竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』



※このテーマをはじめて読む人には少し分かりにくい、という評をいただいたので、ちょっと改稿。


 『人は見た目が9割』の著者。
 最近、まったく漫画には縁がなさそうな同僚(別の部署の上司)に『人は見た目が9割』をすすめられていたのだが、こんな「つながり」で再びこの著者と邂逅するとは思わなんだ。
 著者は大学で教えながら現在は漫画原作などの著述業をしている。



「日本初の本格漫画評論」?


手塚治虫=ストーリーマンガの起源  それにしても、この本はすごい。すごすぎる。
 いや、中身がすごいというより、なにせ「日本初の本格漫画評論!」とオビに銘打っているのだから。はじめ「著者初の」かと見間違えたのかと思ったけど、何度眼をこすり本をひっぱたいたりしてみても「日本初の」と書いてある。
 「はじめに」に、こうある。

「私には、マンガ研究家によるマンガ論が物足りなかった。マンガしか知らない人が多いのである。学際的教養が感じられない。加えて、マンガ制作の現場を知らない。マンガ家やマンガ編集者など、現場の人間から見ると、見当外れのマンガ評論がたくさんある」(p.8)

 つづけて、こうだ。

「週刊誌のコラムは書けても、作家論、技法にも論及されたマンガ表現論(文芸評論では『文体論』にあたる)を包括的に論じる力を持った人がほとんどいないのである」(p.8)

 ふぉぉぉぉ……。
 包括的な「マンガ表現論」は「ほとんど」なかったことにされている。



大塚英志も伊藤剛も出てこない


 全体を読んでみるとわかるし、あと、後半の目録を見てもわかるけども、大塚英志も伊藤剛も一切出てこない(夏目房之介は出てくる)。大塚も伊藤も、最近手塚を軸にして漫画論を書いた。どちらも無視し得ない手塚論であり、表現論である。伊藤の著作については「マンガ表現論の枠組みを根本的に更新」「マンガ論の世界にとどまらない広範な反響」(宮本大人/「日経」06年2月5日付)とまで新聞評で書かれている(その当否は別としても)。それなのに、本書では一切言及ナシである。

 竹内一郎の本書で意識されているのは竹内オサム、呉智英、米沢嘉博らで、「あとがき」で謝辞をのべているのは、日下翠である(日下は最近亡くなったようである。ぼくも深見じゅんを論じるさいに参照させてもらっている)。

 大塚や伊藤については完璧にネグレクト。
 ここまで無言及だといっそすがすがしい(大塚の『ジャパニメーションはなぜ敗れるか』にも伊藤への言及はないが、同時期だったということは差し引いてもよいし、新書であり、かつ「本格漫画評論」と銘打たなかったことからその責は免れてもよさそうである)。
 「ひらかれたマンガ表現論へ」というサブタイトルの仕事をした伊藤は「ほとんどいない」ものとされたそうですよ(笑)
 『人は見た目が9割』を書くほどの、いかにも戦術的巧者でありそうな竹内一郎のことだから、知らなかったとは思えない。意識的に無視したのだろう。「ヴァーカ、そんなの取るにたらねーよ」。

 しかも内容は、大塚や伊藤がその歴史性を批判した内容(たとえば漫画を「日本文化」の文脈で語ることや、手塚系漫画を「漫画」一般であるかのように読む読み方)にかんすることがまるまる書いてある(後述)。別に大塚や伊藤に従う必要はみじんもないが、それらの批判に対し、どう考えるかくらいは一言でもほしかったところである。



「国策化」という問題意識


 それにしても今なぜ手塚治虫なのか。
 大塚は長年の近代文学批判とそれに照応した漫画史の検証という流れが、たまたま昨今の日本アニメ・漫画の称揚=国策化とはちあい、『ジャパニメーション…』へと結実した。
 大塚は、昨今の国家と大資本によるアニメ・漫画の国策的振興を疑問視する。“もともと漫画みたいなモンは国家のお墨付きをのがれたサブカルじゃねーか。国策化されたら戦前みたいになるぞ”と。その国策化にチョウチン持ちを買って出る「アニメ・漫画は日本文化の伝統だ!」という議論の浅薄さを批判する。そのなかで、日本のアニメ・漫画の歴史をさぐり、その現代的特徴が戦時下に起源をもつことや、手塚はそれを受け継ぎながら、葛藤や成長を投影できる表現を漫画で確立していったことを明らかにする(くわしくはここ)。そして戦時下起源であることに無自覚なこれまでの漫画評論についても苦言をのべている。
 伊藤は、ぼくの見解では、昨今の漫画研究・漫画教育の隆盛と、彼の長年の評論活動の交差点に手塚を論じる必要性が出てきたものだ。漫画をコマ・言葉・キャラという共通要素に分解し、キャラとは区別されたものとしてキャラクターを論じて、漫画表現の歴史を見通せるようにした。そのキャラクターの発展にとって、手塚が演じた役割がいかに重要だったかも、伊藤の立論のなかで見えてくる。こうした共通要素に還元することで、漫画は研究も教育も可能な「技術」へとかわっていく(くわしくはここ)。伊藤は、「マンガがつまらなくなった」とのべる評論家が90年代後半になって増えたのは、手塚を起源とする漫画の近代主義にしばられた読み方ではないかと批判した。

 両者とも、長年の評論活動と、昨今のアニメ・漫画振興(国策化)の流れが重なっているのが共通しているといえよう。
 ぼくのみたところ、竹内一郎も似た事情に属している。(1)漫画評論の現状(2)アニメ・漫画振興(国策化)という2点だ。

 先ほど、竹内が既存の漫画評論に不満を持っていることは書いた。第一の点である。
 くわえて次のような事情を「あとがき」で示している。

「マンガは出版文化の三分の一を支える重要な位置を占めながら、今まで国策の埒外にあった」(p.258)

 また、同じページで、竹内一郎は次の日下の言葉を肯定的に引用している。

「まずマンガの研究の方法を築き、国策の枠に組み入れよう、と。だから国立大学でやる必要があるのだ、と。私はやる値打ちがあると判じた」

 国策キタ━━(゚∀゚)━━!!

 これが第二の点だ。本書が、「国策」ということを強く意識しながら、大塚がそのナイーブさを批判した「外国から見た日本文化」という視線をふんだんにもりこみ、日本文化論として立ち上がってくるのを、読者はすぐに嗅ぎ付けるだろう。
「今、日本のアニメ作品は世界中に輸出されている」「現在の日本で、海外で評価され、受け手に愛されている創作物が他にあるだろうか。文学、映画、絵画、音楽……。大江健三郎、黒澤明、平山郁夫、桑田佳佑、それぞれ日本の代表選手の一人と考えていいが、海外で『ドラゴンボール』ほどの影響力はないといっていいだろう」「まるで、モーツァルトの音楽を思わせる愛され方である」(p.6〜7)

 余談であるが例のアレも。

「日本のマンガは『鳥獣戯画』から始まったと考えることもできるが、手塚はどこがスタートラインと考えていたのか──」(p.14)

 この「鳥獣戯画起源説」は、大塚が『ジャパニメーション……』のなかで「『鳥獣戯画』や『北斎漫画』は本当に日本まんがの起源なのか?」(p.20)と疑問をていしている。つまり、大塚は漫画を安易に日本の前近代文化と結びつけて「わが国の伝統」だという言説のナイーブさを批判しているのである。天皇制がたかだか近代に国民の前に現れたものにすぎないのに、「わが国古来の伝統」などと偽るイデオロギーに似ている。
 この説が間違いかどうかは二の次だ。
 問題は、そういう疑問の眼差しがあることくらい「ふまえてますよ」という身振りが竹内一郎にほしかったということである。
 伊藤の場合、こうした過去の言説に非常に敏感である。伊藤がこれまでの言説や視線に、ある意味でクタクタになりながら誤解をほどいて自分の解釈を打ち立てていったのと比べると、この竹内一郎のナイーブさは、驚くべきものである。弁解で紙幅をいっぱいにせよ、という気はないが(事実、あれこれ条件をつける伊藤の文章は相当に読みにくかった)、短くても注の一つもほしかったところである(ところでぼく自身は漫画振興について、条件整備に限れば、国がおこなうこと自体は必ずしも否定しない)。

 竹内一郎のあげた日本文化の書き方は、それこそ大塚が『ジャパニメーション……』で批判した、開国以来の近代日本が負ってきた「西欧文化から見た日本文化」論の典型である。この外国視線からの「日本文化」論、ジャパニメーション称揚と軌を一にした手塚論が本書であるといえる。竹内一郎はこうのべている。

「手塚は、日本文化(紙芝居などの子供向け読み物、田河水泡・大城のぼるなど子供マンガの先行者、ディズニー・アニメ、映画、SF、宝塚歌劇、新劇、歌舞伎、赤本)の水脈に深く根ざしながら、それらの技術と手法を組み合わせ、応用・援用する形でマンガに取り込むコーディネーターの役割を果たした」(p.5)



“手塚が日本に生まれたのは必然である”


 竹内一郎は、日本での「ストーリーマンガ」(「まず物語ありきの、絵と文字を使った読み物」p.225)の隆盛をつくったのは「手塚がいたから」=偶然ととらえずに、なぜ手塚が日本で生まれたのか、つまり手塚治虫個人ではなくテヅカ的役割をもった人間がなぜ日本の戦後史に生まれたのか=必然として問いを立て直す。「歴史における個人の役割」! プレハーノフである(笑)
 答えは、日本文化の水脈の中で必然的に生まれた、というものだ。

「手塚は、ストーリーマンガを生み出した日本文化の集合無意識を総称した固有名詞である」「日本に手塚治虫が生まれなかったら、ストーリーマンガは現在のように発展しなかったのだろうか。私は、否と判ずる。手塚のような人物が、必ず現れて似たような文化を作ったに違いない。一人の天才で無理なら、複数の才人が力を合わせて、技法を開発し、ストーリーとの融合を図っていったはずである。日本にはその土壌があった。手塚が日本に生まれたのは、決して偶然ではない。むしろ必然である」(p.235)

 p.224にこの文化が手塚的ストーリーマンガへと合流していく図を示し、その前後に、ストーリーマンガ文化を形成した10の文化要素を提示している。


 竹内一郎はまず第一章で手塚が幼少期に、あるいは手塚以前の漫画がどんな「学際的教養」・文化にとりまかれていたかということを明らかにする。漫画はもちろん、紙芝居や読み物などを重視するのだ。
 第二章ではアニメ、映画、SFの影響が論じられ、第三章は演劇の影響である。
 竹内一郎は、こうした考察の結果、学際的教養の超人的な吸収体として手塚を把握する。しかもそれを加工して応用してしまうという存在として。
 例の藤子不二雄、竹内オサム、呉智英が論じた「映画的技法」「同一化技法」問題も、「手塚の新しさは、一つの映画的技法をマンガに導入したからではない。既存の映画監督とカメラマンが考えていったことを、全部マンガに吸収しようとしたこと、そのことが新しかったのである」(p.99)として、戦後初期の作品がいかに多くの映画的技法をとりいれているかという「目録」を32の例をあげて解説するのだ。

 同時に、手塚的なるものを受容させた読者の中に流れる「日本文化」についても、竹内一郎は論じている。たとえば、歌舞伎が「見せ場」をもうけ、スジの破たんさえもカヴァーすることを取り上げて次のように言う。

「手塚マンガを始めとするストーリーマンガが、少年たちに、後に大人にも受け入れられたのは、日本に歌舞伎(大衆演劇)の伝統があったからである」(p.151)
 あるいは「御伽草子」である。
「日本の子ども向け物語文化は、手塚が生まれるほどに成熟していた」「わが国には御伽草子の伝統があった」(p.41)


 御伽草子・歌舞伎キタ━━(゚∀゚)━━!!
 こうして竹内一郎は、漫画を、前近代のものもふくめた「わが国古来の文化」の集積体のようにみなしてしまうのである。


 ただし竹内一郎は、手塚はあまり「映画的手法」の導入を誇示しておらず、実際映画的手法は手塚以前からも徐々に導入され蓄積されていったもので、その意味では手塚は「革新者の一人」にすぎないとものべている(p.152)。
 あえて、手塚の「斬新さ」をあげるとすれば、「ワハハと笑っておしまい」という漫画の常識を変えて「悲劇」を導入したことだと述べる。「悲劇性を持つ、別の言葉でいえば、小説や戯曲などの歴史的名作に負けない重層的な物語構造を持つマンガである」(p.155)。
 その結果、「本格的なドラマ」(p.156)が可能となり、マンガを「サブカルチャーからカルチャーに押し上げる働きをした」(同)。「それこそが手塚の最大の功績であった」(同)。
 技法の革新はサブカルチャー内の革新にとどまるが、ドラマ構造の導入によって、漫画は「カルチャー」になったのだ、と。


 竹内一郎は、たんに映画手法や既存文化の翻案にとどまらない、文化としての手塚の新しさを第三章でのべる。これこそ、本文を読まないととてもつかめないものなので、くわしくは本文を読んでほしいが、一言で言えば独特の「センス・オブ・ワンダー」の気持ちだと竹内一郎は言う。



無言及すぎないか


 この本を読んでみて、先述のとおり、一番ひっかかるのは、それまで、というか直近の研究や評論にたいしあまりに無言及にすぎていて、しかも「日本初の本格漫画評論」などと大きく出ていることである。いいのかな、と。

 「マンガは『絵+言葉』による物語文学である」(p.257)という解析も、夏目や伊藤の仕事を知っていれば、かなり挑発的だといえる。両者は漫画を「絵・コマ・言葉」「キャラ・コマ・言葉」という要素に分解し、伊藤は「絵・主題」程度の分節しかしない漫画評論を他人の言葉を用いて批判しているのだ。伊藤はこの竹内一郎の規定をどう聞くだろうか。

 「残念ながら、近年のマンガは停滞期である」(p.231)──この発言もきわめてスリリングだ。
 なぜなら、伊藤が『テヅカ・イズ・デッド』の導入で問題にしたのは、まさに「漫画がつまらなくなった」とする評論家たちの言説であり、この竹内一郎の発言は、伊藤の批判するものそのものだからである。伊藤は「マンガの近代的リアリズムの『獲得』は、劇画―青年・少年マンガ、少女マンガの両者とともに、おおむね八〇年代後半までにはぞれぞれ一定の『達成』を見てしまった」(伊藤『テヅカ・イズ・デッド』p.236)ために、素朴で無自覚な近代中心主義にとらわれている人たち(端的にいえば手塚を起源とする漫画の近代にとらわれている人たち)には「つまらなくなった」だとしか見えなくなる、とのべているのだ。そこへきてこの竹内一郎の「停滞期」発言。伊藤にケンカを売っているのか。
 ところが竹内一郎は、この伊藤の批判にはまったくこたえず、「日本初の本格漫画評論!」などと(ry

 無視したなら言及責任を避けていることになるし、知らなかったならただの不勉強である。



「日本文化論」の悪しきイデオロギー


 第二に、そのコロラリーであるけども、あまりに「日本文化」論へと傾斜しすぎている。
 竹内一郎は、いったい大塚がしたような「漫画=古来からの日本文化に淵源をもつ」批判をどう受けとめたのだろう。またしてもそのことには何の言及もない。
 なるほど、手塚に影響を与えたさまざまな文化を検討することは大事だろう。
 しかし、竹内一郎が「筋道を付ける」(p.237)と豪語し、「日本初の本格漫画評論!」という宣伝文句に足るほど、たとえば戦前の文化検討はおこなわれているだろうか? 正直、一部の記述をのぞけば、全体として文化の内的な連関の検証にはなっておらず、戦前の文化を羅列する、「書誌目録」「文化人リスト」とだけなっている感をぬぐえなかった。
 紙芝居や講談の歴史や本、人名をあげることが、何か必要だっただろうか?
 極端にいえば、博識のひけらかしである。トリビア的知性といってもいい。
 この書誌的・リスト的・目録的理性について、伊藤も大塚も、次のような批判をのべていることはここに書いておいて悪くないだろう。

「イデオロギー的視点を排した時『歴史』は、それに代わる歴史観がなければ、ただの固有名詞の羅列になってしまう。もしくは他愛のない『蘊蓄』になるしかない。まんがで最初に女性器を描いたのは誰の何という作品かとか、それが、ある歴史の流れの象徴的な出来事として位置づけられるのならいいけれど、『トリビアの泉』的な『へえー』で終わってしまうのでは意味がない」(大塚『ジャパニメーションはなぜ敗れるか』p.47〜48)

「〔二上洋一『少女まんがの系譜』の作品史は――引用者注〕ただ時代順に列挙されているという域を出ず、固有名詞ばかりがひどく目立つ。個々の作品に対する評価や相互の位置づけは行われておらず、ただただ総花的に『抜け』を作らないように固有名が並べられているように見える。個別には意味のある情報だったものが、並列に扱われることによって『ホワイトノイズ化』しているのである。……〔中略〕……二上は歴史の記述、とりわけマンガのような表現の歴史の記述には、歴史観、一定の枠組みが必要であることを承知している。そのうえで、それを提示することを避けている」(伊藤『テヅカ・イズ・デッド』p.284〜285)


 ついでにレーニンのローザ・ルクセンブルク批判もここに載せておく。なぜなら、こうした「断片的な知識のひけらかし」「知識量誇示」への批判としてまことに痛快だからである。ローザがマルクスを批判した際、太い筋での叙述をおこなわず、博識をひけらかす叙述をしたことについて、レーニンが皮肉ってこうノートに書き付けている。

「こっけいだ! 『第二八章 商品経済の導入』。冒頭で、剰余価値の『実現』(三五九ページ。章の二行目)、――そして中国における阿片の暴力的導入のお話!!! お話はたいへん、たいへん面白く、詳細である。一八三九年九月七日に何隻のジャンクが沈められたか、等々!! ああ、この博識ぶり!!」(『経済学評注』p.131)

 この「断片知」への批判を、現代の「インターネット的知性」への軽妙な批判に替えて読むこともできよう。ま、これは余談(これ自体が衒学だったりしてなw)。

 話をもどそう。
 手塚にしろ誰にしろ、日本に生きている以上、その人の中に日本の文化が影響している、ということは見て取りやすい簡単な事実である。近代の文化の中にも前近代のルーツを持つものは当然に多い。つか、それが普通である。
 しかしそれだけでは、手塚が日本文化の水脈をうけついだ存在であるという証明としては弱い。

 しかも手塚が日本文化であればあるほど、それがなぜ世界やアジアに通用する「普遍性」をもつのだろうか? 日本文化論をつきつめるほど、普通は「漫画は特殊日本文化であって、世界には通用しない」ということへ傾斜せざるをえなくなるはずだ。
 
 おそらく、竹内一郎が映画的手法の検証のところでやったような、地道な実証が必要になるのだろう。そしてアジアについても。その地道な比較の上に、ようやく日本文化論を構築でき、また、アジアへの受容の共通性についての解明も、道が開けるのかもしれない。

 いや、「本格漫画評論」と打ち出さなければ、そんな厳しいこと、ぼくも言わないんだけどね(しつこい)。



手塚像は決して悪くないと思うのだが


 ただし、第三に、着地して描かれた手塚像──学際的教養、ドラマ性を漫画へ導入したこと、戦後民主主義の明るい抑制、ヒューマニストなど──はそれほど違和感はない。

 つまり、手塚像そのものは悪くないのに、先行の重要な研究を無視していることや、安易な「日本文化論」というイデオロギーにからめとられていることによって、自ら価値を下げているのである。

 はっ! こ、こんなふうに書くと、夏目房之介の大塚英志批判みたいじゃねーか。
 いや、ぼくの場合、「悪いイデオロギーだからけしからん」といってるんだから、夏目のようにイデオロギー一般にたいし「不潔な抽象」を嗅ぎとっているわけじゃないの!


 『人は見た目が9割』を書いたベストセラー著者である、ということは、大塚だの伊藤だのといった手合いを無視してもよいのかもしれない。そしてそれこそが作戦なのかもしれない。宮本や夏目が騒いだとしても、『テヅカ・イズ・デッド』の反響は基本的に「業界内」だと判断したか。たしかに小ムズカシイ体裁の300ページの本を読む日本国民はそう多くないだろう。『テヅカ・イズ・デッド』が売れたといっても、ベストセラー新書に比べれば児戯にひとしいのだ。
 むしろベストセラー著者である竹内一郎が「日本初の本格漫画評論を書いた」ことにしてしまえる、というわけである。いや、だってそうとしか思えねえじゃん。

※サントリー学芸賞をこの本がもらったことへの雑感




竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』
講談社選書メチエ
2006.2.13感想記(06.2.14、11.11補足)
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