のブログとmixiを足して2で割ったようなもので、「足跡」がついてそこで常連を形成していく。掲示板があって、お互いになれあい、訪問カウンタを上げていく。これにも中毒になった。朝までやってしまい、遅刻はいっそうひどくなった。職場でも1時間ごとにカウンタと足跡をチェックするというひどさであった。ほぼ現在でいうmixi依存症だ。

 そして現在のコレ。紙屋研究所である。その浪費、無駄加減は、言わずもがなだ。

 どれも、1円の役にも立たないばかりか、短期的・直接的には本業の仕事に支障が出まくりだった。

 ところが、そこから漫画のレビューのような「仕事」が入るようになり、何の因果か本まで出すはこびになった。サイトを始めた当初は、ほとんど「夢物語」として頭の片隅にだけあったことだっただけに、一番驚いているのは自分自身である(他の人はそれほどぼく自身に関心がないのだから)。
 しかも、本業の仕事にもいい意味でハネ返るようになっていた。ま、あんまりくわしくは書かないし、ぼくの名前が直接出ているわけでもないけど、本業の方で新聞やテレビで大きくとりあげられるような成果にまで実を結んだものがあって、その端緒は、ネットで遊んでいたことだった。

 だから、ぼくには、この本で書かれている「遊び」と「仕事」の境界のなさ、1文のトクにもならないことへののめりこみの大切さ(というか面白さ)が痛いほどよくわかるのだ。



ぼくも「ネットで人生、変わった」


 表題の「ネットで人生、変わりましたか?」は、ぼくにとっては鋭利な問いかけとなって現れる。ぼくは明確に「はい」と答えるからだ。

 ぼくは「文学フリマ」に出した同人誌(クラルテ創刊号)のなかで、次のように書いた。

「自分の中に、いまも『文章で名を成したい』という功名心がある。人生の時期によってそれが占める比重の大小はあっても、ぼくの中から消えることはない、推進燃料である。……その対極にある自画像は、『名を成さなかった』自分、みじめな自分である。その生涯に『たいして意味ももてなかった』自分だ。この国のどこか『片田舎』で埋もれて一生を閉じる瞬間を想像すると、今でもこわい」(「文章で名を成さないということは怖い――近藤ようこ『遠くにありて』を読んで)

「インターネットを知らなかったころには、自分の書いたものは誰にも届かないという恐怖があった。まさにそれは(『遠くにありて』の主人公)朝生が感じていたような『埋もれていく』恐怖である」(同)

 インターネットによって、それは変わった。

 少なくとも反応がある。世界中から(ウソ)。
 自分が社会とつながっているのだというこれほど確かな手ごたえはない。社会とは他人の反応である。なにが「ネットはバーチャル」だ。バーカバーカ。何も反応しないリアル社会よりもはるかに確実にぼくの書いたもの、すなわちぼく自身に反応してくれているのがネットである。
 なんか「ネットに依存するいまどきの若者」的なイメージそのものになってしまったが、本当なんだからしょうがない。

 ネットという属性への固有のかみあいも偶然に作用した。

 たとえば、ぼくのレビューはページごとが独立し、本や漫画作品の名前がページの名前になっており、しかも本文に著者と作品名が繰り返し出てくる。これは、SEO(検索エンジン最適化)にとって、好条件であった。
 当時漫画レビューサイトの少なくない部分が「日記形式」または「フレーム形式」をとっていて、検索エンジンにひっかかりにくかった。
 また、ブログ時代になってもエントリのタイトルを本や作者名にしない人が多いので(例「きょうは紀伊国屋で漫画をドカ買い」「おどろきの短編集」みたいな題名)、ぼくの方式が図らずもSEO対策にとって、より適合的な結果となり、検索順位の上の方にくるようになった(のだと思う)。

 その意味で、先ほどあげた矢野さとるが、「Webに出合ってなかったら、何してただろう……。今の時代に生きていなかったら、本当、ヤバかったと思いますよ」とのべていること、あるいは著者の岡田自身「私は、ネットがなければ記者になれなかったでしょうから、そういう意味では人生は変わったなと思います」と答えていることは、まさに「我が意を得たり」という心境であった。

 くりかえしになるが、「遊び」と「仕事」の境界があいまいになり、「みんなに楽しんでもらう」「みんなから喜ばれている」という作業のなかから利益が生まれる、などという夢のような状態こそ、「労働で自己実現」か「(労働とは苦役であり)余暇で自己実現か」という古典的な対立を克服するカギになるかもしれないのだ。

 しかし。



本書はまぎれもなく「ネット礼讃本」である


 にもかかわらず、やはりこうした条件があるのは、本当にごく一部の例にすぎないのではないかと思う。ぼくにしたって、ぼくが呑気にネットでハマり続けている間、その犠牲になっていたのは同僚たちだったのだろうから。ぼくの気楽さは同僚たちの犠牲の上にある。
 そして、まわりで働いている人たちをつぶさに見て、そんな気楽なことはとてもいえない。明日もわからぬ不安のなか低賃金で働いている人はたくさんいるのだ。「遊び」から何かが生まれるなどということは、その人たちにとっておよそおとぎ話でしかない。

 「本書はネット礼賛本ではありません」と「まえがき」にある。
 ネットを礼賛するという立場をはじめにおいてその図式にあてはめようとしたわけではない、という意味においてはまさにそうかもしれない。

 しかし、ぼくはこの本は「ネット礼賛本」であると思う。なぜなら、「はてな」や「mixi」の社長たちのような思想と行動を「世代」の特徴として論じているからであり、実際にはその世代の圧倒的多数はそのような生き方とは無縁の、今日も古典的な労働観の対立を生きている人々ばかりのはずだからである。そこには、ネット周辺の世界を不用意に普遍化する意識がどうしても働いているように思われてならない。
 あるいは、ネット周辺であっても、ここで描かれたようなことは正反対の、まさに冒頭で紹介したような理系学生たちがイメージした「3K」の暗い労働のなかを生きている人たち、ネットによって人生が破滅した人たちのことはここにはないからである。

 だが、本書は「ネット礼賛本」であることによって文章に熱気や愛情がこもり、ある種の人々(ぼくをふくめた)のもつネットへの肯定的感情を尖鋭的に表現する、すぐれたインタビュー集となったのだと思う。




『ネットで人生、変わりましたか?』
岡田有花、ITmedia News
ソフトバンク クリエイティブ
07.11.21感想記
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