小林英夫『日中戦争』




なんで日本は中国に負けたのか?


日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ (講談社現代新書)  「なんで日本は中国に負けたのか」という問題意識で書かれていると理解すると、非常にわかりやすい本である。
 まあ、ご本人は「八年間に及ぶ戦争の経過を網羅的に見ていくのではなく、大局的に両国の戦略を比較する『視点』」(p.4)だと書いているんだけど、読み解き方としては、「日本の方が軍事力も産業力も強かったはずなのに、なんで負けたの?」というふうに言い換えると、シャープに読めるだろう。

 本書をものすごく乱暴に要約すると、“日本はそれまでの戦争で「殲滅戦」型の戦争ばかりしてきて、「消耗戦」タイプの戦争をしてきていなかった。「殲滅戦」では軍事力や産業力などの「ハードパワー」がモノをいうが、「消耗戦」のような長期のたたかいになると、外交や宣伝(世論)といった「ソフトパワー」が大きな役割を果たし、結局日本の「ハードパワー」は中国側の「ソフトパワー」に勝てなかった”ということになるだろう。
 ああ、ミもフタもない要約だ。
 まあ、あくまでぼくの解釈なので。
 だから、ぼくにいわせれば、このコアの命題をさまざまな史実で肉付けしているのが本書なのである。
 新書というコンパクトさからすれば、これくらいテーマをしぼりこんでしまったほうがよい。ネット上でも評判がいいようだが、たしかに圧倒的なわかりやすさである。

 「意図」において歴史をみることの「わかりやすさ」——この「わかりやすさ」は用心しなければいけないものも含んでいるが——を改めて考える。
 というのは、ふつうに習う日中戦争史では、事実が羅列もしくは網羅的にぼくらに与えられ、その結果、ぼくのようなボンヤリした人間には、やはりボンヤリとした戦史イメージしか残らないからである。
 ところが、小林がやったように、日中両国の「知恵比べ」、戦略比較という角度からしぼっていってみると、非常にクリアにみえてくるのだ。




いったん日本軍部のアタマになって読んでみよう


 たとえば、日本の戦争を糾弾するという視点をいったん解除して、「日本が戦争に勝つためにはどうすればよかったか」というアタマになってみる。
 そうすると、満州侵攻まではうまくいった。しかし、満州を手中におさめることがあまりにもうまくいきすぎた。
 ところが、うまくいきすぎたために、日本は自らをたのみすぎ、その過信のなかで華北への侵攻、そして全中国へと戦線を拡大させるに及んで「殲滅戦」型しかしらない日本軍の弱点があらわになってしまうわけだ。消耗戦を戦う備えのない日本軍の弱点は補給の軽視として露呈し、この破綻が南京事件へとつながっていくと小林は総括している。
 そして、ソフトパワー比較の一つとして小林が焦点をあてたのは、「傀儡国家」運営であった。つまり、「中国にできた政権も日本の味方になってますよ」という宣伝における日本の拙劣さである。小林は第二章を「傀儡の国」としてこの分析にあてている。
 対する中国側は南京事件を国際的に喧伝することもふくめ、最終的に米英をとりこんで日本に対する国際包囲網を形成することに成功した。

 このように、いったん日本軍部のアタマになって本書を読むといい。
 「勝つ上でどこが悪かったのか」ということが、あまりにわかりやすい形で読む者に迫ってくるだろう。
 いったんこうした戦史の核になるイメージを形成してしまえば、あとはいろんな本を読んでそれを修正したり肉付けしたりしていけばいいのだから、「どうも日中戦争前後のことがボンヤリとしかイメージできない」というむきには、本書を読まれることをおすすめしたい。

 興味深い箇所はいくつもあるが、3つあげておこう。




過去の経験にしばられすぎること


 ひとつは、過去の経験にしばられすぎている日本軍の姿だ。
 小林によれば、日露戦争は本当は「消耗戦略戦争の典型」だったのだが、日本海海戦で勝った! みたいな感じで「殲滅戦」勝利の話として総括されていってしまうのである。
 そして、結局消耗戦への備えのないまま満州をいともかんたんに奪ってしまいそれが「米英の了解なんかなくてもけっこうイケるな」「相手が大軍勢でもけっこうイケるんじゃね?」「総督府方式じゃなくて傀儡政権方式でもイケるな」という「甘すぎ総括」をしてしまったのだ。

 階級闘争を戦争のメタファーで語って申し訳ないんだが(しかもこういう侵略戦争の)、サヨが選挙に勝った時もしくは負けた時、条件の違いを無視したり、総括ポイントをまちがえると、次の選挙戦で大敗北を喫するというのはよくある話だ。とくに勝ったときの総括。
 「成功体験が過信を生み、その後、大きな誤算となって関東軍の前途に立ちはだかってくる」(p.30〜31)というのはひと事ではないのである。




いまの日本とダブる「大義」の軽視


 ふたつめは、現在の日本とのダブりようである。
 「ジャーナリズムまでも巻き込んだ蒋介石の外交戦は、中国のソフトパワー戦略のまさに白眉であった。言論が戦争の勝敗に与える影響など、当時の日本の戦争指導者たちは一顧だにしなかったであろう」(p.137)という指摘は今の日本自身が心すべきことである。
 憲法や安全保障をめぐる議論をきいていても、現在でも結局モノをいうのは武力であって、世論などというのは本当に小さな役割しか果たさない——という思い込みは、支配層の側にも、あるいはどうかすれば平和運動の側にさえある。
 大義が国際社会を動かし、それが国際的な空気をかえ、現に米英が蒋介石を応援する側にまわったように、事態をかえるところまでいってしまうのである。

 このこととあわせて、小林の次の指摘は身にしみる。
 というのは、中国が国際社会を意識した宣伝をしているころ、日本は国内むけに主に「戦意高揚」の宣伝にばかり力をいれているのである。
 たとえば小林が紹介しているのは、新聞の見出しだ。
 「『重大決意』『奮戦』『膺懲』『暴虐』といった単語が随所にちりばめられていて、国民の気持ちを昂揚させることを最優先しているのが伝わってくる」(p.138)。「戦争におけるソフトパワーという視点でみるならば、外交・宣伝・言論を巧みにリンクさせて国際世論を味方につけた中国に比べ、日本の場合はあまりにも国内ばかりを向いた、日本人にしか共有できない閉じた言論に偏していたように思う」(p.139)——この指摘は、まさしく昨今の北朝鮮報道や、対中韓や靖国・「慰安婦」関連の保守派言論にそのままあてはまってしまう。
 小林がいうように、仮に日本政府のアタマになってみるならば、「全世界の人々が共感しうる普遍的な表現で、中国人がいかに暴虐で、日本の正当な検疫がいかに侵されているか、この戦争がいかに日本にとって大義名分があるものかについて国際的理解を得られるよう、各メディアに発信させるべきだったのではないか」(p.139)。




日本人の長所と短所——蒋介石の日本人観


 みっつめは、蒋介石の日本人観。
 日本軍に留学していたことのある蒋が日本人と中国人の長所・短所を書いたものが本書で紹介されている。ここで全部は紹介しないが、小林はそれを次のように要約している。

「蒋介石は、日本軍が規律を守ることに優れ、研究心が旺盛で、命令完遂能力が高いという長所を持つ反面、視野が狭く、国際情勢に疎く、長期持久戦には弱いという弱点を持っていることを指摘している。一方の中国軍は、広い視野と長期的展望をもって持久戦を戦うことには優れているが、戦闘心は旺盛でなく、研究心が足りないとしている」(p.65)

「戦争に勝利するためには、敵の長所を殺し、味方の長所を生かさなくてはならない。そうしたことまで見越したうえで、彼は日本軍を消耗戦に引きずりこむ戦略を打ち立てたのであった」(p.66)

 単純な軍事力の衝突というふうに問題をたてた段階で、勝利の展望は出てこない。
 こうした問題構図を解体して、勝利の方程式を描いてしまうというところに、ひとつの弁証法的な柔軟精神をみる。




毛沢東はすでに「消耗戦/殲滅戦」「ハードパワー/ソフトパワー」の問題を視野に入れていた


 本書では中国側の話としては、ほとんど蒋介石しか出てこないが、この点では毛沢東の戦略眼は注目に値するように思われる。
 毛沢東は、ジャーナリストのエドガー・スノーのインタビューで、「どうやって日本に勝つ気なのか?」とたずねられ、次のように答えたという。

「三つの条件がわれわれの成功を保証しましょう。第一は、中国における日本帝国主義に対する民族統一戦線の達成、第二は、世界反日統一戦線の結成、第三には、現在日本帝国主義下にある抑圧人民の革命的行動です。これらのうち最も必要なのは中国人民自身の統一です」

 これは、毛の『持久戦論』のエッセンスになった。
 第三のものは大きな行動として結実しなかったが、結局第一と第二は形成されてしまったのである。はじめから軍事力や産業力ではなく、このような中国全体の世論・戦意、そして世界全体の世論が果たす役割を強く意識していることがわかる。いわば、毛沢東も「ソフトパワー」に強く着目していたのだ。

遊撃戦論 (中公文庫)  このエピソードは、毛沢東『遊撃戦論』の解説において鎌田慧が紹介していたものであるが、鎌田は、次のように毛沢東の抗日戦争の展望を紹介している。

「大きな弱い国である中国を占領しているのは、ちいさくて強い国である。しかし、その国はちいさなため、兵力に不足しているので、外国の大きな国の全面を制圧しきれない。とすると、敵に包囲されていながらも、敵はその外側では絶対的な少数でしかない。だから敵を包囲、挟撃する『外線』を形成できる。このことによって、遊撃戦がたんなる戦術ではなく、その枠をはみだし、長期的な戦略の領域にふみこんでいる、といいきっていたのは、困難な現状の分析から、勝利の展望をつくりだした毛沢東の強靭な精神だった」(鎌田の解説、毛沢東『遊撃戦論』中公文庫版p.169)

 この『遊撃戦論』(「抗日遊撃戦争の戦略問題」)のなかで毛沢東は、中国のおかれている現状と条件、日本側の条件を冷静に分析している。そして、この鎌田の要約にもあるように、単に受け身の防衛・持久戦争ではなく、逆に局面や場面によってはそれが攻勢的な包囲戦争にかわり、持久戦が決戦・殲滅戦へと転化するという弁証法をのべている。
 なるほど驚くべき「強靭な精神」である。

 そして先のスノーへの回答とあわせて、ここには、小林が指摘した「消耗戦と殲滅戦」「ハードパワーとソフトパワー」の問題が基本的にすべて出そろっているのである。


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 最後に、小林の本書では、第六章でかなりの分量をとって、「検閲月報」の中身を紹介していることについてふれておこう。これは、最近ソ満国境で、関東軍が逃げていく際に大量の文書を焼却したのだが、一部がそのままのこされていて、土中から大量に発見されたもので、「新資料」である。
 民衆がどのように戦況を感受していたのかがわかる興味深い史料でもあり、そのことも本書の魅力となっている。





小林英夫『日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ』
講談社現代新書
2007.9.18感想記
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