アンヌ・モレリ『戦争プロパガンダ10の法則』/70点


 ぼくのつれあいがサンフランシスコにいたときに、同時多発テロがおきた。
 同僚のアメリカ人たちは、みんないいやつだったけど、このテロがおきたとき、人がかわったように「アフガンをやっつけろ」とさけんだ。ちょっとでも、ブッシュを揶揄しようものなら、怒られた。町中が主戦派の色での「愛国」にかわってしまった。

 このときのアメリカの戦争宣伝は、まさしくこの歴史学者の指摘する10の法則にぴったりあてはまっていた。戦争を推進する側は、つぎの10の法則どおりに、事態をえがこうとする。
(1)「われわれは戦争をしたくはない」
(2)「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
(3)「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
(4)「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
(5)「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
(6)「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
(7)「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
(8)「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
(9)「われわれの大義は神聖なものである」
(10)「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

 モレリは歴史学者らしく、これらの例証を、近代のヨーロッパや日本から自由に集めてくる。
 戦前の日本は、とくにこの10法則の好例で、どの法則もほとんど例外なく適用されたことを例証できる。

 しかし、「まったくアメリカ人ってやつぁ」と言ってはいられない。
 その1年後に日本でおきている北朝鮮報道の洪水は、まさに日本版911のごとく、日本社会をあっという間に一色にそめあげてしまった。
 ぼくはこのプロパガンダのあやうさを感じずにはいられない。前にものべたけど、ぼくは北朝鮮はひどい国家テロをずいぶんやってきたとおもっているし、無法国家といわれてしかるべきだろうと思っている。

 しかし、そのことと、いま日本をおおっている異常ともいえる排外主義の空気は別の問題である。

 在日朝鮮/韓国人の人々がいわれのない暴力をうけ、北朝鮮は意図もわからずにこちらを襲ってくる悪魔のような国家としての宣伝が大量におこなわれている。もし、その空気に異論をさしはさめば、テレビでは袋だたきにあうし、相当数の脅迫を覚悟しなければならない。こうした空気は、ミサイル防衛や有事法案といった攻撃的軍備の絶好の口実となっている。
 さいきん、とみに民放系テレビでふえていて気になるのは、北朝鮮の番組をつまみ食い的に流して、米国の戦争意図をあばく言説を「反米洗脳教育」だとすりこもうとしている映像だ。
 アメリカが朝鮮半島と台湾にたいして戦争介入の計画をもっていることはまぎれもない事実で、とくに朝鮮半島にたいしては、先制的核攻撃の計画をアメリカはもっている。アメリカが正義の戦士であり、日本は無垢の協力者などという神話を信じるわけにはいかない。

 だいたい、金日成や金正日崇拝が異常なことはぼくも認めるけど、そういう話題をしたすぐあとに、ワイドショーが「さ、それでは、きょうの愛子様」などということになんのためらいも感じない感性を不思議に思う。

 北朝鮮に同調しなければ親米、アメリカに同調しなければ反米――まったくブッシュの「善と悪のたたかいでその中間はない」という立場と選ぶところがないではないか。

 ぼくは第三の道をとる。
 北朝鮮の無法をおさえこみ、そことの交渉と対話のルートをもつこと。
 同時に、アメリカの、この地域での戦争計画をやめさせること。
 いま、イラク攻撃についても日本のマスコミは、世界の反戦の動きを報じることはつとに弱い。まるで戦争は秒読みであるかのようだ。与党も、きのうの国会で「残念だけどもしイラク攻撃がはじまったら日本はどんな協力をするか」という質問までやっている(公明・日笠議員)。

 マスコミを読み解く力が必要だと思う。


(永田千奈訳、草思社)
採点70点/100

2003年 1月 23日 (木)記

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