吉住渉『スパイシーピンク』1巻




 またしても漫画家が漫画家を描いた漫画をとりあげる。
 ところがこちらは基軸は「漫画家漫画」ではなく「恋愛漫画」である。
 女性漫画誌「コーラス」に連載されている作品で、作者・吉住渉も本書のあとがき漫画において「今回のヒロイン・桜は漫画家です。なぜそうしたかというと…『「コーラス」だから主人公はやっぱり社会人がいいよね』『仕事なんにしよっかな』『調べなくてもわかるから漫画家でいっか』 こんな理由です。すみません 安易で」と書いているように、漫画家を描こうとしたのではなく、恋愛を描こうとしてその設定に漫画家をもってきたというだけなのである。
 そして、きわめて平凡なストーリーだ。少なくとも1巻は。
 とりわけ、クイーンズコミックスにおける前作『チェリッシュ』が設定を複雑にしたことと比べると設定も展開もエピソードもその「平凡」さがきわだつ。

 「平凡」と書いたが、かといってつまらないわけではなかった。わかりやすく読ませる。豪華な料理というんじゃなくて、ふらっと入った定食屋がけっこうおいしかった、みたいな日常感覚。




「ありふれたジャガイモやニンジン」



 この作品のなかで主人公の漫画家・桜が編集者にボツを食らうシーンがある。
「人と違う物を描こうって意欲は買うけど 珍しい食材をそのまま生で出したって読者は美味しく食べられない ありふれたジャガイモやニンジンでも 個性とセンスで上手に料理すれば その方がずっと喜んでもらえるのよ」と編集者。
チェリッシュ (クイーンズコミックス)  これ、まんま、この作品のことである。ありふれたジャガイモやニンジンの、ありふれた料理品目だがおいしいのである。そして「珍しい食材をそのまま生で出したって読者は美味しく食べられない」のは『チェリッシュ』であろう(笑)。

 主人公の遠藤桜は26歳の中堅漫画家で、連載をもらったことはあるが、いまひとつで今は読み切り中心に描いている、しかし仕事は途切れずに充実感をおぼえているという設定だ。仕事に熱中している時期に合コンに参加。超失礼な第一印象をうけた美容整形医の是枝行とつきあううちに、「恋より仕事」だったはずが次第に恋心をめばえさせていく……というのが1巻の展開である。

 読んでいて不思議だったのは、「別に話の太い筋のところは、そんなにヒネったエピソードでもないよなあ。なのにけっこう面白く読めるのはなんでかなあ」ということだった。先ほどの比喩でいけば、「素材はジャガイモとニンジンしかないのに、美味しいよなあ。なんで?」という感じだ。




漫画家生活のリアリティと細部の展開のうまさ



 ネット上のレビューをみるとたとえばブログ「Lエルトセヴン7 第2ステージ」では、「1巻を読むかぎりでは、このままでもテレビ・ドラマになりそうね、これ、ぐらいの印象で終わってしまいそう」「だいたい仕事と食事(飲み)の往復によって組み立てられているに過ぎない」とやはり「平凡さ」について危惧をのべながらも、「ヒロインの感情をどう細やかに動かすか、が作品の要」「少女マンガ家の生活感みたいなものも、おそらくは、たしかに備わっていて、それがときおり、現実的でシビアな側面を見せるのも、フックのひとつと数えられる」としている。
http://aboutagirl.seesaa.net/article/51909581.html

 あるいは、ブログ「DAIさん帝国」では「このマンガの最大のポイントはやはり何と言ってもヒロインが少女漫画家だということ。細部におけるリアリティがやはり段違いで、少女漫画家の日常と恋という想像できそうであまり出来なかった部分が描かれているという点で何とも強い興味を惹かれますよ」とし、「少女漫画ライクな展開はさすがに手慣れたモノで、元彼やら妹やら同業漫画家などを出してきて小気味よく話を転がしていくのはやはりさすが」だと分析する。
http://dai.at.webry.info/200709/article_3.html

 つまり(1)少女漫画家の生活のリアリティ(2)細部の展開のうまさ、ということが共通してあげられている。




興味ない人に自分の本を読んでもらうということ



 「少女漫画家の生活のリアリティ」っていう話でいえば、自分の作品を自分が知っている人に読まれるという感情について書いてある。
 「プライベートで知り合いに読まれるのはすっごく恥ずかしいんです!」というのが桜のスタンス。とりわけこの「元々 少女漫画が好きって人ならまだいいんだけど そうじゃない人が私が描いているからって興味だけで読んだりするのはもう……」って部分で、この「元々 少女漫画が好きって人」と「私が描いているからって興味だけで読んだりする人」の間に差をもうける感覚が細かい。

 しかもそれに共感してしまえるぼくがいるところが情けない話である。

オタクコミュニスト超絶マンガ評論  ぼくも自分の本(『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』)を父母と義父母には渡したのだが、読んでほしいけども読んでほしくない、できれば儀礼としてもらっておいて、読まなくてもいい、でも読んでくれて理解してくれるとうれしい……みたいな感情が交錯しながら渡した。
 漫画批評はおろか漫画そのものになじみがうすい人たちだから、母親が細木数子の本を熱心に読む合間に(余談だが母はわりと濃い細木ファンでテレビで出演しているとすかさずチェックする)おそらくチンプンカンプンになりながら必死で読んでいる姿などは身悶えするほかない。父親が実は10冊も買うことにしてくれていて、まったく興味もないであろう仕事の知り合いに日経の切り抜きとともに渡しているという話を聞くにいたっては、うれしさ半分、恥ずかしさ半分で「うほほほほほほほほほほほほ」とか奇声を発したくなる。

 あるいは、主人公・桜の友人で売れっ子漫画家・上條美園が、コミック売り場担当の書店員とつきあうことになったときのエピソード。
 上條の友人の別の漫画家と会ったとき、書店員の彼氏は、その漫画家のコアなファンで、上條そっちのけで話してしまう。超不機嫌になる上條。あわててフォローする彼氏。
「い いや 好きったって作品がだよ!? 女性としてはもちろん美園ちゃんだけ……」

 上條は漫画家として自分と彼女とどちらが好きかなどとせんのないことを聞いてしまうのであった。

 わかるわー。
 もし、ぼくが矢沢あいとつきあっていて、向こうから志村貴子がやってきたら、同じことするだろう




漫画家生活のリアリティを源泉として



 この漫画のリアリティの源泉は、主人公・桜と、漫画家にかかわる描写にすべてある。この漫画をぼくにとって面白くしているのは、恋愛そのものの描写ではなくてやはり仕事の描写の一つひとつが自分に語りかけてくるように身近だからである。

 桜という存在は最初にのべたとおり、読み切り中心で、売れっ子というほどではない中堅である。しかし仕事は途切れることがないほどには来るので、仕事には充実感を覚えているという「ハンパ」な存在だ。しかも、すぐとなりに、同じ雑誌の同い年の売れっ子女性漫画家・上條を親友として配置しているので、この「中途半端」感がきわだつ。ただし、ショボクレた印象ではなく、「中途半端」ゆえに上昇志向をいだく活力のあるキャラクターとして描かれており、それは成功している。

 最初の合コンのシーンで、桜は結婚の話をふられているのに、「結婚より仕事」というむねの返事をし、「今は仕事を頑張りたいんです 少なくとも自分の納得のいく成果を残せるまでは」「えっとですね 『我ながら すっごく面白い!! 大傑作!!』——と自信を持って言えるような作品を描きたい!!のです」「そういうものが描けるまでは仕事一筋です!!」などと答えて、尋ねた方は引いてしまう。お前合コンに来てるんだろう(笑)。
 むろん桜は嫌味や演技でそう言ったのではなく、ナイーブに本心を熱く語っただけなのだ。
 その光景を、同じく合コンに来ていた美容整形医・是枝行は好ましく見守る。

 あるいは、桜は、前の彼氏と別れたとき、たしかに悲しかったがものすごい解放感がおそい、仕事にうちこめる自分に喜びを感じてしまう話。それほどまでに桜にとっては「恋と仕事」を天秤にかけた場合、仕事が優先されているのである。

 恋か仕事かは、陳腐なテーマではある。
 しかし、漫画家生活のリアリティが細部に神を宿らせている中で、こうしたありふれたテーマと展開も生き生きとしたものになってくる。「いまは仕事に頑張りたい」という気持ちが無理なく読者に入ってくる。
 槇村さとるの描く主人公が、こちらがめまいがするほどに「仕事の厳しさ」をビシビシ説きながら「そんなので恋愛できるの!? サアサアサアサア!」と迫ってくるのと違って、いまは心の向きとして仕事を欲しているという感じで描かれる。是枝が感じたであろうのと同じように、その「天然さ」がぼくに好感をもたせるのだ。
 加えて絵柄もある。吉住の絵柄にただよう80年代末〜90年代感が自分のセンスにはぴったり合うのと、ゆるめのソバージュをかけた桜の形象も個人的には好み。グラフィックとして、顔をずっと見ていたいタイプである。

 ただ、まだこれは1巻である。
 2巻以降一体どうなっているかは、何の保障もない、ということは一応付け加えておこう。






集英社クイーンズコミックス 1巻(以後続刊)
2008.2.3感想記
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