池田信夫が作った「読んではいけない」という「反書評」(というたいそうなものではなくただの悪口。ないしは人格攻撃——後述)のリストの中にあったのでさっそく読んでみた。「絶対に読むな」とか「絶対見てはいけない」とかいわれたら、誰でも読みたくなるだろ。
池田が悪口を並べながら、端無くも「規制改革会議と厚労省の官僚の対立はおもしろい」とつい述べてしまわざるをえなかったように、本書は「おもしろい」。こんなに本があふれている時代に、「おもしろい」といえる箇所が少しでもある本がどうして「読んではいけない」のか理解に苦しむ。池田先生も素直じゃないねえ。「おれにもちくま新書で書かせて!」「おれにも研究所の所長ポストを!」と言えばいいのに。信夫ったら、素直じゃないんだからぁ。紙屋研究所の副所長くらいにならしてあげるよ。
さて本書であるが、労働者派遣法の改正案が出されたことに見られるように労働分野の規制緩和の流れは明らかに「潮目の変化」のうちにある。規制緩和が20年来続き小泉「改革」でそれが加速されたあと激動の末に2006年を境に規制強化の動きが始まった、その経過を追ったものだ。とりわけ「官」の側からの再規制の「反転」がどのようにおこなわれたかを審議会や諮問機関の議事録を読み解いている。あらかじめ五十嵐のために言っておけば、この「官」の動き自体には小泉「改革」の見直しという肯定的側面と、政官業の癒着や省庁権益の復活という負の側面がいっしょくたになっている、ということわりをつけている。
池田がうっかり「おもしろい」とこぼしてしまわざるを得なかったように、最後の章で書かれている、規制改革会議のうち労働分野の規制緩和論者が主導権をもっている労働タスクフォースが暴走していく様を描いた部分は本書の白眉。規制緩和論が閣僚や厚労省、そして規制改革会議全体にも公然と反論されて、異常な孤立をしていくのである。この描写がきわめて躍動的なのだ。
基本的に、公開されている議事録を読み込んでいく作業だから「ブロガーでもできるんじゃねーの」とぼくは思っていたのだが、本書をよく読んでみれば、議事録の読み解きだけでなく、さまざまな情報を探して関連づけ、一つの体系的なまとまりに仕上げたことはやはり新書ほどの本にして売る価値は十分あるなと思い直した。
と思ったら、本書の末尾には〈ブログで連載を始めた〉ものだということが書いてあり、その〈ブログでの連載を“パン種”に、新しい材料も仕込んで“焼き上げた”のが本書〉(p.236)という告白があったので、なんだやっぱりそうですかと思った次第。
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/
ぼくとしては本書の中心テーマ以外の部分でも初めて知る情報が多かった。
池田信夫は「二次情報ばかり」などと口をきわめて罵っているが(池田は、本書が「八代尚宏氏などの経済学者を罵倒」しているといっているが、ぼくには普通のテンションで紹介しているだけもようにしか見えず、「罵倒」というなら池田の「反書評」のノリこそまさに「罵倒」と呼ぶに値する)、新聞記事にしろ書籍紹介にしろ、ぼくにはありがたいものばかりだった。
たとえば、本書の中心テーマ以外でいえば、一つは、悪名高き日経連のレポート「新時代の『日本的経営』」を書いた小柳勝二賃金部長のインタビューが07年5月19日付の朝日新聞に載っているというのは貴重な情報だった。〈身分の固定化を意図したものではなかった〉〈つまみ食いされた気がする〉という弁明など、小柳がどのようにこのレポートを構想したかがうかがえて興味深い。
08年2月15日の経済財政諮問会議での御手洗経団連会長の発言も知らなかった。
〈そういった新しい経済成長で得られた成果について、賃金の引き上げを通じて、家計に確実に分配されるということも非常に大事なことだと思う。これによって、初めて消費や住宅投資等に支えられた安定成長が実現され、経済の好循環も生まれると考える。ちょうど今、春闘の最中であるが、こうした好循環を確立することが、最終的には企業経営にとってもプラスになる〉——御手洗エラいじゃん。「偉い偉い。そいつを今労働者の前で云えれば、なお偉い!」。
また、「世界」の08年3月号で「日本人はどのような社会経済システムを望んでいるのか」という調査・論文があったことも知らなかった。アメリカ型が圧倒的に少なく、北欧型がこんなにも多いことに驚きを禁じ得ない。それとともに日本型への「回帰」もそれほど多くないというデータもやはりびっくりした。
本書の白眉は最終章だと述べたが、それにいたるまでのプロセスもやはり「おもしろい」。規制緩和から規制強化へと、世の中が変わるとき、多くの階級や階層、個人の様々なベクトルの力の合成がそれを生み出すということを実にわかりやすく描いている。マルクスのフランス三部作になぞらえては言い過ぎかもしれないが、新書サイズで史的唯物論の一側面を見事に表現しているといっていい。
志位和夫やマスコミの動きもさることながら、与党内で後藤田正純や柳澤伯夫が緩和論者を牽制する様子や、加藤紘一が最初は緩和論者だったがこれはやばいと思い始めたという述懐などが紹介されている。
さらに財界内部で「ヒルトン東京ベイ」において激しい論争を繰り広げた経過を追った朝日新聞の記事(07年5月19日付)も、ぜひ読んでみたいと思った。「ステークホルダー論」対「株主価値論」の対立の形で論争が起きているのだ。
本書はこうした支配階級内部の規制強化の方向をリアルに描出している。
よく反動的施策の推進をする側は意図的にそれをやっているのか、という質問があるけども、加藤紘一の次の発言はそのあたりがどうなっているかを示す例の一つである。
〈それまでの自民党は、どちらかというと無自覚に、アメリカの要求する「市場化」の政策をとりいれてきました。/私もそのひとりです。/そのことの社会に及ぼす影響がこれほどまでに破壊的なものであるということに私は無自覚でした。/当時の自民党の議員もそうだと思います。/ところが、二〇〇一年に成立した小泉政権は違うのです。/むしろこうした社会に及ぼす影響を十分にわかったうえで、さらにアクセルを踏んだのが小泉政権の特徴でした〉(加藤紘一『強いリベラル』)
こうした支配階級の中での激しい激突を最も躍動的に描いているのが、くり返すが最終章の規制改革会議の労働タスクフォースをめぐるやりとりである。
すでに潮目が変わった中で、労働分野の規制緩和論者である八代の人脈で労働タスクフォースが固められており、その部会が、厚労省が用意したであろう規制強化論者のヒアリングの成果などを徹底的に無視して、大々的な規制緩和論をぶちあげ、政府がすすめるという最低賃金引き上げ、パート差別の禁止、同一労働同一賃金政策を激しく非難する文書を出すのだ。その結果、政府側が〈規制改革会議の労働タスクフォース名で出された文書につきまして、御審議中の法案や政府の方針に反する不適切なものであるという御議論がありまして〉〈労働タスクフォースの名をもって公表されたことは不適切なこと〉といって国会で公然と批判するまでになる。
そればかりでなく、このあと、暴走と再制御という激しいやりとりが描かれるのだ。
池田が思わず「おもしろい」とこぼすだけはある。
池田の本書への罵倒について
仮に格差を示す根拠にNHK番組のような〈二次情報〉を使ったとしても別に本書の主題や値打ちとは何の関係もない。「格差と貧困を批判する形で世論が厳しくなってきた」程度でさらりと流したっていっこうにかまわないもので、根拠など書かなくてもいいくらいだ。テーマじゃないんだから。一次情報一次情報って、覚えたての学問マナーをふりかざしたい大学生のようである。池田の好きな比喩でいえば〈中学生なみの知能〉だ。
ちなみについでにいっておけば、本当に池田はこうした比喩がお好きらしく、森永卓郎が〈麻生総理の頭には、庶民の生活をよくすることで消費を拡大しようという考えはないらしい。企業も確かに弱っているが、その大きな理由は、消費者に金がないためにモノが売れないからではないか〉と書いたのを自分のブログのコメント欄で批判するときも〈幼稚園児の作文〉と述べている。
幼稚園児がそんな作文書くわけねーじゃねーか。
工夫のない比喩は本人のレベルを暴露してしまうことよなあ。ぼくと同じでw
さすがに恥ずかしいと思ったのか〈基本的に冗談なので、内容に責任はもたない〉と臆面もなく逃げをうっているあたりも、まるで紙屋研究所所長のような卑劣さであり、逃げをうつというのはこんなにも恥ずかしいことなのかと自分のことに思いを馳せ、顔から火が出る思いでいっぱいである。
立場がちがっても面白いと思ったら素直に「おもしろい」と言おうよ。ね。
五十嵐仁『労働再規制——反転の構図を読みとく』
ちくま新書
2008.12.16感想記
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