小林薫『奥様は漫画家』




奥様は漫画家 上 (1) (ミッシィコミックス Moonlight Comics)  小林薫が描いた「漫画家の漫画」である。小林薫といってもいろいろいるわけだが、おそらくそのどれでもない小林薫である。

 この漫画家を評して、「うだうだWeblog」というブログは次のように書いた。
http://na-inet.jp/weblog/archives/2005/09/post_57.html

「小林薫の面白さは『すっぽ抜け』にある。
 真面目一本槍のピッチャーが一球入魂の精神で投げたボールがすっぽ抜け、あらぬ方向に飛んでいく。その結果は悲惨であり爆笑ものである。……小林薫の作品、特に近作は、キャラクターたちにすっぽ抜けの悲劇を演じさせ、読者の爆笑を喚起させる傾向が強い。本作は漫画家と編集者の夫婦が成立する、その前後を描いた連作短編集であるが、日常生活とハードな仕事との両立を目指すべく、物凄いエネルギーで困難に立ち向かっていく主人公の大林薫子の『すっぽ抜け』が見事に表現されている名作である」

 「すっぽ抜け」とは言い得て妙、であるが、おそらくこのブロガーの使う意味と、ぼくが小林に抱いている「すっぽ抜け」感は微妙にズレているのではないかと思う。

新吼えろペン 1 (1) (サンデーGXコミックス) 自分の体験、もしくは身近な人の体験をふくらませ、それを自立させて暴走させる「漫画家漫画」といえば、やはり島本和彦『吼えろペン』シリーズを思い出す。小林の本作には、「すべての漫画家がこうだと思っていただきたくはない……」というセリフがあったり、作中にさりげなく「燃えよペ○」というタイトルの本が描かれたりするように、おそらく島本の漫画を意識している。
 だが、島本の漫画は、宇宙人と戦うことになったり、漫画のアイデアを出す深層意識を人格化させ討論までさせてしまう暴走をやらかせたとしても、絵といい展開といい、キッチリと最終的には管理されている。ものすごい「大暴れ」にみせかけて、それは観客に見せるために十分に計算されている、という意味でサーカスにも似ている。

 これに対して、小林の本作における暴走、すっぽ抜けて大暴投する様は、本当に大暴投、大暴走なのである。こう書くと、人知もおよばぬほど、前人未到の境地を描いたりするのだろうかと思う人もいるかもしれないのだが、そういう「前衛性」ではない。

 絵も展開も大荒れ、ハチャメチャになっていき、すなわち漫画の質が思いっきり低下しても、まったく構うことなく突き進んでいく。そうしてそのひどい漫画をずっと見ているうちに別の笑いがこみあげてきてしまうのである。

 小学生の描いたヘタで無茶苦茶な漫画が、爆笑をさそうのとも(微妙に)ちがう。
 小林はやはりプロである。通常の意味で面白い展開や、エピソードもそれなりにある。



普通に面白いエピソードもある



 たとえば、上巻の「親族デビュー」という話は、漫画家稼業がクソ忙しいときに、夫の親族(おばあちゃんの一番下の妹のダンナさんのお兄さん)が危篤になり夫の実家へ行かなければならなくなる話である。
 「アニメの『ちびりん子ちゃん』の作者とは友達じゃないの?」「儲かってるんでしょ?」などという親族=一般人のありがちな誤解とそれへのツッコミや、長男の嫁としてコキ使われる恨みつらみなどエッセイ的に事実をとりあげる部分は、普通に面白い。
 そして葬儀となり、葬儀会場においても漫画を描いたり、故人の似顔絵を描かされて最終的に『ベルばら』みたくなってしまう展開。しかし、そこでは終わらず、〆切に間に合わないとなるや、今度は親族に枠線、トーン、修正、けしゴムかけをやらせて怒鳴りあげながら酷使するのである。
 「夫の親族に味わわせてみたい漫画家の苦労」という欲望を、「ありえねえだろ」というツッコミも無視してカタチにしてしまっている。
 オチも含めてこの回の「暴走」は、漫画作品として普通に楽しめる質のものにしあがっている。「ああ……よほど『お前らいっぺんやってみろーっ!!』って言いたかったのね……」という作者の気持ちがひしひしと伝わってくるのだ。




トンデモないエピソードもある



 しかしそのような回のすぐ横では、「漫画としてこれはどうなのだ」と言ってしまいたくなるほどの大暴走が展開されている。
 たとえば下巻の最後にある「冬のラプソディ」のひどさ。「ヨン様」に熱狂する主人公の漫画家・大林薫子が、偶然に「ヨン様」に会うシーンを長々と描いたあげく、夢オチにしてしまうトンデモなさである。
 他にも、たとえば出産エピソードの回における生まれた赤ん坊の絵柄。そこには何の戦略性や計算も感じられない。下巻p.159に生まれたばかりの赤ん坊が描かれているが、わりと大きなコマを使って体躯やおむつなどが中途半端にリアルに描かれているのに、顔が思いっきり点と線だけで、最初みたとき、ぼくはこれは何か読者に伝えるための暗号だろうかとさえ思ってしまった。そしてすぐあとのページでやたらリアルな赤ん坊を描き、そしてまたすぐあとで、点と線だけで超簡略化して描いた赤ん坊を載せているのである。
 要するに計算も管理もここにはない。
 本当にノリだけで描いて、暴走させているんだなと思わせるものがある(本人は「ちゃんと計算している」と主張するかもしれないが)。だから、ある部分はありがちで凡庸なギャグにとどまり、別の部分はぶち壊れたように読者がついていけなくなるくらいまで猛スピードでどこかへ行ってしまうのである。たくまれた普通のおかしみ(漫画としてウマい部分)と、たくまざる異常なおかしみ(漫画としてヘタゆえに笑いたくなる部分)とが同居しているのだ。
 この漫画を読んであきれ果てて寝てしまうか、思い切って勢いに身を任せ別の笑いがこみ上げてくるか、どちらかだろう。

 上巻の冒頭の回(episode.0)のラストは、こうした小林的「すっぽ抜け」「暴走」が凝縮された、ひとつの象徴、ひとつの典型である。
 結婚したばかりの主人公夫婦が浮気騒動でドタバタ。これは平凡すぎて面白みに欠ける。島本とくらべてもせんのないことなのだが、他のエピソードのネタもつっこみ方が足りないものが少なくない。ありがちなのだ。
 その騒動がページの大半を使って描かれて一段落した後、そういえば新婚旅行に行っていないなという急な展開になる。ラストのコマは、別の箇所で「地獄の背景指定」と揶揄されている「見開きで町景の空撮」、その一歩手前の「ページ全体を使った町景の空撮」。そう形容されるくらいに過酷で、描き込みが求められるはずのコマなのに、これ以上ネタバレをしないために詳しくは述べないが、そのコマの描き込みのありえないくらいの超いい加減さ。そして「なぜこのラストでページ全体を使っての空撮!?」と思える脱臼したかようなテンポ。
 この漫画全体の暴走の質というものをよく表している。
 その奇妙さに、ぼくなどはつい「別の笑い」がこみあげてきてしまうのだ。





宙出版 上下巻
2008.1.31感想記
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