読んだ本、見た広告などの短評
2005上半期

できたらもう少し長めに書きたいものもありますが、とりあえず短評にしています。あとで長めに直すものもあるでしょう。
●=漫画、○=漫画以外の本、▲=広告、△=その他・分類困難
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木尾士目『げんしけん』6 ●

げんしけん 6 (6)  荻上の魅力全開。咲に篭絡されながら髪をほどいてついにコスプレしてしまう様は、たまらんなあ。それと「げんしけん」メンバーでBL妄想って……。あの、腐女子のみなさん、そんなこと日常的にやってらっしゃるんですか?

 そこから連鎖的に妄想してしまったことなんだけど、『げんしけん』男性メンバーの「電車男」度について(田中を除外)。

●斑目……ありそうに見えるが、本巻32話「フタリノセカイ」での咲との回転寿司シーンにみられるとおり、エルメス役の女性がヲタク化しないかぎりこの男の「本気」は起動しない。つまり「電車男」から最も遠い。

●久我山……田中と同じで、何かに秀でたヲタはヲタ文化のなかに深々と浸かっているのであって、“そこから脱出しようともがき、別のファッションをめざす”ことはない。斑目ほどではないが、やはり「電車男」からは縁がうすい。

●笹原……世の『電車男』漫画は大なり小なり笹原をモデルにしているにちがいない。だが。もはや笹原は微塵もヲタカジからは脱出しようとはしまい。もう彼に迷いはないはずだ。したがって笹原は「ヲタである彼女」以外は考えられない。

●朽木……データ不足。

 ∴斑目・久我山・笹原は「電車男」たりえない。

 「電車男」はヲタファッションを否定しながら、ヲタ道をやめなかった。さすれば、それはまさにコーサカではないか。となれば、「コーサカ=高度に成熟したその後の電車男」ということになる。

(講談社アフタヌーンKC/以後続刊/2005.6.26記/1巻の感想



綱島志朗『ジンキ―人機―』1〜2 ●

ジンキ~人機~ 1 (1) そうかあ、チャベスが倒したベネズエラ政権は1988年の段階で、古代人機とたたかうための秘密組織アンヘルを組織していたんだあ。

 小沢さとるのところで少し言いましたが、こういうロボット戦闘ものや、軍艦戦闘ものというのは、各筐体がどこに位置し、相手とどういう位置関係にあるかが読者にイッパツでわからないとホントに致命的です。戦闘シーンは何がなにやらわかりません。

 細かく描くという行為が逆にアダになっております。

(マッグガーデン/以後続刊/2005.5.25感想記)


ちばあきお『キャプテン』 ●

 実家の倉庫から引っぱりだしてきて久々に読む。
 人さし指を曲げて話す仕草、手のひらをだし提案するポーズ、決まった擬音・擬態語――ちばあきおの野球漫画はいくつかのコマのパターンの合成で漫画をつくれる。すべてが様式美ともいうべき安定の中にある。にもかかわらず、こんなにも面白い。

 ぼくがいまプロ野球を見ているとき、さまざまな音を自分の頭の中でちばあきおの擬音に変換して見ているなあ、とハタと気がつく。

 ではクイズです。次の擬音はちばあきおの野球漫画では何を表しているでしょう?(正解は右に反転させてあります)

1) カキ カキ ネクストバッターズサークルで素振り
2) シャッ   ピッチャーが投球
3) パタパタ  ロージンバッグをはたく
4) ポーン   打球がスタンドへ入る
5) クク    投球が変化する瞬間
6) カチャカチャ本塁打で打者が塁を回るスパイク音

■正答率診断:

  • 0……野球漫画を読む資格なしです。
  • 1〜2……遠い昔、ちばを読んだことがある人ですね。
  • 3〜5……イガラシの弟の名前も言えますね。
  • 6……こういってはナンですが、世界にはもっと頭を使うべきことがあるということも知っておいてください。


ちばあきお『キャプテン』集英社文庫/2005.4.22感想記)


田中圭一『死ぬかと思ったH』 ●

 名作「死ぬかと思った」シリーズを田中圭一が漫画化。
 田中圭一を知らなくても、社会では十分生きていけるし、いやむしろ知らない方が立派に生きていける。知らなかったあなた、お天道様のあたる道を歩いてますね。
 田中は神様・手塚治虫のペンタッチから字体にいたるまで、オリジナルと区別がつかぬほどに模倣し、そのままエロいバカなことをやっている、神をも恐れぬ不届き者である。あと、本宮ひろ志、藤子不二雄、池上遼一、永井豪のタッチも織りまぜて大馬鹿をやらせている。田中の死を願う手塚信者は十万人はくだらないであろう。

 あとがきで田中が書いているように、もともと読者から投稿してもらった「死ぬかと思ったHなエピソード」だけでも十分に面白いので、それをコミカライズするのは、余計なことというか、逆にもとのエピソードの面白さを殺してしまう危険がある。その意味で、無駄なタイアップように思われた。

 と思ったけど、やっぱり手塚や本宮の絵柄でこれだけ馬鹿をやっていると、そういう危惧などどこかへ吹っ飛んでしまった。
 「尻に火をつけられ火柱が」とか「こんにゃくオナニーで大やけど」とか「イソギンチャクにいちもつを突っ込んで大怪我」とか、「掠奪婚のあと即離婚」とか「間違えて恋人の母親にエロ馬鹿ラブメールを連続送信」とか、生きていく上では知らなくてもいい馬鹿話が炸裂。田中圭一は心底大馬鹿野郎だと確信したのだが、漫画以上に、漫画のあいだに入る林雄司とのバカトークはさらに馬鹿度が高い。

 こんなものを読んでいてはいけません。

 かつていしかわじゅんは、手塚を模倣する前の田中を評して「ちょうどいい異常」とのべたが、孤高の狂気にもいかず、平凡な「異常」にも堕さない田中のセンスは、いま開花しているのである。

『死ぬかと思ったH』(アスペクト)/2005.4.14感想記)



公明党の都議選政策 △

 治安と防災を重点政策のトップにもってきた。(報道はここ
 都がおこなった世論調査で、「都に望む施策」として今年いきなりトップに躍り出たのが「治安」である(毎年「高齢者対策」だった)。そういう点で、公明党がまず治安と防災をもってきたのは目ざとい。

 ところで、その重点政策のトップの大見出しが、
「再び安全神話の復活を!」
となっているのである。

 「神話」て、あんた。

 「神話」とは、「実体は明らかではないのに、長い間人々によって絶対だと信じ込まれ、畏怖や称賛の目でみられてきた事柄」(大辞泉)、「人間の思惟や行動を非合理的に拘束し、左右する観念や固定観念」(大辞林)だ。

 安心そのものではなく、安心「感」が大事だというのはどうなのか。意識から独立した外的現実ではなく、「信じ込まれ」「非合理的に拘束」することが大事なのだ、という目も当てられないメッセージ。

 「拝み屋の本領発揮」とか言われないうちになんとかしてはどうでしょうか。(この党は、前回の参院選でも、神崎代表の年金未納事件があったあと、神崎が白州にひったてられて「知らぬ存ぜぬとは言わせめえ!」と遠山金四郎にツメられるTVCMが流れていたように、シャレにならない間違いが多い……)

2005.4.14感想記)



戸田覚『あのヒット商品のナマ企画書が見たい!』 ○

あのヒット商品のナマ企画書が見たい!

 タイトルどおりの本で、ヒット商品の発明秘話というのはよくあるが、本書のうちだしの眼目は、それを加工しない「ナマの企画書」そのもので読者にとどけようというもので、あざといとは思っても、やはり一度は「ほほう」と思ってのぞいてしまう。表紙に「社外秘」などと打ってあるのも、そういう「のぞき見」的好奇心に訴求しようとしているからだろう。

 むろん、企画にたずさわる人なら、もっと直接に「だれかの見本の企画書が見てえ」と思うわけで(すでにそんな欲求を抱く時点でダメなのかもしれんが)、そこをねらっている。

 だがやはり、企画書そのものを読んでも、シロウトのぼくらにはよくわからないというのが実際のところで、けっきょく付属のインタビューや取材記事が面白いのである。「ナマ企画書」というのは本書を開かせるためのひっかけにすぎない。

 面白かったのはやはり冒頭の「ぴちょんくん」。家電の冷暖房分野ではまったくシェアがないダイキンがなぐりこみをかける話が読ませる。また、新奇なデザインの携帯電話であるインフォバーの話も、あえてマーケティングを無視することで抜けだせたという話などが面白い。
 キューピーの「メロンパン風トーストスプレッド」というのは、「食パンを菓子パンに変える思考」という、まさに発想の転換の産物。その読み物としての楽しさとは別に、「それ食ってみたいな」と思っちゃったりして。
 ロッテのトルコ風アイスなんかは企画書読むと「いまトルコが話題になってます!」とか書いてあって、「少ない資料を必死で取り入れている部分が泣かせる」などと解説がしてあり、苦笑。なんかそういう企画書でもいいのかいな、やっぱり企画書だけじゃねえな、とか逆に思ってしまったりもする。

(ダイヤモンド社/2005.4.8感想記)


こいずみまり『渋谷ガーディアンガールズ』1巻 ●

渋谷ガーディアンガールズ 1 (1)

 そういえば、「ガーディアン・エンジェルス」(ボランティアの自警団)にたいする違和感を、大塚英志が『戦後民主主義のリハビリテーション』で表明していたよなあ。

 本作は、着想のヒント以外は、それとは何も関係ない。
 三島女学館というお嬢様学校に通う女子高生の佳奈と美々雨が、学園の裏組織である「三島機関」に雇われて大小の悪を「ぶちのめす」というお話。

 ミステリアスな長い黒髪の少女と、行動的でややドジな少女という、定番の組み合わせ。ぼくは、こいずみの描く女子高生がかわいいという理由だけでボーッと最後まで読んでしまった。
 まだ1巻なのでなんともいえんのだが、ストーリーの展開自身にはさほどノレない。キャラだけを愛しく見つめておりまする。

 こいずみは、こういう「おはなし」をつくって、そこにキャラをのせていくというのは、どうもあまりうまくないのではないか(『LET IT BE』とか)。物語が進むにつれ、話がただ込み入るだけで「収集がつかなくなる」という印象だけが残ったりする。
 『健全恋愛ライフ』とか『レイとルリのスイートライフ』みたいなもののほうがいいと思うんだが。いつまでもそれだけじゃいかんってことでこういうのを始めたんでしょうか。当惑。

(小学館/SUNDAY GX COMICS/以後続刊/2005.4.6感想記)



森薫『エマ』5巻 ●

エマ (5)

 エマとジョーンズのハワースでの再会を、最高度に劇的な演出で描写。いいねいいねとヨダレを垂らすぼく。
 が、やはり、会いたい気持ちをずっと手紙でやりとりし続けるという描写の連続がぼく的には、もうまいってしまいそう。
 理知のかたまりのようなエマが、まるで狂ったかのごとく「会いたいです とても会いたいです ハワースでもロンドンでもほかのどこかでも どこだってかまいません 今すぐに会いたいです」と綴るその描写に、ヲタであれば萌えいでか!

 しかし、直前に『撲殺天使ドクロちゃん』(漫画版)を買って『エマ』と併読したのは大失敗。ピザと日本酒または刺身とブルーハワイという食い合わせをしたみたいで、きもちわるい……。

※『エマ』1〜4の感想はこちら
(エンターブレイン/BEAM COMIX/以後続刊
/2005.3.30感想記)



安野モヨコ『シュガシュガルーン』2巻 ●

シュガシュガルーン 2 (2)

 「目はマンガの表情描写の核をなすもの」(夏目房之介)である。「なかよし」「りぼん」系の少女漫画では目が度はずれて大きく描かれる。安野の漫画は青年誌ものではかなり大きいほうだと思っていたが、「なかよし」誌のなかでは「ふつう」である。しかしやはり、安野は「目」にモノをいわせる。他の作家たちとくらべても、本作でも目を効果的に使っていると思う。主人公ショコラの動きや仕草、情緒が、最終的に目に集約され、実に生き生きしたものになってくる。

 ただし、魔法や魔界という世界にはどうもなじめん。ショコラの動きがいくら生き生きしていようと、山のように出てくるアイテムや、陸続とくりだされる小設定にやや辟易。過剰に恋愛の寓意を重ね過ぎた「ハートを取る/取られる」という設定にも興味がもてない。ぼくのハートはピックアップされませんでしたとさ。

 まあでも、小学生がこのほうが楽しいのならいいんですよ。別に、三十代の男ヲタクを楽しませるために描かれた漫画じゃありませんからーッ! 残念ッ!

(講談社KCなかよし/2005.3.18感想記)



陽気婢『内向エロス』4巻 ●

 自分自身とのセックス、年上(しかも母親)とのセックス――ヨウキヒズム全開の1冊。
 1〜2巻までの実験的色彩がやや退潮し、快楽を追求する安定したスタイル。やりたいことを捨てて読者へにおもねったか、という危惧をもったが、あにはからんや、「4巻にいたっては趣味性の爆発」とあとがきにある。これがあなたのやりたいことであれば、それは読者の需要とぴったり一致する。やりたいことが仕事になるんだよ! このご時世ですばらしいことじゃあないか。

内向エロス 4 (4)
内向エロス 4 (4)

※『えっちーず』、『内向エロス』1〜3巻の感想はこちら

(ワニマガジン社/2005.3.17感想記)



「経済」2005年4月号 ○

 「東京と財界戦略」特集。「ポリティーク」誌の特集「石原慎太郎研究」とあわせて読むと、いい。

 尾島俊雄(早大教授)に聞く「ヒートアイランド現象と都市計画」が個人的には役立った。ヒートアイランドはすでに19世紀から知られた現象だったが、日本でも1950年代から観測され、本来しないはずの都市構造だったのに基本的には冷房の普及で激化。近年のビルラッシュ、とくに汐留の開発がヤヴァイという話。
 興味をひいたのは、海風の冷房量の経済価値の試算で、5℃低い風なので、500万冷凍トンの熱量=1日40億円の冷房代で、真夏日の25日分で1000億円に相当する。
 「今からどうすんのさ」というむきにたいしても、尾島は風の道を管理して今からでもヒートアイランドの解決・緩和はできると独自試案を提言している。

 武居秀樹の世界都市論と石原都政の関連づけも面白かった。世界都市論がもともとサッセンやフリードマンの提唱だったことをすっかり忘れていたぼく。

(新日本出版社/2005.3.9感想記)



山本ルンルン『マシュマロ通信』1 ●

マシュマロ通信(タイムス) (1)

 いかーん!
 なんてすごすぎる漫画家だ。
 『シトラス学園』→『オリオン街(ストリート)』→『マシュマロ通信(タイムス)』と、全巻読破へ驀進中である。テレビアニメ放映&「朝日小学生新聞」に連載のこの漫画家の漫画を、メシ屋で読みふける不審な30代男性がいます!って通報が。

 とくに動物の造形が抜群。NOVAうさぎを毎晩抱いて寝ているぼくは、笑いながら駆け回る「ウサギイヌ」と、魂を与えられたヒツジの人形「クラウド」の、たちまち虜に。(『シトラス学園』にある、切ると無限に増殖するツチノコにもキタ!)
 パーティ用につくったジャケットを着たクラウドったら、なんてかわいいの! 「え……えへ……にあう?」。

 ああ、似合う、似合うともさ!

(JIVE/1〜6巻/以後続刊/2005.3.4感想記)



近藤ようこ『移り気本気』 ●

 短編集だが、前の話の脇役が次の話では主人公になるという形式。

 仕事をやめて淋しさを感じる主婦、キャリアの道を選び恋に失敗した女性、愛人に夫をとられた掃除婦、専業主婦ゆえに割を食っていると感じる女性……など11人の女性をめぐる「不仕合わせ」とその克服・受容を描く。

 四十代の女性が再婚するさいの息子の反発を描いた第九話は、冬目景を思い出す。再婚相手の男が、本当の父親とまったく同じことを言って、感動を覚えるというシチュエーションは、冬目『イエスタデイをうたって』にもある。
 ただ、ここでもやはり冬目と近藤の差が出てしまう。
 冬目のほうは、娘の名前(野中晴)について、再婚相手の男性が、「呼んだだけで穏やかな気持ちになる」というだけ(しかも娘は結婚に反対していない)。きわめて静的で、どちらかといえば貧相な物語の構成である。
 これにたいし、近藤は、息子が母親に屈折した愛情をもち、それゆえに再婚相手に強い反発を抱いていることをまず描く。そのうえで、亡き父親が「おかあさんは笑うと目がたれ目になってかわいいだろ やさしい顔になるだろう」と言ったのとまったく同じことを再婚相手に言わせ、緊張が一気に緩和していく様をていねいに描く。
 物語がすぐれて躍動的に仕組まれているのだ。

 どの短編も、30以上の人なら、しみ通るようにわかるはず。それ以下のお子ちゃまは、うちに帰って寝た寝た!

(青林工藝舎/この本をAmazonでみる/2005.3.3感想記)



犬上すくね『ラバーズ7』3 ●

 女子卓球部長・岩永まみ子が登場し、俄然調子がかわる。
 いいねえ、いいねえ。
 岩永のほうが、主人公格の添野なつきよりも断然いい。
 とくに、今どきヘアーバンドが! 
 つか、年上的、しっかり者的、知性的なものを湛える存在にたいする、ぼくの単なる性的嗜好?
 いやぁ、やはり、岩永というライバルを配することで、なつきのジェラシーや思いがぐっと印象的にうかびあがってきたのだ。展開を変えて成功。いままでの展開では、なつきが森岡に何か感じているのかどうかほとんどわからなかった(オーソドックスな展開への転換というか)。あのままでは恋愛の話として発展しようもなかったであろう。

(小学館/サンデーコミックスGX/2005.2.25感想記)



ひぐちアサ『おおきく振りかぶって』3 ●

 『巨人の星』『侍ジャイアンツ』そして『ドカベン』、『アストロ球団』へといたる漫画&アニメを見ていた人間にとって、野球は「個人技」であった(いま、ナンか違うものが一つまざった気もするが……)。
 ちばあきお『プレイボール』が子ども心に衝撃的だったのは、野球とは戦略をもって、チームでやるものだということを教えられたから(そして、自分が魔球を投げられるかどうか、すなわち自分の能力だけではなく、対象を研究してこそ戦略がうまれるのだという科学的態度も)。

 少年漫画の枠のなかにあった野球漫画は、「勝負」にしか関心がなかった。「相手校」との対抗に目を奪われ、「個人」と「チーム」という二つの対立項は、せいぜい相手校との対戦において自陣営がかかえる「不安定要素」という扱いだったのではないか。

 ところが『おおきく振りかぶって』は、「個人」と「チーム」を正面から扱い、むしろ相手校との対戦は、その両者の統一の成熟ぶりをはかる測定器でしかないように思える。むかうべき相手はチームメイトであり、自分である。
 3巻では、武蔵野高校の榛名という、究極の「個人のためにプレー」するキャラを配置する。プロになるべく、体を守るために1試合80球という上限をどんなことがあってもくずさない。たとえチームがいかなる危機に瀕しようとも。
 かつてバッテリーをくんでいた阿部は、大ピンチなのに80球投げてマウンドを降りる榛名に呆然とする。「オレ なんのためにここに居るんだ? オレ なんのためにあいつの球 捕ってたんだ?」。
 人間の共同は、個人の輝きなくしては描きえない。そのあたり、ひぐちがどう今後描いていくのか。

 ところで、アストロ球団は、「人間ナイアガラ」をみると、あれこそ究極のチームプレーだったのかしらと今迷いが生じているのだが……。

(講談社/アフタヌーンKC/1巻感想はこちら/2005.1.25感想記)



新井葉月『少女生理学』 ●

 少女漫画の短編集。というよりは(エロゲー)−(エロ)のような、現実的根拠の薄い、リリカルな妄想がふんだんに。どこにこういうものを読む需要があるのか、不思議。タイトルがアレかもしれませんが、あの、ほんとにどこにもエロなんてありませんので。はい。
 エロゲーユーザーにとっては、エロは二の次で、そこにあるピュアな少女の物語を読み、その少女を攻略したがっているのだ、という小論文を「新現実」誌で読んだような気がするのだが(たしかvol.2のササキバラ・ゴウ論文)、もしそうだとすれば「アクション・ピザッツ増刊」にこのような漫画が掲載されている意義とは、現実からあらゆる根を断ち切って紡ぎだした純正ピュアな――少女漫画さえ凌駕するピュアさで――物語にキュンとしたいという人たちがいるということなのかなあ。
 歴史(=現実)の豊かさと切断された二次元の性と、歴史(=現実)の豊かさと切断されたピュアな物語は、実は双子なのだ。

 ちなみに「Little Fragrance」という短編で、主人公の男の子が女の子に「御園生って なんか赤んぼみたいな匂いがするのな」というセリフは、水木しげるの『水木しげる伝』戦中編を思い出させる。
 南方の島で爆撃をうけ片腕を失って瀕死となった水木が、原住民によくしてもらっているうちに回復し、「切った腕からかすかに赤んぼの匂いがする…」と感じるくだりがある。水木はそれを「生命が守勢から攻勢に転じたのかなあ…」と感じる。
 新井の着眼点は面白かったが、表現は水木に遠く及ばなかった。修業が足りん。

(双葉社/アクションコミックス/2005.1.11感想記)


安永知澄短編集『あのころ、白く溶けてく』 ●

 あいかわらず全体は、読んでもよくわからん。
 しかも、呉智英やしりあがり寿、森薫などの文章や対談を載せたりしてあるあたりがさらにわからん(森との対談は、同時発売の『やさしいからだ』2巻のほう)。出版社的には力を入れて売り出したいということか。バックアップが過剰と思えるほどだ。

 その中の一つの短編「ももこの禁止生活」がよい。主人公ももこの分厚いクチビルと、この世界に根拠をもたないかのような弱々し気な目がいい。一度見たら二度と忘れぬ、すぐれた造形。
 そして、リアルを得ようと、本を捨て知識を捨て、近所のキャベツ畑のキャベツを盗んでかじるという挙に出たその有り様は、ぼくらの世代の見事な戯画化だ。そんなにリアルがほしいか。生きている実感がないか。
 ももことは、ぼくらである。
 ははは。ばっかでー。

 あとは、短編「待ち人」が気に入った。ラストで泣きじゃくりながら戻ってくる須磨の頬に、うれしそうに手をそえる君代に萌える。
 しりあがりから「一番『作ってる感』があった」「読者的にはこのくらいやったほうがいいんだよ」「一番面白いっていえば面白いんだけど」などといわれている作品。
 へっ、おらぁ、どうせ俗な人間だよ。

(エンターブレイン/ビームコミックス/2005.1.8感想記)