日本の家屋の広さは「世界5位」か? もしくは「ウサギ小屋は誤訳」か?



 サイト「活字中毒R」の記事「『日本の家屋は狭い』という誤解」を読んで。
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20071125

 以下の記事は、上記の記事の全否定ではないが、明らかに間違っていると思える部分もしくはミスリードをまねきそうな部分を指摘した上で、“「日本の家屋は狭い」というのは誤解だ”と聞くと、どうしても抱いてしまう違和感の大もとがどこにあるのか、ということを探っている。

 あー、ごたくが嫌いな人や読むのが面倒な人は、この記事の一番最後に統計的な結論だけ書いてあるから、それをみてほしい。



日本の家屋の広さは世界5位ではない


 まず、「活字中毒R」の記事に書かれている、「日本人の居住空間というのは『狭苦しい』感じがするのかもしれませんが、多くの日本人が思い込んでいるほどには、日本の家は小さくないのです。一応、『世界第5位』ですし」という部分。

 原典は「世界の統計2006」(総務省統計局)だ。
 こちらでみられる。
http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/bal.pdf
 統計の14-7をみてほしい。
 「1戸当たり平均床面積」の統計がある国は、少なくともこの本のなかでは17カ国しかない。「世界第5位」というのはいくらなんでもちょっとアレである。いや、この「活字中毒R」の人はそのことは最後に皮肉めいて使っているだけだから、それをとりあげてなんだかんだというのは、揚げ足取りみたいで気が引けるけども。
 まあ、ぼくら左翼だって「日本は世界でも異様な○○のある(ない)国」とかいうとそのときの「世界」はサミット参加国程度であったりするので、人のことはいえない。

 たとえば「本当は広い日本の住宅」(gooResearchポータル)みたいな記事に書いてあるように、「実際に欧米主要4カ国と1戸当たりの床面積を比較すると、日本は決して狭くはない」というふうに書けば問題はなかっただろう。
http://research.goo.ne.jp/database/data/000563/

 あるいは「インテリアを諦める3つの理由」(読売新聞05年6月20日付)で書かれているような「国土の広いアメリカにはかなわないけれど、ヨーロッパの2国より広いのです! 実は日本の住宅、そんなに狭くはないのです」という言い方ならこれもOKである(しかし、欧州の2国より広かったから「そんなに狭くはない」というのはどうなのかw)。ただしこれは「持家」のみの比較である。
http://www.yomiuri.co.jp/homeguide/interior/color/20050620hg01.htm



ウサギ小屋は「誤解」ではあったが「誤訳」といいきれるか



 さて次に「ウサギ小屋」問題。
 「資料によれば、ECで日本の報告書をつくったおりに、当初フランス語で日本人は『cage a lapins』に住んでいると報告されていた。これが英語に直訳というか、誤訳されて、日本語で『うさぎ小屋』となったのである」と「活字中毒R」に書かれている。
「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書)  この話は「本当は広い日本の住宅」にもエピソードとして紹介されているが、近年このネタ元になっているのは、おそらく多賀敏行『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった』(新潮新書)だろう。
 同書のp.49〜60にこの問題をかいたくだりがある。

 「誤訳だ」というエピソード紹介の仕方は「日本人の家はウサギ小屋だというのは誤訳」→「日本人の家が狭いというのは誤解」という伝わり方をしやすい

 現実には、「活字中毒R」自身が伝えているように、フランスの集合住宅の俗称であり、「別にほめる意味合いはない」(多賀p.58)。
 「この報告書を起草したフランス人と思われる担当官は、フランス語で『日本人はフランスで俗に『ウサギ小屋』と呼ばれているのと同じタイプの狭くて画一的な都市型集合住宅に住んでいる』という趣旨のことを言いたかったに違いない」(多賀p.59)。多賀は、フランス代表的な辞書を用いて、この言葉が「画一的な狭い」集合住宅を指していることを語義から解明している。

 ぼくはこのECの報告書そのものを当たることができなかったのだが、多賀の本から、その訳出部分を書いておく(79年4月11日付のジャパン・タイムズに掲載された英文報告書を多賀が訳したもの)。

「日本は、西欧人から見るとウサギ小屋(rabbit hutches)とあまり変わらないような家に住む労働中毒者(workaholics)の国」

 この報告書全体は日本の競争力の強さの根源を分析したものだ。だから、「狭くて画一的な家に住みながら、気が狂ったように働いている」というニュアンスを伝えようとしたことは誤りでもなんでもないのである。

 ただ、「欧州に比べて劣悪な住宅に暮らしている」というニュアンスは込められていない。「フランスでもよく見られる『ウサギ小屋』とよばれる狭い画一的な住宅に似た住宅に住んでいる」といっているだけである。
 別の言い方をすれば、EC報告書は「日本人の住宅はフランスの『ウサギ小屋』と呼ばれる集合住宅のように狭くて画一的だ」と言っているのと同じである。




主要国の中では欧州並みだが、借家は圧倒的に狭い


 さて、では結局のところ、日本人の住宅は狭いのだろうか。

 まず主要国比較としてはどうなのか。

 「活字中毒R」は「家屋が狭い」かどうかを問題にしているのでこの問題を先に片付けておこう。これはまあ、単位となっている「家」「マンション」「アパート」が建物としてデカいかどうか、を問題にしているのだろう。
 すべての統計がそろっている比較をする最新のものはおそらくこれだろう。一戸あたり床面積国際比較(壁芯換算値)だ(住宅産業新聞社「住宅経済データ集」)。
http://www.fudousan.or.jp/service/toukei2007/01_kaihatu/7-01_a.html

 このグラフをみると、日本(95平米)はまずトータルの平均ではアメリカ(148)には負けるものの、フランス(99)・ドイツ(95)・イギリス(87)には遜色のない数字だといえる。「日本は主要国のなかでずばぬけて家屋が狭いわけではない」とはいえそうである。

 さらに分析的にみてみると、持家の広さと、借家の広さが格段にちがうのがわかる。3倍近い。このグラフ中でこれほど大きな差がある国はない。
 国土交通白書でも持家(および全体)については、「その水準はほぼヨーロッパ諸国並の水準に達している」としているが、賃貸住宅については「依然持家の半分以下であり、欧米諸国の水準と比較しても相当低い水準にとどまっている」としている。
http://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h14/H14/html/E1022211.html

 持家はいいのに、借家はからきしダメ——これはやはり、公共住宅やアパートの家賃補助などの「住宅政策」の差ではないかと思う。「北欧・フランスは、住宅を公共財として考え、低所得者向けの安価な賃貸住宅を大量に建設している」(宮本憲一『都市政策の思想と現実』有斐閣、1999)。宮本の同書によればドイツも日本同様「持家主義」だが、所得階層ごとの政策をもち、中位クラスには低利の資金供給、下層には(地主へ)家賃補助をしている(ただし、ヨーロッパ主要国で「家そのものがない」という事態がどれくらい考慮されているか、ホームレスはどうなっているかは別個に考え比較されねばならない)。

「ヨーロッパの国民と政治家には、住宅を政治の中心にすえる考え方が強い。……ヨーロッパ諸国が、資本主義社会であっても住宅政策を国家の責任として行ない、国民の居住状態について強力な公的介入を行なっているのは、不良な住宅は人権をそこなうという認識があるからであろう」(早川和男『住宅貧乏物語』岩波書店、1979)

 欧州との比較だけで考えてみても、「持家の人は広いけども、借家の人は狭い」ということがいえる。




大都市比較では、東京は文句なく「狭い」


 ちなみに、大都市での比較はどうか。
 そもそも「ウサギ小屋」で「仕事中毒で働いている」日本人とは、大都市の勤労者の状態をイメージしているはずであり、住宅問題はすぐれて都市問題である。大都市での比較をしておくことは実は問題の核心でもある。
 各国の国勢調査から比較したというこちらのデータでは、
http://www.mid-tokyo.com/12/aboutthis.html
 東京区部が55(平米/戸)なのにたいし、パリが90、ローマが85、ニューヨークが80、ベルリンが68と圧倒的に負けている(他都市の場合も東京と同じく、たとえばどこまでを「パリ」と称するかという問題が発生するが、都下・南関東3県全体に広げても73である)。



「1戸当たり」でなく「1人当たり」では「主要国最低」


 問題は、絶対的な意味において、すなわち人間として快適に生活できるか、基本的人権が保障される住まいかどうかという視点だ。保障されねば「狭い」、保障されれば「広い」ということができる。
 
 それには「1戸あたり」よりも「1人あたりの床面積」という考え方のほうがいいだろう(すでにここでは「家屋の大きさ」という当初の問題を離れていることには十分注意をしてほしい)。

 早川和男は1979年に出した『住宅貧乏物語』の冒頭で、次のようなショッキングな例を紹介している。

「アパートの三畳に母親と幼児二人が寝ていた。幼児が寝ていた足もとにテレビのコードが走っており、子どもが寝がえった拍子にテレビのコードをひっぱり、高さ三〇センチの箱の上においてあったポータブル・テレビが幼児の腹の上に落ちて、幼児は下じきになって死んだ」(東京都北区・朝日・1970.6.29)

「東京都大田区の会社員、Aさんの六畳間で、妻のB子さんが目を覚ましたところ、隣で添い寝をしていた長女(生後二カ月)が窒息死していた。B子さんが寝ているあいだに寝がえりを打ち、赤ちゃんの顔の上におおいかぶさったと見られる。Aさん一家は、この六畳間に親子四人が寝起きしているが、家具などがあるため、ふとん二枚を並べて敷き、四人が寝ると、身動きできない状態だった」(毎日、1973.4.11)

 早川は家庭内災害の死者数と交通事故死の死者数を比べて、前者の方が多いことを重大視している。「家庭内災害の原因には、住宅の狭さが強くかかわっている」(早川p.4)。とくに老人や子どもはその犠牲となりやすい。
 この数字の関係は基本的に現在もかわっていない。厚労省データ(人口動態統計)をもとに2006年の家庭内事故死の数を推計すると、1万2152人にのぼる。交通事故死は9048人であり、交通事故が深刻な社会問題であるとすれば、家庭内事故もやはり深刻な社会問題といえそうである。
http://www.37eco.jp/07110425.php

 家の広さではなく、一人当たりがどれほどの居住スペースをもっているかが、「住宅の幸せ度」にとっては重要になるのであり、真の意味での「家の広さ」ということになるとぼくは思う。

 まず国際比較をしてみよう。出所は住宅産業新聞社「住宅経済データ集」だ。
http://www.fudousan.or.jp/service/toukei2007/01_kaihatu/7-01_b.html

 日本は36(平米)で、アメリカ65の半分ほど、イギリス44・ドイツ43・フランス41には大きくではないがすべて負けている。1995年の国民生活白書では同じ国々と比較してすでに「住宅一人当たり床面積は主要国の中で最低の水準」と断じている。
http://wp.cao.go.jp/zenbun/seikatsu/wp-pl95/wp-pl95-01102.html




「4畳半」が「健康で文化的な最低限度」?


 このようななかで、人が基本的人権を尊重されうるスペース、あるいは快適に住める居住スペースというのはどれくらいなのだろうか。

 最低居住水準というのを国が定めている。「健康で文化的な住生活の基礎として必要不可欠な水準」なのだ。それは一体いくらか。家族4人で50平米だという。これは壁芯換算(壁のスペースを一部ふくむ)だから、もう少し実感にあった言い方になおすと、1人なら4畳半ということである(追記2参照)。くはー。
 たしかに『まんが道』で足塚茂道コンビ(藤子不二雄がモデル)が2畳で下宿を始めたのを読んだ時には目を疑ったものである。いまでもこの『まんが道』のエピソードはつれあいと日常で話題にするくらいなのだが、人間やる気になれば何でもできるもんだなあ……ってオイ!
 4畳半で「健康で文化的な住生活の基礎として必要不可欠な水準」としているのがこの国の水準なのである。
http://www.pref.okinawa.jp/toukeika/juutaku/2003/huroku.pdf

 2005年版の「国民生活白書」によれば、2003年現在で、95%がこの水準を満たしているのだが、そりゃあ満たすわなあ。
 ところが、借家だけみると東京では15%、大阪では13%も満たしていないというからすさまじい。
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h17/01_honpen/html/hm03030002.html#hm03030002


 ちなみにその上、「誘導居住水準」というのがある。「人々が快適に暮らせる住環境の指標」として、政策目標にしているものだ。つまり、政治の力でせめて国民にはこれくらいのところに住んでもらおうというものである。

 それは1人で住めば12畳、4人家族ですめば1人9畳のスペースである。
 ところが、それさえも満たされているわけではない。
 先ほどの国民生活白書によれば持家でも67%しか満たしておらず、借家にいたっては34%しか満たしていないのである。トータルでは半分くらいの達成率である。
http://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/singi/syakaishihon/bunkakai/11bunkakai/11bunkakai-san1.pdf

 これはやはり基本的人権を保障し得ない「狭い」居住スペースだと思うがいかがだろうか。

※追記(2007.11.27 15:30):
最低居住水準・誘導居住水準は2006年から一定引き上げられている。だから現状では上記の数字と若干かわっているが、「世界の統計2006」の調査時点では上記の立論でさしつかえない。また、新しい居住水準も大変低いもので、新しい最低居住水準は単身者・壁芯換算で25平米しかなく、専門家でさえ「いったい、この数字は戦前?というくらいの非現実的な狭さです」とのべるほどである。
http://blog.smatch.jp/kawana/archive/61


※追記2(2009.1.18):
4畳半というのはそこにも書いたように寝室空間。ところが居住面積は15㎡あり、これは9畳分を意味する。つまり、これとは別にDKが4畳半が想定されている。




まとめ


 長くなったので、ここにまとめて書いておこう。

・日本の家屋は世界5位の広さではない
・「日本の住宅はウサギ小屋」というのはあながち誤訳ではない
・日本の家屋の広さはアメリカより小さいが欧州主要国と同じくらい
・日本人の居住スペース(一人当たりの床面積)は主要国で最低
・日本の大都市(東京区部)の家の広さはアジア・欧米の主要都市でも最悪
・日本の住宅の半分は、政治が目標としてる基準を満たしていない





2007.11.27記
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