吉岡忍『M/世界の、憂鬱な先端』



M/世界の、憂鬱な先端 (文春文庫)  宮崎勤事件のルポなのだが、筆者が三つの精神鑑定書と周辺取材によって、宮崎という「人間精神の恐るべき荒野を緻密に描きだした畢生の大作」(オビ)。「描きだした」というところがまことにそのとおりだと思う。筆者は10年ものあいだ、くり返し三つの鑑定書をながめながら、構想を何度も変えてきたという。

 近年読んだルポルタージュのなかで、ぼくがもっとも深い感銘をうけた作品。
 このルポを読むことによって、ぼくたちは彼の「精神の荒野」に立ちつくすことができる。

 この本は、どういうわけか昭和天皇の死の光景からはじまり、同時期におきたベルリンの壁の崩壊=スターリン体制の崩壊の光景をつづり、そのあとようやく本題に入っていく。壁崩壊に沸くヨーロッパの風景にむかって、宮崎勤的光景の日本にいる作者はこう叫んでプロローグを終わる。

「世界はみな、いつかここに向かって殺到してくるだろう。世界はやがてこの光景に埋めつくされるにちがいない。二一世紀はそういう世紀なのだ。世界の、憂鬱な先端にもどろう。私はそう思った。そこで世界を待ちかまえていよう」(39p)

■■□■ サブカルチャーとしての昭和天皇と宮崎勤 ■□■■

 筆者がはじめに昭和天皇の死をおいたのは、〈歴史意識というものから切断された日本の戦後〉という全景をとらえておこうとしたからである。
 責任を問われることなく死んでいった老人。
 天皇重体で皇居に並んでいる人たち。そのなかのおばあさんに筆者がおこなった「戦争責任をどう思うか」というインタビュー。そのおばあさんの答えがふるっていた。“こんなに日本は豊かになったのにまだ陛下に責任があるというなんて、欲張りだ”――「おばあさんは天皇の戦争責任を、敗戦でみじめになった日本人に対する責任だと思い込んでいた」(26p)
 ここには、「豊かさ」を追い求め、歴史や記憶を都合よく切断し、分離してしまった日本のひとつの姿が、あられもない姿でくっきりと浮かび上がっている。

「薄くスライスされた、いま、ここ、というだけの社会。新しくなることは豊かになることで、豊かになることは過去から自分を切り離すこと。そう思い定めて人々が押し合いへし合いしながら、てんでんばらばらに穴ぐらにもぐり、息をひそめているところ。世界の、憂鬱な先端」(38p)

 おりしも天皇が死んだのはバブルのさなか。宮崎事件とほぼ同じである。歴史と記憶から切断されて、豊かさを欲望を追いかけたバブルの時代に、歴史と記憶の切断の象徴は死んだ。バブルとは「世界の、憂鬱な先端」であると筆者はいう。

「いま、ここで生きているという生理的リアリティーは大切だが、それを背後から励ますものがない。歴史の強靭な精神につなぐものがない。ここから先へ一歩を踏みだすための楽観の根拠がない。/いまここだけの関心。スライスされた現在にしか広がっていかない意識。それは過去から解き放たれて自由だろうが、どこに向かっても、どんな速度でもはじけ飛んでいけるという意味で、やっかいなものでもある。ときとして危険でもあるだろう」(28p)

 これはサブカルチャーだ、とぼくは思う。
 吉岡は、もっと後のところで、こう書いている。

「サブカルチャーはメインの、あるいはトータルな文化が硬直し、形式化して人々の生活実感や感受性からずれてくると、あちらこちらで噴きだし、広がっていく。メインのつまらなさ、退屈さ、権威性に気づき、そこからの疎外感を感じとった人間は、みずからの生理や感覚をたよりに動きはじめる」(197p)

■■□■ 近代草創期の楽観をとりもどす欧州と対比して ■□■■

 吉岡がこの昭和天皇の死の風景のすぐあとに、東欧のスターリン体制崩壊を熱狂して迎えた民衆を対比で描いたのは、「ヨーロッパは、人間が作ったものは人間が変えられるのだ、という近代草創期の確信と楽観を取りもどそうとしている」(29p)ことを対照的に示したかったからである。
 そこには、歴史と記憶につながる精神が、たしかに息づいている。ここでは、政治は「熱狂」という生理的感覚とむすびあいながらも、たしかに記憶や歴史の流れのなかにあるのだ。
 吉岡はすぐそのあとに壁崩壊後の東欧の様子をえがいている。そこには西側資本主義のモノとカネがおしよせてきていることが告げられていた。「歴史が遠ざかっていく。そんなふうに見えた」(37p)。

「ポストモダン思考の第一の条件が歴史の呪縛からの解放であるとすれば、戦後日本はのっけからポストモダン社会だった。過去は、近い過去は、見ないようにしよう、現在と未来しかないと考えよう。私の国はそうやって生きてきた」(148p)

■■□■ 手塚治虫というメインカルチャー ■□■■

 手塚治虫がサブカルチャーではなく、メインカルチャーのなかにあろうとしているのは、すでに評論家の石子順が『手塚治虫マンガ漫画館』(1977)のなかで次のように手塚キャラを特徴づけていることからもわかる。

「1、どんな困難があっても生きぬいていく。
 2、どんなにダメになっても、人間らしさをとりもどしていく。
 3、未来を信じて楽天性をもっている。
 4、必要とあらば、身を投げ出して他を救けるという自己犠牲の精神をもっている。
 5、悪はどんなに強くても、必ず滅びていく。
 6、侵入者への、圧政者への怒りがある。
 7、平和こそ最大に幸福、最高に得難いもの、尊いものと訴えかける」

 この特徴づけをみて、昨今のサブカル界の漫画評論の連中は笑い出すかもしれない。
 あるいは、手塚をサブカルのなかで評価しようという人々は、怒り出すかもしれない。
 逆に「そのとおりだ。だからこそ、もう手塚は無価値なのだ」と首肯するかもしれない。

 ひとことでいって、戦争の記憶を忘れず、戦後民主主義と世界の人権思想の普遍性のなかに手塚漫画はあるのだ。だからこそ、それはメインカルチャーたりえているのである(誤解のないようにいえば、ぼくはそういうものとむすびついたものをメインカルチャー、またはカウンターカルチャー、むすびついていないものをサブカルチャーとたんにいっているのであって、そこには価値の上下の評価などふくまれていない)。

 また、宮崎「駿」のほうも、映画「千と千尋の神隠し」のパンフレットの冒頭でこうのべている。

 「子供達はハイテクにかこまれ、うすっぺらな工業製品の中でますます根を失っている。私達がどれほど豊かな伝統を持っているか、伝えなければならない。/伝統的な意匠を、現代に通じる物語に組み込み、色あざやかなモザイクの一片としてはめ込むことで、映画の世界は新鮮な説得力を獲得するのだと思う。…ボーダーレスの時代、よって立つ場所を持たない人間は、もっとも軽んぜられるだろう。場所は過去であり、歴史である。歴史をもたない人間、過去を忘れた民族はまたかげろうのように消えるか、ニワトリになって喰らわれるまで玉子を産みつづけるしかなくなるのだと思う」

■■□■ VOWを欲望する兄 ■□■■

 唐突だけど、ぼくの兄の話。兄が、ぼくが「赤旗」を読んでいるのをとりあげて読み、こういった。
 「この新聞が面白くないのは、イイ子ちゃんのことしか書いてないからなんだよね」
 「赤旗」はもっと精進して面白くすべきだ、という当然の批判はとりあえずおいておくことにして、そう言った兄が手にしていた『VOW』に眼が行った。『VOW』は、巷間にある奇妙な看板や新聞・雑誌の誤植などを集めた本で、シリーズになっている。
 兄は、兄の妻と子どもたちが大晦日に紅白歌合戦を見ているとき、別の部屋で戦後事件史のテレビ特集を熱心に、食い入るように見ていた。ぼくの実家の2階には、戦後の事件史(殺人や猟奇事件)にかかわる本がたくさんあり、それは兄がおいていった本なのだ。なかでも驚いたのは、連合赤軍事件にかかわった人たちの手記がごろごろ出てきたことである。むろん兄は「連合赤軍」というものを、ひとつの「思想」としてみているのではなく、「猟奇事件」としてとらえ、そこにハマっていった人たちの思考を、おそらく垂涎しながらたどっている。

 兄の態度や言動には、サブカル的な欲望がたっぷりと塗りこまれている。

 ぼくもひとのことはいえない。同じ欲望を当然もっている。この宮崎事件のルポを買ったのでさえ、そういう欲望と無縁ではない。『VOW』だってときどき読む。
 兄は、どこに生々しく、眼もくらむようなリアルさというものが転がっているのかを、本能的によく知っている。そういう兄にぼくも学んだのだから。そして80年代に大学時代をすごした人間らしく、メインの文化がいかに「うそうそしたもの」であるかを、肌身で知っている。左翼のとなえていることは、たわごとか、きれいごとでしかない。

 兄にとって、歴史法則や思想――すなわち「普遍」とは現実から切り離された抽象的なものであり、死んだ、ひからびた、この世には存在しないツクリゴトである。生き生きとした感性的な現実は、バラバラになった目の前の現実のうち、「特殊」や「個別」のうちにしかない。実際には、「特殊」が「普遍」なのであり、豊かで多様な姿をした現実のなかにこそ具体的な普遍の姿があるのだなどとは思いもよらない。
 兄、そしてぼくのなかにもある思考様式、行動様式は、サブカルそのものであり、それは宮崎勤へとつらなる暗い流れをまさに抱えている。

■■□■ 「ビデオデッキがピカピカするのが甘い」 ■□■■

 宮崎勤のつぎのことばは、歴史と切り離され、その欲望と生理的感覚だけをたよりにしたサブカルの末期的な姿を、実に見事に表している。読んでいてぞくりとする一節だ。

「ビデオデッキが動いている最中、ピカピカとなる……あれが、いい。いま集まっているな、と思う。あれが甘いんだよ。内容なんか、見ていない……集めごとをしている最中が甘い。甘いっていうのも、激しく甘いんじゃない。とろけるように甘い」(200p)

 宮崎は、そのコトバのとおり、収集したビデオの中身の大半には関心をよせなかった。「宮崎勤事件」の中核となった「幼女の下半身」にさえ、関心を示した様子はあまりないのだ。よくいわれるように「ロリコンでオタクだから幼女を殺害した」というのは、事件のなかにちらばっている要素を、あまりに単純化して再構成しているものである。
 「流行っているから」が、宮崎が「関心」を寄せるただひとつの理由なのだ。

 幼女の性器にカメラをむけながら、「流行っているから」ということしか頭にうかばない宮崎。切り刻んだ幼女の死体を食べながら、その子どもの未来や体や係累には思いが及ばない宮崎。たまたま人気タレントの名前を思いつくとその名前に似た場所にまっすぐに遺体を捨てにいくことばかり考える宮崎。架空の差出人の名前の付け方に凝りに凝って犯行声明を書く宮崎。法廷でずっと積み木や怪獣の絵をかきつづける宮崎。

「宮崎勤は部分しか見ていない。断片にしか興味が向かない。しかもそのひとつひとつがばらばらで、関連性が見られない。いったん自分がなにかにこだわりだすと、もうそこから離れられなくなって、その他はなにも見えなくなる」(78p)

「宮崎勤は流行っているもののなかに、適応すべき現実を見た。現実の中心を見た。そこにもっとたしかな現実があるはずだ、と考えた。そう考えることの、どこが悪いだろうか? これが彼なりの適応の努力だった。……彼がのめり込んでいってもの、それは捕まえれば捕まえるほど非現実的になっていく現実だった」(159〜160p)

 吉岡は、宮崎の知性のありようの一こまをこう描いている。

「博士とも大先生ともあだ名された若者(宮崎勤のこと)の頭の中身。博識であるはずの彼の頭のなかには真珠湾も広島も長崎もない。日本が戦争をした歴史的事実そのものすら、すっぽり抜け落ちている気配さえある」(146p)

■■□■ 映像とは支配し奪うこと ■□■■

 また、宮崎が浸ってきたビデオ=映像文化というもののあやうさについても、吉岡はこう指摘する。


「読者が撮影した写真の投稿によって成り立つ雑誌が成立するようになったのは一九八〇年代の前半だった。以前からあるアート系の写真雑誌ではなく、いわゆるポルノ系の雑誌である。……

 これらをポルノグラフィーや性のイメージとしてとらえることは、おそらく見当ちがいだった。たくさんの雑誌をならべ、写真のわきにつけられた『発情したメスは……』『淫乱な女は……』『女子高生を飼育する……』『ブタのように求めてくる人妻……』等々のキャプションを見ていると、撮影者の性的欲望の向こうに、激しい攻撃性や支配欲が見えてくる。写真の一枚一枚が、そののぞき込むような角度といい、のしかかるような構図といい、攻撃的でサディスティックだった。

 撮影行為そのもののなかにひそんでいる、この攻撃性、さらに過激な暴力性。ファインダーのなかの女たちを徹底して突き放し、モノとして認識し、奪おうとする意志の鋭利な露出。簡単に撮れるカメラはその攻撃性に従順に反応し、一枚の映像として切り取り、撮影者を勝ち誇らせる。その攻撃性と暴力性を解放する」(179p)



 宮崎は、精神鑑定の場で、パンチラ写真を集めていたことについて「ザマァミロ」「写真のなかで写っているものは私のものだ」とのべている。
 写真を撮るという行為そのものが、その対象物から意味を、歴史を、記憶を剥ぎ取り、対象におさめてしまう、つまりモノとしてあつかう行為だと吉岡はいう。たしかに、ある種の写真にうつった女性は、そこでは彼女が生きてきた歴史や人格や意味をいっさい剥ぎ取られて存在している「ことがある」。
 それは、歴史と切り離された「サブカル」の姿に似ている。

■■□■ 攻撃性を封じ込める装置としての「文化」 ■□■■

 歴史や記憶と切り離された知性というものが、いかに文化としては貧しいか。
 吉岡は、人間の歴史とは、人間が原初にもつ「攻撃性」「暴力性」というエネルギーを封じ込め、制御する歴史であり、その防御装置が、大がかりな価値の体系をもった宗教や哲学や思想など、「文化」とよばれたものだったと指摘する。

 「宮崎勤のなかで、文化があっとういまに蒸発してしまった」(289p)

 吉岡は、毎日新聞のインタビューでも、この10年におきた不可解な事件の原因について、こう答えている。

「攻撃性というのは、ある意味では人間だれしもが持っている。人類は誕生以来、自分の内に秘めているこのやっかいなエネルギーをどう制御するかに頭を悩ませてきた。攻撃性がなければ人は生きるエネルギーを持ち得ないが、それがあふれ過ぎれば暴力となって噴き出す。その危ういバランスをとるために、慣習や規制、法律や規範が作られた。人間が持つ攻撃性が暴力として発現をするのを防ぐものを、僕は『文化』と呼びたい。そういうものが宮崎勤被告(38)や少年A[神戸児童殺傷事件の犯人]にはなかったと思う」(2001年6月22日付夕刊)

 吉岡のルポは宮崎の生育環境全体におよび、彼のもっている結論もさらに発展していくが、「サブカル」というものを考えるとき、以上で十分だろう。ぼくも、この吉岡の議論に大いに刺激されて、このホームページでもいろいろ論じさせてもらっているし(たとえば岡崎京子論)、大塚英志もすでにこの萌芽のような議論を先行しておこなっている。

 ぼくは、戦後日本のサブカルがおちいっている危機的な状況を、まさに「思想の復建」という形で克服したいと思っている。そんな大それたことができるかどうかしらないが。右派が、にせものの歴史を偽造し、そこへの帰属を国民にさせようとしているのにたいし、ぼくら左翼がしなければならない作業とは、リアリティのある〈私〉と〈大状況〉をつなげる思想を再構築することだ。
 こんなことをいうと、東浩紀あたりに笑われるだろうか。


文芸春秋 ISBN:4-16-357030-6(2000.12.31発行)
2003.9.21記
メニューにもどる