井上清『日本帝国主義の形成』




日本帝国主義の形成  日本はなぜ侵略戦争をおこしたか? という問題意識から読み始めた本の一つ。
 井上にはさまざまな評価があるのだが、それは後述。

 帝国主義戦争はどのようなしくみでおきるのかを書いた本としては、レーニンの『帝国主義論』が有名で、レーニンは、独占資本主義を基礎として資本の輸出がおこり、そのための領土を争って地上は分割しつくされ、再分割の闘争が必然的に起きる、と説いた。
 これは20世紀前半の世界情勢を解明するうえで巨大なインパクトをあたえたのだが、日本の場合、朝鮮にたいする侵略的挑発はすでに明治維新直後ごろからはじまっており、この段階ではとうてい「独占資本主義」ではありえなかった。したがって、レーニンが説明したような典型ではない。

 ではレーニンのいうような典型的にはじまった帝国主義でなければ、いったいどんな帝国主義として出発したのか? というのを解明するのが本書のねらいである。

 井上は形成期を大きく二つにわける。
 日清戦争までのころと、日露戦争前後、という二つである。



日清戦争前の帝国主義と日露戦争のころの帝国主義

 井上は日清戦争までについては、独占資本主義を基礎とした「近代帝国主義のいかなる特徴もそなえていない」(p.26)とし(その時代は産業資本主義すら確立していない)、「半封建的専制的な天皇制の固有の侵略主義の発動」「軍事的封建的帝国主義」だと規定する。
 井上は、独占段階以前、資本主義への移行期や本源的蓄積の時期にも、世界で帝国主義的侵略はさかんだったと指摘し、日清戦争前までの時期の日本は(1)政府反対派の批判をそらす(2)封建領主に固有な領土拡張・金銀獲得欲の延長(3)日本自身の外国列強からの圧迫の対外転嫁(4)資本の本源的蓄積のための朝鮮収奪、などの動機で帝国主義を発動した、とする。

 では日露戦争のころの帝国主義はなんであったのか。
 井上は、この時代(19世紀末から20世紀初頭)の日本の帝国主義はさきほどのべた「軍事的封建的帝国主義」の延長であるという見解を「そうではない」(p.92)と明確に否定した。彼は、日清戦争を契機に日本に資本主義が確立したと主張し、以下のような対外進出の要求をもちはじめていったことを指摘する。

「日清戦争は、日本商品が朝鮮・中国に奔流のように流れこみ、そこから食料・原料を大量にもちこむことを可能にしたが、そのことによって日本資本主義は、朝鮮・中国市場に決定的に依存するにいたった。資本輸出の能力がなく、経済競争では欧米列強に勝てないからこそ、義和団鎮圧で実証された通り、東アジアで最大の軍事力を迅速に発動できるという軍事力の『独占』と地理的便宜の『独占』を、天皇制権力者たちばかりでなく、それと密着した大資本家階級も、最大限に利用しようとするのは、日本資本主義の必然の構造であった。ただしそのためには、外国帝国主義の対立を利用し、その対立の一方に金融的政治的に依存しなければならなかったが」(p.119)

 レーニンの規定が大きな影響をもっていたので、そことの距離を測ることに本の一定量を割いているが、マルキストであるぼくでさえ、今現在では、あまりそのこと自体には興味がない。独占段階であろうがなかろうが帝国主義的な行動は発動されているのであり、無理に一般論の枠組みにおしこめたり、そことの距離をはかったりすると、事態をいきいきととらえることができなくなってしまう。



(1)日露戦争と経済のからみあい

 井上の論考のなかで、注目する点があるとすれば、ひとつは日本の初期の帝国主義的な行動を、経済的土台の必然性からときあかしていることである。日本にとっては、前述のように、朝鮮や中国は原料輸入と商品輸出先として不可欠の役割を担った。井上は次のようにのべる。

●日清戦争前
「国内関係では、(日清戦争は)反政府派を対外戦争にそらすという政治的要因よりも、資本の本源的蓄積のために朝鮮を略奪するという経済的要因が強くなってくる。じっさい朝鮮から日本紙幣とひきかえに略奪してくる金と米は、日本資本主義育成にとって書くことのできないものであった。(中塚明『日清戦争の研究』)」(p.12)

●日露戦争前
「日本資本主義の朝鮮・中国進出の要求は、べつの面からも切迫したものとなる。連年の大入超国に本に把手は、軍拡をやめないかぎりは輸出の増大は至上命令となるが、それは主として清国・朝鮮向けの綿製品や雑貨の輸出増進に期待するほかない。……朝鮮・中国むけの綿糸布……には、一九〇〇年以来の日本の輸出総額の二〇パーセント以上、生糸類を除いた輸出額の五〇パーセント以上が輸出されており、しかもその発展のテンポはすばらしい。中国向け輸出の大半は綿糸であり、『僅々一七万俵乃至二〇万俵の綿糸輸出が少しく不振に傾くときは、国内紡績業に非常の困難を来す』と一九〇三年になげかれていた。さらにその綿糸輸出の四割以上は、北清と満州に向けられていた。綿布の輸出も、日露戦争前三カ年平均で六九パーセント以上が朝鮮および北清・満州にむけられていた(三瓶孝子『日本綿業発達史』)。
 中国と朝鮮はまた、米、大豆、肥料用豆粕(満州)、鉄鋼(大冶)、金(朝鮮)など、日本資本主義のための食料・原料入手先としてきわめて重要な意義をもった」(p.118〜119)



(2)帝国主義列強の利害の錯綜

 ふたつめに注目したのは、当時の中国(清)・満州・朝鮮をめぐる帝国主義列強の錯綜した利害関係、野心、牽制が、いきいきとした筆致で描かれていることであり、この地が利権をめぐる熾烈な争奪の場となっていたことがまざまざとわかる点である。

 司馬遼太郎『坂の上の雲』には、うんざりするほどのロシアの貪欲さ、帝国主義としての強欲ぶりが登場する。そしてそれは正しいのである。
 しかし、日本側の説明にいたって、司馬の小説はとたんにウソくさくなってしまう。“日本はようやく近代の草創期にあり、国民国家形成の若い息吹に満ちていた。侵略しようなどという意図は毛頭なく、みんな坂の上の雲をみていただけだった”式の「無垢」さの強調は、勧善懲悪の芝居をみているようなつくりごと感が否めない。日本だけが「いいこちゃん」なのである。んなわけねっつーの。

 この点で、本書を読んで印象にのこるのは(1)日本が朝鮮を支配下におく意図をもっていただけでなく、早くから満州に「進出」の野望をもっていたこと、(2)中国にたいする経済的侵略もスキあらばくり返しおこない、1ミリでも多くの利権を他の列強から奪い取ろうとしていたこと、(3)それゆえに、ロシアとも日露戦争後すばやく手をくむし、満州をめぐって英米と早くから抜き差しならぬ対立を深めていったこと、などである。外国帝国主義が無垢だったわけではなく、ロシアのみならず、アメリカやイギリスがいかに満州や中国の利権を貪婪にねらい、おたがいを牽制しあっていたかが、本書でよくわかる。

 アメリカとの対抗の部分をごく一部だけ抜粋しておこう。

「イギリスはその帝国主義的『権益』の主要なものが揚子江流域にあったので、日本がそれを侵さないかぎりは、満州と華北のことでは、あるていど日本に宥和的であったが、日本と取引きすべき利権・勢力範囲を清国内にもたないアメリカは、ろこつに日本に対抗した」(p.308〜309)
「日本とロシアの満蒙分割を、アメリカも指をくわえてみてはいない。一九〇九年三月、アメリカ大統領はルーズベルトからタフトに代り、ノックスが国務長官となり、いわゆる『ドル外交』を派手に展開した。ノックスは、同年一二月、南北満州のすべての鉄道を、日・露・英・米・独・仏六カ国の資本よりなるシンヂケートで買収し、六カ国共同で、商業的基礎に立ってその鉄道を経営することにしよう、と五カ国に提議した。いわゆる『満州鉄道中立化』の案である。日本やロシアの帝国主義からみれば、これはまた何と虫のよいアメリカ帝国主義の提案だろう、ということになるのは当然で、両国ともすげなく一蹴した」(p.311〜312)
「これでもアメリカ独占金融資本はあきらめない。一九一〇年一一月には、アメリカの首唱により米・英・独・仏の対清四国借款団がつくられ、清国の幣制改革と満州企業振興のための借款を清国に提供することになった。その借款条約では、清国は満州の企業投資に関して優先権を四国借款団にあたえると定め、また東三省内で新たな税をおこし、煙草・酒などにかかる税を借款の担保とすると定めてあった。日露両国は共同してこの契約に抗議して、その借款計画をこわした」(p.312)



(3)満州はこの時期どのように支配されたのか

 
みっつめに注目したのは、「満州」の支配構図である。
 すなわち、日本軍がどのように根をはり、勢力圏の下においていったのかという、その「しくみ」である。
 ぼくは、「満州」という土地について実はそれまでよくわからなかった。
 つまり、清・中華民国の領土のはずなのに、そこで日露両国が戦争していることを清国などはどう考えていたのかとか、日露戦争後、満州で日本が勢力圏下におさめていくことと中国政府はどのような関係にあったのかとか、そういう基本的なことがらである。
 本書を読んで、この基本点が理解できた。
 日露戦争を処理したポーツマス条約で、大連・旅順を租借し、そこを「関東州」として特別な軍隊をおき、南満州全体の鉄道の権限を入手する。
 他方で、日露戦争後、日清間で満州にかんする日清条約、付属協定、秘密取り極めをむすび、満州地域の内政干渉の根拠を手に入れる。
 井上によれば、日本側はポーツマス条約に定めてある帝国主義諸国の「機会均等」原則をふみにじって利権の独占をすすめ、同時に清国の行政権を「全然無視した」(p.298)。ロシアの満州独占を打破するために日本に手を貸した英米はいい面の皮である。「英米にしてみれば、日露戦争で日本を財政的にも政治的にも大いに援助したのは、ロシアの満州独占を破り、ここを英米資本に開放させ、また満州における日露の勢力を均衡させ、どの国にも独占させないためであったのに、いま日本が英米をも南満州からしめ出すことには、がまんがならなかった」(p.298)。

 このことにかかわってだが、植民地や租借地はいずれも本国政府の完全なコントロールの埒外におかれた。「日本の植民地支配は、……台湾・朝鮮・関東州のどこにおいても、軍隊指揮権をもつ武官を最高権力者にする、直接の軍事的支配体制であることに、もっともいちじるしい特徴があった」(p.317)
 井上によれば、これが、政府=「行政部」(!)とは独立した「軍部」を形成していく基盤となっていった。



レーニン『帝国主義論』を読むうえでの参考として

 このように、日本の帝国主義がどのように形成されてきたかをみるには、興味深い資料が多い本である。サヨのみなさんには、次のような使い方もできる本だ。
 すなわち、レーニンの『帝国主義論』で展開されている事象を、日本の近代史にひきつけて読むときに格好の例証を提供してくれる。

 たとえば、レーニンは、同書の序文でわざわざ「鉄道」のもつ帝国主義にとっての意味について強調している。

「実際には、これらの事業を数千の網の目によって生産手段一般の私的所有と結びつけている資本主義の糸は、鉄道の建設を、(植民地ならびに半植民地の)一〇億の人々、すなわち、地球人口の半分以上を占める従属諸国の住民と『文明』諸国における資本の賃金奴隷とを抑圧する道具に変えてしまっている」(レーニン前掲書、国民文庫版p.13)

 21世紀のぼくらには少しピンとこない話なのだが、井上の本書を読むと、朝鮮半島をめぐり、あるいは南満州をめぐり、列強がしのぎをけずって鉄道敷設に狂奔していることがわかる。また沿線での行政権や課税権まで獲得できる。せっかく鉄道の敷設権を獲得しても、ちょっと期間をおいてしまうとあっさり失効され別の帝国主義がそれを奪ってしまう。日本などは、国家資金を大量に投じて敷設をしたりしている。

 井上の本では、雑誌『太陽』(1899年7月号)の「時事評論」を紹介している。

「干戈を以て他国を征服するは十八世紀以前の事たり。今や寸兵を費さずして領土を拡張するの妙手段、列強の間に行はる、鉄道政略即ち是れなり。試に支那における列国の計画を見よ。英国の現首相サリスベリー侯、このごろロンドン某所において演説して曰く、鉄道技師の遠征は国家の勢力を延長するの功において政治家にまさること遠し、外交政略は殆んど鉄道技師の力を借らざるべからず、特に対清政略は鉄道政略にすぎずと。旨ある哉言や」


 最後に井上の政治的行動について一言。

 井上はマルクス主義歴史学の泰斗とされる人物であるが、60年代後半に、中国の文化大革命を支持する側にまわり、左翼のなかでも文革に批判的だった日本共産党などとは激しく争った人間である。のちには“尖閣諸島は中国領だ”という論文を書いたことさえある。
 井上は戦後日本についても、「アメリカに従属した、非帝国主義国」という見解をとらず、「自立しつつある帝国主義」という規定をとろうとし、うがった見方をすれば本書で展開されている「侵略と従属の経済構造」(p.111)という規定は、“帝国主義であっても外国帝国主義に従属しつつ侵略的帝国主義であることはありうる”ということをいいたいがためであろうかともみえる。

 しかし、そうした井上の政治的行動への評価を別にして、本書を純粋に学問的資料として読んだばあい、「日本がなぜ侵略戦争をおこしたか?」という問題の解明には資するところがあるものだったとぼくは思う。





岩波書店
2005.10.17感想記
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