竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』のサントリー学芸賞受賞にあたっての雑感



※竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』の感想はここ


「学芸」となったからには言わせてもらう


手塚治虫=ストーリーマンガの起源 竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』がサントリー学芸賞を受賞した。
 サントリー学芸賞といってもぼくは全然なじみがなく、さすがに初めて聞くということはないが、小熊英二『単一民族神話の起源』がもらった賞だという印象があって、それゆえになかなかの賞であるなあという畏敬の念を多少とも持っていた。

 ぼくは、竹内の同著について、一定の意義は認めつつも、まあ分類すれば「酷評」にちかいことを述べた。
 受賞したと聞いて、再読してみたが、感想はあまり変わらない。
 つか、p.211〜213の「マンガ評論家の限界」という節は、ずいぶんとぼくが線を引いた後がいっぱいあるのだが(笑)、あらためて読んでみてひどいと思う。
 漫画原作者によるエッセイかな、とか、大学人の余技かな、とかそんなふうに見ていたうちは「まあ、先行の言説くらいはふまえてくださいよ」くらいでよかったのだが、なにせ「学芸」の「賞」をおとりあそばすようになったわけだから、それは先行研究にたいするわきまえや身振りがないことはほとんど致命傷といってもいい

 「無視する」というのは出版戦略としてはありえても、「学芸」にはありえない。
 いや、ありえなくはないが、そのさいには、自身の立論が相手の論理を乗り越えていることを積極的な叙述として展開している必要がある。つまりいちいち言及しなくても、「おお、この議論は例のあの議論を切っているな」と思えるような展開である。
 そうでなければ、ただの不勉強。「学芸」の書物としては、厳しい審判が下されよう。

 p.211〜213の「マンガ評論家の限界」という節は、香ばしい言説でいっぱいである。

〈一九七〇年代も現在も、あまり事情は変わらないが、マンガ評論家は批評ではなく、“ラブレター”を書きたがる傾向がある。とりわけ一九七〇年代の評論家たちは、時代の仇花的な劇画に対するラブレターをよく書いた〉

〈マンガ評論家の多くは、社会学者であったり、精神科医であったり、映画評論家であったり、他の分野での活動が主となっている人が多い。彼らの多くは、自分のフィールドに持ち込んでマンガを語るので、マンガ業界の内部から見れば、ピントの呆けたものも多い。また、他に専門を持たないマンガ評論家は、ラブレターを書き連ねることが多い。いずれにしろ、マンガ家がマンガを制作する上で、どの部分に最も腐心し創意工夫を重ねているかが分かっていない人が多いのである。また、仮に分かっていても、言葉(論理)になり難いことばかりなのである〉

 ついでに結論部分も引用しておこう。

〈これまで「ストーリーマンガ」はきちんと論じられてこなかった。少なくとも、私はそう認識している。マンガ評論家によるエッセイのような文章が、研究の役割を果たしてきた。「手塚治虫研究」といっても、そのほとんどは手塚の生前行われたものが多く、死後に現在の形の全集が編まれ、出版されてみると、手塚本人が語っているものがほとんどである。加えて、評論家による指摘のほとんどは、マンガ編集者やマンガ家にとっては常識と思われるものも多い。マンガ業界内部の人は、多忙で語る余力がないから、そういう現象が起こる。マンガ研究は混乱した状態といってよいだろう。とりわけ「マンガ表現」に関しては、評論家は現場の「作り手」ほど自信がない。結局、表現技法から離れて、社会学的なアプローチをする研究者の主戦場となっている〉(p.237)

 なあるほどう。主戦場になっているそうです。



ヨコタ村上孝之の苦い教訓


 先行をふまえる、というのは、学問研究としては当たり前のことだが、それは公開する手続きとしてはそんなに手間のいることではない。極端な話、文献目録さえつければよい。

マンガの社会学  前にもちらりと紹介したが、ヨコタ村上孝之は、かつて共著『マンガの社会学』のなかで、石ノ森や手塚の手法について書いたのだが、参照としてあげた手塚の図版が後年書き直されたという指摘がないことや、視点の同一化技法については竹内オサムが指摘しておるし、さらに戦前からあったっつう指摘をもう宮本大人がしてるだろ、なんていう批判を夏目房之介から強烈に受けたことがある(夏目編著『マンガの居場所』)。
マンガの居場所  これだけで夏目からは〈つまりヨコタ村上は基礎的なマンガ論文献を読んでいないのである〉(夏目p.243)などと手厳しくやられているのである(あげくに、ヨコタ村上は、「夏目房之」と書いてしまったことや「最近……実作者の立場を標榜し」などと書いたために、完全に夏目から馬鹿にされている。なお、2刷では「介」に直っている)。

 夏目はこのときこう結んでいる。〈これが大学の参考書なら、学問てのはマンガ論や周辺の基礎知識を調べることもなく成り立つのか?〉(同)。これは、竹内一郎にもあてはまる批判だろう。

マンガは欲望する  ヨコタ村上は、よほどこれが痛恨だったとみえて、近著『マンガは欲望する』を上梓したさい、「はじめに」のなかでこのことについてふれ、〈不用意な誤りをした〉と認めたうえで、〈ぼくはマンガ研究を「片手間」にやっているつもりもなければ、マンガを「あなどって」いるつもりもさらさらない〉(ヨコタ村上p.9)と憤激した。
 そして〈夏目が「マンガ研究の基礎文献」と称するものに言及しなかっただけで参照はしていた〉と弁疏してみせた。

 そして、「さあこれなら文句ないだろ!」と泣きながら怒る子どものように(笑)、国内の文献125、外国文献20、計145を引用・参考文献として巻末に載せている。ぼくは政治思想史をやっている研究者の友人に、「外国文献の文献リストがないものは研究論文とはいわないね」という衒学趣味を聞いたことがある。20も並べたヨコタ村上としては、満足であろう。

 このなかには、ちゃあんと伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』も入っており、なおかつ、たとえばp.192にはヨコタ村上の立論に生かされている。伊藤には単純に与していないが、ちゃんと「ふまえていますよ」という身振りがあるのだ。

 話を元にもどして、竹内一郎は、最悪の話、巻末の「その他の参考文献」のリストに、伊藤や大塚、宮本などを加えさえすればよかったのである。しかし、ないものはないのだ。ヨコタ村上が、いくら後から〈言及しなかっただけで参照はしていた〉と弁解してもそれは後のまつりというもので、何の役にも立たなかったように、社会的にみて、竹内一郎は、伊藤・大塚・宮本さえも参照しなかったということと同義である。

「つまり竹内一郎は基礎的なマンガ論文献を読んでいないのである」

なんてやられても、竹内には抗議する権利はない。そういうものによく「学芸」の「賞」を与えましたね。



新城カズマの新書とくらべてみよう


ライトノベル「超」入門 ソフトバンク新書 終わりに、対照的な例として、新城カズマ『ライトノベル「超」入門』をあげておこう。これは「学芸」でもなんでもなく、「新書」である。
 なのに、「ふまえています」的身振りがしっかりしているのだ(本書についての感想はこちら)。

 一例をあげると、「オタク文化=日本の伝統文化起源」論にたいして。
 竹内一郎の場合はそれほど極端でなくとも、限りなく手塚や日本の漫画文化と、前近代の日本文化の「伝統」をナイーブに結んでしまっている、ということは前にも指摘したことがある。

〈手塚マンガを始めとするストーリーマンガが、少年たちや、後に大人にも受け入れられたのは、日本に歌舞伎(大衆演劇)の伝統があったからである〉(p.151)、〈手塚は、ストーリーマンガを生み出した日本文化の集合意識を総称した固有名詞である〉(竹内p.235)

 これにたいして、新城は、この種の議論のナイーブさを引き受けないように注意深い態度をとっている。

〈といっても、歌舞伎の技法が直接的ライトノベルに流れ込んでるんだとか、おたく文化は江戸期(もしくは平安時代)から連綿と続く文化様式の最新の発露だとか、そういうバカみたいな日本文化ショーヴィニズムでは全然なくって、単純に、「平和で暇のある時代に物語の消費者層が欲することは、だいたい同じ」というだけの話なのです〉(新城p.204〜205)

 あるいは、「あとがき」のなかには、新書で扱った以上のことに興味をもたれた人に、として、わざわざ伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を紹介している(他に東浩紀とササキバラ・ゴウなど)。

 新城は少なくとも、先行の研究や論点をふまえる身振りをすることに注意を払っているようにみえる。それは読者がオタクだと思っており、あなどりがたいと心得ているからであろう。

 竹内一郎の巻末のリストに登場する評論家が、せいぜい竹内オサム、米沢嘉博、呉智英、夏目房之介、日下翠、村上知彦あたりでとどまっているのは、畢竟「マンガを『あなどって』いる」からであろう。





竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』
講談社選書メチエ
2006.11.11感想記
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