板本洋子『追って追われて結婚探し』



追って追われて結婚探し  「合コン特措法」なるものを妄想したのち、現実に「出会い事業」ということをやっている自治体があるではないかと驚いていたら、サイト読者から「けっこうやってますよ」と一冊の本を紹介された。
 それが本書である。

「結婚支援事業への取り組みは全国でどのくらいの自治体がどのように実施しているのか。『こども未来財団(厚生労働省協力)』の委託研究として調査を実施した(二〇〇三、四年度地方公共団体における結婚支援に関する実態調査)。この課題に、強い反応を示すのは人口規模の小さい地域。一方、特殊合計出生率からいえば、その数が低い都市社会の反応は低い。
 事業の主流は『出会いの交流会』だ。全国にある市町村の約二八%が、農業などの体験型、レジャー型、男性のためのマナーや交際に役立つ講座型の事業を展開し、自治体の直接運営と実行委員会形式が多い。もうひとつは、『結婚相談員活動』が主流。さらに約三二%の自治体がボランティアの結婚世話人として相談員を委嘱している。あわせて自治体の約五〇%が何らかの結婚支援事業を行っていた。結婚祝い金や新婚者へ住宅補助などを贈る自治体(約一六%)もあるが、いずれも人口一万人未満の自治体の実行が多い。こうした事業によって結婚に結びついたケースがあるというのは約二三%だ。しかし聞き取りをすると、年間一組か二組、まったく成婚につながらなかったと嘆く自治体担当者の声を聞くことのほうが多い」(p.129〜130)

 農村や過疎地などが後継者対策としてはじめるというわけだ。
 この後、こうしたやり方から脱却を試みる自治体の記述が続き、なかなか興味深い。

 本書は、日本青年館結婚相談所の所長を務める人の、現代の結婚事情にかんするルポである。もちろん、ジャーナリストではなく結婚相談所の人間が書いたものなので、一種の「体験」談、エッセイめいた調子で書かれているのだが、上記のように、しっかりしたデータや事実調査にもとづいているので、「ルポ」とくくることができるものになっている。

 目次をみても、「変わる女性の結婚観」「問われる男性の生き方」「熟年結婚」「多様なセクシャリティ」、そして「外国の結婚事情」などにいたるまで幅広い。そして今のべたように、相談にくる人たちの具体的な事例の中に「普遍性」を見い出すという手法をとっているので、その体験談一つひとつが飽くことなく面白い。いや、正直にいおう、人のもっともきわどいプライバシーを合法的にのぞいているようで、ぼくは「楽しい」。
 たとえば、こんなケースが紹介される。

「六〇代半ばの男性が入会し、絶対若い女性を紹介してという。気持ちはわかるが『絶対……』を連発された相談員、『……そんなこと言っても、若い女性がおじさんは嫌って言えば、しょうがないじゃん』。てなことを丁寧用語で丁重に言ったが、この手の方には馬耳東風。続いて『俺は食事で向かい合った時、相手の女の首にシワがあると気分が悪くなるから、シワのない女性がいい』とチョー自己チュー発言。すでに首にシワの女性相談員は怒りを抑え、『では、お若くない方でも首のシワが目立たない方ならよろしいですか』。そしたら『年取ればシワは必ず出る』とのお答え。若い女はシワ顔の男を嫌うのでは、と彼のシワ顔を見つめて丁重にご説明したら『女はわがままだ』だって。自分の方がわがままじゃいー」(p.200〜201)

 あるいは、お見合い資料として男性側から提出される写真の「こまった写真ベスト4」。一つだけ紹介しよう。

その1『自動シャッターの男』。一人暮らしなのだろう。なぜか、夜、狭い部屋にて直立不動で写しているのが多い。出来上がった写真は、必ずと言っていいほど首の後ろが壁の『かもい』にかかり、首吊り状態の写真になっている。しかも、一人で撮っているので無表情に見下げているものが多い。夜、相談員はこの写真に遭遇すると、必ず恐怖の叫び声をあげる。『こわ〜!』。海千山千、修羅場を歩いた中高年相談員でさえ怖がるということは、若き無垢な娘からすればホラー映画状態で、後ずさりすること間違いない」(p.50)

 この他、「お茶の間男」「玄関男」「オールド・ファッション男」とつづき、どれも腹をかかえる。

 いや失敬、まじめな本なのだ。そして、相談している当人はもっとまじめなのだ。


 ぼくが一番興味をひかれたのは、「熟年結婚」の章で、熟年離婚や死別のあとに、結婚を模索するという動きが増えてきたという。

ルームメイツ (1) 1990年代の前半に、老年にさしかかる3人の旧友が同居する話を描いた近藤ようこの名作『ルームメイツ』がぼくはどうしても忘れられない。
 長年「妾」をして独身だった女性、熟年離婚をした女性、教員の仕事をしてきた女性という、初老の3人が同窓会を契機に同居するという物語で、さらにその周辺の家族のエピソードを加えることによって、近代家族の全体像をあぶり出した傑作である。
 近藤ようこがそこで描いた、熟年や農村の結婚・離婚の問題が、この本ではほとんどなぞるように現れる。それは近藤の観察眼の卓越性を示すとともに、本書がそれを「現実」のリアルさによって、別の迫力でよみがえらせているということなのだ。
 とくに、本書に出てくる半世紀ごしの初恋を実らせて老いて結ばれるケースが紹介されるが、『ルームメイツ』のなかにも似たような話が出てくる。
 『ルームメイツ』のほうは、教員時代にお互い憎からず思っていたが、男性側の連れ子が女性を許容しない気配を女性は感じとって、女性は男性のもとを去っていき、数十年を経てそのわだかまりを解決するというふうになっている。
 これにたいして、本書で紹介されているリアル・ケースは、幼馴染みだった二人が青年期に再会して恋が育つが、反対する家族の「策謀」で、すれちがいのまま別れる。その後、女性はひどい夫のもとに嫁ぎ、ひどく苦労をする。結婚して十数年後に再会して「連れ込み宿」にまで入るのだが、結婚相手のいる二人は「ドアをあけたまま」話し合ったという。そして、その後数十年たって再会する……というある意味で『ルームメイツ』をしのぐドラマ性をもって展開されるのである。
 いや、「似た類の話だったから」ということがいたく心を動かされた理由の中心ではない。

「セカンドマリッジの背景にあるのは、長寿国だから熟年結婚の希望者が増えたということだけではないと思う。恋や性に対する欲求や希望に年齢制限はなく、自然のことなのだという社会認識ができる時代がきたということだ。さらに熟年の結婚の動きは『結婚観の変化』の影響もあり、若者特有のことではなく、社会全体の現象ととらえる必要があるだろう」(p.101)

 こうあるように、『ルームメイツ』で一つひとつとりあげられる熟年の生活や結婚の姿の典型性と、本書で現実の中核をえぐってつかみだされた本質が、すぐれてダブっているということなのだ。

 ところで、やはり本書を読んでみて「結婚にまつわる複雑さ」に貫かれる「障害」は、ぼくの勝手な感想なのだが、全体として、女性側の進化にたいする男性側の結婚観の保守性、あるいは無変化・無対応ぶりということを感じる。

 第2章「問われる男性の生き方」の最後に出てくる二人の若い男性の対談では、A君が「二五歳で自治体の社会教育施設の非常勤」、B君が「団体の職員」で、A君は「どちらかといえば伝統的な結婚観を持ち、妻を『養う』とか『妻子を守る』という意識に加えて、長男意識も高い」人、B君は「結婚や人生について、社会状況を把握し、論理的であり現代的かつ対等なパートナーシップを描いている」人で、いわば保守派と進歩派なわけであるが、「これだけ結婚観が違うと思われる二人の男性が、最後は『活動する女性』を敬遠し『弱くて甘える女性』がいい、ということで一致した」(p.61)という。

 あるいは、浮気がばれて熟年離婚した男性。独身のさびしさのあまり、酒におぼれて糖尿になり、そしてさびしさにたえかね、結婚相談所をおとずれる。浮気相手と結婚すればとすすめると、「あの女とは遊びだった」「俺の趣味の女じゃなかった」と返し、再婚相手の条件を聞くと、「『俺と暮らしてくれて、食事をつくってくれる女なら誰でもいい。贅沢は言える年齢じゃない』だと。かなり贅沢な男じゃ」(p.104)。

 男が変わらねばならぬのだ、という、凡庸だがやはり真理であろう結論にたどりつく。




新日本出版社
2006.4.10感想記
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