読んだ本、見た広告などの短評
2005下半期

できたらもう少し長めに書きたいものもありますが、とりあえず短評にしています。あとで長めに直すものもあるでしょう。
03年短評 04年上半期 04年下半期 05年上半期
メニューへもどる

小川彌生『きみはペット』14

きみはペット 14 (14)  完結。結末は、ぼくの予想全然ちがいました。くそ。どうなっておるのだ。

 モモをダンサーとして自立させることで「ペット」的地位から脱出をはからせ、「ペットという関係を都合よく利用してるんじゃなくて自立した二人のオトナの関係として結末づけたのYO」という弁解をしてみせた作者だが、ペットとしてのコミュニケーション期間が二人の親密さの基底をしめていたことはまぎれもない事実だろう。どうよ。やはりペットが必要なんですねそうですねはいはいわろすわろす。スミレの鏡像である蓮實にまでペットをあてがいやがってこの野郎……。

 「高学歴で自分をさらけだせない女性が、似た境遇の男とはうまくいかず、自分を解放できるペットの男性といっしょになる話」ということでまとめさせていただいてよろしいでしょうか。お客さま? (別にこの作品の評価を低くみているわけではない。念のため)

 いずれにせよ、この巻は蓮實に始末をつけるためだけの巻で、それ以外はストーリー上はまったく「余計」な巻であった。お祖父様が「刺客」を放つってどういう……。遊びすぎ。


 (講談社KC Kiss/05.12.17記)


花沢健吾『ボーイズ・オン・ザ・ラン』1

ボーイズ・オン・ザ・ラン 1 (1) 20代後半の男性サラリーマンの仕事と恋。
 即座に新井英樹『宮本から君へ』を思い出す。

 まず筆遣い。このテーマで花沢が女性を描くと、ものすごく『宮本から君へ』の女性っぽい。さらにこの暑苦しさ。汗。きわめつけはライバル社営業のさわやか男。もうすっかり『宮本から君へ』。

 もちろん1巻なので、同書と比べてどうとかナニとかは、まだ全然なんともはや。
 虚心に1巻だけ読めば、会社の同僚の女性(植村ちはる)に接近していくプロセスが楽しい。
 「植村ちはる」という形象は、むろん妄想。20代後半男の欲望の産物。しかし、ありえないくらいにリアルな妄想だ。好奇心でラブホいっしょに入って、何もしない約束でいっしょに裸でフロ入るって、そりゃお前、妄想だろう。しかしその妄想を最高度に現前性あるものに仕上げた花沢はエロい。いやエラい。20代後半の男はこの妄想で確実に死ぬ。死んでしまえ。 ※3巻までの感想はこちら

(小学館ビッグコミックス/1巻/以後続刊/05.12.2記)


嬢王 1 (1)倉科遼・紅林直『嬢王』

「男の精液を飲める女は
 男を本心で愛してる証拠と
 聞いた事がある……
 それほど俺の事を思っているのか?」
           (2巻p.172

 ちょwwwwwwおまwwwwwwwwwwwww

 キャバクラ三国志みたいな話なんだが、IT会社の社長が会社の朝礼みたいなとこで全社員に自分の通いつめるキャバクラ嬢のところへいくようカネ渡して指示したり、社長が「誠意」をこめてそのことを朝礼で社員に話す姿勢に社員が胸うたれるとか、
 その会社マジヤバスwwwwwwwww
 グランドワロスwwwwwwwww

 ※作者の自覚的表現ではあるが

(集英社ヤングジャンプコミックスBJ/1〜3巻/以後続刊/『嬢王―じょうおう―』/作・倉科遼 画・紅林直/05.11.20記)


大橋禅太郎『すごい会議』

すごい会議−短期間で会社が劇的に変わる!  かんたんにいうと、会議改革の本。

 会議の進行から方法までを仕切れる人でないとなかなか使えない。こんなふうに会議を根底から変えようと会社で言い出す勇気はないなあ。ただし、発想法の中身は人によっては使えるだろう。
 この本ではまず「電球がついている」というところからでもいいからなんかプラスに獲得したものを数え上げることから始めろ、といっている。
 組織左翼のばあい、最初に「いま自分たちがどんな到達をきずいているか」というのはよくやる、つうか実によくやる。闘争がうまくいきませんでした、国民は馬鹿だ、日本は右傾化だ、あーあ、みたいなところから会議が始まっちゃう組織も多いからねえ。
 「現実のなかにある発展の萌芽に目を向ける」というのは唯物論的だと思うが、たんなる「前向きポジティヴ」術であればヘタをすれば現実をみない意識操作、プラグマティズムに。

(大和書房/『すごい会議−短期間で会社が劇的に変わる!』/05.10.26記)


石川雅之『もやしもん』2

もやしもん 2 (2)  人類が開発した最高の媚薬は酒だ、と。

 同じ研究室に似たようなボンテージが似合いそうな美女を3人も出す。石川センセイ、好きなんだ。好きなんですね。
 この点にかんしては、たとえば赤松健のように「いろとりどりの美女をそろえました」程度のキャラ分割の配慮すらない。好きなものを好きなだけ量産。ペン一本で無限に生産できる! 漫画家って夢のような職業ですね。作者はこの3人とセックスしたがっている。

(講談社イブニングKC/1巻の感想はこちら/2005.10.23記)


三田紀房『ドラゴン桜』10

ドラゴン桜 (10)  水野が、受験秀才の大沢に「なぜそんなふうになれたのか」を聞く話は思い当たるふしがある。

 大沢は「ウルトラマン」だと答える。母親がウルトラマン図鑑を買ってきて楽しくてそればかり読んで全部覚えてしまった。それから、自動車、エンジン、宇宙、国旗、虫……とランダムに関心をもち、それぞれのものに没頭したのだと。「もし……ウルトラマンの知識なんてなんの役にも立たないって買ってくれなかったら 全然違ってたんじゃあないかなあ……」。

 これは大学の「一般教育」の役割と同じ機能を果たしている。大学の一般教育は人文科学や社会科学、自然科学などの科目の基礎をまんべんなくかじらせるわけだが、経験的には味のうすい退屈な概論をただだらりと押し付けられているだけという印象がある。専門馬鹿になってはいけないのでいちおう広くやるのだろうか。そうではない。それなら高校までの教育でいい。

 本来、一般教育は自分の専門以外の学問に具体的につきあい、掘り下げてみることで、自分の専門では味わえぬ自然観や社会観を肌身で感じることができる。そしてそこから学問に共通する自然観や社会観をも逆に習得していくことができる。現状はまったくそうなっていないが、それが本来の大学の一般教育の役割である。

 ウルトラマンという虚構に没頭している子どもは、そこでウルトラマン的世界を多様な角度からなめまわし、ひとつの世界観を手に入れる。それは自動車への没頭でも、宇宙への没頭でも同じである。そしてある瞬間、まったく思わぬ角度からそれらが連結したり、影響しあったりして、さらに高次の世界観へと発展していく。

 この「ウルトラマン」という答えはなかなか奥が深い。

(講談社モーニングKC/2005.10.21記)


秋山はる『すずめすずなり』1

すずめすずなり 1 (1) コーポ白百合というアパートの住人の生活を描く。その中核になっているのが、26歳サラリーマン橋本と大家の娘で部屋の住人でもある女子中学生・多恵子との恋愛もどき。多恵子はメガネ、ショートカットで、そのメガネもでかくてダサそう。部屋着も色気ゼロだし。が、そのダサさとマジメさがイイというわけ。メガネのマジメ女子中学生と恋愛するつう欲望の体現なわけだが、この作品はその欲望核のまわりに、さらに大きな欲望の外郭をかかえている。

 コーポ白百合は朝みんなで食事をする、という条件だけが備わったむちゃくちゃ安いアパートだ。この朝食という儀式を軸に、このアパートには連帯感、共同体的な感覚がうまれる。
 ふつうアパートには連帯感も共同性もない。だからこれ自体が巨大な妄想なわけだが、そういう巨大なものを構築しても手に入れたい欲望の一つではある。なんとなくヌルくて居心地がいいから。だから、ヌルい日常をヌルく描くほどに、読んでる方はヨダレが止まんないだろう。この作品ではホントどうでもいいようなことしか起こらない。だけどそういうヌルくて居心地のいい共同体が、都会生活ではほしいわけである。

 これ、現実にいまぼくのアパートでやったらどうなのかな……。住んでるやつら(4人)は、ぜんぶ何やってるかワケわかんないやつら(オレふくめ)ばかりだし(昔は泥棒が住んでいて逮捕されたことも)、女性なんか1人もいねーし(1年前にいたが、毎夜題目を唱えるばーちゃんだった)、会ってもあいさつもしねーし、そんなやつらと朝飯食うなんて想像さえできねえ。
 自分がリアルで構築しろといわれたら、うっとおしくて仕方がないのだが、でもやっぱりほしいというのが共同体というものだろう。本で読んでいる分がいちばんいい、という御仁にピッタリの一冊。

(講談社アフタヌーンKC/2005.10.20記)


藤井みつる『官能小説』5

官能小説 5 (5)  1〜4巻の感想はこちら。20代末の「小局(こつぼね)」と揶揄される女性(藤森彩)のオフィスラブで、年下の彼氏(椎野)の副業はエロ小説家という本作。それもこの巻で終わり。終わってほしくありませんでした。もうちょっとエロいところとか、ラブいところを見ていたかった。
 椎野が浮気をして謝るシーン。許してくれるためならなんでもする、どうすればいいんだ、と土下座。藤森のモノローグ。「わからない どうすればなんて 椎野くんがどういう人かもわからなくなってるのに」。
 「浮気」とは、それまでどんなに信頼の積み重ねとか心の交流があろうとも、それが「その人むけ」のパフォーマンスでしかなかったことを強烈に暴露するものだ。相手が「どういう人かもわからなくなっている」というのは、浮気を知った側からすると、ものすごくリアルな感情ではないか。浮気されたのに相手を信じている人というのはバカなのだと思う。
 離れて暮らしているつれあいに、「ねえねえ。もし、あんたが明日起きて、新聞でぼくと伊東美咲の結婚がいきなり報道されてたらどうする?」とぼくが聞いたら、「さー。あたしの知っていたあんたというのは、本当のあんたじゃなかったんだなー、と思って、もうあんたのことはあたしの人生から完全にデリートすると思う。悪い夢を見たと思って」とさらり。
 うーむ。

(小学館プチフラワーコミックス/2005.10.19記)


久世番子『暴れん坊本屋さん』1

暴れん坊本屋さん (1)  本屋の労働を描いたエッセイ。評判にたがわず、爆笑した。本屋は、職場と自宅についで、ぼくの1日の滞在時間が多い場所である(その次にコンビニかな)。大きな本屋に寄ることが多いので、その労働はどんなものかいつも気になっていた。
 笑ったエピソードは次のとおり。

  • レジでエロ系をさばく心理。とくにBL系の羞恥摩擦回避術は勉強になる。いや、ぼくがってことじゃなくて、一般的にね、ほら。「レジ前羞恥プレイ」は、あのコマの絵柄もふくめて萌え。
  • 本や雑誌のタイトルを忘れた客がとんでもなくイキな誤タイトルを“創作”してしまう話。ぼくもよくやります。作者も! タイトルも! そして中身さえおぼろげ!(なぜそれで特定の本だと認識できるのか不思議)。スーザン・ジョージ『なぜ世界の半分が飢えるのか』だっけ? 『世界の半分がなぜ飢えるのか?』だっけ? 『地球の半分がどうして餓えるか』だっけ?
  • 盗撮犯のエピソード。たしかにスゲエ…。
  • 「大人気!」「いきなりブレイク!」というアオリの実態。やっぱり? やっぱり? ぼく、あれに弱いんです。くそ。
  • 子ども絵本売場。キャンディーくわえたヨダレが絵本を浸食していくアレってどうするのかと思っていたのだが。

 本屋の労働というのは、世の中では「平凡」な部類に入ると思うので、ひょっとして他の「平凡」な職業でもこういうエッセイ漫画がもっと描けるはずだ! と思ったのだが、しかしやっぱり本屋が本読みにとっての「公共空間」だからこそ発生した笑いなのかなあと考え直したりしてみる。

(新書館/2005.10.15記)


武野繁泰『炭焼物語』

炭焼物語 昭和30年代、和歌山県の山中での炭焼きの生活。蘊蓄漫画じゃなくて古風な記録文学の漫画化。炭焼きって、ずっと一人でする労働なんだなあという強い印象。ま、家族労働でやるケースもあるんでしょうけど。
 原著者が他の炭焼きから聞いた、「炭焼きは儲けはええけど 朝早くから陽の暮れるまで働き夜もおちおち眠れんと火番をして いうなれば身を削っての稼ぎや 若いあいだこそええが… 年とってからまでするこっちゃないよ」というセリフ。
 年金などの社会保障もロクにない時代というのは、これらの人々は老後どうしたのだろう。などと野暮なことが気になって仕方がない。
 こんなことを思い浮かべるのも、読んでる間「自分がもしこの仕事をしたら」という気持ちで読んでいたせいだ。

(原作・宇江敏勝/青林堂/2005.10.1記)


木村千歌『マイニチ』

 10年以上も前の木村のエッセイ風短編漫画の巨大集合体。400ページもあります(笑)。わかれた彼氏とダラダラつきあう話で、二ノ宮知子『平成よっぱらい研究所』なみに飲みまくる(木村の女性主人公キャラって、飲むと正体がなくなるのばかり……)。

 彼氏(「とーた」)は、なんの取り柄もいいところもひとつもないと、ダメ男のぼくでさえ思えるほどのダメ男ぶりで、日がなゲームばかりしているとか、飲んでゲロするとか、公然と屁をするとか、チチを揉ませろとか、やらせろとしつこいとか、フーゾクにいっていたらしいとか、そんな描写ばっか。

 東京での生活は何一つリアルとは思えない主人公が「この一杯の酒と とーたのどうしようもなさだけが 私の生活の中のリアルだ」という木村流のリアリズムなわけで、あきれるほどに自由奔放だった時代を、暴飲と「とーた」のデタラメさに仮託しようとした。

 だが…。木村の不倫モノほどには面白くない。かつ、とーたのデタラメさは、吐瀉物を眺めているような独特の生々しい不快さがあり、そんな生々しさを読む必要などどこにもないのだと、後悔するのは400ページを読み終えた後かもしれない。

『マイニチ』/久保書店/2005.9.26記)



立花晶『デジタルまんが生活』

 自分の体験や取材体験を、とぼけた文体と画風でお届けするという、立花のこのテのシリーズ、スキです。『ダイエット十番勝負』『まんが生活』などを買い、つれあいに送ったら怒られたことがありますが(つれあい的には「しょうもない漫画」だったので)……。
 2000年ごろに描かれたという事情もあって、今読むと古いのだが、いや、ぼく程度の万年初心者ユーザーには実はけっこう基礎的な知識をうめてくれるスグレもの。
 「ホームページの作り方」(このブログ時代に…)とか、「HDとメモリとCPUの関係」(こんな基本のことも知らんぼく…)とか、「デジタルでイラストを描く方法」(マウスでグリグリ描いているぼく…)とか。
 とくに「ただスキャンしても、フォトショップで色をつけても、世にあるイラストみたいにならないのはなぜーっ!?」と思っていたのですが、この本を読んでようやくわかりました……orz

 「手のりキリン」など、タイピング練習ソフトに出てくる例文は笑えた。

『デジタルまんが生活』/白泉社JETS COMICS/2005.9.26記)



石川雅之『週刊石川雅之』

週刊石川雅之
 石川の短編集。小咄のようなギャグから、フェチについての論文のような会話、シュールな抒情と、まったく脈絡のないごった煮。それが「石川雅之」なのだろうと、タイトルに得心。

 前に指摘したとおり、女性の顔だちが特徴的というか一様で、意志的で凛としている。それは『もやしもん』『人斬り龍馬』だけなのかなとおもったら、ここでもそうだった。この短編でも熱く語られているが「脚フェチ」であることと連関があるんじゃないか。脚へのまざなしは「美しさ」へとつながり、それは意志的なものや毅然としたものを引き寄せるからだ。つまり、脚の美しさと、顔だちの凛とした調子が実に親和的だと。って何書いてんだか。

 小咄みたいなやつもいいけど、ぼくは女性が主人公になったときの話の方が好きだな。
 自分の名前を正しく読んでもらえないということにこだわる28才の働く女性の話「ただそれだけで」がいい。芯がありそうなのに、なんだか疲れちゃって、という感じがたまんない。石川が一本調子にしか女性が描けないとしてもそんなことは全然ハンディじゃないね。だって、石川にはその種の女性への「愛」があるもの。(フェティッシュである、ともいう)

※『もやしもん』の感想はこちら
講談社モーニングKC/2005.9.24記)



木村千歌『Re:アイシテル』

 (ネタバレがあります)

Re:アイシテル  うわー、馬鹿。史上最大の馬鹿だね。
 不倫男性にいれあげて、捨てられ、恋々としてまたヨリをもどす。不倫男といちゃつくエレベータで不倫相手の彼女(正妻的存在=「ファースト」)にバッタリ遭うというド修羅場の描写がステキ

 前にものべたが、木村の描く男というのは、どれもとんでもないほどの身勝手さだ。自分とセックスしたあとのベッドにかかってきた「ファースト」からの電話にその場で出て「オレ様」的応対。その場しのぎの嘘。うすっぺらないたわり。
 なのに、木村はそれを糾弾調ではいっさい描かない。「あー不倫している時には、こういうオトコの身勝手がこんなふうに見えてるんだろーなー」というモードで木村は描いてくれる。そのかわり「ファースト」は徹底して意地悪く描かれる。ここまで描けるのは希有な才能。

 ぼくが高校時代の友人(女性)と飲んだとき、「30代の女はほとんど不倫している」という、「ほとんど」なる「噂話的統計学」を用いてのご高説を聞いた。「女としてみられる最後の時期だから」とかなんとか。このトンデモ説を補強する、不倫主体のメンタリティの解明が、木村の一連の不倫系著作であろう。どのようにして「搾取」されていくかがよくわかる。
 皮肉でもなんでもなく、木村が描出する不倫の精神の荒野はまことに見事としかいいようがない。すぐれた作家である。

 余談だが、木村は「Re:」に「リプライ」とカナをふっている。しかしメール発達以前から国際的な文書でアジェンダをしめすさいに、「Re:……」をという表現をよく見た。「〜について」を表す「Regarding」が原意ではないか。

※『ずるずるマイラブ』の感想はこちら
(秋田書店MIU COMICS2005.9.24記)



石田敦子『アニメがお仕事!』1〜3

アニメがお仕事! 1巻 (1)
 若いサヨたちの集まりにいくと、どこでも苛酷な労働の実態について話題になるが、ぼくが聞くなかでは、アニメ制作にたずさわる労働者たちの実態は一番凄惨な部類に入る。先日も使い捨て同然に「クビ」にされ、ボロボロになって「首」をくくろうと思って助けられた若い人から話を聞いた。

 本作はアニメの制作現場で働く、地方から親の反対を押し切って出てきた双子の姉弟の話。
 2巻でも出てくるのだが、これを単なる「女工哀史」のようにみるむきを作者は厳しく警戒する。劣悪な環境や才能についてのコンプレックス、見通しのなさと悪戦苦闘しながらも、あくまで夢や理想を失わないということをコアに話をすすめる。「劣悪な環境」じゃなくて「そんなにまでしてもアニメが好きなんだ」という気持ちを描きたいのだ。

 だっけどなあ……。絵柄からただよう、80年代感。そして70年代的友情を否定したところに生まれた80年代的人間関係感。ぼくはそんな人間関係が大嫌いです。こ、こんなにおたがい冷たいんですか。そうまでしないと、ギリギリの熱い気持ちは描けないものでしょうか。
 だとしたら、やっぱり異常すぎる。ここまで苦しまないと「好きな仕事」をしちゃいけないんでしょうか? 劣悪な環境をもっとストレートに告発しようよ。
 ……というほどにエッジの効いた(効きすぎた)作品だからこそ、佳作なんだなあといえます。

少年画報社/以後続刊/2005.8.30記)



国民新党の4コマ漫画

 サイト「伊藤剛のトカトントニズム」から知る。

http://www.kokumin.biz/manga-1.html
http://www.kokumin.biz/manga-2.html
http://www.kokumin.biz/manga-3.html

 笑った。
 心の底から大爆笑したという4コマは久しぶり。とくに、3番目の漫画の4コマ目は死ぬかと思った。


 政治指導者を「太陽」にたとえるというセンスは、「民族の偉大な太陽・キムイルソ○」という形容を思い出す。

(2005.8.26記)



氏家卜全『妹は思春期』1〜5

妹は思春期 1 (1) ぼくの高校生時代のような鬱屈した性欲じゃなくて、マジョリティー高校生のイデオローグとしての大馬鹿下ネタ4コマ。さすが「ヤンマガ」。

 果物の皮を剥こうとして果汁が顔にかかると「顔射されちった」とか、棒状のアイスを跪いてなめるとか、「アイドルっておしゃぶりがうまくないと売れないんだって」と、「べ」を「ぶ」と意識的にまちがえるとか、男子中高生の日常会話世界が山盛りなのだが、ポイントはそれをニキビづらの男子高校生でなく、すべて「かわいい妹」にやらせている点。
 ツッコミも「何でこっち向くの? 肩でしょ?」「おいおい!! 何買う気だよ」「死ねば?」など掲示板っぽいシャープで口に馴染む言い回しが満載。相当の手練とみた。
 ここまで正しく無比な男子中高生の下ネタ漫画はちょっとお目にかかれない。見事というほかない。感動すら覚える。なお、ことわっておけば、本書のテーマは「エロ」ではなく「下ネタ」である。などとそんな峻別を熱意こめて語るのもアレだが。


(講談社ヤンマガKC/以後続刊/2005.8.6記)