吉田太郎『200万都市が有機野菜で自給できるわけ』

 「虚構」と「現実」、それぞれの「ユートピア/ディストピア」にかんする著作の感想をのべておこう。これは「現実」にかかわるほうの感想。(虚構についてはこちら)

 本書は、正直、世界観をくつがえす(いや強固にする)ようなリポートである。

 このまま「成長と浪費の経済」をつづければ人類は存続できないということは、すでに指摘されて久しい。理論や議論は百出するが、CO2規制ひとつとってみても、大国=多国籍企業側は妨害を重ね、かんじんの実践がまったくすすまない。
 「縮小経済のモデルがほしい」というのは、オルタナティブを待つ世界の渇望である。

 それが、キューバではじまっているのではないか、というのが、このリポートの趣旨だ。
 キューバは、もともとは中南米の優等生であった。アメリカがテコ入れした「進歩のための同盟」諸国はことごとく貧困や混乱からぬけだせなかったのにたいし、キューバ経済は順調な軌道にのり、とりわけ医療や福祉、教育の分野では、高い到達をきずいた。「医療福祉面にかけてはアメリカよりもすすんでいる」というのはユニセフの評価で、じっさいUNDP(国連開発計画)の指標では、「生活水準の指標」は1989年段階ではラテンアメリカでトップ、世界11位、アメリカ合衆国さえ上回っている。筆者は、見田宗介の「金がないと生きていけない社会の中で金がないことが、貧しいことなのである」(『現代社会の理論』)という一節をひき、キューバでは金はないが国民生活は豊かである、ことを指摘している。

 が、この「ユートピア」は、じつは、ソ連経済への極度にゆがんだ依存になりたっていたもので、ソ連の崩壊とともに、重大な危機に見舞われる。さらに、アメリカの追い討ちとして、キューバへの経済封鎖が強化される(トリチェリ法、ヘルムズ・バートン法など)。
 とりわけ深刻だったのは輸入に依存していた食糧やエネルギーで、国民の生存にかかわるような壊滅的打撃をうける。このあたり、息をのむような叙述がつづく。カロリーベースで食糧は57%を海外に依存していた。キューバ農業は典型的なモノカルチャーで、砂糖黍と柑橘類が主流で、輸出先の8割はソ連・東欧圏だった。当然、医療・福祉も崩壊し、革命が一掃したはずの「貧困と餓死」の光景が広がりはじめる。

 この危機にさいして、革命政権は、国内で食糧の増産をすべきだという、アホのような、しかし実に正しい結論に到達する。だが、他とちがって驚異的な結論なのは、キューバでは都市に人口の8割がいるから、労働力のある都市で農業をはじめようといったのである。

 この苦労譚がなかなか面白い。次のような困難があるのだ。
(1)都市全体はコンクリートにおおわれている。
(2)土があるところも有機含量が1%以下で耕作には不向き。
(3)化学肥料が経済封鎖で入手できない。

 その結果、「オルガノポニコ」という方法を発明する。これはコンクリートに被覆されているところでも、そこに、ゴミとなっているブロック片や金属板などをひろってきて囲いをつくり、そのなかに土を入れて集約的農業をはじめるのである。工業ゴミで農業をやっているのだ。
 さらに土は有機肥料を施肥する。これにたいしては「ミミズ堆肥」が使われる。

 などなど、エピソードはつきず、ぼくはこのような「(社会的)危機脱出物語」を読むのはたまらない快楽なのだが、とりあえずこのくらいにして、こうしてハバナの市域の4割が農地となったということをのべておこう。そして、野菜にかんしては、完全自給を達成したのである。もともと、かつては野菜食の習慣さえなかったのだが。

 エネルギーについてもふれておこう。
 ソ連崩壊前はキューバは自動車大国で、異常な燃費の高公害車が走り回っていた。
 だが、ソ連崩壊でこの事情も一変する。
 1989年には1330万トンの石油を輸入していたが、ソ連崩壊でストップし、93年には570万トンしか輸入できなくなった。
 そこで革命政権がとった方策は、緊急に中国から100万台の自転車を輸入することだった。それまでは自転車の習慣はなかったという。
 原発建設もストップし、かわりに自然エネルギー開発がすすめられる。砂糖黍を利用したバイオマス発電、また、太陽の国キューバらしくソーラーパネルがもちいられる。リポートでは「太陽は封鎖することも、支配することも、破壊することもできません」という開発公社の代表のインタビューを載せているのが印象的だ。


 このほか、興味深いエピソードが山のようにある。
 けっきょく、ソ連崩壊と経済封鎖に端を発した、非常事態体制は、いまになってみれば、西側のNGOが泣いて喜びそうな「低エネルギー社会」「有機農業都市」を実現させている、というわけである。じっさい、欧米のNGOはつぎつぎとこの国にのりこんでいる。

 聞くもおぞましいディストピアは、実は未来社会の縮小文明をしめす、ユートピアなのかもしれない、という話になっている。


 むろん、これは話がうまくいきすぎているきらいはある。
 たとえば、「第2部 7章 危機を救った緑の薬品」では、封鎖で輸入されない医薬品にかわってハーブでがんばっている、という話が披露されているが、なんだかにわかには信じがたい。上記の食糧やエネルギーだって、全体像のなかではどれくらい過不足がある話なのかは、いまひとつよくわからない。
 旧ソ連や北朝鮮の盲目的なもちあげで立場を失った知識人は数知れない。べつに著者はコミュニストではなく、一介の公務員(東京都職員)だそうであるが、非左翼であってもたとえばソ連にたいして目がくもってしまった例はいろいろとある。したがって、ぼくとしては、どうしても評価は慎重になる。キューバ自身の情報不足という面だけでなく、「ツッコミ」をいれようとする人士が吐いて捨てるほどいるのである。悪いことではないが。

 であるにもかかわらず、“浪費と成長神話に汚染された目からみれば、忌むべき貧困の国が、実は、未来の視線からながめれば、ほんとうの「豊かさ」をしめした、オルタナティブ社会ではないか”、という提起は、冒頭述べたとおり、ぼくの世界観の中枢をいたく刺激する。

 第4部の5章「市場原理とのバランスを求めて」は、コンテンツをざっとしめすが、「ソ連流のモノ重視経済の破綻」「モラルによるボランティア動員とその失敗」「痛みの伴わない構造改革」「守るべき社会主義の理念」とあるように、簡潔な社会主義論、ソ連批判となっている。
 ぼく自身は、社会主義的管制にもとづく市場というイメージをのべたが、ここでも似たような結論を得られる。同時に、「ゲバラ主義」というモラルにたよる動員の失敗を指摘しているのは興味深い。
 ぼくは、つねづね、オールド・ボルシェビキのなかには、「高いモラルの共産主義的人間の創出」によって社会が変革されるという考えが巣食っていると思っていた。これは、現行資本主義が発達した個性を準備するというマルクスの話とは異なって、いわば生き物のような経済の動きを市場以外のかたちで無理に制御しようとするときに、その間隙を埋めるようにもちだされる考えなのだ。「みんな高いモラルの持ち主だから協力してくれるよ」みたいな。「合理的経済人」の裏返しのような考え方にすぎない。

 あれこれの知識ではなく、“ディストピアだと思っていることにユートピアがあるかもしれない”、という哲学的事実そのものを得られることが、オルタナティブをめざすものにとっては、最大の収穫物であろう。



『200万都市が有機野菜で自給できるわけ 都市農業大国キューバ・リポート』(吉田太郎)
築地書館 2002.8発行
2003.11.14記
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