中村隆英『昭和経済史』


 講義をまとめたシリーズで、口述の親しみやすさと、それが卑俗に流れず、その道の権威らしく、本質的な問題を実に簡単明瞭に、しかもわかりやすい例で解説する。
 たとえば高度成長期に電力の発展がおいつかずに、それがボトルネックであったことを、“計画的停電というのがあって、夕方の15分とか10分だけ、地域を決めておこなわれた”とさっくりと実例をいれて説明。それだけで、ぐっとイメージがちがう。

 こりゃあすごい、わかりやすい本だ、と思い一気に読んだ。

 で。

 経済史の初学者に強くおすすめする――と書こうと思ってやめた
 はたと冷静に考えてみて、これを初学者が呼んで面白いと思えるだろうか、とちょっと躊躇がうまれてしまったのだ。

 たとえば、高度成長期の項目をみると、「四大重点産業」「資本蓄積政策」「技術導入の効果」「輸入割当制と機械工業」「独禁法改正と行政指導」などとなっているが、はたしてこれが初学者中の初学者の興味をおこさせるタイトルかといえばどうもそうではない。
 なんも時代の表象が頭のなかにない場合、あるいは、いっさいの問題意識をもたずに読みはじめる場合、この本から始めることはおそらく得策ではないだろう。やはり少しつらいかもしれない。

 ぼくが、なぜこの本を無性に面白いと思ったかというと、それは『戦後日本の資金配分 産業政策と民間銀行』(東京大学出版会)という400ページもの大部と格闘しているせいだったのではないかと思いいたった。この『戦後日本の資金配分』は、非常に実証的で、そこまで細かくつきあわなくても、と思うほどの行政会議録と数字の精査をやっている。したがって、背景となる経済状況や、頻出する単語は、「自明」のことととして語られ、予備知識のないぼくのようなドシロウトは激しく苦労するのである。

 『戦後日本の資金配分』を読むには、簡単でいいから金融の知識が必要になる。そこで三宅義夫『金融論』(有斐閣双書)を読んだ。もうかなり古い内容で昔は学生だけでなく新人の銀行マンなどにも教科書として使われたようなのだが、これがまた非常に面白かった。
 専門家からみれば微笑を誘うことかもしれないが、『戦後日本の資金配分』のなかに出てくる銀行の種類について、これを読むと実にはっきりと整理される。『戦後日本の資金配分』のなかでは中心になるのは長期の設備投資むけの資金で、これをどういうタイプの銀行があつかうか、という話などがわかる。
 金融債、社債、「オーバーローン」、コール市場などといった問題も、『戦後日本の資金配分』では自明の話としてかたられるのだが『金融論』を読むと、「ああこういうことだったのか」とわかる。
 もし、『金融論』という教科書をそれだけで読んでいたら、本当に砂を噛むような思いだったにちがいない。

 で、同じように、経済史の背景も、この『昭和経済史』の高度成長部分を読むことではじめて、しっかりした像を結ぶことができたのである。

 その意味で、「経済史の初学者むけ」ではなく、「経済史の初学者で、学校でわけのわからない教科書や専門書との格闘をいきなり迫られている人々」にとって、非常におすすめだということである。

 この種の勉強というのは、読む本が増えれば負担が大きくなる、というのは一面ではそうであるが、一面ではまちがいである。読むほどに、対象がきわめて立体的にみえてきて、相乗的な興奮作用をもたらすのだ。
 もしぼくが『戦後日本の資金配分』を読んでいなかったら、あるいは『金融論』を読んでいなければ、『昭和経済史』は退屈で読み通すことは不可能だったかもしれない。
 だから、難しい本に出会ったときは、負担がふえるからといって、関連本を読まないと、苦痛は苦痛のままである。部分でもいいから関連する本をあたればあたるほどよい、と実に常識的な答えだが、それが最近実感をもってわかるようになった。


 さて、そのようにいった『昭和経済史』ではあるが、たとえ『戦後日本の資金配分』のようなものにとりくんでいなくても、興味をひかれた部分がいくつもある。

 そのうちの一つだけを紹介しておくと、戦争と経済のかかわりの問題である。当時の日本の指導層が、経済持久力と戦争勝利の見通しをどう考えていたのか、という問題を、実にわかりやすい見取り図でしめしてくれている。

 ぼくは、日本に資源がないことははっきりしているのだから、日米開戦などしていったいどうするつもりだったのか、前々から疑問だった。むろん、だからこそ南方(東南アジア)に鉄や石油の資源をもとめたのだろうが、補給体制としてどれくらいのリアリティをもっていたのかは未知数だった。
 つまり、すぐに実用に変えられる油田や鉱山が必要な量だけあったのか、とか、それを何年くらいで開発するつもりだったのか、どれくらいの輸送体制をみこんでいたのか、もし開発や輸送がダメなら日本はどれくらい戦争をたたかいぬける力があったのか、などである。ぜんぶここには書いてある(第3回 戦争の爪痕――1937〜45年 「2 太平洋戦争」「開戦時の国力判断」)。

 それによると、当時の日本への最大の石油供給国はアメリカで、ここと戦争することはかなり無謀といえた。日本にある備蓄は、840万キロリットルで、これは日本で必要な2週間分にすぎず、軍事作戦上でも2年分にしかならないのである。
 つくづく、何から何まで当時の日本といまの北朝鮮は似ていると苦笑した。
 石油は南方を占領した場合、1年目には85万、2年目には260万、3年目には530万キロリットル入手できると計算されていた。いまの保有量とあわせると、2年目末にギリギリになるが、3年目からは何とか好転できる、というものである。
 コメはタイ・インドシナ半島、ニッケル、錫、ボーキサイト、生ゴムなどはインドネシアが手に入れば間に合う、とふんだ。
 これが当時の企画院、つまり経済企画庁の前身のような省庁の判断だった。
 これだけみてもすでにムリムリじゃん、と呆れざるをえない
 南方占領の侵略戦争を遂行しぬかなければ、どうやっても日米決戦には勝てないのだ。

 しかも、最大のネックは輸送であった。
 南方からは船で輸送せねばならない。これがどれくらいできるか、に実はすべてがかかっている。企画院の判断は、軍の船以外に、最低、民需用の船300万トンの船が用意できれば「いける」と判断していた。それは年間80〜100万トンの損失を想定すればなんとかなるだろう、という見通しがあったのだ。
 中村は「作戦面を別として、経済面でもっとも甘かったのは、船舶の問題であった」として、この損失予想がいかに現実とかけ離れたものだったかを指摘するのである。

 南方を占領すると、もう原料を買う外貨はいらなくなり、国内の大企業が直接出かけていって資源開発をおこない、じゃんじゃんまきあげる。ああ、もうイラク戦争のアメリカ顔負けの醜さで戦争・資源・資本が一体となっているのだ。中村は企業の実名をあげ、この「南方進出ラッシュ」を書く。
 ところが、実際にはじまってみると、陸海軍は自分たちが作戦用に徴用した船を返さず、輸送力が不足する。したがって、開発した資源を日本に運ぶことができず、「溢れる原油を川に流していた」のである。

 かつ、開戦してから、輸送船は大打撃をうけ、1943年には207万、44年には411万トンが失われ、敗戦時には150万トンの船しか残っていなかった。初期想定の半分である。
 とくにガダルカナル争奪戦で大量の輸送船をつぎこんで失い、ソロモン諸島、ニューギニアでの争いでまた大量に失うのだ。決定的なのは、サイパンをとられたときで、米軍はここを拠点にして日本本土をふくめて空襲できるようになり、輸送力は壊滅的打撃を受け「加速度的に戦勢が傾いていった」。

 ああ、これが藤原彰『餓死した英霊たち』につながっていくのか、とその数字的経済的根拠をみた思いがした。


 ぼくは、とにかく日本経済史のかんたんな「ものさし」、時代ごとのイメージの座標軸を頭の中につくっておきたかったから、そのうえで、この『昭和経済史』はとても役にたった。
 個々に書いてある春闘論や賃金論などには異論が多いのだが、そんなことはある意味で小さなことである。とにかく最初の座標軸をつくるうえでは――そしてすでに経済史について格闘をはじめている人間にとっては――本書はまたとない格好の入門書である。

 ぼくになじみの深いマルクス経済学の立場で叙述された経済史は、むろん管見中の管見ではあるが、「本質規定」的な研究が多く、このように時代の表面をきちんとイメージをもって平易に説明するものはあまりない。たとえば、マル経の経済史の本は、高度成長については、なぜ可能だったか、という本質を一生懸命説明する(独占資本の強蓄積、とか国家独占資本主義の特殊性とか)。他方、本書は現象面がどういう関連をもって当時認識されていたか、ということをていねいに追っている(輸入割当制とかボトルネックとか)。だから、本書はぼくにとってたいへん貴重だった。

 うーんやはりおすすめの一冊である。



岩波セミナーブックス17
2004.6.20感想記
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