音楽イベント「世界激場」に出ます




 といってもぼくが音楽演奏をするわけじゃありません。ぼくができる楽器はせいぜいピアニカとリコーダーくらいで、曲目は「とんび」が限界です。そうじゃなくて、トークセッションをやらせてもらいます。

 まずは、実行委員会の口上と出演者一覧をごらんください。

 2008年10月19日(日)、とあるイヴェントがスタートします。
 その名は「世界激場」。
 一応音楽イヴェント、なのですが、微妙にそこから逸脱したものをやって行きたいと思っています。

 「楽しい」だけじゃつまらないあなたへ。
 いつもと同じ顔ぶれだけじゃつまらないあなたへ。
 ほんのちょびっとだけ、世界を変えたいあなたへ。
 そういうの全部ひっくるめて、「楽しみたい」あなたへ。

 世界激場は、そういうあなたに向けて贈るトライアルです。

●日時;2008年10月19日(日) 
 午後1時半開場 午後2時開始予定
●場所;甘棠館SHOW劇場
http://www.geocities.jp/kantoukan/04_gekijyou.html
●1500円(当日はお気に入りの筆記用具をご持参ください)
●トークセッション 紙屋高雪(紙屋研究所所長)
 http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta
●ライヴ
 倉地久美夫 http://hirunohikari.com/kurachikumio.html
 オオクボT
 みねまいこ http://www.minemai.com/
 TARJEELING http://www.geocities.jp/tagahillrecords/

●ライブ出演者の音源
 http://www.myspace.com/sekaigekijou

 ぼくは、このイベントを企画している聡文三さん・みねまいこさんを、それまでまったく存じ上げませんでした。
 聡文三さんは、もともとぼくが東京にいる時代からぼくのサイトをちょくちょく見てくれていたようです。福岡に越してきたこともサイトを見て知っていたようなんですが、その段階ではなんの接触もありませんでした。
 しかし今回のイベントをたちあげる段になってあれこれ検討した結果、「紙屋がいいのではないか」ということになり、急速に計画がまとまったそうであります。
 それでぼくのところに依頼メールが来て、ぼくらは初めて顔を合わせる、ということになりました。

 いったい音楽イベントになんでぼくなのか?

 そのへんをぼくが勝手に解説するというのも僭越なんですが、話し合いのなかでぼくなりに理解したことを書いてみます。

——いつもライブをやって楽しい。楽しいんだけど、それだけでいいのか、という思いがある。ライブという非日常が非日常として完結し、それでぼくらの日常にもエネルギーを吹き込むのだろうけど、もっとそれが日常に食い込んでもいいんじゃないか。ライブの場で「日常」に食い込むような波紋や波風をたてて帰ってもらえたら面白いんじゃないか……。
——音楽が心にたてる波風とは別の波風。日常のぼくらの生活・労働・恋愛・学校・社会……そうしたものに言葉とロジックを使って波風を立てたい。

 こういうことだろうとぼくは勝手に理解しました。
 そういう水面に石を投げる役割を、オタクでありコミュニストであるぼくを使ってやってみようじゃないか、ということなんです。オタクという趣味性・欲望度の高い入り口でぬるりと侵入しながら、コミュニストとか左翼という硬度の高い、不快なものによって、大いに心の中に風紋をつくっていただこうという算段です。

 セッションですから、どこへいくかはわかりません。ぼくが言ったことに司会や会場がいろんなツッコミを入れていくのでしょう。空中分解することもあれば、きわどい刺激的なものになったりすることもあるかもしれません。

 ぼくは学生運動をやってきたこともあって、人前で話すこと自体はたびたび機会がありました。しかし、「紙屋高雪」として、しかもこうしたトークセッションのようなスタイルでやるのは初めてです。
 どうなることやら。
 音楽が聴きたいという以外に、紙屋という男がどんな風貌をしていて、しゃべると如何にマヌケか、そいつをぜひ見たい、などという不純な動機をお持ちになった方は10月19日、福岡市中央区天神(正確には唐人町の1-10-204)にある甘棠館SHOW劇場へGO!





みねまいこさんインタビューを転載します


 「タガヒルレコーズ」のオフィシャルペーパーである「HILLSIDE」という情報誌に載った「世界激場」特集。そのなかに、主催者のひとりであるみねまいこさんのインタビューが載っています。
 ぼくによる解説だけじゃなくて、主催者自身の言葉で、このイベントの意図や方向などを知ってもらいたいと考えて、許可を得て、以下にインタビュー全文と紹介文を転載させていただきました。(強調やカッコは原文のまま)


 *   *   *

 今回本誌では、「世界激場」の共同主催者であり、福岡とヨーロッパをまたに駆けて活動するシンガーソングライター、みねまいこさんへのeメールによるインタヴューを試みた。みねさんの経歴は別項に詳しいが、付け加えるとするなら、自分が表現に向かう必然性や意志を明晰な言葉で語ることの出来る、彼女の世代では貴重なミュージシャンだ。
 「世界激場」の狙い現状への危機感への質問を主に行なったが、寄せられた回答は、果たして過剰なまでの言葉に溢れていた。



——まず、「世界激場」を開催するに至った経緯を、みねさんサイドの視点で話していただけますか? 聡から「パンクバンドの後に公園があるようにイヴェントやりませんか?」というかなりいい加減なメールが最初に来たそうですが。

「ははは(笑)まず、聡さんの音楽を聴いて、そのあと少し話をしてみたごく初期の段階で「こいつバカじゃないな」という印象を彼に持ちました。たしか私が発作的に「あのー彼女とかいますかー?」と、恋愛事件を起こすことを期待した質問をしたのですが、聡さんはすぐさま丁重にお断りになりまして(笑)。その後、メールやミーティングなどでコミュニケーションをとっていくうちに、なんでもいいから言葉をとにかくたくさん並べていった。その中から、世界激場でやりたいこととのビジョンが生まれて、逆にやりたくないことがはっきりした。やりたいことというのは、高い公共性のあることつまり音楽を一部の人たちや好事家だけのものでなく、陽のあたる社会に出して、そこで問いかけて、社会から審判を受けること。逆にやりたくないことは、仲良しグループ的なイベントになること友だちなんかいなくていいよ、世界全員が敵(笑)!」



——みねさんの音楽性ざっくり言えばニューウェイヴっぽい要素も在るアーティなポップ、一方でTARJEELINGはハードコアな打ち込みパンクと、音楽的に隔たりがあるようにも思えますが、両者の間に共通する点は何だと思いますか(音楽的な事に限らなくて結構です)。

「言葉が過剰なことかもしれません。音楽における歌詞の重要性でも、共通している気がします。」



——「世界激場」は福岡のインディーシーンの閉鎖的な現状に対するカウンターという側面もあるそうですが、具体的にインディーシーンの閉塞感を感じる局面など、思いつくのがあればお答え頂けますか。

「閉塞感というのは、福岡以外でもそうかもしれませんが、ライブを聴きにくるある一定の客層の分母があって、そんな一定の分母の客がいる中でいかに自分のバンドが多くの客を取り込んでのし上がって行けるか、みたいなこと。一般的に、女の子のおっかけを作って、そのおっかけがさらに友だちを連れてくる、観客動員数が増えて、東京デビューというストーリーかな、と思うのですが。まあ、人気になる仕組みはホストの世界みたいなもん(笑)。たぶんね。かわいがられるキャラとかイケ面とかそうじゃないミュージシャンは、これは苦戦を強いられますね。
 どの業界も、状況が厳しく宣伝費をそんなにかけられない。たとえいいものを作っていたとしても、いかにそれを出会ったことのない誰かに伝えるか?で頭を悩ませています。それで、勝負師である私としては、音楽性が高くて、なおかつインディーシーンから半端じゃなくはみ出している人を意図的に集めてみたかった。ちなみに倉地さんが出演してくださるのはボーナスが出た!と思っています。」



——佐野元春は「社会へのコミットメントはロックンロールの本質である」という名言を残しています。これは社会的な活動と直接関わらないにせよ、ロックンロール音楽は個人と社会との間に生まれる様々なフリクションが反映されるという意味だと思われますが、みねさんはご自身の音楽活動に社会との関わりはどれくらい重要な位置を占めていると思われますか。

「佐野元春さんは、おそらく政治の季節の匂いを深く覚えていらっしゃるか、リアルタイムで経験なさったか。そのどちらかの経験をふまえてこの名言が出て来た印象をもっています。つまり、音楽が政治的な力を持ち得た頃のこと。でも、私は物心ついた頃には、3才だったと思うけど、日曜日デパートの屋上のピンクレディー大会で歌って踊って、まあなんと今も変わらないではないか!(笑)。そう、きらびやかな80年代はすぐそこにありました。ずっと体制に疑問を覚えたり、確かな正義が存在するよりは、「自分が豊かである限りは、誰も不平不満を言わない社会」で育ち生きてきました。
 そんな経済至上主義的な中で、社会にコミットメントするって、非常に難しいことだなと思います。社会というのは、今ではすっかりイコール経済活動オンリーなわけですから。だから、そのことを痛烈に自覚しつつ、そんな社会のまっただ中で、なおかつそれを歌にする、ということが求められていると思っています。針に糸を通すような作業だと思う…。でも社会を無視して、私に男と女の密室のような歌を作らせたら「心中しようね(ハート)!」くらいしか歌えないので(笑)。私にとって社会や時代というのは、音楽の前提に位置すると思います。」



——社会的な接点を求めようとする音楽家やイヴェントに対するありがちな批判として、「そんなに社会に関わりたいなら音楽なんかやめて実際の社会運動に関わればいいじゃないか」というものがあります。この意見は一面的である一方である種正論であると思うのですが、こういう意見はみねさんはどう思われますか。また、ご自分のやっている事が社会運動でなく音楽である必然は何だと思いますか。

「社会運動は党大会や党派集会や決起集会がめんどうくさい。同じ意味で、小説は半年とか一年がかりとか、絵も映画もそう、時間がかかる。でも音楽なら、3分でかたがつく(笑)。しかも音楽は移動できる。どこに行って歌ってもいい。才能はおいといて、だから音楽を選んだ側面が私にはある。いやいや、私は基本的に政治的センスの資質がないのです。古代は巫女がいて神に仕えて、そばで弟が政治をやっていたらしい。私はどっちかというと毎日憑依とかやってる巫女の方が役に合っている。楽しそう(笑)。
 あと、社会と積極的にコミットする音楽家を非難する声もわからないでもないですが、いろんな才能を同時に持つ人もいる。プラハの春では、反体制のリーダー的、象徴的存在として、マルタ・クビショバというアイドルが歌いながら政治的な活動も行ないました。旧東ドイツのフィギアスケート選手のカタリーナ・ビットは(ベルリンの)壁崩壊後に「花はどこへ行った」をバックに真っ赤なコスチュームで演技をしました。氷の上に本当に赤い花が咲いたように見えました。数えればきりがないけど、自分のいろんな才能を捨てないで大事に伸ばす方がいいと思っています。音楽だけとか社会運動だけとか、ストイックになる必要はまったくない!



——今回のメインのトークセッションをされる紙屋高雪さんは漫画評論家である一方、左翼として現実の社会運動にも関わっている方ですが、今回最終的に紙屋さんに決定するにあたってその事はどの位影響しましたか。

「いまタイムリーな問題である、若者と雇用問題についてとか、格差社会であるとか、貧困とか、そういうことに触れたかったのですが、音楽イベントでそれをやることに意味があると思っていました。彼が適任だと思ったのは、もちろん彼の漫画評論が面白かったのもあるのですが、労働問題を一番得意とするのは左翼の人達で、それらについて語らせたらちょっと誰も追いつかない(笑)。本当は、私も含めて客が曇りなき眼で日本がどうなっとるのか?を鳥瞰的に見通すためには、左翼だけでない。じつは企業家も招くべきだとは思っていました。今回は間に合いませんが、いずれは、元西武グループの代表である辻井喬氏もお招きして、トークセッション&ライヴをしてみたい。



——今回のバンドサイドの出演者のうち、主催者を除いた2組——倉地久美夫さんとオオクボTさんについては、みねさん自身はどのように評価されていますか。

「倉地さんは、詩のボクシング大会で見ていて、天才だと思った。音楽もそのとき少し流れて、それもすごくよかった。オオクボTさんはもしアメリカの黒人に生まれていたら、全米でもめちゃめちゃ人気のあるキリスト教の伝道師になったと思う(これは私ではなく、某新聞社の記者によるコメントなのですが)。そんなことを空想させるほど、場違いな空気がある方だと思う。そこが、好きです。」



——現在製作中だというセカンドアルバムについて質問させて下さい。まず、進行状況はいかがですか? 「世界激場」開催に間に合いそうですか?

「実は昨年に完成しているはずでしたが、じつは昨日2曲めのレコーディングに入ったばかりです。「大本営発表女」になりかけてて、やばいのです(笑)。「世界激場」に間に合うかはわからないのですが、その片鱗はせめてお見せできるようにしたい。」



——ファースト「転位のための十曲」発表から3年が過ぎていますが、この3年の間にみねさんの音楽的嗜好・ソングライティングの方向性などは大きく変わりましたか。それとも前作の延長線上に新作が来そうですか。

「基本的に変わっていません。成長もありません。身長は数センチ伸びたのにぃ…(関係ないか)。」



——最後に、「世界激場」で達成したい事、このイヴェントの後にこうなったらいいと思う事(ご自身の事や、周囲やシーンの事でも結構です)があればお教え下さい。

「達成したいことは、とりあえず満員御礼でしたが、思いのほか規模が大きくなっているため、会場に客が入りきれるかどうか、そこが心配。小さいことだけど、会場までの道中、会場でも、そして帰り道、お客さんたちが安全に過ごせるようにと、それだけを祈っています。」





朝日新聞で紹介されました

 本企画が朝日新聞夕刊(2008年10月14日付)で紹介されました。〈格差社会 ライブで風穴 団塊ジュニア、19日にイベント〉。〈格差社会の閉塞感に風穴を開けたいと、福岡の団塊ジュニア世代のミュージシャン2人が動き始めた。格差を生む社会の仕組みを学ぶ機会もないまま、若者があきらめてしまう現状に対し、「音楽は何ができるか」を模索。19日、「世界激場」と題するイベントを開き、ライブや漫画を通して「格差を越えた希望」を探る〉というのがリードでした。記事自体はおそらく福岡(あるいは九州)ローカルなものなんじゃないかと思います。


 本文のなかでぼくについても〈イベントでは、みねさんら4組のミュージシャンのライブほか、福岡市在住の漫画評論家、紙屋高雪さんとのトークセッションもある。「貧困や雇用を、わかりやすい言葉で考えたい。参加者も言葉を発し、何かを始めるきっかけにしてほしい」とみねさんは話す〉と触れられております(職場の同僚が「あんたのことが載っとるばい」と声をかけてきて知りました)。

 このなかで、みねさんが、「『収入が低いと楽しい未来を約束されない』とはじめから考えてしまうことが問題ではないか」とおっしゃっていることは、ぼくとの相違点でもあり、問題を考えていく大切な軸になると思っています。この記事でより問題がはっきりしてきたように思いました。




終わりました

 「世界激場」無事に終了しました。まずは、来場いただいたみなさんにお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。なかには東京からこのために駆けつけてくれた方とか「ファンです」とか言ってくれる方もいて、感無量です。会場で『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』を買っていただいた方にも感謝します。

 音楽イベントなので、漫画で音楽をあらわすとどうなるか、ということを話した後(みねさんのご配慮で会場になんと資料が配られました)、なぜ私たちが生きづらさを感じてるのか、という問題を話しました。

 くだんの「精神的生きづらさ」と「社会・経済的生きづらさ」をとりあえず分けて話をすすめていく方法を選びました。漫画を題材にして、生きづらさや貧困・格差を話していくというやり方もとりました。
 心配していたような、ガチガチになって喋られなくなる、みたいなことはまったくなく、むしろツルツルと言葉が出てきたんですが、逆にみねさんや聡さんのカラミをもっと楽しむようにすればよかったと思いました。しゃべりすぎました。

 音楽イベントの常連のような人、新聞を見て来た人なんかが聴衆の大半だったので、その人たちを相手に話をするというのは、本質的なことをわかりやすく話す、ということが必要でした。その意味で厳しい試練の場でもありました。

 いずれにせよ、こういう機会を与えてくれた聡文三さんとみねまいこさんに深く感謝を申し上げます。ありがとうございました。






2008.8.5記(2008.10.14/2008.10.23追記)
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