秋山はる『オクターヴ』




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すずめすずなり 1 (1) (アフタヌーンKC)  『すずめすずなり』のひとであったか。
 最初は『すずめすずなり』のひとだとは気づかなかった。
 『オクターヴ』は、本屋で面陳されていたのを手にとったのがきっかけだった。試し読みをするようになっていたから、パラパラとめくっていたのだが、絵が気にいった。
 1巻を読み終えた時点で『すずめすずなり』のひとに似ているなと思ったものの、『オクターヴ』のカエシなどに『すずめすずなり』の紹介がなかったので、「やっぱり違う人なのかな」とマジで思った。家に帰ってネットで確認して初めてわかったのである。
 というくらいに雰囲気が違っていた。

 まかない付きアパートの大家の娘(女子中学生)が、どうということのないサラリーマン青年に恋心をいだくというヌルい設定で始まった『すずめすずなり』は、さえないサラリーマンにぼく自身を重ねて女子中学生に好かれる自分にフハッとする、という期待感をもってスタートしたのだが、結末は今ひとつにえきらないものだった。

 中学生とセックスをするとか、何かエロいイベントがそこにあってもいいではないか、という実にミもフタもない、男子高校生のような欲望にまみれながら『すずめすずなり』を読んでいたせいであろう。

オクターヴ 1 (1) (アフタヌーンKC) だから、『オクターヴ』1・2巻がいいねえいいねえと素直に思えるのは、エロいからである。ちゃんとセックスが出てくるからである。

 「絵が気に入った」とさっき書いたとおり、18歳の主人公・宮下雪乃の造形は、「まじめで、気弱で、(クールではなく)可愛い」という印象を与えるボブカットと表情をしている。設定としてではなく、グラフィックとして可愛いのである。いっしょに買った『ちはやふる』の主人公・千早のような(黙っておとなしく座っているとそのように見られるところの)「美人」ではない。
 「美人」のような近寄りがたさはなく、むしろ侮って手を出しやすい「可愛さ」をもった形象が雪乃なのである。

 そして重要なことは、雪乃は「15でデビューしたが売れずに田舎に戻ってきた元アイドル」ということだ。このグラフィックとこの設定は、「同級生みたいな友だち感覚のアイドル、というちょっと可愛いコがそのまま日常世界に戻ってきた」ということが、外的な設定としてではなく、宮下雪乃をみればそのまま染み込むようにぼくに訴えかけるものになっているのである。

 かわいすぎる、美人すぎるという存在ではなく、ちょっと可愛いという程度の女の子としてぼくの前に現れているのだ。

 「東京は埋没できていいです」——田舎の高校に戻ったとき、あまりに「都落ちした元アイドル」ということで陰口をいわれ続け、性的なまなざしを受け続けた雪乃は、再び上京し、自分が所属していた事務所のマネージャー見習いとして働き始めたとき、こんなことを口走る。
 つまりは、雪乃は大いなる鬱屈をかかえているのだ。
 アイドルになれなかった、売れなかったという挫折感、人の噂に翻弄され傷つく疲労感をかかえこんでいる雪乃には、たとえば「やっぱり別の形でアイドルとして返り咲きたい」という上昇志向はまるで見えない。同じユニットを組んでいたミカが、売れなかった時代の歴史を封印してスターダムにのしあがっていく姿をびっくりしながら見つめるだけである。

〈ミカちゃんは
 日本中の人から愛されている
 私は——
 誰からも必要とされていない〉

という雪乃の内語は、ミカのようになりたい、とか嫉妬とか、そういう前向き、もしくはアグレッシブなエネルギーの表現ではなく、ただただ傷ついて疲れている、挫折して傷ついているという弱々しさの表現でしかない。

 ちょっと可愛い女の子が、傷ついて疲れ果てて、そして、誰かの手に抱かれたがっている、ということを、秋山はるはなかなか説得的にぼくら男性読者の前に示していく。
 正直、こうやって積み重ねられていく雪乃のデータに、ぼくら男性読者は、うほほほほほほ、それならぼくが癒してさしあげますよと鼻の下を40mくらいにのばして声をかけたくなっていってしまうのである。

 だけど、そんなことをそのまま言えないじゃないか。
 とくにぼくみたいな、ジェンダーについて意識しているサヨ系男子は。あるいは、そういう系統に属するアフタヌーン読者のみなさまは。

オクターヴ 2 (2) (アフタヌーンKC) だから、雪乃に癒しの手を伸ばす役を、美しい女性であり、やはり歌手としてデビューした経験をもつ岩井節子に担わせるのだ。

 銭湯で自分を鏡越しに意識した雪乃に、節子はアプローチをかけ、弟が経営しているコインランドリーの2階にある部屋で雪乃を押し倒して、実にねちっこいセックスを与える。
 それまで挫折感や疲労感でいっぱいの雪乃はオナニーをして自分を慰めていた。文字通り「自慰」である。

〈他人(ひと)にしてもらったら……
 気持ちいいんだろうな……
 こんな……
 自分で触る
 何十倍も……〉

 そんなふうに人肌を求めていた雪乃にとって、節子とのセックスは、あとで反芻するほど印象的な「癒し」だった。
 安手のエロ小説で、女性が男性にセックスをするとき「なぐさめてあげる」という言葉があるが、それをまんま女性に施すのである。しかし、男がそれをするのではなく、美しい姿をした女性がそれをやるなら、そこにぼくが感じてしまうであろうハードルはない。

秋山はる『オクターヴ』1巻p.168講談社

 あるいは、節子の男友だちに体中を品定めされているような視線を送られ雪乃がどんどん気弱になってその場を逃れたくなっているとき、節子がやにわに遠くから雪乃に叫ぶ。

〈雪乃!!
 こっちおいで!!〉

 これ、もし男がやったら、ものすごい意味がついてしまうところだが、美しい女性が気弱な可愛い女の子にかける言葉にしてしまえば、たちまち凛とした空気がつくられ、カッコよささえ生み出してしまう(右図参照)。

〈宮下さん——
 カワイイんだもん〉
〈銭湯で
 宮下さんの
 裸に
 欲情したの〉
〈触りたくて
 しょうがなかった〉

 ぼくがいえばそれこそ雪乃が拒絶するところの男の下品なエロ視線でしかないが、これを節子が言うことで、雪乃にとっては自分を受け入れ必要としてくれる最高の癒しの言葉になるのだ。

 2巻のラストで、タクシーのなかで気弱さを吐露しているうちに、同乗している優男風のフリーカメラマンにもたれかかり、キスを許し、やがて自分から手をまわしてキスを求めるようになる姿は、傷ついて、疲れて、たえず癒しを求めている可愛い女の子であることを如実に示している。

 男性の欲望にたいして、そうした女性を差し出すこの漫画は純粋に欲望漫画としてよく出来ていると思う。ぼくは、節子の着ぐるみを着て、今日も雪乃の体をいじっているのである。

 「百合」という回路をつかえば、ぼくはまたいくらでも身勝手で卑怯な男としてエロい気持ちを発動できるんだなあと思った。



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秋山はる『オクターヴ』
1〜2巻(以後続刊)
講談社アフタヌーンKC
2009.3.26感想記
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