首都圏青年ユニオン機関紙「ニュースレター」




 首都圏青年ユニオンの機関紙「ニュースレター」を楽しみにしている。
 組合の機関紙(誌)を義務としてでなく(笑)、心の底から楽しみにしている、というのは実は珍しいことである。

 ぼくとつれあいは「首都圏青年ユニオンを支える会」というのに入って年会費6000円払っているのだが、そのかわりにユニオンから月1回、B5で28ページだてのパンフレットが送られてくる。おそらくワードかなにかでつくったであろうものをリソグラフで印刷した簡単なものだ。

 このうち、(1)争議&団体交渉、(2)新入組合員紹介、(3)漫画、が滅法面白い(現在ユニオンのHPでバックナンバーが一部みられるが、アップされているものはこうしたものがないし、形式もまったく違う)。
 面白い、というのが語弊があるけども、感性に訴えるものがある、という意味で、あえてこの語を使わせてもらう。くり返すが、組合の機関紙が面白いなどというのは滅多にあることではないのだ。

 ここ数日、「再発性角膜びらん」というものになってしまい、目に小石を入れたように激痛が走る。なのでインターネットなどがあまりみられないので、ネットのニュースなどを音声読み上げソフトなどに入れて聞いていたら、不憫におもったつれあいが「あたしが読み聞かせしてやるよ」といってくれた。それで、風邪っぴきの子どもよろしく、娘をさしおいて、「ニュースレター」を読み聞かせしてもらった次第。




団交であっさりひっこめる損害賠償請求



 まず(1)の「争議&団体交渉」だが、これは1カ月にあった争議や団体交渉が載せられている。
 たとえば、こうである。

「08年最初の団交は、実はポスト××〔チラシ配布企業の名前〕でした。毎年毎年性懲りもなく、ポスト××はやってきます。毎回同じテーマで申し入れをしていますが、勤務時のトラブルで会社側から不当な損害賠償請求をされ、賃金を払わないと言われた方が加入しました。団交を申し入れたところ、損害賠償は請求しないと約束し、賃金の支払いを約束させた無事に解決を迎えました。このポスト××と、11月に申し入れをして解決した『配×王(××区)』は同経営らしいです。らしいというのはいわゆるタレこみの電話がユニオンにあり教えてくれました。
 まあ同経営ならやり方が似ているわけだなと思いますが、これからももぐら叩きかもしれませんが粘り強くやっていきましょう」

 まず、掲載されている事実自体が非正規を中心にした若い人たちの働く現場を如実にしめすものであることはいうまでもない。
 チラシ配布の業者のようなのだが、「損害賠償」の請求などということが日常茶飯事のように行なわれていることにまず驚き、団交をするとあっさりひっこめるという事実にもまた驚く。法律をタテにやられれば、とうてい通らない「請求」なのだ。要は、難癖をつけて給料を支払わず、何もしらない労働者であれば泣き寝入りさせるというわけだ。
 しかも、似たような会社を名前を変えてたちあげ、各地で同じ手口で労働者から搾り取っているということもここから見えてくる。

 そして、こうした事実もさることながら、交渉や争議に参加したふつうの組合員が自分の主観をまじえながらレポートしているのが新鮮である。

「毎年毎年性懲りもなく、ポスト××はやってきます」
「らしいというのはいわゆるタレこみの電話がユニオンにあり教えてくれました」
「まあ同経営ならやり方が似ているわけだなと思いますが、これからももぐら叩きかもしれませんが粘り強くやっていきましょう」

 という文体は組合機関紙の記事ではあまりお目にかかれない。




ふつうの組合機関紙にはない目線



 組合の機関紙の記事というものは、たいてい記者が書いてしまう。
 記者の文体というのは、ある種の洗練がある。悪くいうとパターンをいくつか頭のなかに入れてあり、そのパターンを組み合わせてきれいにまとめてしまう、というようなところがある。
 たとえば、以下は「連合愛知」の機関紙ニュースの168号からの引用である。

「連合愛知は12月1日、政策推進議員懇談会第3回総会を開催しました。この総会には、連合愛知三役をはじめとして政策推進議員、政策委員・地域協議会代表者などおよそ230名が出席しました。神野会長はあいさつで、『今年行われた各種選挙において、わたしたちの政策を理解し、ご尽力いただける議員を増やすことができた。今後とも連携を深め、勤労者・生活者の視点に立った政策を実現したい』と述べました。また、衆院選がいつ実施されるか不透明な状況にあるなかで、『候補者と地域協議会が一体にならないとたたかえない』とし、相互に連携する必要性を訴えました」

 きれいにまとまってはいるが、面白味に欠けることがわかるだろう。

 しかし、一介の組合員が参加してその目線で書いた記事というのは、良くも悪くもこうしたパターンからはみ出す。たしかにいきなり「08年最初の団交は、実はポスト××でした」とあっても、「ポスト××」ってなんだ? と読者はいぶかるだろう。素人っぽい不親切さがそこにはある。だが、そうではあっても、「毎年毎年性懲りもなく、ポスト××はやってきます」という諧謔が入ることでこの文章は「洗練された組合の記事」よりもはるかに生きた文体として読むものに迫ってくる。

 他にもI社という事業所で「当事者・専従含め10名の参加」でおこなったという団交の様子も今号(81号)は興味深かった。牛乳のドライバーの雇い止めと残業代未払い問題である。

「使用者側は、職員会という職場の団体を抜けたので協調性がないと判断し雇い止めの一因となったとか、残業代は労基署から指導が入り日報での管理を一時期したが、現場から面倒だと言われ労基署ももうこないからやめたとか、残業代を請求された場合は払うがその残業代分を賞与から差し引くとか、めちゃくちゃな主張でした」

 たしかに「めちゃくちゃ」である(笑)。かしこまった組合機関紙の記事ではこの「とか」でつなぐ書き方や、「めちゃくちゃな」という形容が出てこないだろう。
 さらに、

「職場が協同組合のため組合員による運営で、雇用関係や仕事の指揮命令系統が普通の会社とは異なっているようでしたが、人を雇う以上、きちんと労基法などは守ってほしいなぁと思いました。また、使用者側の主張で『残業代を出したらやっていけなくなる。そうなると他社に外注しなくてはいけなくなる(雇用が確保できなくなる)。』というようなことを言っていたのが気になりました。そうやって、残業代の申請を抑制していたんだろうなぁと」

という記述も目をひいた。
 こういう主観をまじえながらの記述がいろんなことを考えさせてくれるのだ。「残業代を出したら人を雇えない」といって平気で残業代を出さない、労基法のルールを守らないというのが零細企業にはありがちなリアルなのであろうなあと思わずにはいられない。「団交終了後、Tさんが焼肉バーベキューを用意してくれました」というくだりもなごむ。

 記事の目線の低さは、この労組の組織構造の目線の低さでもある。同ユニオンの河添誠書記長は、

「団体交渉の期日が決まる。決まったら、組合員のメーリングリストに、その案件の内容を流します。団体交渉があるので、来られる人は来て下さいと。当日まで誰が来るかわからないけど、仕事帰りの人、たまたま休日だった人、有給を取って駆けつける人、色々な組合員が集まってくる。で、渋谷の109の前とかに怪しげな円陣がわらわらとできるわけです(笑)。簡単な打ち合わせをして、会社側との交渉にのぞみます。終わったらまた集まって、それぞれの意見を聞く。『参加型の団体交渉』とぼくは呼んでいます」(「フリーターズフリー」No.01 p.99)

とインタビューに答えている。
 こういう労組では、しばしば自分の問題が発生すると組合専従がそれを請け負い、解決して終わり。自分の問題解決とともに、組合を離れていってしまう人も多い。
 首都圏青年ユニオンでは、自分で調べてもらう。自分で申入書も書いて、自分で送付する。「何時間かかっても本人に書いてもらう」(河添)。

 そして、前述のように自分の問題以外の団交にも参加してもらうのだそうである。「できるかぎり他の困っている人たちも応援してあげてください、と。まずそれを確認します」(河添)。

 「フリーターズフリー」という雑誌のインタビューでインタビュアー(杉田俊介)が「若い人には『組合』自体への違和感もあると思うんですよね。結局正社員とか年長世代の既得権を死守するためのものだろう、というか。ユニオンはそういうイメージとはずいぶん違う気がしますが」と問いかけたのに対して、河添は、

「労働組合だけど労働組合じゃない、っていうかね。たとえばユニオンでは、企業別の分会を作らない、と去年の総会でも決めたんですね。地域別の分会しか作らない。……特定の企業の中で賃上げや福利厚生などを主張していくことに意味がない、とはいいませんが、もっと困った人はまわりにごまんといる。その人たちの要求をかかげていくほうが少なくともユニオンでは先だろう、と。/初めから運動の焦点を、労働基準法以下の労働をなくす、という一点に当てている。……そうしないと魅力がないと思うんですね。労働者が会社と話し合いをする時、法的には労働組合しかツールがないんですよ。市民団体やNPOが申し入れをしても、会社側は拒否しても全く構わない。労働組合という形式を取れば、会社側は交渉にのぞまなければならない。労働組合ってもっと使えるツールなんだと」(同前)

と答えている。
 自分たちの問題を自分で解決するとともに、自分以外の人にも関心をもってこえていく。そうやって参加した人たちがつむいでいく感想が「ニュースレター」には現れてくる。河添が「団体交渉が大切なのは、世の中が見える窓がそこからひらかれているからだと思うんです。……個人個人がバラバラにされていて、自分の置かれた状況がよくわからない。同じ職場に働いている人の労働状況もよくわからない」とのべているように、団体交渉のなかで言葉だけでない「連帯」というものが生まれてくるのだ。
 




組合機関紙とは思えぬ漫画のできばえ



 (2)の「新入組合員紹介」では、一人ひとりの組合員がどうやってユニオンに出会い、何を期待しているのかが生々しくわかる。
 「みわさん」という人は、パティシエで、「残業代の未払い、労災申請、会社が労働者を大切にしないこと」などを不満に感じてユニオンに加入したという。あるいは「山さん」という人は「同じ派遣元から派遣されてきているスタッフのいじめに対し誠意ある対応をまったくしていただけなかったので、ご協力をいただきたい」ということで加入していることが分かる。
 加入のきっかけが人それぞれなのだという当たり前の事実につきあたるとともに、解決の難易度にもさまざまなレベルがあるのだなあと読みながら思う。
 「組合員」という抽象化された存在ではなく、一人ひとりが顔をもった人間として「ニュースレター」では立ち現れてくるのだ。

 (3)の「漫画」は出色の出来だ。
 今号は画は「チンパン」、作は「山口さなえ」である。
 組合機関紙の漫画というだけで、政治や制度の「解説」か、政治・経済上の有名人たちの「悪役劇」みたいなものが想像される。
 しかし、この漫画は違う。
 ぼくらと同じ身の丈の、「普通の人物」が登場する「普通の漫画」である。

 いや、「普通の雑誌」の漫画であれば何十ものページを費やせるだろう。しかし、これはわずか2ページ半しかないうえに、そこには「働く現実」と「ユニオン」が「自然」に登場せねばならないというはるかに難しい課題をかかえている。それを見事にこなしているのだ(右上、左図参照、ニュースレター81号より)。

 今号は、低賃金(結婚して誰かを食べさせることはできない程度の)で電気工事の仕事をしている「まさき」と、その彼女で派遣をしている「リエ」が「ユニオン」に出会うまでを描いている。
 絵柄もセリフも、現実を必要以上に深刻に描こうとするけれん味がなく、ほどよい距離感がある。また、ユニオンに出会ったからといって二人は幸せになるわけではない。悩ましい現実は悩ましいままで話が閉じられていくのが、ともすれば独善に陥りやすいこのテの漫画においては、非常に貴重なことだといえる。

 漫画が載っていない号もあり、そういうときは心底がっかりする。ぜひ毎号続けてほしいものである。




しない善より、する偽善



 NHKスペシャル「ワーキングプアIII」の感想を書いたとき、社会的排除を防止するための政治や経済の役割とともに、ぼくら一人ひとりができることをやろうではないかということを書いた。すると、“そんなものは解決策ではない”“マクロ的には無策と同じだ”という非難を浴びせる人がいた。
オタクコミュニスト超絶マンガ評論  ベッカーあたりの主張をくり返す池田信夫はさもありなんとしても、ぼくの『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』に好意的な評価をくれた小飼弾でさえ、大企業の大もうけ分を原資にすることには否定的なエントリを書いたものである。
 「ワーキングプアIII」の感想でも書いた通り、空前のもうけをあげている大企業がその社会的責任を果たし、そのための負担を積極的に行なうことこそが問題解決の根本であることはいよいよ政治・経済の焦点になってきている。

 経団連でさえ07年12月に出した「経営労働政策委員会報告」で「安定した成長を確保していくためには、企業と家計を両輪とした経済構造を実現してく必要がある」「付加価値額の増加額の一部は、総額人件費改定の原資とすべきである」といわざるをえないのだ。
 そして同報告では配当や内部留保の減額をあえて否定し、労働分配率引き上げには反対しているが、いずれにせよ、そのことが焦点にのぼっていきていることは間違いないことなのだ。
 ワーキングプアのような労働者の賃金を引き上げていくことは、単に「貧乏人の分け前をふやす」ということにとどまらない。たえずアメリカ経済の動向に左右されて浮沈する不安定さを脱するためにも、すなわち健全な国民経済の発展をするうえでも、「家計」というエンジンを強化することがどうしても必要なのである。

 しかし、その根本策とは別に、ぼくら一人ひとりができることをやろうではないか、とぼくは書いた。
 「首都圏青年ユニオン」の「ニュースレター」の最新号(81号)のトップにも載っているが、ユニオンとともに「NPO法人自立生活サポートセンターもやい」の協力で「反貧困たすけあいネットワーク」がつくられたことを報じている。
 これは「労働相談と生活相談を一緒に解決する」(同ニュース)ネットワークであり、1カ月300円の会費で「休業たすけあい金」「生活たすけあい金」をもらえる、というしくみを作ったのである。もちろん病気やケガには1日1000円、生活困窮には最高で1万円の無利子貸し出しという「少ない」金額であるが、こういう自主的な助け合いや連帯こそ「ぼくら一人ひとりができること」なのだと思う。
http://d.hatena.ne.jp/tasukeai-net/

 ぼくやつれあいがやったような「支援する会」に入ってサポートする、というのもまた別の方法である。あまりぼくは自分のホームページでこういうものの加入や支援を呼びかけることはないのだが、今回は特別に呼びかけたい。
http://www.k5.dion.ne.jp/~hinky/tasukeai-net.gaiyou.pdf
http://www.sasaeru-kai.org/

 こうした解決方法の提示について、“ワーキングプアと自分を別のものだとする高みからの提案”“けっきょくボランティアに頼るのか”“根本的解決にならない偽善”みたいな意見も、前述のNHKスペシャルのぼくのレビューに対して批判していた人がいた。
 ぼくはそういう躊躇こそ、いかにも昔の知識人がするような高踏的な物言いではないかと思う。そんな躊躇をしている間に現実はどんどん積み重なっていってしまう。「しない善より、する偽善」だ。ワーキングプアを解決するためには、政治や経済を変えることはもちろんであるが、ぼくらができるところから手をつけていかなくてはならないのだ。






2008.2.10感想記
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