鴨居まさね『オぉジョオします』



オぉジョオします この本の裏表紙のアオリに「スタイリッシュ(はあと)シアター」とあって、つれあいが大笑い。たぶんネタではないと思う。旧ヤングユー編集部と思しき人々のこの種のセンスは何とかならなかったのか

 新作の短編集で、どれも20代から30代の女性が主人公。

 笑いの中にすべてをつつんでしまうような、どちらかといえばこれまでの鴨居の作品系統に属する短編「地に足がついてしまう」は笑いながら読んだ。占い師をやっている大学の先輩のピンチヒッターで就職浪人中の主人公が「臨時占い師」をドキドキ状態でスタートし、そこにきた一人の女性客とのやりとりを描いた話だ。

 そもそも「占い師」は、ぼくが「なってみてもよい職業」(「なってみたい」ではない)の一つで、「人の話を聞く」ということが他人から見てぼくに合っている仕事ではないかと思っているので(自分が特別「聞きたい」と思っているわけではない)、突然「占い師」にされるという主人公の身の上がなんだか自分のことのようだった。

 「トクベツ美人でもなく不細工でもない……ふつう」「小汚いわけじゃないけど ここ(デパート)の客層とはちがう……テキトーな服装」「おっさんサンダル」というその客は、さばけたような口ぶりで、一体なんの相談をしにきたのか皆目見当がつかぬまま、次々に話をくり出してくる。
 そのどの「話」も面白いのは、作者である鴨居がかなり精選しているせいであろう。自分の体験かさもなくば取材によるもの(友人をふくめて)なのかわからないが、ともかく、20代後半から30代の人間にしてみれば「そのあたりの心の動きをぜひとも誰か言ってほしかった!」というエピソードばかりだった。

 たとえば、仕事の徹夜あけで友だちと飲んだあとタクシーで帰ったとき、あまりにもぐったりして身も心もボロボロだったその女性客は、運転手から、「芸能界の方ですか」と問われ大当惑する。

「いえ あんまりお美しいんで女優さんとかそういうお仕事かと思って」

 徹夜あけでひどい顔になっているはずなのに、車内が暗いせいなのだろうかと思っていると、降車のだんになって、

「いやー電気を点けてもやはりお美しいです ムードが素敵っていうか」

と本気で感心した顔で運転手が言うのである。

あたし以外に誰か乗ってるの!?

と思わざるをえないほど違和感ありまくりの運転手発言だったのだが、そのことがあった直後に長年いいなと思っていたオトコに言い寄られるということがその女性客に舞い込むのだった。友だちはその運転手のことを、「それぜったい天使だよ!! おじさんの姿の天使!! おじさんにはボロボロのあんたじゃなくて未来の美しいあんた(の心)が見えてたんだよ」と断定するのだった。
 そしてそのコトをきっかけに、女友だちたちも次々恋人や結婚相手をみつけていく。その女性客は

「それ見て思ったんです
 私も友達も今までなかなか男の人と続かなくて
 自分の恋愛下手が原因なんだと思ってたけど
 合う人と会えば トントントンっと勝手に進むんですね(はあと)」

 そして「会話終了」。
 この運転手のエピソードの、鴨居独特のとぼけようと、勝手に結論を出してしまう女性客とのかみあわなさが、上質のコントを見ているようで心底可笑しかった。

 この徹夜でボロボロなのに友人たちと飲むというシチュエーションにはじまり、同一の人間なのに、その日のコンディションや条件によって極端に美醜が分かれてしまう30代女性の「顔」のありようとか、「自分は恋愛下手」という勝手な自己規定がいとも簡単に粉砕されるさま、それを正しく受容していくさばけ方など、この挿話のすべてが「身近」で「生々しい」。
 鴨居の作品の特長は、エピソードにある。
 エピソードを選ぶ眼に鴨居の本領がある。鴨居が選び抜いた挿話ほど、20代後半から30代(のとくに女性)の心の「すぐそば」にあるものはないだろう。


 『SWEETデリバリー』や『雲の上のキスケさん』の初期は、鴨居は「笑い」のなかですべてをくるんでいく作風があった。ところが、近作では現実を厳しく抉り取る鋭角さと、「癒し」ともいうべき精神の解放や和解、という両極へ要素の分解がすすんでいるように思われる。
 以前ぼくは鴨居について「ひどくバランスの悪い人間だと思うようになった」と書いたことがあるが、その意味である。
 たとえば、本作のなかで「ぜんぶ糸のせい」という短編は、この両極の要素をはっきり持っている。
 地方で小さなライブを重ねてちょっとしたファンもついていてちょっとだけ売れているというシンガーの主人公。それにベタぼれな彼氏「かーくん」が、結婚を説得するためにシナリオのプロになると決意し、それが大きな賞をとってしまう。

「なんで あんたなん!?
 売れたい売れたいって思いつつづけてるあたしじゃなくて
 地元のカフェで一生バイトしてても平気な
 欲のないあんたがいきなり全国区って
 何!?」

 涙をためて大声で週刊誌を投げつける主人公は、ちょこっとかわいいけども、ものすごくみじめだ。みじめすぎて正視できない。
 こういう抉り取り方をしたかと思うと、他方で癒しのような緊張の解除が描かれる。ライブで久々に快心の出来になったあと、素直になれた主人公は、遠路から会いに来てくれた彼氏に、ホテルのロビーでだきついてこう言う。

「かーくん大賞おめでとう
 ずっとずっと言いたかってん」

 主人公と彼氏の顔は見えない。
 見えないけども、まるでよじのぼらんばかりに「かーくん」に抱きついている主人公の描写から、なりふりのかまわなさが伝わってくる。ベタになりがちな表情表現ではなくて、この「みっともない」抱きつきようを遠景で描くことで、主人公の心の解放が見事に表されている。

 昔の作風が好きなファンからすれば、こうした鴨居の変容は受け入れ難いのではないだろうかと思う。いや、早い話、ぼくなんかがそれなわけだけど。つまり、昔はもっと「ほげほげ」した人ではないかと思っていたのである。ところが、ずっとつきあってみると、どうももっと厳しいリアリストなようだぞということがわかってきて、ぼくみたいな人間は叱られてしまうんじゃないかなということである。少し居心地が悪くなったというか。

 だから、「ファン」である、という形ではもはや鴨居に近づくことはできず、むしろ「目の離せない作品を書く重要な漫画家」という扱いをしていくことになるだろう。





集英社 クィーンズコミックス
2006.3.20感想記
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