小林広「手記 私はなぜ社説を盗用したか」



論座 2007年 07月号 [雑誌]  衝撃的な内容だった。

 ひょっとして事件当時こうした背景はどこぞで解説されたのかもしれないが、少なくともぼくは全く知らなかった。いやまったく地方紙がこの通りであれば、地方紙の存在基盤を揺るがしかねないことなんじゃないかと思った。それともこれは「常識」なのだろうか?

 しかし問題の核となる「資料版論説」について、ググってみてもヒットしたのはたった1件だった。このネットの大海のなかでたった1件だとよ!

 しかもそのヒットしたっつうのはよりによって共同通信社の編集委員室のページで、そこでは「資料版論説」というものを別に問題視するわけでもなく、ごく日常の言葉として「資料版論説」というものについてふれているのであった。


 この事件は07年2月に山梨日日新聞社の論説委員長が他社の社説を多数盗用していたとして懲戒解雇となったものだ。同社のホームページにそのことについての謝罪と調査報告が載っている。
http://www.sannichi.co.jp/owabi/index.php

 しかし、この調査報告は単にどこまで盗用したかという範囲の確定であって、小林の手記で明らかにされたような経緯についてはほとんどふれられていない。同社がこの自分たちの事件を扱った紙面もそこには載っているが、「信頼回復 ゼロから出発」などという見出しはその意味で本当に空しく感じる。

 ぼくが読んだのは、「論座」の7月号に掲載された、盗用をおこなった同新聞の論説委員長だった小林の手記である。

 小林の文章は、たとえば過剰に謝罪をしているとか、逆にえん罪だ式のことを叫んでいるとか、あるいは淡々とし過ぎているとか、そういう調子がまったくなく、普通の人間が普通の反省の感情をこめて普通の言葉で語っている感じがして、ぼくは感情的な負荷ゼロで読み進めることができた。

 ぼくが冒頭で「衝撃的」だといったことの核心とは、「社説は委員長ひとりにすべて任され、県内のテーマを取り上げるとき以外は、社説・論説のための参考資料として共同通信社から配信される『資料版論説』をほとんどそのまま掲載していた。その場合、私がやるのは、行数調整のために言い回しを変える程度だった」(論座p.185)という事実である。

 最初読んだ時、「え、これ、小林っていう人がそういうズボラなことをやっているという話なわけ?」あるいは「というのは十数年前の風習だったっていう話?」と思ってしまったのだが、さにあらず。これは今も続いている「慣習」である。
 しかも小林の手記のなかで、ある警察幹部が「私は一部地方紙の『社説』の仕組みを知っていますよ」と小林に声をかけてきたのを紹介しているように、決して山梨日日に限らない「慣習」なのだ。
 小林はこの問題がすでに1994年に共同通信社の原寿雄によって指摘されていたことを原の言葉を引用しながら指摘している。

 小林はいわば「アンチョコ」丸写しに違和感を抱き、社説の改革に参加するのだが、2人しか社説執筆体制がなく、県内にしか情報網をもたない地方紙が、国際問題をふくめて毎日独自の論調を出すなんていうのは無理な話なので、社説は週3日にしようということになった。
 ところが、事情をしらない社内外の人たちから「社説のない新聞は新聞じゃねーよ」みたいな批判がおこり、結局上司の指示で週6で出すというふうに戻ってしまったのだ。

 で、「資料版論説」丸写し大会に戻ればよかったのであるが、独自色を出すことにこだわった小林は、他社からの社説の「盗用」に次第に手をそめていく。

 そうはいっても盗用をするというのは一つのハードルをこえることになる。そのあたりをどう考えていたのか、どんな経緯があったのか――この問題を考える人なら、だれもが気になるところだ。

 この点について手記は興味深い事実をいくつも書いている。

 そのくわしい経緯や原因については、ぜひ「論座」そのものを買って読んでいただいた方がいいだろうと思う。

 こう書いてくると、なんだか小林の手記は「自己弁護」のように聞こえるかもしれない。うーん、ぼくなんかは、小林の術中にまんまとハマったと言われるのかもしれないのだが、この手記を読むとなるほど盗用に手を染めてしまうのはある意味「必然」だなあと思わざるをえなかった。いや必ず誰もが手を染めるというものではなく、「資料版論説をそのまま使うのはいかがなものか」ともし違和感を抱いた人がいれば、その人は構造的に「盗用」へと導かれてしまうのではないかと思ったのだ。
 小林の行為は一つも合理化できないものの、盗用という問題がどういう構造の中で起きたのか、この手記は、あまりにも見事に語っている。それが先に述べたようなバランスのとれた調子の文体に乗っているために、よけいそんな気持ちになってしまうのである。少なくとも、山梨日日の公式の調査報告や謝罪文などよりは、はるかに事態をよく説明している。


 盗用のことに関して一つだけここで言えば、小林が事件発覚後、「引用」についての著作権法の要件をおそらく「初めて」知ったというくだりはなかなか重大である。「(引用の)基準を踏まえて自らの所業を振り返れば、恥じ入るしかない。この資料(マスコミ倫理懇談会の資料)を注意深く読み、自戒の文言にしていれば事件はなかったかもしれない」(同p.194)――これほど初歩的なところでミスが犯されていたのだ。

 そして盗用の問題をこえて、広く地方紙の問題としてここで認識されたことは、少なくない地方紙には国際問題や全国問題を深めて語る体制がなく、共同通信の流す「資料版論説」がタネ本になっているという事実なのだ。

 そんだったら、地方紙の社説の論調で「世論」のバロメーターにするとかいう方法は一体どうなっちゃうわけ? ということになる。いやいやそんなレベルの話じゃないんだよね。そうですそうです。県内で多くの人がその県の地方紙をとっているわけだけど、そういうところの世論をリードするはずの地方紙の社説がこんなふうに作られているという問題なのだ。まさにそれは「衝撃」だった。


 それでぼくがこの問題を考える時、ぼくの頭を横切ったのは、いま唐沢俊一が自著のなかで漫棚通信ブログ版の文章をパクったのではないかということで大きなトラブルになっている件だった。読売新聞でも報道され、唐沢の著作を出した幻冬舎まで巻き込んでの騒動になっている。

 ぼくが知りたいことは、たとえば山梨日日新聞が自分のホームページで載せたような「謝罪」とか「調査報告」ということではない。とくに、どれだけ深々と頭を下げるとか下げないとか、本が回収になるかどうかとかいうことに、少なくともぼくは興味はない。

 むしろ、どういう構造の中で起きたのか、ということなのだ。

 ぼくの住む福岡市の市議会議員たちは共産党をのぞいて海外視察に税金で行っているのだが、共産党が今年(07年)2月にそのことを告発した。
 そして、中には海外視察報告書を、インターネットから剽窃して、前後だけ改ざんし、それを提出していた市議までいたことが明らかになった。
 剽窃をおこなったのは公明党の市議だったのだが、その市議は週刊ポストの質問に答えて“旅行代理店からの資料に拠ったものだった”と開き直ったのである。いや、旅行代理店からの「資料」だからって、書いてあることは視察で見たこととは違うんだから、なんでそのまま書いたのって話なのだが。
 要は、そこには「旅行代理店が報告書づくりコミでカネを貰っていたんだなあ」という背景がうかがえるのである。

 鴨居まさね『SWEETデリバリー』のなかで、登場人物の恋人が旅行代理店に勤めて、そのとき議員の海外視察のレポートを代わりにつくる話が出てくるのだが(「帰ったらあれに基づいてウソの報告書つくらんと」)、その作品が描かれたのは1999年であり、もうそのころには相当「当たり前」の現象として存在していたのだなあとわかる。

 つまり、パクリをやるときには、一定の構造や背景が必ずあるとぼくは思うのだ。
 ひどく常識的な結論に落ち着くのかもしれないけども、ことパクリに関しては、構造や背景を説明することこそが、パクリをした者の責任なのである。
 そこでいう「構造」や「背景」とは、単なる事実経過ではなくて、まさに「構造」なのである。「風土」とかいうふうにいうことができる場合もあるだろう。唐沢はぜひそのことをやってほしいと思う。スタッフでの分業体制とか、チェックとかそのあたり。



 その絶好の見本はこの小林の手記なのである。


 


小林広「手記 私はなぜ社説を盗用したか――不覚の結末」
朝日新聞社「論座」07年7月号No.146
2007.6.22感想記
この感想への意見はこちら
メニューへ戻る