米田憲司『御巣鷹の謎を追う』



川上証言がしめす事故調報告の矛盾


 今年(2005年)で20年目をむかえる日航123便墜落事故について、ぼく自身何冊か本を読んだし、概要はおさえているつもりだったので、米田の本書が出たときも、それを読もうという気はなかった。

御巣鷹の謎を追う -日航123便事故20年- <DVD>  ところが、ぱらぱらとめくっているうちに、生存者である川上慶子の証言の記事が目に入り、目が離せなくなってしまった。

「墜落してから『お父ちゃん、助けて』と叫んだところ、英治さん(父親)は『お父さんも身動きできないからどうにもできない』というので、こんどは『咲子、咲子』と妹の名を呼びました。どれだけたったかはわかりませんが、慶子さんが咲子ちゃんに『お父ちゃんはどうしている?』と聞きました。咲子ちゃんは『お父ちゃんもお母ちゃんも冷たくなっている』と答えました。

 そこで慶子さんは『帰ったら、おばあちゃんと兄ちゃんと咲子と姉ちゃんと四人で仲よく暮らそうね』と妹にいいました。しばらくして咲子ちゃんはゲロゲロ吐き出したといいます。

 こうした話に、親族の間から『英治さんは生きとったげな』『咲子ちゃんも話をしとったそうだ』『身震いするほど腹がたつ。救助の手がもっと早かったら助かったのではと思うと、いてもたってもいられない』という怒りの声が出ています」


 これは、当時の「赤旗」にのったスクープである。この証言にひきこまれるように、300ページ(しかも本文2段組)もあるこの大部の本を一晩で読んでしまうことになった。

 実は、ぼく自身は当時の新聞記事を読んでいたのでこの川上証言自体は知っていた。しかし、事態の全容を知ってからこの証言を読むと、まさに「生き地獄」という陳腐な形容さえ受け付けぬほどの凄惨さとともに、重大な事実がここにふくまれていることに気づく。

 それは本書p.173でも指摘されているとおり、事故調査委員会の報告書では、「四名の生存者以外は全員即死したと見られる」としているのだが、この川上証言はまっこうからそれに矛盾するからである。
 生存者の一人である落合由美子の証言でも、墜落直後「ようし、ぼくはがんばるぞ」「おかあーさん」という子どもの声などがあがっていたという(p.173)。

 このように、事故調査委員会の報告には、納得いかない部分が数多く残されており、本書は20年目にあたり、この事件にかかわる「謎」について、各種の公式報告を批判するさまざまな事実と推論をあげている。
 ただし、「私たちも『これが事故の原因です』『真相です』と断定できる材料は持ち合わせていない」(p.9)と米田が述べているように、積極的な原因究明の推論をしているものではない。
 あくまで矛盾点をストイックにならべているものである(例外は自衛隊機の到着のおくれについて書いた部分で、その原因を米田は積極的に推論している)。



ボイスレコーダーのDVD


 本書のもう一つの特徴は、ボイスレコーダーそのものをDVDで付録し、そこにフライトレコーダーなどにもとづく3Dの飛行画像と解説をつけたことである。

 ボイスレコーダーを文字にしたものは墜落当時から公表されているが、その音声自体はずっと公表されなかった。テレビ局などは2000年8月ごろに入手し、15周年の時期のテレビでこのボイスレコーダーを公開している。(インターネットでも聞ける)
http://tablet.my.coocan.jp/sound/FVR123.mp3
テキストは 
http://www.qmss.jp/interss/extra1/materials/cvr.htm


 米田はこのときのテレビの報道姿勢について、
「乗員らが操縦不能の123便を文字通り必死で操縦操作をしている部分に力点が置かれ、入手したボイスレコーダーと報告書との矛盾に目を向けたマスコミは皆無に近かった。いわば『美談』としての域を出なかった」(p.134)
と批判している。

 米田による執念のボイスレコーダー分析をみれば米田がこのように批判する資格は当然にあると思うが、まずボイスレコーダーを虚心にきいてみると、だれもがその乗員の必死さに心をうたれるだろう。
 とくに、ギア(車輪)をおろしてから飛行機の高度が下がり、長野・群馬県境の高い山々の間に入っていってからは、その必死さが痛いほどに伝わってくる。
 米田が本書につけた3Dをみながらこのボイスレコーダーを聞くと、状況が立体的にわかる。
 実際、テレビで報道があったあと、乗員の遺族は、一部の無理解な偏見や攻撃から解放される。すなわち、機長や副操縦士などに対して「何百人も殺した」といういわれなき非難である。「遺族の一人でありながら、会社側の人間という立場かが、何ともいえないやりきれなさと切ない思いを強いてきた」(p.275)と本書でも指摘しているが、テレビ報道後、「最後までがんばってくれていたんだ。ありがとう」という激励があいついだという。

 「ボイスレコーダーの内容は87年6月に事故調が報告書を出した際に、運航乗員が必死で操縦操作をしている様は文書で明らかになっているが、広範には知らされていないからだろう。それと、やはり肉声の強さにあるのだろう」(p.275)

と米田が述べているとおり、「必死さ」を伝えること自体にも大きな意味があったといえる。

 個人的には、墜落直前の機械警報音(プゥーフ、プルアップ、プゥーフ、プルアップ)が不気味に聞こえる。凍りつくような機械の音声だ。

 米田があくまで分析的精神でボイスレコーダーにも臨んでいるように、本書の基幹部分はそのような冷静なタッチに満ちており、マクファーソン『墜落!の瞬間』などとちがって、そのまま事故の原因究明に資するものである。

 本書は7つの章から成るが、ぼくは大きく3つの部分から出来ていると思う。



(1)本書の特徴――ボイスレコーダー分析


 一つは、ボイスレコーダーの分析である。
 テレビ局が「美談」にこれを使ったのと対照的に、ジャーナリストらしく専門家や航空関係者を使って独自に音声分析までおこなっている。
 その結果、重要なポイントで事故調査委員会とはまるでちがった聞こえ方をしていることを明らかにしている。
 何点かあるけども、最大のものは、ボイスレコーダーの冒頭部であろう。
 事故調の「おこし」では「……なんか爆発したぞ」の部分が、米田の分析では、「あぶねえ」「なんか分かったのorなんかあたったぞ」となる。
 まったく違うのだ。
 圧力隔壁が破壊し、垂直尾翼の破損にいたるという事故調査委員会のシナリオでは「なんか爆発」したほうが都合がいいわけであるが、その急所を見事についている。



(2)本書の特徴――事故調査委員会報告批判


 二つ目は、事故調査委員会が出した急減圧論批判である。
 急減圧論とは、“飛行機の後ろのほうにある気圧を調整する役割も果たしている圧力隔壁が金属疲労で破壊され、その結果、急激な減圧がおこり、垂直尾翼がこわれた”という事故調査委員会の推論である。
 米田はこの問題をめぐる各種の言い分をかなり詳細に紹介し、一つひとつに吟味をくわえている。この部分はもっとも技術論的な部分で、ていねいに読めば理解できる部分であるが、一般読者には少しつらいかもしれない。



(3)本書の特徴――アントヌッチ証言


 三つ目は、「なぜ自衛隊到着がおくれたか」ということにかんする部分である。
 すでにこれ自体は「赤旗」のスクープとして10年前(1995年)に明らかになっていることではあるが、米軍のアントヌッチ中尉の証言があるのだ。

「墜落機残骸を発見したのは、あたりはだんだんと暗くなり始めていたときだった。山の斜面は大規模な森林火災となり、黒煙が上がり、空を覆っていた。時刻は7時20分だった。……事故現場から横田までの緯度、経度、方向と距離を連絡した。墜落後、およそ二〇分で当局は墜落機残骸の位置をつかんでいたのだ。横田管制から、われわれの現在地から約40マイルの厚木基地から、米海兵隊が救難に向かう準備をしていることを聞いた。一時間で到着できただろう」(p.107)

 ところが、司令部からアントヌッチは次のような指令を受け取る。

「将校は『直ちに基地へ帰還せよ』『日本側が向かっている』といったので、『司令部、海兵隊は救助続行を希望している』といったが、『繰り返す。即刻、基地に帰還せよ。海兵隊も同様』と命令された。私は『了解。基地に帰還する』と応答した」「われわれの到着から二時間経過した午後9時20分に、最初の日本の飛行機が現れた。管制から日本の救難機だとの知らせを受けた。日本側が現場に到着したことで、安心してその場を引き上(ママ)げた」(p.107)

 こうして米軍は撤収してしまう。アントヌッチは「いっさい他言無用」だと“箝口令”をしかれるが、翌日のニュースをみて「愕然とした」(p.108)のである。

 自衛隊が墜落地点の特定をできずに発表を二転三転させたという報道であふれかえっていたからである。自衛隊の公式報告によれば、翌日午前4時39分に機体の残骸を発見し、墜落現場を確認したという。

 米田は次のように自衛隊の動きをまとめている。

「百里基地を発信した(自衛隊)F4E戦闘機は、(墜落を最初に発見した)C130輸送機の計測位置を確認したうえで、百里の指示で一直線に現場に向かっている。中空司令部は戦闘機でまず現場を確認し、さらにMU2S救難捜索機とV107ヘリで正確な現場を計測する二段構えで臨んだ。だが、結局は墜落現場の位置計測と現場の状況を確認するだけで、救助は行わなかった」(p.117)

 ここから、“なぜ自衛隊は、墜落地点を早くに知っていながら、墜落現場を二転三転させる発表をおこなったのか”という謎になっていく。それは冒頭にあげた川上慶子証言をみるように、ひょっとすると「生存者を見捨てた」判断になったのではないか? という責任へとつながっていくものである。

 米田はその謎解きを自分なりにおこなっているのだが、これについての詳細は本書を読んでほしい。



荒唐無稽として切っている議論について


 本書では、「123便撃墜説」にたいして、やや憎しみをこめて批判をぶつけている。

「当時のさまざまな報道をもとに書かれた出版物が、十分に裏打ちされた取材や真偽の検証・分析もないまま、自衛隊のミサイルによる撃墜説な“荒唐無稽”としかいいようのない結論に導くものが多い。謎が多く、真相が解明されていないだけに、これらの出版物が遺族の一部にも影響を与えているのが実情である」(p.9)

 米田は現役の「しんぶん赤旗」記者である。
 自衛隊は違憲の存在だとして、段階的解消を方針にもつ共産党機関紙の記者であるが、だからといって米田は「自衛隊憎し」の先入見から報道をしたりはしない。墜落現場での自衛隊員の奮闘をはじめ、冷静なタッチで全体をすすめており、真相究明をまじめにしようとしないこの種の議論をきびしく批判さえしているのだ。

 米田は、この“荒唐無稽”な議論にも1節とって批判を加えている。

 かんたんにいうと、ミサイルがあたれば空中分解してしまう、という事実である。
 事実を隠すために発表現場をおくらせその間に不都合な証拠を拾って集めた、なる推論にたいしても、広範囲に散乱する現場でそんなことができるわけがないと一蹴する。

 ミサイル撃墜説、証拠隠滅説は、ぼくもまったく検討には値しないと思う。

 ただし、米田が批判めいてあげている一説「戦闘機射撃訓練用の空中曳航標的(ファイヤー・ビー)の衝突」についてはどうか。少なくとも、ここで米田があげている批判はこの説には対応していない。

 米田自身が読み直したボイスレコーダー記録をもとにすれば、事故原因が発生した時点の記録は「なんか爆発したぞ」ではなく、「なんかわかったの」または「なんかあたったぞ」である。
 そして、「ギアみてギア」とギア部分を見させている。

 もし無人標的があたっていたとすれば、その証拠隠滅まではいかなくても「荒唐無稽」まではいいきれない一つの有力な仮説としは残るのではあるまいか。





米田憲司『御巣鷹の謎を追う -日航123便事故20年-』
宝島社
2005.7.10感想記
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