加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』




指導者層からみた戦争史



 刺激的なタイトルの本で、この前朝日新聞の広告をみたら12万部とあったので、売れているのだろう。大手の新聞でも書評でとりあげてられていた。
それでも、日本人は「戦争」を選んだ 高校生を相手に、歴史学者の加藤陽子が近現代の日本の戦争史を講義するというスタイルで書かれている。

 結論からいえば、面白い本だった。

 ひとことでいえば、「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」ではなく「それでも、日本の指導者層は『戦争』を選んだ」という視点で歴史をみていく、ということである。

 このタイトルですぐに思い描くのは太平洋戦争における日米開戦だろう。
 なぜ物量差が圧倒的にあるアメリカに戦争を挑むなどという馬鹿げたことを日本の指導層は実行に移してしまったのか、日本の指導層はアホが勢揃いしていたのか、それとも合理的で知性的なメンバーがそれなりにいたとしても誤謬を積み重ねて修正不可能にいたったのか……。

 この本は、太平洋戦争だけに限らず、日清戦争以来、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争などそのときどきの「戦争」をなぜ日本の指導者層は選択していったのか、ということを、いわば指導者の視線に立って高校生に説いているのである。

 表紙にはこうある。

〈普通のよき日本人が、世界最高の頭脳たちが、「もう戦争しかない」と思ったのはなぜか? 高校生に語る——日本近現代史の最前線。〉

 裏表紙はこうだ。

〈生徒さんには、自分が作成計画の立案者であったなら、自分が満州移民として送り出される立場であったなら、などと授業のなかで考えてもらいました。講義の間だけ戦争を生きてもらいました。そうするためには、時々の戦争の根源的な特徴、時々の戦争が地域秩序や国家や社会に与えた影響や変化を簡潔にまとめる必要が生じます。その成果がこの本です。〉

 あれ? 指導者層だけからの視点じゃないじゃん……と思うかもしれない。

 たとえば、満州事変と日中戦争にのめりこんでいくうえで、国民がなぜ戦争を支持したかという記述が出てくる。そこでは農民は小作として貧しかった上に、29年恐慌で大打撃をうけているのに、当時の政党である政友会も民政党も非常に冷淡な態度しかとらないというような話が書かれている。
 そのとき陸軍統制派が出すパンフレットには、義務教育の国庫負担、肥料販売の国営、農産物価格の維持、耕作権などの借地権保護、さらに労働組合法の制定、適正な労使紛争解決機関の設置などが満載なのである。

〈政治や社会を変革してくれる主体として陸軍に期待せざるをえない国民の目線は、確かにあったと思います〉(p.317)

 たしかにこうした視点は「国民視点」なのであるが、加藤は、ここからすぐに陸軍統制派はなぜそうしたスローガンを掲げたのか、という話に移ってしまうのである。彼らはドイツが第一次世界大戦に敗北した理由を分析し、武力戦では優位に立っていたのに、封鎖戦に耐えられず国民生活が瓦解していった、とみたのだ。〈そのうえで、今後の戦争の勝敗を決するのは「国民の組織」だと結論づける〉(p.318)。
 国民の状況というのは、政治指導層が政策を選択するさいの「土壌」という扱いをうけている。

 だから、この本を読んでうける印象は、「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」ではなく、圧倒的に「それでも、日本の指導者層は『戦争』を選んだ」なのだ。




侵略の事実は認めたうえで



 この手法は、ただちに「日本がおこした戦争はやむを得ざる自存自衛の戦争なのであって、侵略戦争などではない」という歴史修正主義の主張を思い起こさせるだろう。指導者層の主観を時系列的に順々につないでいけば、戦争にふみこまざるをえなくなった「必然」として証明されるではないか、というふうに。

 しかし、歴史修正の「ためにする論議」として用いなければ、この手法自身は歴史の豊かさをとらえるものになりうるのではないか。
 加藤は〈日中戦争以降の日本が中国を軍事的に侵略したのはまぎれもない事実〉と断じている。
 そのうえで加藤は次のように考える。

〈日本が中国を侵略する、中国が日本に侵略されるという物語ではなく、日本と中国が競いあう物語として過去を見る。日本の戦争責任を否定するのでは全くなく、侵略・被侵略といった文脈ではかえって見にくくなっていた、十九世紀から二十世紀前半における中国の文化的、社会的、経済的戦略を、日本側のそれと比較しながら見ることで、日中関係を語りたいわけです〉(p.84)

 右派や歴史修正派の歴史観というものは、侵略/被侵略という政治的主軸の問題以外の、歴史の豊かさに着目している。しかし、それは侵略を否定してしまうがゆえに、罪深い。だが、論じられねばならぬテーマ(侵略/被侵略)の拘束から読者を解き放つ楽しさもそこにはある。しばしば彼らの語る近現代史に面白味や躍動感があるのもそのせいだろう。

教養としての歴史 日本の近代〈上〉 (新潮新書) たとえば、保守派の論客である福田和也『教養としての歴史 日本の近代』上・下(新潮新書)はオビにあるとおり「知的興奮に満ちた特別講義」というのにふさわしいものだった。本書には加藤陽子の指摘も登場(のちの自衛戦争論につながっていく「生命線」論の源泉は伊藤博文に憲法を教えたシュタインであるという点)するが、戦争や天皇への評価をのぞけば、近現代史をこういう角度から切り取れるのかと新鮮な気持ちをいだいた。

 加藤は(日中戦争以後、という留保をつけているものの)侵略というポイントはきちんとおさえたうえで、この豊かさに分け入ろうとする。そこにこの本の面白さがあるようにぼくには思える。

 この点で毎日新聞の書評欄が〈戦争を「侵略・被侵略」といった単純化された図式から解放し、もっと広い文脈から批判的に捉えている〉(09年8月16日付)と書き、朝日新聞の書評欄も〈講義は研究の最前線を知る立場から、従来の「侵略・被侵略」といった二分法によらず、アジアにおける覇権をめぐる競争の物語として日中の過去を見る、という視点で進んでいく〉(小柳学、09年9月20日付)という書き方をしてるのは、侵略というポイントは押さえていることを抜かしている。そういう図式や二分法自体はいったん必要なのだ。
 それなしにこう書くと単なる歴史修正派の本のように見えてきてしまうのだ。




左派陣営の本書評価は辛い



 しかし、本書は、左派陣営からの評価は辛い。
 たとえば、「しんぶん赤旗」で歴史教育者協議会の前会長である石山久男が選評をのせているのだが、〈なぜ朝鮮をこの章で歴史の主体として登場させないのか〉と批判。太平洋戦争付近の叙述の評価は一定評価しつつも、〈いかに十五年戦争期のアジア侵略と加害や、当時の支配者と軍の行為を批判しても、日清・日露戦争の歴史を支配者側からだけ見たのでは、朝鮮・中国の侵略を具体的に実行した日清・日露など明治の戦争を、当時の状況ではやむをえなかった、これでよかったと肯定してしまう。それでいいのだろうか〉と結んでいる。

 他の論者も、たとえば以下のブログも上記のポイントに似ている。

『それでも日本人は戦争を選んだ』を読む - 山上俊夫・日本と世界あちこち
http://blog.goo.ne.jp/1848yama/e/eb6ee8171ddceab1dbca991bc8fc0330

 簡単にいえば、十五年戦争のところでは、被害者の視点が入ってきているのに、それ以前の戦争の叙述は政治指導者だけの視点が目立ち、とくに朝鮮を歴史の主体としてとらえないのでは日清・日露戦争の合理化になるではないか、という批判である。

 山上は〈加藤さんは東大教授で、1930年代を主に探求している第一線の研究者だ。政策の決定過程について新資料を駆使しながら新しい境地を開いてきている。だが、岩波新書のときに思ったのだが、戦争犠牲者のことを柱に据えて戦争の全体像を描くという研究姿勢でないことからくる違和感と不満が残った。戦争指導者の政策決定についての研究論文ならば何の違和感もないのだが、日本近現代史の通史の中の一冊なのだから期待を裏切られた。南京大虐殺についても、南京事件があったという程度で、日中戦争の叙述では避けて通れない重い問題を完全にパスしていた。南京をパスしつつ政策決定過程に叙述が集中する〉と加藤の前著についての違和感を綴る。本書でもこれがくり返された、しかし太平洋戦争のところは指導者だけの目線ではなかった、というわけである。

 だが、ぼくは本書をこういう角度から批判する方にむしろ違和感を覚える。この本のエッセンスというべきものは、p.68あたりにあると思う。「なぜベスト・アンド・ブライテストが誤ったのか」——つまりなぜ政府のなかでも最も頭脳明晰で優秀な補佐官たちが政策立案を誤っていくのかをアーネスト・メイによる3つの命題を紹介しながら書いているくだりだ。
 それによれば、

(1)外交政策の形成者は、歴史が教えたり、予告したりしていると自ら信じているものの影響をよく受けるということ。
(2)政策形成者は通常、歴史を誤用すること。
(3)政策形成者は、そのつもりになれば、歴史を選択して用いることができること。

というメカニズムによって誤る、というのである。

〈人々は重要な決定をしなければならないとき、自らが知っている範囲の過去の出来事を、自らが解釈した範囲で「この事件、あの事件、その事件……」と参照し、関連づけ、頭のなかでものすごいスピードで、どれが参照するにあたいするのか、見つけだす作業をやっているものです。そのような作業が頭のなかで進行しているとき、いかに広い範囲から、いかに真実に近い解釈で、過去の教訓を持ってこられるかが、歴史を正しい教訓として使えるかどうかの分かれ道になるはずです。ですから、歴史を見る際に、右や左に偏った一方的な見方をしてはだめだというのは、そのような見方ばかりをしていますと、頭のなかに蓄積された「歴史」のインデックスが、教訓を引きだすものとして正常に働かなくなるからですね〉(p.72)

 侵略や植民地支配という事実を押さえた上で、いったんその図式から離れる。そうしたうえで、近現代史を縦横な角度からとらえることは歴史を豊かにするものではないかと思う。





朝日出版社
2009.11.23感想記
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