びっけ『真空融接』



真空融接 上 正直にいいますと、エンターブレインだということと絵柄だけをみて買っちゃいました。
 が、よくみると「B's-LOVEY COMICS」というラベル。ボーイズラブものだとは知らずに買ったんですね。

 しかし。個人的にキテしまいました……。 (;゚∀゚)=3ムッハー!!
 やだもう、ヘンなスイッチおさないでよ!

 ぼくが道を歩いていたり、電車の中で本を読まないとき、そして会議中にヒマなとき。ぼーっとする妄想のひとつとして、「セックスが握手程度の許容度だったらどうなのか」というのがあります。

 握手なら、少し奇異ではありますが、会社の中や電車の中でしていてもおかしくない。誰彼かまわずすることではないが(選挙の候補者は誰彼かまわずしますがw)、ちょっとした手続き(あいさつとか知り合うとか)さえ済ませれば誰でもできる、非常に低いハードルの行為。
 キレーなおねーさんと会ったとき、「すいません、記念にセックスしてもらえませんか」と言うだけで、むこうも「はい、こちらこそ喜んで」とかなんとか。駅や街なかでもわりと気軽にセックスできます。

 セックスとかキスとかいう過剰なまでに人格や尊厳に食い込む行為の意味づけを、ぐっと小さくして、それらの行為における愛情や欲望、執着の意味をいったんとりはらってしまう。でも、それでもそこ(セックスやキス)にある種の親密さの意味合いを微量に残すとすると、とても変わった味つけのものが出来上がります。

 そういえば、ぼくの友人に、「セックスに愛情を求めず快楽に徹する」としてリアルにセックスフレンドをもっている人がいて、立ち入って聴いたこたぁありませんが、話を聴く限りでは妙なエロさがそこに生じてしまうのに少し似ているでしょうか。
 いや、正確にいえば、この「セフレ」の例では、依然として欲望や執着が残るでしょうから意味合いがちょっと違いますね。セックスやキスという行為から、何がしかの意味を剥奪する、という点では共通していますが。


 そんな不純な喩えでこの「美しい」作品を語り始めて申し訳ありませんが、この作品は空想の設定にもとづくお話です。
 ヨーロッパ風の町並みや名前。その国では生まれてからしばらくすると「パートナー」を社会によってあてがわれます。「供給者」と「充電者」がいて、前者が後者に「力」を定期的に与えるのです。それは、世の中でいう「キス」によって行われます。機械の充電をイメージしてもらえばいいでしょう。どれくらいの頻度で「充電」をするかというと、1日数回、日課のようにして行われます。1回「30秒」くらい。そのパートナーは子どものころに決められ、異性であることもあれば、同性であることもあります。「パートナー」と「恋人・結婚相手」はいちおう別物です。
 「パートナー」は固定されます。そして、「供給者」も「充電者」に力を抜いてもらわねば生きていけず、逆に「充電者」も「供給者」から力を与えてもらわねば生きていけません。

 「わーなんてBLご都合主義の設定なんだ」というのはわがつれあい。そういう穿った見方をするむきは放っておきまして、頻繁に登場するこの「キス」のシーンから、本作はそれを「日常の欠くべからざる生理的行為」というものに変換して、キスが持っている愛情や親密の感情をいったん抜き去り漂白してしまいます。

〈朝の「充電」はたっぷり30秒は必要
 べつにこれは僕たちが恋人どうしだからとか
 愛しあってるからだとか
 そういうわけで交わしているキスではない〉

 全寮制の学校で暮らす14才のアレクシと、一つ年下のラエルとという二人の男の子が主人公です。

〈まあ パートナーが異性だったら 恋人にもなり得るだろうけど 僕たちじゃ無理だな 男同士なうえに あいつロマンスのロの字も知らなそうだし〉

というのはラエルの言葉。これがこの物語の出発点です。

 でもあの、ちょっといいですか。
 二人とも、もんんんんんんんんのすごく、かわいくてかっこいいんです。このタイプの絵柄にぼく、弱いんです。「かわいくてかっこいい」というのは、まさに14才前後という男の子の年齢の特徴なのかもしれませんが、ラエルのほうが時々膝くらいまでのズボンに黒のハイソックスを履いていることによって「かわいさ」が確保され、アレクシが大人びた黒のパンツを身につけている(途中でアレクシは制服が変わります)ことで記号的にそれを表現しています。「かわいい」かつ「かっこいい」――絵柄が14才前後の少年における両者の同居を表すのにあまりにふさわしく、もうたまりません。

 表題にもなっている第1章は、上記のようなお互いの真意を確認していないデフォルトのところに、ラエルがたまたま他人から充電をうけたことにアレクシが気付いて、激しく怒る話です。
 アレクシに頬を張られたラエルは、アレクシに反問します。

〈何!? なんで僕が殴られなきゃならないワケ!?
 ふざけるなってこっちのセリフだよ……!
 アレクシは僕のことなんだと思ってんの!?〉

 そして、叫びます。

〈ただの充電器だと思ってるんだろ!?
 10年間 そうしてきたのになんで今さら
 そんなこと気にするのさ!
 ちゃんとアレクシに充電してやってるんだから
 僕が他の誰と何しようが関係ないだろ!〉

 アレクシはラエルを押し倒し、まるで叫びをふさぐかのように「充電」をします。押し倒した二人の手と手はなぜか合わせられていて、もうこれは読者が見ていて「充電」なんだか「キス」なんだかわかりません。
 つーか、キスだろ、これ。
 アレクシからしぼりとられるように供給しおえたラエルの息遣いの荒さは、まるでセックスの後のようです。

 ラエルは草むらで“M字”になりながらアレクシに次のように訊きます。あ、“M字”というのは、腕−上半身−太腿―脚がゆるやかにM字を描くように寝そべっていることです。こういう“M字”姿勢でキスされるシーンがこの漫画にはたくさん登場しますが、ぼく的にはこれももうだめぽ。

〈……僕のこと必要?〉

 あーもうなんなのこのきもちは!

 アレクシが1週間の研修旅行にいったあと、ラエルに久々に会うシーンもすごい。すごいったってキスするだけなんですが。
 アレクシに供給できないラエルは力をためこみすぎて熱を出し、倒れてしまいます。会えないと「たまりすぎて」熱出して倒れるって、すげぇ設定。アレクシがもどってきたとたん、待ちかねたようにベッドで「充電」する二人。キスでも愛情表現でもなんでもないはずなのに、なんで押し倒されたラエルがアレクシの首に腕をまきつけてんの!
 二人とも、目、濡れてるし(笑)
 ラエルは充電(=キス)のあと、アレクシを上気して見つめながらこうつぶやきます。

〈……その顔見られたら
 もう何もかもどうでもよくなる〉

 ネットのレビューをみると、設定のツッコミどころの満載さにふれたくなるようですが(なんでこの国だけ生物学的変異をとげたのかとか)、まあそのへんは置いておくとしまして、「読み」にかかわる設定でどうしても触れておきたくなるのは、「すべてが美男美女」ということでしょうか。

 「パートナーと決められた人が(容姿的に)イヤな人だったらどうするの?」という問いにたいし、この作品はただちに「社会全員なぜか美男美女だから大丈夫!」と答えを返してくるにちがいありません。
 お読みになってもらえばわかりますが、ホントに同じような顔です。でも全員美男美女。かわいくてきれいだから赦します。

 ここまで美男美女ぞろいだと、アレなんですね、ぼく的には自分もその住人の一人だという気持ちをもちにくいのです。
 だから、『放浪息子』などとはちがって、この作品にとってぼくはあくまで「傍観者」なのです(ただし上巻にでてくる年上のキィルと年少のエリアスの話は、年齢差といい、眼鏡外しキスといい、ネクタイ引っ張ってのキスといい、かなりヤバかったですが)。この物語のなかに「ぼく」はいないのです(当たり前です)。あくまで傍から、この美しい(かつエロい)物語を眺めているのです。

 ここで描かれている「充電」は、恋愛ではありません。それがこの漫画のなかでは、「充電」という「生理」から、恋愛化します。コマをみると、その目の濡れよう、頬の上気ぶりがわかるでしょう(右図はエンターブレイン版上巻p.113、キィルとエリアス)。恋愛でないものが恋愛にかわる瞬間、恋愛の生成の瞬間だといえます。いや、本作ではそれは恋愛という名前をつける「直前」または「直近」の段階のものとして扱われます。


 こうして異性愛の設定を排除し(下巻に出てきますが)、さらに最初にキスに愛情の意味をもたせないことによって、ぼくらは現実の支配的な愛情関係(ヘテロセクシュアルなそれ)に抱いている様々な感情から解き放たれた、自由で純潔な恋愛、そしてその恋愛がうまれる瞬間というものを見ることができます。ぼくは、ラエルとアレクシ、あるいはキィルとエリアスの「恋愛」に、この世のものならぬ興奮を感じて読みました。いささかも現実味を交えないところが、ぼくにとっては素晴らしいのです。

 ボーイズラブ読みは異議を唱えるかもしれませんが、この作品こそボーイズラブの醍醐味の核心が味わえる、といえるでしょう。

 BL嫌いにもこの作品は楽しめるのではないかと思います。

 この本はもともと同人誌に掲載された作品が出発点で、それがビブロスで出版され、今回下巻を描き下ろしの続編としてエンターブレインから上梓することになったようです。







2007.2.26感想記
上下巻・エンターブレイン
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