月尾嘉男『縮小文明の展望』


 示唆にとんだ統計と数字の宝庫のような一冊です。
 たとえば、(すでに本サイトの他のページでも紹介していますが)

●コンビニの廃棄弁当・食料は、年間700万トンであり、これはチリの全国民=1340万人の年間食料に匹敵する。
●召使1人を維持するのに2500キロカロリー必要とすれば、1日で25万キロカロリーを消費している現代人は、100人の召使をもっていることになる。
●明治初年の人口で、最多は石川183万人、2位が新潟152万人、3位が愛媛144万人。東京は15位。
●世界的に淡水が枯渇しているなかで、日本が国内需要の74%=3400万トンを輸入しているということは、340億トンの淡水を輸入していることになる。

 ……などなどです。これはほんの一例。あまりに重要なものが多すぎて、途中で線を引くのをやめてしまいました。
 
 もちろん、統計や数字の本は世の中にいっぱいあります。

 しかし、筆者は、人口とエネルギーの爆発的増大によって、世界が限界にきているという明確な思想のもとに「ひとつの絵図」を描いており、この本を読む人は、明らかに世界観的な深まりを感じながら、筆者があげる数字や統計をしみこむように理解するでしょう。

 ぼくが、いちばん興味をひかれた統計は、地球温暖化をもしある水準で食い止めようとおもったら、大気中の炭酸ガスを西暦2300年に450ppmで歯止めをかけねばならなくなり(現在360ppm)、そのためには、二酸化炭素量を炭素換算でいまの3分の1にまで落とさねばならないという数字です。

 これは何を意味するのかといいますと、仮に人口が100億人までふえることを想定し、技術革新がいっさいないとすると、エネルギー=生活水準を西暦1900年ごろまでもどさねばらない、ということです。

 1900年。アメリカでも、自家用車をもっているのは5500人に1人、電話は60人に1人ということになります。1900年には、空調はまだ発明されていません。インスタント・コーヒーもありません。ラジオ放送もないのです。

 ぼくがこの統計・数字に興味をひかれたのは、人口増加と技術革新なしという前提をつけたとしても、この数字は事態の深刻さの核心を、じつに簡潔にしめしているからです。じっさい、月尾の話は、そのまま経済活動のスタイルそのものへとふみこんでいくように、この事実は、ぼくらを本質的な事実へと導く力をもっています。

 月尾は、このような数字を紹介した後、どうすれば実現できるかを構想しています。これまでは「生活水準の向上→経済活動の拡大→資源消費の増大→環境問題の拡大」の図式だったものを、もし破滅をのぞむのでなければ、「生活水準の向上→経済活動の拡大→資源消費の減少→環境問題の緩和」という図式にしなければならない、とします。

 むろん、人口爆発は、所与の条件ではなく、南北問題の是正にとりくむことによって、その条件を変えることはできます。しかし、いずれにせよ、人口の問題の解決が不可欠だというところに、月尾があげた統計は認識をみちびいていくうえで役立っています。


 月尾がしめす解決策は、(1)技術の挑戦、(2)制度の挑戦、(3)精神の挑戦、という3つの分野であり、それぞれ興味深い提案がならんでいますが、共通するのは、エネルギーを小さくする技術や思想こそ、新しい時代の精神だということです。
 その詳細はここでは割愛しますが、「ファクター4」という実践は、はずかしながら初めて聴き、たいへん興味をひかれました。

 ファクター4とは、生活水準を2倍に向上させつつ、資源消費を半分に減少させ、環境への貢献を4倍にするという技術や制度のことです。
 月尾が例としてあげているのは、マイカーをやめてバス輸送にかえたある都市の話や、少ない電力でより明るい光を得られる技術の話です。
 新しい時代の「物質的生産力」とは、まさに、このような姿態をもっているにちがいありません。


 ぼくも共産主義講義のなかでこうした月尾の統計や数字を多数つかわせてもらいました。(くどいようですが、ぼくはソ連は共産主義でも何でもないと思っていますし、共産主義とは市場をいかした経済であり、国有化や統制は共産主義の定義と関係ないと思っています。くわしくはこちら

 そう、「世界は成長ではなく縮小を礼讃する文明へと転換せねばならない」というのが筆者の結論です。経済にたいする社会的理性の発揮という、月尾の態度は、まさにぼくは、共産主義的な萌芽をもっているとおもったのです。本人にそんな気は一切ないでしょうが。しかし、月尾はなぜか唐突に「あとがき」で、自分の著書はマルクスの『資本論』の1ページにも相当しないが、と謙遜をしながらマルクスへまなざしをむけています。

 月尾がつきつけた事実は、まさに、エネルギーや資源の問題だけをとってみても、それは社会の理性的管理へとみちびかざるをえないという真実です。マルクスの生産力概念は、ここでは、単純な富の拡大再生産の力能ではなく、自然自身とうまくつきあい、むきあっていく能力のことです。

 共産主義社会で「物質的生産力が花開く」という場合、エネルギーの徹底省略とのもとでの技術、制度、精神になるにちがいないと、本書をよんで思いました。


『縮小文明の展望 千年の彼方を目指して』
東京大学出版会 2004.3.5記
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