すたひろ『おたくの娘さん』




おたくの娘さん (第1集)  『おたくの娘さん』は、「お宅の娘さん」ではなく「オタクの娘さん」である。そして気がつけば、「オタクの娘さん」というフレーズは最近生まれたぼくのリアル娘を意味することにもなってしまうのだった。

 漫画アシスタントを職業とし、エロゲー・フィギュア・抱き枕等々を愛してやまない26歳のオタク男性・守崎耕太が主人公。
 そこに、昔耕太がセックスした高校の先輩が産んだという9歳の小学生の「娘」・幸村叶が突然訪ねてくるというストーリー。ウェブの連載が商業雑誌に転載されたものである。(こちらで少し見られる)

 オタクが突然「父親」になるというわけである。

 さて、本作は温度設定がなかなか微妙だ。
 一番アレなのは、主人公と娘の関係である。

ちょこッとSister ドラマ  突然やってくる娘の叶(かなう)であるが、たとえば『ちょこッとSister』の突然やってくる妹「ちょこ」や、『ちょびっツ』の突然拾われる人型パソコン「ちい」が「無垢」であり、主人公の男性に「調教されていく」プロセスであるのと比べると、叶はオタクに一定の嫌悪感をもつ常識人的な「リアル小学生」という設定になっている。

ちょびっツ (6)  そして、体裁もちょこやちいに比べて「山出し」な感じが前面に出る。まあそれはグラフィックが、ぼくの欲望的好みと大きくズレているという根源的な問題なのであるけども、それはおいとくとしても、この叶は「眉が太い」という記号の持ち主なのである。
 たとえば『ヨイコノミライ』で出てくる平松さんはその野暮ったさを「太い眉」という記号で表している。
 叶が太い眉をもつ常識人小学生であることによって、このキャラクターがちいやちょこのような「一見してわかる欲望の集積体」であることを拒否しているのだ。

 「ロボット」のちいや「妹」のちょこのごとく、叶という「娘」はストレートに欲望をそそぎこめる対象にはつくられていない。
 では一体これは何の物語なのか。

 この物語は、まず「オタク対健全フツー小学生」、「オタク対非オタク」という構図から出発する。この初期図式からすれば、『げんしけん』でオタたちのなかに非オタク常識人である咲がまぎれこんでオタク文化との摩擦を引き起こし、それを楽しむのに似ている。

 オモテは『ふたりはピュアキュア』のキャラクターで、ウラは白濁液をかけられた全裸姿の抱き枕を発見されて大慌てするとか、エロ漫画を描いているので学校で父親の職業をきかれてただの「漫画家」だと言ってしまうとか、娘が熱出しているのにゲーム買う列にならぶとか、知り合いのロリオタが買ってきたロリエロ漫画(「パパと初めてのH大特集」などというタイトル)の束を耕太が持っていたのを見て叶の目が白くなるとか。

 このあたり他人事ではない

 最近、同じ団地の一家が家に遊びに来て(ぼくは出かけていなかった)、ぼくの部屋をみた小学生の息子さんが「すげー! すげーいっぱい漫画がある!」とコーフンしていたそうなのだ。まさか家に誰かくるなどとは想像もせず無防備な状態にしていたぼくの本棚だったのに、つれあいは「何か借りてく?」などと重大なことを口走る始末。話が『ヒカルの碁』に及んだからよかったようなものの、あやうく陽気婢や田中ユタカなんかを手にしたら「事件」になりかねなかったのであるよ!

 すでにそのようなニアミスが発生しているのに、これでわが娘が本当に小学生くらいになったら、そのあたりどうなっちゃうんだろう、あるいは中学生くらいになってぼくのサイトとかみて「うわサイテー」とかヒカれたらどうしようとかが今から真剣な悩みになっている。


 父兄参観にスーツも着ずママチャリでやってくる(いかにもぼくがやりそうなことだ)耕太に心底がっかりする叶であるが、ゲームやカードというオタク文化を駆使してイッパツで教室の人気者になってしまうオタクの父をみて、ちょっと見直してみたりする。
 オタクである主人公を、はじめは嫌悪していた非オタクの少女は次第にオタクを理解していく。 
 これはオタクが、軋轢をひきおこす非オタク文化すなわち一般社会に受容されていく物語である。それが「少女」という女性であることが大事なのだ。ここでは少女は単純な欲望対象であることを止めて、高度に抽象化された「女性」一般、あるいは「社会」一般として存在している。
 
……といいたいところだが、叶は実はある種のオタクにとっての欲望対象としてきちんと存在している。
 シワやカゲを執拗に描き込んだ叶の下着姿やパンチラが随所に登場するという問題もさることながら、叶の「太い眉」は化粧やケバさに反対する記号として、スレていない女性=純朴で純潔な女性としての存在感を高めている(「メガネ」の進化形態)。「太い眉」に萌える人々がこの世には存在するのだ!

 しかしぼくはそのような視線をこめてこの作品を読むことはできなかった。リアル娘を持った今となっては、「娘」というキャラクターを欲望対象として読むことはぼくにとっては絶対的に不可能になったことを確認させられる作品であった。
 
 

 


発行:富士見書房 発売:角川グループパブリッシング
1〜2巻(以後続刊)
2007.9.12感想記
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