浦沢直樹×手塚治虫『PLUTO』1巻



PLUTO (1)
※2巻の感想はこちら

 『鉄腕アトム』って、あんまり面白く読んだことはない。
 そもそもぼくの子ども時代は、『アトム』の漫画もアニメももう一度見るという機会が少なかったせいだが、長じて漫画を読んでみてもピンとくるものはなかった。『ブラックジャック』や『火の鳥』のようには。手塚自身がアトムをリメイクした「ジェッター・マルス」をテレビで観ていたこともあるが、それも夢中になるほどには観なかった。ま、押さえとくか、程度に。

 いうまでもなく、本作は、手塚の『アトム』のなかの最も人気の高かったエピソード、「地上最大のロボット」のリメイクで、このエピソードは、あまり印象に残らなかったぼくの『アトム』体験のなかでも、なかなか強烈に記憶に残っている一作である。
 ある王様がプルートウをつくり、世界で最強のロボットになるために、世界で最強といわれている7つのロボットを次々に倒していくという話で、アトムと闘いながら、しだいにプルートウは自分のやっている戦闘の大義に疑問を感じ、良心にめざめていく。しかし、そのとたんに、さらに強いロボットに破壊されてしまうという悲劇的な結末をむかえる。

 アトム「ねえ博士 どうしてロボットどうしうらみもないのに 戦うんでしょう!?」
 お茶の水博士「さあね わしにはよくわからんが 人間がそうしむけるのかもしれんな」
 アトム「ぼく……今にきっとロボットどうしが仲よくして けんかなんかしないような時代になると思いますよ きっと……」

(「地上最大のロボット」より)


 キューバ危機の直後にかかれた「地上最大のロボット」には、戦争や科学文明への懐疑が、シンプルに、しかし色濃く反映している。


 ぼくは、アトムを面白く読むことはあまりできなかったけど、それを自分でも残念なことだなあと思っている。あの作品に心踊らせた一世代があることは紛れもない事実で、そういう感動の隊伍の端に、自分も何とか加われないものかと思っているからだ。
 だから、浦沢直樹には、「あの話をきちんと焼き直してほしい」と思っている。別の言い方をすれば、変に味つけをせずに、道具立てだけを変えて、手塚の精神を蘇らせるように。シンプルに。
 最近の浦沢はとってもわかりにくい。ぼくがアホなだけかもしれないけど。そういうふうにはしないでほしい。

 まだ1巻がおわったところだから何ともいえないけど、とってもわかりやすい。
 このまますすんでほしいなあ。

 そして、1巻のラスト。
 ついにアトムが登場する。
 連載読んでないので、どうなってのんか知らないけど、やべーよ、これ
 この造形。
 ラストのコマのアトムの大写し。
 ズキュゥゥゥゥゥゥゥゥゥウウン、と胸を射抜かれちまった。
 まじで、さぶいぼ、たちました。
 雨ガッパを着て、カタツムリを街路の植栽に返してやるアトム。
 均斉のとれた瞳、落ち着いた品格のある物腰、それでいて直前に出てくる悪童たちとはちがう羞恥や謙虚さが、浦沢のこの絵とコマ運びからイッパツで伝わってくる。まさに現代に蘇ったアトム。

 浦沢は、子どもや子ども時代にたいして過剰に神秘性を持たせたがり、それが話をフクザツにしてしまうように思うので、どうぞこのままの調子で話をすすめっていってくださいませ。

 これを言うと、ぼくがショタであるという疑惑をますます広げることになるであろうが、このアトムの造形から立ちのぼる、きわめてほのかな性的な匂いが、最高にリアリティを出している。やばい。


※2巻の感想はこちら


補 足

 2〜3日前に、『PLUTO』の全面広告が朝日新聞(おそらく首都圏のみ)に出ていた。手塚眞のインタビュー。浦沢がほぼ原作に忠実なキャラ作画のもちこみをしてきた、とあり(現在の作品はほぼその通りともいえるが)、浦沢が自分の漫画人生にとってのこの作品の巨大さを熱く語ったという話が披露されていた。
 とすれば、「手塚の原作を読んで味わった感動を、現代に通じるように蘇らせる」というのが、『PLUTO』のテーマになりそうなわけで、ぼくとしてはうれしいことである。

 もともとアトムというキャラは本来男性と女性の境界のあいまいさの上にたつ、いわば中性的なエロスをもったキャラだったはずではないか。『リボンの騎士』のサファイヤ王子をはじめ、手塚はこのようなエロスを欲望しつづけた。アトムの場合、それが人気キャラとなっていくうちに「無害化」されたのではないかと思う。

 だとすれば、浦沢のアトム造形は、まさにそのエロスを現代に蘇らせたことになる。




浦沢直樹・手塚治虫『PLUTO プルートウ』
長崎尚志/プロデュース、手塚眞/監修
手塚プロダクション/協力
2004.10.4感想記(10.10補足)
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