武富健治『鈴木先生』3巻の「解説」を書きました ※『鈴木先生』1〜2巻の感想はこちら 武富健治氏〔※〕の『鈴木先生』(双葉社)の第3巻が今年(07年)7月に刊行されますが、その中で「解説」をつとめさせていただきました。 新聞で書評を書いたことと、サイトのレビューがきっかけでした。こうした機会を与えて下さったことにたいし、双葉社の編集部と武富氏にに感謝します。 〔※メールでのやりとりを経させてもらいましたので、「知っている方」ということで、敬称は略さずに書いています〕 3巻は大きく分けて(1)2巻からの続きである竹地をめぐる「@恋の嵐」シリーズと、(2)小川をめぐる「@恋の終わり」シリーズとの二つの柱から成っています。 「解説」は3巻の解説がもちろんメインではありますが、それにとどまらず、この作品が教師漫画として画期的であることを伝えたいと思いました。教師漫画としての特性が大きく出ているのは(1)のエピソードなので、「解説」は思い切って(1)にしぼりこみました。 ジャンプ・コミックスを読んでいると巻末に有名人が一文を書いていたのを幼少の記憶として鮮明に覚えていますが(例:秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に太田裕美)、そこに載っていたのは解説というより推薦文あるいは「こんな有名人も読んでます」的宣伝の意味が大きかったように思います。これは現代ではオビにとってかわられています。 つまり、明示的な宣伝文は見かけるのですが、今どき自分の単行本のなかに自著についての「解説」を載せているという漫画は、管見ではありますが珍しいのではないかと思います(1巻完結などの漫画ではないわけではありませんが)。 すでに他の人たちがのべていますが、武富氏は自分のホームページで自分の作品についての壮大かつ膨大な言及をしています。短編集『掃除当番』(太田出版)でも、自分自身で作品について詳細な「解説」を行っています。 この「短編作品の自己言及」というのは、同人誌経験を経た漫画家によく見られますが、武富氏の場合、テイストがまるで違います。同人誌系の漫画家のそれは、いわば作品についての「小エッセイ」で、そのときの自分の気分や当時のちょっとした出来事を書いているのが常です。ところが武富氏のそれはあたかも「武富」という批評家がいて別の「武富」の描いたものを客観的に評価しているかのように書いているのです。 いま、手元ですぐ比較に出せるのは黒田硫黄の「あとがき」なんですが、ちょっと比べてみましょう。黒田を「同人誌系」とか「同人誌経由」というのもどうかと思うので、まあそのへんはひとつよしなに(たしかに黒田は一橋大の漫研にいましたが)。
これは武富氏の、きわめてユニークな特徴です。 そして、武富氏は自らめざすところを「文芸漫画家」と称しているとおり、「文芸」というジャンルを強く意識しています。 何でもいいのですが、「文芸書」における解説文をちょっとみてみましょう。
黒田の自己言及の文章と明らかに「硬度」が違うことがわかるでしょう。別に「文芸」が文体の「硬度」において「かくあらねばならぬ」などという基準はどこにもないのですが、ぼくは武富氏にたいしてこうした文芸的「硬さ」に親和性が高い雰囲気を感じたのです。 それで、ぼくの「解説」はそういう「硬度」に合わせて書いてみたいという誘惑に駆られたのです。成功したかどうかはわかりませんが、そんなところも「解説」を読んで楽しんでもらえたらと思います。 (2)の小川をめぐるエピソード「@恋の終わり」については、したがって「解説」の中で触れることはできませんでした。ぼくは、(2)については、小川ではなく河辺(カーベェ)の方に執着をもってしまいまして、その思いを書くととうてい「解説」たりえず、あまりに極私的になるために断念しました(そもそも紙幅がまったくなかったので断念は当然だったのですが)。このあたりは、サイトなどで機会があれば書いてみたいと思っています。 2巻の「解説」は宮本大人でした。 宮本は「解説」において、「それにしても、自分と同年代のマンガ家の描くものが、どういう成り立ちをしているのか、ここまで分からないのは、初めてのことだ」と記しています。実は、宮本も武富氏もそしてぼくも、ほぼ同年代なのです。宮本のこの感想は半分くらいは納得できるのですが、「第三者が書くような自己言及」という点においては、武富氏のスタイルは何だか自分に似たものを感じています。つまり不可解さと同時に、自分との共通性も感じるのです。ただし、武富氏は、ぼくのようなハンパさではなく、一見「過剰」と思えるまでに自分を対象化し歴史化しているのですが(笑)。 しかし、それもまた、一見「過剰」にみえる『鈴木先生』の表現のように、その根源をつきつめてみれば、実は「過剰」ではなく、ある適正な理由が見えてくるのでしょうが、それは今後おいおい明らかになることを楽しみにしましょう。 2007.6.14記 |
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