おかざき真里『サプリ』



サプリ 1 (1)  予告どおりぼくは前の仕事をやめ、まったく別天地で新しい仕事を始めました。
 労働の内容も大きく変わりました。

 新しい職場は同世代が多く、みんないい人そうなので、またしても低ストレスでイケそうなのですが、前の仕事と多少ダブりはするものの新しい仕事内容が多いために、その職場では基本的に「新人」ということに。
 となると、20代が味わう仕事上の葛藤や悩み、そして喜びを、もう一度「おさらい」するような形になります。

 30代も半ばになろうというのに、20代女性が主人公のおかざき真里『サプリ』を男のぼくが食い入るように読んでしまうのは、そういう事情が手伝っているせいもあろうかと思います。すなわち、直面している仕事の「課題」が似ているということです。

 わりと大手っぽい広告代理店でCMの制作にたずさわる藤井ミナミ・27歳(途中で28に)の仕事とオトコにかんする物語です。作者おかざきは広告代理店に入りCMプランナーを勤めていたので、そこでの自分の経験が大いに反映しているのでしょう。
 徹夜、休日出勤、中性化……とくれば、連載誌が「フィールヤング」だということもあって、同誌出身の漫画家である安野モヨコの『働きマン』とどうしても比べてしまいます。

 安野の場合、とても突き放して対象(自分)を見ていると思います。
 労働内容も「凄惨」さを感じさせるものが多いのに、どこかしら可笑しさがつきまとうのは、自分を客観視する姿勢が徹底しているせいでしょう。仕事でフラフラになり恋人にもロクにあえない毎日を描きながら、納豆巻きを食っている姿や「世界征服」を目標にする姿をさっくり描けてしまうのはそのせいではないかと思うのです。
 この客観主義が、普遍性を生み、扱う対象も、自分に近い年齢の女性から、定年に近い男性までかなり広く幅がとれます。男性誌に連載されているにもかかわらず、女性からも男性からも幅広く支持を得ている。

 ところが、おかざきの本作の場合、決して対象を突き放してはいない
 自分と重ねているところがあるのでしょうが、微妙に自意識が入り込み、そしてそれを「カッコよく」描こうとする力がしっかりと作用しています。

 たとえば、3巻で、すでに出来レースだといわれている社内競合のためのプレゼンを3人のチームで準備する仕事。
 出来レースだとわかっているような、いわば「虚無への供物」ともいうべきムダな仕事なわけですが、そういうムダのために、主人公たちは徹夜をします。
 主人公の藤井は、恋愛のゴタゴタでその日を終えたくないために、深夜に他の2人とともに仕事にとりかかります。次々とアイデアを出しては消していく藤井と、演出家の男。

「1日の終わりに仕事がくるのは
 気持ちを引きずらなくていい
 頭がどんどん切りかわる

 シナプスがつながっていく感じ
 どんどんどんどん」

 そして徹夜明け。出勤してくる人の波に逆らって帰っていくのです。
 ムダとも思える仕事。男のことを頭から消すための没頭。こうしてみてみると、いかにも不自然で無理な労働のようです。「もう化粧くずれひどくて誰にも会いたくねぇ」とチームの一員である田中(女性)がいうほどに。
 しかし、作者のおかざきは、藤井と田中が悪態をつきあって朝の人波を逆行するシーンを描きながらも、つづくページで、この2人がタクシーを拾う様子を、美しい大ゴマでえがきます。それは実に颯爽としています。
 この「颯爽」さが、突き放しきれない自意識であり、自分たちの世代の物語を美しく描こうとする、おかざきの美意識なのです。
 このシークエンスのすぐあとに、藤井がいまつきあっている男性(荻原)に呼び出されて夜の海で抱き合うシーンがあります。荻原は「夜の海なんてベタベタだけど」と言い訳するのですが――それはそのまま作者の言い訳でしょう――、中空に月が浮かび「ただひたすらニュートラルな波の音だけ」がする情景は、ひょっとしたら働きすぎてグッタリした人間を癒してくれるかもしれんなあと思わせる妙な説得力があります。

 たぶん、他の世代がみたら、このおかざきの自意識、耽美ともいうべきロマンチシズムは鼻につくのではないでしょうか。ある世代にはリアルで鋭角な描き方をしているように感じられる本作が『働きマン』のように他の世代に広がらない原因は、そのあたりにあるのだろうと思います。
 しかし、逆に言えば、ある世代には鋭く食い込んでくる描き方になっています。

 ぼくなんかも、仕事をしている最中に、実はけっこうこのおかざきの作品のなかの言葉やシーンが思い出されるときがあるのです。
 たとえば、藤井がそれまでは「上司」にくっついて、そのカゲで仕事をしていたけども、はじめて自分の責任で謝ったり交渉したりハッタリをかましたりするという挿話があります。ぼくも「上司」のカゲや責任のもとで仕事をすることがきわめて多いので、つい自分の責任で決断しなければならないものでも、それを回避してしまったりします。そのときに、この、「前に出て勝負する」ときの緊張感というのが、正直、ぼくのなかで、いつもこの『サプリ』のエピソードに重なって思い出されるのです。

 あるいは3巻に仕事の不始末(自分の責任ではないもの)を、自分が笑い、相手を立てることで「解決」するシーンがあります。まあ、これは男性のサラリーマン漫画にもあるわけですが、そこをただ「つらいこと」だとサラリと済ませない。
 おかざきは、その笑うことの卑屈さ、「大人」ぶり、をいやらしいほどに念入りに描きます。
 トイレの鏡で口の端を上げて笑う練習をする藤井。
 「安いキャバ嬢か私は」と心で自己ツッコミをしながら、笑って訂正をお願いする自分。

「こういう時 私にもっと才能があって
 解決できるひと言や正解が出せれば
 笑わなくてもすむのかも知れないな」

 笑うことは未熟さや無能さではないか――などという自意識につきあわなくてもいいような気もします。でもそういわれると気になってしまうのが、いまのぼくのなのです。

 他の世代は読まなくてもけっこうです。
 20代から30代前半の、働く女性だけがぜひ読んで下さい。




祥伝社
1〜3巻(以後続刊)
2006.3.30感想記
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