『戦後日本の資金配分』



 レーニンは、国家独占資本主義の体制を社会主義体制への移行の「前夜」と考え、そこに現れた「記帳と統制」のシステムを社会主義にひきつぐ物質的準備だととらえた。とりわけ産業と経済の「全能の独占者」である銀行の役割に注目し、「社会主義社会の一種の骨格」とまで高い位置付けをあたえた。
 ところが、レーニンはここから市場経済そのものの敵視へとすすみ、商業と貨幣の廃止を目標にかかげ、商品経済の絶滅と生産、流通、分配をすべて国家が統制・管理する「戦時共産主義」の実践へまでつきすすんだ。レーニンは「戦時共産主義」を国家独占資本主義をいかした「記帳と統制」のシステムの第一歩だとみたのだ

 不破哲三は、このレーニンの「記帳と統制」路線の誤りの根源として、戦時の国家独占資本主義を国家独占資本主義の「もっとも発展した形態」だとみてしまったことをあげている。なるほどそこでは、分配にいたるまでの全経済生活を国家が管理されており、あたかも市場システムがなくても作動しているかのようにみえるからである。

 そもそも、銀行が全能の独占者でいられること、いや、国家が経済にたいしてさまざまな介入のシステムをもっていることは、「市場経済」であることを前提としている。
 それなのに、市場を否定してしまったら、こうしたシステムは、血液が循環しなくなった生命体のように壊死するにちがいない。少なくとも古典的なボルシェビキはそう思ってそれを歓迎しただろう。しかしそれでは国家独占資本主義を「社会主義の物質的準備」といってみても、それは言葉のうえだけのことにすぎなくなる。ちょうど水の涸れた川の跡を「川」だといいはるようなものだ。けっきょく、社会主義革命とは資本主義を切断し、まったく新たな社会システムを構築する実験にほかならなくなってしまう。

 社会主義において市場経済を前提とするのであれば、国家独占資本主義のもとでのシステムの運用を観察することは十分に役に立つものである。

 とまあ、そんな動機で、ぼくは経済の自主ゼミで『戦後日本の資金配分』をテキストに使うことに興味もしめしたし、賛成もした。むろん、参加者の多くは非左翼で、ぼくのそんな意図など知ったこっちゃないのであるが。

 この本は、表題のとおりで、日本が戦後資金不足に悩むところから出発して高度成長にいたるまで、どのように民間の資金を調達し、それを配分したかを実証的に観察した本である。

 読んで驚くのは、かなり周到、計画的に資金配分計画というものが国家の手によってなされている、という事実である。銀行(全銀協)側は、法による国家統制をいやがるのだが、ぼくの印象からすると、けっきょく法的手段をとらないだけで、ほとんど銀行は国家意思にしたがって資金配分をおこなっているのである。

 具体的には次のようなものである(1959年度のケース)。
 まず産業構造審議会の産業資金部会に政府側と各産業の代表者があつまり、ここに各企業の当初の資金計画がもちこまれる。どれだけどこに設備投資するか、という計画である。
 これを産業資金部会でもむのである。
 高度成長期なので、だいたいは投資意欲が旺盛で、供給できそうな資金額をこえてしまう。
 そこで産業資金部会では、産業別にガイドラインをつくり、投資についての大まかな考え方を設定する。それにもとづいて、通産省が各業界を指導して「自主的な」資金計画を練り直させるのである。
 たとえば、鉄鋼だと、このまま投資をしていくと将来過剰生産をきたすから、いくつかの要件をみたす工事以外は認めない、というふうに基準をたててしまうのである。鉄鋼はなかなか決着がつかず、結局大臣が説得して折れさせる。
 技術輸入の許認可の権限が大きな力をもっている石油化学工業では、あっさり決まってしまう。
 などなど十数業界ごとの態様のちがいがわかって、興味深い。

 このあと、大蔵省や全銀協側からも、資金が到底足りないし過熱が心配だからもっと投資を抑制させろ、業界は自主調整するとかいっているがそんな甘いことでいいのか、という注文がつき、通産省側は業界の納得があって初めてできることだから、それなしにやってもダメだと抵抗する。けっきょく、必要なところは行政指導をおこなう、ということで産業資金部会=通産省側の言い分がほぼ通るのである。

 とまあ、このように、各年度の計画と抵抗・調整のプロセスの描写が、これでもか、というくらい続くのが本書である。まさに実証の書、という感じで、感性的な面白さはないから、読む人は覚悟した方がいい。



 巻末の当時の官僚へのインタビューが一番おもしろい。
 以下は、通産官僚だった柴崎芳三へのインタビューである。
「私の印象ではマクロの手法というのは、あまりなかったような気がします。ベースは戦時中から行われていた物動計画的な各産業ごと、あるいは産業ごとの物量的な積みあげという手法が中心だったように思います」
「当時確かに(5カ年)計画はありましたが、非常に印象が薄いものでした。むしろ今私の頭に残っておりますのは、産業別のある期間にわたった長期のプロジェクトの推移、特に鉄鋼なら重工業局で造った計画、総合石油化学なら化学局で総合調整した計画、そういったものがベースになって毎年毎年展開していたような気がします。総合的な5カ年計画があってそれとの整合性はどうなのかという点についてはあまり関心を持った覚えがありません
原局の判断というのは非常に重みがあったと思います。……そういう(経済政策の)判断をする場合も原局のウェイトというのは非常に高かったと思います」
「各産業別の長期計画は、何も企業サイドだけで作るものではなく、その策定の段階で原局が相当大きくくいこんでおり、その遂行について相当の責任もあり企業別の計画の積み上げという性格も持っていたと思います」

 ここにみられるのは、官民一体になって企業計画がつくられるが、はじめから総合的な国家意思があるわけではなく、こうした業界の要求の積み上げがそのまま国家意思になるという、日本の国家独占資本主義のリアルな姿である。

 こうした日本の国家独占資本主義の姿は、官僚自身からも、アメリカからも、そして左翼研究者からも指摘されてきた。


「重化学工業化政策は、その初期においては意識的体系的に展開されたというよりも、むしろ、無我夢中の努力のうちに生成して行った」「昭和三八年〔1963〕に至り、産業構造調査会における審議の結果、ひとつの政策体系として意識されるに至った」(天谷直弘〔=通産官僚〕『漂流する日本経済』毎日新聞社1975)

「(アメリカ商務省報告『日本株式会社』では日本の経済政策において)“グランド・デザイン”があるとか、なんらかのマスター・プランにしたがって経済が管理されているとかいうことには否定的である。報告が強調しているのは、日本経済の体質のようなものである。すなわち『日本経済を特徴づけている政府と企業の内部協調関係である』。『日本の政府・経済界関係の本質的な特徴は、経済界と各種政府機関が明治維新以来、互いに緊密に連携をとり続けてきたということである。その結果、さまざまな政府援助や奨励措置といった行政的な指導に従いながらも、日本の企業にかなりの主導権と独立を認めた産業発展様式が生まれた。この内部協調関係は非常に複雑なので、どこまでが業界で、どこからが政府なのかを見きわめるのが難しい場合がある』。/このような見方からしても、経済政策の存在、その作用力が否定されるわけではないが、それだけをとりだし、効果をうんぬんすることは困難だということになる。なるほどたとえば、『所得倍増計画』〔1960〕の文章そのものは明確にとらえられる。しかしそれは一種のビジョンであるにすぎない。国民を動員するイデオロギーとしては大きな役割を演じた。しかし、そのもとで整合性のある諸政策がセットでうちだされたわけではない」(北田芳治・相田利雄編『現代資本主義叢書14 現代日本の経済政策』上巻 大月書店p2)

「さて、米商務省報告では『グランド・デザインは(日本に)あるか』と問題を提起し多くの日本人がそれに否定的な回答をよせている事実を紹介している。/『日本経済は、なんらかの基本計画(マスター・プラン)にしたがって巧みに管理されているという論法は日本人の受け入れるところではない』。『経済発展は、まったく誰も知らぬ間に進行していき、一定の計画に従って進められることはない。むしろ日本人の非常事態や危機に対する対応方法は――石油不足の解消、航空機産業の開発、内外での国際競争への対処といった必要に迫られた場合にみられるように――その時々の情勢に応じて特定の計画を作りながら対処するいき方である。つまり危険な事態や難しい問題が必要な対応策を引きだすわけで、目的を達成するために、産業全体の合理化、輸出拡大計画、新しい原料資源の調査、その他の措置がつぎつぎと求められてくる』。このような意味では所得倍増計画や中期計画もここでいっているようなマスタープランではないが、それらの諸計画や活動の総体をつらぬく資本の蓄積の法則と運動に沿ったものであることは明らかであり、それが政策的に提起され、時代の傾向を先どりしていった事実は否定できない。/『政府と企業との間には、全面的合意をみた目標に向かって働く一種の共同経営者の関係がみられる』。この米商務省報告の指摘は、日本国家独占資本主義の本質をみごとに表現している。“国家の力と独占体の力が単一の機構に結合している”という国独資の典型的存在形態である」(経済政策p49-50)


 法律と計画をかぶせれば単純に動く、というシステムではないことが伝わってくる。
 かといって、業界の機嫌だけをとっていれば、行政はその蓄積の応援(つまりもうけと利権のため)をさせされるだけの存在になる。
 公正を達成しながら、市場としての資源配分をどう適正におこなっていくかを考えねばならない。ここでは原局という国家機構のなかに「革新官僚」(戦前の物動計画に関与した経済系の官僚たち。内務省系の旧来的な権力官僚に対置したことば)の生き残りがいて、企業コントロールと合意形成を実にたくみにおこなったという経験がしめされている。そのまま現代にあてはまるものではないが、企業のなかに政策への合意形成をつくりだすという意味では、注目すべきことである。

 高度成長期には、資本蓄積を促進させるためにこのような介入のしくみが発達したのだと思うが、来るべき社会主義社会では、逆に資本蓄積を規制し公正を実現するために介入のしくみが考えられる。企業が合意をしながらそれを達成させていく、という方策も考えなければならないのだ。
 本文のなかにも、企業や銀行がいかに国家統制や法規制を嫌うかがくり返し登場する。終章に特定産業振興臨時措置法(特振法)が廃案になった話が出てくるがこれは銀行の融資の仕方を国家コントロールしようとしたもので、城山三郎『官僚たちの夏』のモデルになった事件である。しかし、これは実現直前までいって結局廃案になった。あくまで「自主性」を大事にしようとするのである。
 資本の本性があくなき利潤追求である以上、その原理にゆだねておくわけには決していかないのであるが、だからといって、市場を無視して問題を国家や計画にゆだねるわけにもいかない。ぼくらは気難しい動物を相手にするように、うまく誘導し、エサで活力を与えねばならないし、ときには強制しなければならない。
 
 著者たちは、新古典派の見解も拒否し、他方で市場を排除した開発指向国家的見解をも拒否する。彼らは「政府が様々な手段を使って市場をより完全なものに近づけることによって、市場の機能が高まり、より望ましい資源配分が実現する」という「市場拡張的見解」の立場をとる。
 ただちにそこに与するというわけではないが、この観察は、ぼくらが社会主義を準備するうえでも十分に参考になるものだと考える。






岡崎哲二、奥野正寛、植田和男、石井晋、堀宣昭
『戦後日本の資金配分 産業政策と民間銀行』
東京大学出版会
2004.9.8感想記
この感想への意見はこちら
メニューへ戻る