高杉一郎『わたしのスターリン体験』





 新歓シーズンである。
 大学に入った時にぼくがやりたかったことの一つが「マルクス主義の可能性の追求」だった。要は、マルクス主義というのは正しいのかどうかということを知りたかったのである。
 ところが、在学中に天安門がおきたりベルリンの壁が崩れたりソ連が崩壊したりして、世は「マルクス主義は死んだ」キャンペーン一色となり、それに逆らうような気で必死でマルクス主義擁護をしていたので、「マルクス主義の可能性の追求」どころではなかった。
 とはいえ、ぼくの読書量で、学生時代に読めるマルクスやエンゲルスの文献なんて知れていて、大学の数年間というものは「ちょっとはマルクスの文献にもふれました」という程度のもので終わってしまった。「マルクス主義の可能性の追求」なんて大仰なものはとても果たせたとはいえない。

 一つの思想や理論に誠実な態度をとるということは、その思想や理論を牢固として守り続けることでもないだろうし、流行服を着替えるようにさっさと捨て去ることでもない。
 高杉一郎がスターリンの理論に対してとった態度は実に誠実なものだった。

 この本の中身は、田中克彦の解説に尽きる。なので、それをいちいち追ってここに書くのも癪なのだが、本当によく書けているので仕方がない。

 田中の解説には次のようにある。

〈本書の著者高杉一郎は、戦争捕虜として四年間をシベリアで過した体験記『極光のかげに』によってひろく知られている。その人があらたに『わたしのスターリン体験』と題して語るならば、またもや、あの苦難の体験の日々がより詳細に語られるのではないかと予想されるかもしれない。
 しかしそうではない。本書で言う体験とは、スターリン時代が生み出した特異な文化・政治状況を、外から呪詛を浴びせかけてすませるのではなくて、内面的に理解しようと試みた、いわば一種の知的体験の記録である〉(p.259、田中)

 スターリンはひどい。いっぱい殺した。だからその思想は無価値だ——〈外から呪詛を浴びせかけてすませる〉とはこのような態度である。同じ論法は1989年から数年の間、日本でも流行った。「ソ連はひどい国だった。だからマルクス主義はもう無価値である」。とくに自分がマルクス主義を信じてきたような人がそうした知的態度をとることがあの時代あまりにも多かった。

 高杉は苛酷なシベリア抑留を体験している。その体験によってスターリンを捨て去り、唾を吐き、おならプーとやっても誰が文句を言おう。高杉が1930年のスターリンの演説『民族文化と国際文化』で受けた感銘を捨て去るには、抑留体験一つで十分な気がする。
 もし高杉がそれをもって「わたしのスターリン体験」とするのであれば、シベリア抑留〈の苦難の体験の日々がより詳細に語られる〉という方法を選んだであろう。
 だが、高杉はその方法を選ばなかった。

 高杉が感銘を受けた1930年のスターリン演説の長々しい掲載から始める。その要旨は、国家の死滅を展望する社会主義において、民族は無価値なものとなり、したがって民族が話す言語は無価値なものになるかといえば、まったく逆で民族文化が資本主義のときよりもいっそう花開くことで次世代の共通言語も生まれてくる、というものだった。
 民族自決、民族の価値を尊重するというこの理想的態度は、最終的に1950年に裏切られるのである。スターリンは、自ら支持を与えてきたマルという言語学者を批判し、二つの言語が交配するとき第三の言語(いわば国際語)が生まれるのではなく、大きな言語に小さい言語が呑み込まれていってしまう、と主張した。これは1930年の演説とは似ても似つかぬ帝国主義的言語政策そのものではないか、と高杉は見なした。

〈高杉にとってはこの五〇年の言語学論文によって、スターリン体験は完結したのである。高杉におけるこの体験は、現実の政治的なできごとのみに限定されたものではなく、理論的な一貫性を追求する心性に発するものだったから〉(p.265、田中)。

 この1930年と1950年の間に、高杉はスターリン体制の「理想」と「現実」を様々な形で体験する。
 一つは、高杉が国内に居ながら、内外の知識人の描いた各種の「ソ連訪問記」を読むことによって、だった。
 これはぼくらもよくやる方法だ。
 たとえば、スウェーデンという国は果たして「楽園」なのか「重い社会保障負担に喘ぐ国」なのか、ということを、訪問記を読んだり、論文を読んだりして、その「理想」と「現実」についての距離を推し量ろうとする。
 いや、遠い外国についてだけではない。
 たとえばぼくらは、日本にいるにもかかわらず、「構造改革」というものがどんな影響をもっていたのかを計り知ることはなかなか難しい。それが日本経済の重しを取り除いた劇的な改革だったのか、格差と貧困を拡げただけの大企業優遇政策だったのか、「理想」と「現実」をさまざまな知見を訪ね歩きながら探ろうとするではないか。

 シベリア抑留は高杉自身がその「理想」と「現実」を思い知らされる、重要な体験の一つのはずだが、本書ではそれほど大きな比重を占めていない。
 むしろ、トロツキー裁判を公正な形でおこなおうとした、アメリカのプラグマティズム哲学者ジョン・デューイの活動記録(『トロツキー事件』)を本で読んだことに重きを置いている。デューイは、スターリン官僚によるモスクワでのでっちあげ裁判にかえて、メキシコに亡命したトロツキー自身を「尋問」することで裁判を公正なものにしようとした。

〈高杉にとって、デュウイの活動はソヴェト体制の本質を追究してやまない自分自身の活動のように感じられたはずであり、かれはデュウイらとともに自らスターリン体制の検証に参加したような気持ちだったろう。その体験は苦く、せつなく、悲しいものだったにちがいない。それはやがて、現実にシベリアでの捕虜としての体験によって補強される〉(p.263、田中)

 シベリアでの体験は、デュウイの委員会を読書体験することの「補強」でしかない、というわけである。もちろん、『トロツキー事件』の読書体験はシベリア抑留の前の体験である。

 この本を前にして、多くの人は「2010年の現在、スターリン体制がよかったなどとは日本人の誰も思っていない。今さらこんな本を紐解くのは、大昔の記録としての価値以外にはなく、何の『現代的意義』も持たぬものだ」と思うに違いない。
 しかしそうではない。
 たとえば知識ではなく思想として新自由主義や「構造改革」を信奉しているような人間にとって、その思想を見直したり捨てたりすることはやはり同じような問題が生じる。
 現実の前に理想を捨てるのか、あるいは理想に固執して現実を見ないのか、あるいは理想が貫かれる前の一つの歪みとして現実をとらえるのか、そこでは同じように迫られるはずだ。

 いや。
 いまやスターリンなどとっくに捨てたと思っているぼくら左翼の方が、むしろ心せねばならないかもしれない。
 なるほどスターリンについては「清算」を終えたかもしれない。ではレーニンはどうか。エンゲルスはどうか。マルクスはどうか。

 日本共産党は、「文革」期の中国から干渉に遭ったとき、「極左日和見主義者の中傷と挑発」という長々しい論文を出した。その中でレーニンのいわゆる「暴力革命論」についても批判的にふれた。しかし、そのときは、ほんの少しであった。
 70年代半ばには今度は「プロレタリアート独裁」概念を吟味して、やはりレーニンの規定を批判的に取り扱った。しかし、ここでもやはりかなり限定的な取扱であった。
 しかし、90年代初頭にソ連崩壊を契機におきた「社会主義崩壊」論の前に、「民主主義者レーニン」像を打ち出し、スターリン時代との区別をはかった。
 それから十年以上たって、党首であった不破哲三の手によって、レーニンの理論的な立場にさかのぼって批判が加えられた。レーニンの『国家と革命』のころの理論に無理が多い、というもので、戦時共産主義を社会主義モデルとみなす立場はここに誤りの淵源がある、と考えたのである。

 レーニンは? エンゲルスは? マルクスは? それらをたえず「理想」と「現実」の間で図ろうとすれば、いつでもぼくらは思想的緊張を強いられねばならないはずである。

 政治をしている者にとっては、ある瞬間、人々の心に訴求するために、大事な何かを一つだけとりだして、それを一面的に押し出さねばならない。そのとき、あくまで全体像をおぼろげにでも知っていてどこを押し出すかを知っている者と、ただやみくもにその時々の政治的強調を「絶対的な真理」だと思って言い立てる者とでは雲泥の差がある。自分自身が後者でなかった(そして「今もそうではない」)とは言い切れない。

 『わたしのスターリン体験』はこうした思想の歩みのなかでは知的誠実を示した本である。それはマルクス主義にかぎらず、どんな思想を持っている者であっても学ぶべきものだろう。
 この本はもともと1990年に発刊された。1990年は天安門事件が起き、ベルリンの壁が壊れ、チャウシェスク政権が国民の蜂起で崩壊した直後である。少なからぬ左派系「進歩的知識人」が動揺し、こっそりとあるいは公然と思想転向をとげていく時代でもあった。そうした中で「思想を捨てる、思想を維持する、とはそんなもんじゃありませんよ」という強い警告があったに違いない。

 それにしても、本書は老インテリゲンチャによる回想的文章の、良くも悪くも「見本」である。知らない固有名詞や事項を、衒学的に次々挙げていくタッチは読んでいてほとほと疲れる。本書を読もうとする人に言っておきたいが、本書は回想・体験記ではあるが、すいすいすらすら、ブログを読むように読めるものではないことは、あらかじめ覚悟しておいてほしい。






岩波現代文庫
社会170
2010.3.13感想記
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