鴨居まさね『SWEETデリバリー』7巻 この作品や鴨居の他の作品については、いくつか簡単に描いてきたので、今のところ、それ自体につけくわえることはない。 この巻で最終巻。お気に入りの漫画が終わることは淋しいことではある。 最終話では、主人公のマコトと実与子が、自分たちの結婚式をおこなう。 そのなかで吉野弘の詩が紹介される。 有名な「祝婚歌」※だ。以下に引用するけど、結婚式でうんざりするほど聞いている人はごめんなさい。 祝 婚 歌 吉野弘 二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派すぎないほうがいい 立派すぎることは 長持ちしないことだと気付いているほうがいい 完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと うそぶいているほうがいい 二人のうちどちらかが ふざけているほうがいい ずっこけているほうがいい 互いに非難することがあっても 非難できる資格が自分にあったかどうか あとで疑わしくなるほうがいい 正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい 立派でありたいとか 正しくありたいとかいう 無理な緊張には 色目を使わず ゆったり ゆたかに 光を浴びているほうがいい 健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに ふと胸が熱くなる そんな日があってもいい そして なぜ胸が熱くなるのか 黙っていても 二人にはわかるのであってほしい 吉野の詩はたしか高校の教科書に「I was born」が載っていて、妙に印象に残った。そういえば「うまれるって受動態だなあとか、詩人というのは、ずいぶんとことばにこだわるんだなあ、と。(この間抜けな感想をつれあいに言ったら笑われた) 吉野は戦後、首切り反対ストなど、労働組合の活動を熱心にやって(専従)、ぶったおれて肺結核をわずらってしまう(23才から約2年)。 前にものべたとおり、左翼であるぼくにとって(あるいは政治や社会運動にとりくむ者にとって)、「正しいこと」を求めることは、価値の高いものだ。しかし、そのために、つい独善や傲慢に陥ったり、その「正しさ」があんまり魅力のない、「痩せた正しさ」だったりすることもある。 吉野のこの詩に、彼の組合での経験がどれくらい反映されているのかはわからないが、たんに夫婦のあいだの話をこえて、人が人とつながるということ、そして「痩せた正しさ」への反省ということについての、含蓄に富んだ示唆がある。 『SWEETデリバリー』のなかでは、この最後のことばにこだわる。 「健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに ふと胸が熱くなる そんな日があってもいい」 この部分の、「生きていることのなつかしさ」ということばだ。 ここで、「いとおしさ」とか「ありがたさ」とかではなく、「なつかしさ」ということばを選んだところにこの詩人の面目躍如がある。 実与子は「なぜ胸があつくなるのか」と心の中で自問し、「それはなつかしいのが過去だけではないから」「あなたとは まだ見ぬ未来もなつかしいと思うから」と自答する(いや、これはもう実与子のモノローグでさえなく、作者が作中でさけんでいる「まとめ」のようなものだろう)。 自分がその瞬間を生きてきたという確かさがあって、はじめて「なつかしい」という感情は生まれる。だから、それは通常、過去の記憶にしか使われない。まだ見もしない、体験もしない未来に「確からしさ」を感じることはできないと、フツーは思うから。 だが、この夫妻は、未来にも「確からしさ」を感じることができた。 結婚する二人とその子どもだけが披露宴のなかで妙な静寂を保っている。披露宴の喧噪につつまれるうちに、それが自分たちがつながり支えてきてくれた人たちの「ざわめき」だと、この二人はしみじみと感じる。それはこの二人がこれまでに築いてきた社会のなかでの「根拠」であり、だからこそ、それは「確からしさ」なのだという印象を与える。 そして、この祝婚歌を参加者の一人が朗読しているときに、この詩の一つひとつに、いかにもこの夫婦らしいコメントをさしはさみ、そのコメントを読んでいるぼくらは、この夫婦のコミュニケーションのやわらかさと確かさを、なんだか感じ取ってしまうのだ。 そのような、過去にきずいてきた二人とそのまわりの「確からしさ」が、「今」の「確からしさ」につながり、「未来もおそらくこの確からしさは続くだろう」というしっかりした根拠を与えていく。だからこそ、まだ「まだ見ぬ未来」さえ、「なつかしい」と思えるのだ。 そして、それは、鴨居自身が結婚というテーマにとりくんだなかで、この詩にひとつのプラスアルファをつけくわえた結果うまれた解釈、吉野の作品をこえそれを豊かにした解釈なのである。
鴨居『SWEETデリバリー』の短評はこちら 鴨居『雲の上のキスケさん』の感想はこちら ※『吉野弘詩集』(ハルキ文庫)より。行間は引用者による。
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