三国志再論(『蒼天航路』)

蒼天航路 (1)


 実は、『蒼天航路』の原作者が死んだって知らなかったんですよ。初耳。(それって作品を見る上でものすごく重要なことなんだけどね。ことほどさように、ぼくの感想・評論っていい加減なものですが。)
 遺稿かなんか残ってたんでしょうかね。それを核につなげていくのと、まったく自由に別の物語を始めるのとではまるで性格がちがいますもんね。

 三国志の「正史」のほうでは、少なくとも諸葛亮は赤壁では何の役割も果たさなかったようですね。したがって『蒼天航路』ではほとんど重要な役目を与えていない。だから、たしかに孔明の描き方をもってあの作品の失敗とするのは、かわいそうだっていうのはわかります。
 ぼくが、『蒼天航路』の画期性を感じるのは、やはり絵なんですよね。呂布がその最期を鎖で縛り付けられる大画面で表されているのは。ぼくももう圧巻というほかなくて、あれぞマンガでこそできる、そして王欣太でこそできる三国志解釈だと思うんですよ。

 逆に『蒼天航路』の欠陥だと思っているのは、曹操が生きた人間に見えてこないってことなんです。わかりやすくいうと超越的な天才に見えちゃう。言葉をかえていうと、曹操自体が、偉大な「巨大思想」の人格化みたいな感じなんですよ。悩みや怒りが、ぼくのような凡人のレベルではほとんど理解できない(笑)。
 だから、思想対思想の対決が明瞭なところは、むしろその面白さが出ていますよね。
 対袁紹戦はああいう英雄思想と曹操の対決なわけですから、ぼく的にはすごく面白いんです。しかも、結局曹操が勝つわけで、曹操が悩んだりしている姿みたいなもんはあんまり要らない。付け加えれば、横山三国志では、ばっさりカットされているくだりですし(笑)。
 逆に、本来、曹操が悩んだり驚いたりすべき赤壁のシーンでは、それがほとんど見えてこない。

 巨大思想としての曹操という点では、いま「反儒家」としての曹操、法家としての曹操という面が、ぐっと出てきてますよね。
 これ、ぼくからみると、すでに司馬遼太郎が『項羽と劉邦』でやりつくしちゃったって感があるんです。
 たとえば、次の司馬のくだりを読んで、何か思い出しませんか(すでにご存じかもしれませんが)。
 劉邦が楚軍に追われ、逃げる車から自分の子どもを捨てるシーンです。

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 劉邦は、怒った。
 「子を捨てるのは、考えがあってのことだ」
 「なんのお考えでございます」
 「車を軽くするためだ」
 劉邦の行為は、この大陸の伝統的な倫理思想からみて非難はされない。劉邦をくるんでいる儒教以前の土俗倫理も儒教以後の倫理においても、親がもとで、子は枝葉にすぎず、孝の思想はあくまでも親が中心であった。親が危機にあるのに子が漫然としてその体重を車上に載せていることははなく、できればみずから車外へとび出るのが孝の道というものであった。劉邦の所行は、飛びおりようとしないこどもたちのために孝の行為を手伝ってやったにすぎない。(司馬遼太郎『項羽と劉邦』中巻、236ページ、新潮文庫)
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 劉備が曹操の兵に追われ、車から子どもを捨てるシーン&解説と瓜二つです。
 ちなみに、無能で臆病だが大器だという形象化(キャラづくり)も、司馬の描いた劉邦と、『蒼天航路』の劉備はそっくりです。

 ぼくは、『韓非子』『商子』『管子』をよみ、対して『論語』『孟子』『荀子』もよみました。儒家の思想というのは、若いぼくには「けっ」というウソくささしかなかったですね。ヌルいなあと。逆に、法家の人たちの文章と論理というのは、ぐっときました。当時右翼だったぼくは、あれを生徒会の管理主義に使おうとしたりしてね(笑)。
 法家の思想は、ものすごく徹底していて、明晰で、過激なんですよね。若々しい反骨の精神をとらえて離さない魅力があります。乱暴にいって、それは(わい小な/通俗的な意味での)革命の思想なんだと思いますよ。だから、法家の思想を採用した秦は戦国を統一したし、曹操も漢末の乱世をほぼ平定してしまった。ただ、そのあと長い平和な統治のためには、次の革命が必要だったわけですよね。それが儒の思想だと思うんです。

 ちょっと話が脱線しましたけど、つまり、ぼくとしては『蒼天航路』が今後横山三国志をこえるためには、曹操をもっと人間の領域に降ろすこと、儒対法という二番煎じのテーマをだてをやめて、マンガ本来の絵画的魅力での勝負に戻ること、を提案したいんですね。

(『蒼天航路』講談社、モーニングコミックス)



蒼天航路
採点66点/100
年配者でも楽しめる度★★★★☆

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