読んだ本、みた広告などの短評 2006年上半期

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志村志保子『女の子の食卓』2

女の子の食卓 2 (2)  食、食卓にまつわる人生のエピソードを集めた短編。
 2巻冒頭には、離婚した父親の新居を訪ね、そこで、もう自分たちの父親ではない父親を見てしまうという、ぼくが冬目景の感想のところで書いたような話が登場。その道具立てに「甘い麦茶」が使われる。自分たちの家庭の味ではない「甘い麦茶」を違和感なく飲み干す父親にショックを受けるのだ。

 いやー、微妙だなあ。
 1話完結で何がしかの感情を読者に残さないといけないから、「早く、うまく、まとめよう」という焦りがみえるのだ(ちなみにこの形式は1巻の終わりごろに定まったようだ)。ぼくは、安永知澄の短編集に「なにを描きたいんだかよくわからん」と苦情をいったはずなのだが、こういうふうに「わかりやすく」パッケージにされてもまた戸惑ってしまう。

 ぼくは1巻を読んだ時点で「もういいかな」と思ったのだが、2巻を買ってしまった。「わかりやすいもの」を読みたいという日もまたあるのだ。ある意味、立派なエンターテイメントである。

 ちなみに巻末の「犬」という付録短編は、さっぱりわからん(2001年の作品)。このようなわからん作品を描いていた作者が飛躍するために、こうした「わかりやすさ」を通過することは一つの必要な修業かもしれん。

(集英社 りぼんマスコットコミックス クッキー/2巻/以後続刊/2006.6.26記)


東村アキコ『ひまわりっ 健一レジェンド』1

ひまわりっ~健一レジェンド~ 1 (1) 「健一2号」すなわち興梠(こおろぎ)健一がカラオケで歌いだした曲が!

♪ こーれーはーっ
  葉の汁をっ吸ーうー アブラムシー……♪

 おれはこのギャグをもちだした東村を尋常じゃないと思ったね。これはもう20年以上も前のCMソング(花壇用駆虫殺菌剤「カダン」)だ。こんなモン覚えているやつがいったいどこにいるんだよ! しかもいまの「モーニング」誌読者に! ちなみに宮崎県出身者の同世代の友人に聞いてみたがこのCMソングを知らなかった(全歌詞はここ)。そりゃあ、ぼくだって、小学校時代、このCMソングを友人と歌ったものさ。しかし、妙に印象に残る(知らず知らずのうちに黒星病やウドンコ病について詳しくなる)くせに、決してメジャーではないのだ。大学時代も、東京に出てからも、ついぞこのCMソングのことなど話題にもならなかった。Googleで歌詞検索しても30件もヒットしないんだぜ。

 そんな狭すぎるストライクゾーンのギャグを、ページの隅っこの味つけではなく、「オチ」にもってくるとは! 東村は狂っている
 いや笑ったけどさ。

(講談社モーニングKC/1巻/以後続刊/2006.6.3記)


細野不二彦『電波の城』1

 ストーリーの説明ができん。うーん、中心のところだけいうと、つぶれかけた芸能事務所にアナウンサーの頂点をめざして一人の怪しい女がやってくるという話なんだが、幾重にも伏線があってそれがどうからんでくるのか、1巻ではさっぱりわからない。
 1巻が終わってもそれらの伏線がからみをみせないなどというぜいたくさは、まるで浦沢直樹のような傲慢さであり、大家である細野だからこそ許されるのだろう。
 物語としては面白いともつまらぬとも判断しきれぬまま、ぼくらは1巻を読み終えさせられるんだけども、それでもグイグイと引っ張っていく力をもっているのは、ひとえに主人公・天宮詩織の得体の知れなさだろう。
 『ギャラリー・フェイク』の三田村小夜子の高飛車性、そして『ごめんあそばせ』の鬼龍院ひな子をさらに定向進化させた怪物性、細野の主人公キャラに共通する英雄性をかねそなえた傑物キャラ・天宮は、ガラスに入れて愛でていたいすばらしさだ。リアル身近には絶対いてほしくないが。

『電波の城』1/小学館ビッグコミックス/1巻/以後続刊/2006.5.19記)


エビちゃんとマック

 話題的にはすでに古いが、エビちゃんこと蛯原友里(CanCam専属モデル)がマクドナルドの宣伝に出ている(写真)。「えびフィレオ」の宣伝なので、「エビちゃん」というわけだが。

 にしても、マックのハンバーガーをもって微笑む蛯原の街頭巨大ポスターには、どこで会っても激しい違和感を覚える。実際にモデルがそういうモンを食うのかどうか知らねーが、少なくともこいつの食生活のなかで「マクドナルドのハンバーガーを持って微笑む」という光景があるだろうとは想像できない。
 森喜朗が首相のときITバブルだったが、「イット革命」と読んだあいつがフォトショップなんかいじって「時代はアイティー」とか叫んでいるCMがもしあったとしたら、「エビ+マック」にはそれと同等くらいのウソ臭さが充満しているといえる。

 たとえば、腕時計の宣伝ポスターで伊東美咲が当該商品の腕時計をして立っているという写真は、そういう生活スタイルを違和感なく、いや憧憬をもって想起させ、ライフスタイルふくめそれらを丸ごと購買したいという気を喚起させるものだが、その意味では蛯原がハンバーガーをもっているという写真はきわめて謎。「モデル蛯原」と「ハンバーガー」がどうにもならないくらい激突し、バラバラに。ポスターなんだから「やらせ」なんだが、蛯原がそれを持って立っている姿からは、「ハンバーガーを持たせました」という「やらせポーズ臭」が、気を失うくらい立ちこめている。

(2006.4.17記)



斎藤一「『格差』を『貧困』から把握することの重要性」

 共産党の雑誌「議会と自治体」の06年4月号の巻頭論文。誰だよ、「斎藤一」って。「社会問題研究家」ってあからさまに怪しいな。いや、「マンガ研究者 紙屋高雪」っていうのも相当に怪しいがな!
 格差を否定する議論や肯定する議論がかまびすしいなか、「格差」を問題にするだけでは単にその問題を解決できず、「格差という相対的把握に、最低生活という絶対的視点を導入する必要がある」「『貧困』という視点から格差の拡大をとらえ直さなければならない」とする。「不平等は、社会の他の構成員の不利益を招かない限りにおいて、是認される」というロールズの正義論を逆説的にひいて、“どこまでが耐えられる貧乏か”を考えないといけないという。斎藤が設定するのは生活保護ラインである(生活保護を受けないで最低限の生活するためには、税や社会保険などで生保世帯の所得の×1.4が必要という)。斎藤の試算では、生保ライン以下の世帯は生保世帯以外にも勤労層のなかに大量に存在し(斎藤は1割とみている)、高齢者などとあわせると、総世帯の15.1%(696万世帯)が貧困下にあるという。
 興味深かったのは次の指摘だ。
 斎藤によれば、格差をあらわすジニ係数は1981年では再分配機能によって5.4%改善されていたが、02年には0.8%にまで大きく低下している。

「これは税というものの本来的な役割、つまり所得の再分配機能が、限りなくゼロに近づいていることを意味している。消費税の影響を加味すると、間接税は逆再分配効果(低所得者ほど収入に占める負担割合が重くなること)を有しているので、全体的に見てこんにちでは、税は当初所得の不平等を修正するどころか増幅させる要因に、つまり国民経済的に見ると、貧者から富者へ所得の一部を移転する経路になっていると言えよう」

 「所得税が高くて働く気にならない」とか言っていたやつは、これ読め! 所得税や法人税はすでに安くなるだけ安くなって、いまや5%の消費税は富者の大衆収奪の手段になっているのだ。

(日本共産党中央委員会/「議会と自治体」第95号/2006.3.25記)


トミイ大塚『レスキューウイングス』1

レスキューウイングス 1 (1)  本作で描かれる航空自衛隊救難隊は「脱出・遭難したパイロットの救出を本来の任務とする部隊」(本文より)でれっきとした軍事組織なのだが、災害派遣され民間人の遭難者救出任務をおこなっていることから、自衛隊改組・解消後のヒントになるかな、と思って読む。
 しかし、政治的云々じゃなくて、漫画としてダメだ。
 いや、絵の巧拙でいえば絶対に及第点なのだが、話にちっともはいっていけない。なぜだろうか。
岳 (1) 似たジャンルに山岳救難を描く石塚真一の『岳』があるが、こちらは短いページ数ながら、一気に物語へ引き込む。大きな違いは、『岳』は遭難そのものにまず焦点をあてて描き、読者は事態を第三者の目で冷静に把握できるようになっていること。これにたいして、『レスキューウイングス』のほうは、自衛隊員の物語にばかり焦点があたり、そこでのカットーとかシュンジュンとかが、あまり共感をよせるヒマもなく陸続と押し寄せるだけ。上滑りだ。しかも次々登場人物が出てきて読者はそれを覚えるのがやっとなのである。
 それにしても、コミックだけでなく、アニメになっていたりラノベになっていたりと、ものすごい力の入れようだ。面白いから進展したメディアミックスというより、「はじめに企画ありき」のものでしょうか。

(メディアファクトリー/『レスキューウイングス 航空自衛隊小松基地救難隊』/2006.3.21記)


藤枝奈己絵『変わってるから困ってる』

 へんぴな場所にある消しゴム工場に勤める若い女性の話。「友だちできないし、母親とうまくいかないし、万引き癖もある。好きになりそうな人は急にキレるし、工場長は変態…」(オビより)。
 このメチャクチャな絵。非現実感あふれる突飛な設定。
 なのに面白く読む。
 タイトルは「変わってる」と自己規定しているわけだが、これは高校生の「私って変わってる=個性がある」式の「変わってる」で、実は平凡なゆがみにすぎない。「変わってる人はゴマンといるらしいから!!!」(本文より)。気がつけば、ものすごい親近感を抱いている自分がいる。とくに、主人公の佐々さんと、佐々さんを追い込みながらまた親しくしホストに貢ぐ風井さんの「スキだらけさ」は、他人事とは思えない。
 ちなみに所収の短編「輝く人」に出てくる金玉だか前葉体だか鳥だかわからん「生き物」は死ぬほど気持ち悪くてイヤだ。抗議したい。

(青林工藝舎/藤枝奈己絵『変わってるから困ってる』/2006.3.16記)



「フィール・ヤング」2006年3月号

柏屋コッコの人生漫才 1 (1)  その昔、「ぶ〜け」誌でエッセイ風ギャグ漫画として鳴らした柏屋コッコ「人生漫才」が「おとな版」として本誌で復活した(右は旧版)。「ちなみに若い頃の人生漫才の絵はたしかこう!!」「がんばって描いてみたけど描けん!! スマン」とあるが、まったく区別つかず。今も昔も同じやんけと苦笑しながら開幕。
 近年の世のエッセイ漫画は、日常の日常たるもののなかに、「あ〜それってあるあるある」というものを探し出して読者の共感をさそう視線を競い合うわけだが、柏屋の場合「いやいやそんなの絶対ないって!」というトンデモない事件性で勝負する。今回も真っ暗な夜の田舎道でバイク転倒、後輪ロック状態で「終わった!? 私の人生!!」と思いながら横転して自動車につっこんでいく事件を、ギャグ風に描くさまは何かがつきぬけている。いや、ネタのためにバイク横転させたわけじゃなかろうがw
 このため、自分の人生に事件(イヴェント)がないとネタにならない。まさに人生切り売り状態。「ぶ〜け」のときは雑誌企画として「結婚」までしてみせた(すぐ離婚)。ネタに瀕するときがこの漫画と柏屋の人生の危機である。本当にネタのためにバイクを横転させるかもしれない。
 おれはこの漫画を応援しているが、おまえの人生はそれでいいのか。

(祥伝社/2006.2.19記)



南波あつこ『先輩と彼女』

先輩と彼女 1 (1)  好きになった先輩には、もう卒業したけど好きだった同じ部活の人がいましたというお話。そういう人がいたって、先輩が好きで好きでたまんないのだ。「好きなのやめれたら どれくらい楽かな」「あたしのこと好きになってよ……」。
 好きだけど届かなくて苦しい、って、少女漫画で1億回くらいくり返されてきたセリフだけど、本当は苦しくないよね。実は楽しいよね。おれ、いまのつれあいに会うまでは、ずっと切れ目ナシの片思い人生だったけど、片思いしている間は、苦しい苦しいなんていいながら、甘美なわけ。
 実ろうが実るまいが楽しいわけ。片思いは。
 その点、不倫は本気で苦しいよな。知らないけど。大人って汚いよね。

(講談社コミックス別フレ/全2巻/2006.2.17記)



渡辺ペコ『東京膜』

東京膜  「部屋」にまつわる短編集。渡辺の描く女性は、リアルでいたらぜひオトモダチになりたい、という感じの人ばかり。とくに「適正距離」という短編の、シラフでも酔っても「おっさん」みたいな女性(大木)が印象的だった。大木は酒は大好きなのだが、「本当は 飲まなくったって 素面で臆さず 世界と対峙したい」と思っている。
 ぼくが大学時代、「友人たちとよく飲みますよ」、と年輩者にいったら、「クスリ入れねーと親しくなれねえのかよ」と皮肉られたことがあった。アルコールを媒介することが「本当の人間関係をつくるコミュニケーションの真髄」「潤滑油」なのではなく、世界と直接対峙しないことだという見方を初めて教わり、軽いショックを受けたことがある。
 しかし、世界と自分についてそういう悩み方をすることは自分の中でもうだんだんと始末がつけられつつあるのかなと思ったのは、この短編をクールに読んでいる自分に気づいたからだった。

(集英社クイーンズコミックス/2006.2.1記)



エビちゃん公式サイト

 いま当研究所を訪れる人がなにを検索ワードとしてやってくるかというと、最大は「小早川伸木」で、つぎが「エビちゃん」(蛯原友里)である。
 蛯原の公式サイトに行ってみた。まずコンテンツの少なさに驚く。「DIARY」というメニューを選ぶと2年間で14しかエントリがなく、2005年はたった6回。05年9月で途絶えており、しかもその中身たるや、

みんな、メッセージありがとう!今一瞬でまたやる気が起こってきたよ!いつもみんなに元気をもらってるよ。ありがとね☆
最近みんな映画見た?最近やっと「君に読む手紙」を見に行ったよ。すごく感動したし、共感もしちゃった☆あんな恋愛してみたいなっておもっちゃった☆
見た人もいるかも知れないけどみなさんもよかったら見てみて!

という、モロにどうでもいい内容。「事務所の誰かが書いている感」満載。これで蛯原の何かが伝わるというのか。きわめつけは「GALLERY」で、蛯原の写真コーナーかと思いきや、蛯原の出た電車の車内広告の写真のみ(しかも遠景)。ただの事務所の資材置き場じゃねーか。

(2006.1.30記)



陽気婢『眠れる惑星』1

眠れる惑星 1 (1) きましたきました。
 自分以外の世界のすべての人間がある日突然眠り込み、その世界で「ためらいがちに」(ウソつけ!)やりたい放題ヤる話。これは絶対みなさん妄想したことがあると思う(え、ない?)。しかも好きだった同級生の美少女を起して結ばれようとする都合のよさすばらしさ。ぼく、中学時代、定番の妄想の一つでしたね。ええ。
 ドラえもんの道具、「どくさいスイッチ」の変形的妄想。
 しかし、そこは和姦をむねとする陽気婢。「セックスしないと目覚めないもんですから」という、実にしょうもない言い訳的必然いちおう追い込んでおくのである。
 「ぼくの妄想の精確なトレース」という規定がここでも生きる。「年上の美女におもちゃにされる気弱な少年」というスタイルも健在。

 陽気婢さん、あなたひょっとして、ぼくの生き別れのにいさんでは。

(小学館サンデーGXコミックス/2006.1.29記)



中原昌也・高橋ヨシキ・海猫沢めろん・更科修一郎
『嫌オタク流』

嫌オタク流 最近、まったくひょんなことから、「インフェルノプリズン・ドットコム」なるサイトの女囚映画評などを読むようになっていた。
 んで、これとはまったく別に、書店で本書をみかけて読んだ。「こういう口ぶりや身振りって、あのサイトに似てるなあ」と思ったら本人だった。びっくりしたよ。

 オタクにかんする肯定的な言説(「オタクは日本文化を支える」とか)を、無責任きわまる座談でメッタ斬りにする。「常識」人からのオタク批判ではなく、サブカル的なものからのオタク批判(「オタクvsサブカルなんて架空」と本書はいうが)。

 『「戦時下」のおたく』のなかで、いろんな論者が書いてきたことだが(本書『嫌オタク流』に登場する更科修一郎もその一人)、初期の世代の「おたく」は、何事もネタであった。「……とかいってみる」みたいな身振り。こういうズラしかた、演技性、自覚性、自己批評性が特徴だったけど、いまの「オタク」は、基本的にマジ(=ナイーブ=ピュア=バカ)になっていて、「人生に必要なことを全部『ガンダム』から学ぶバカ」になっているので結句、権力とか資本に踊らされるワケ。

 つう話を、露悪的に展開、あるいは大衆煽動用に書き下ろしたのが本書だという印象をうけた。これを文脈どおりに読んだ「オタク」がキレて、やはり文脈どおりにマジレスすると(「オタクイメージがなってない」「そんなオタクはいない」とか何とか)、それ自体が「ネタvsマジ」となり、論者たちの意見をそのまま証明・補強することになる。


(太田出版/2006.1.27記)


宇仁田ゆみ『酒ラボ』

酒ラボ 『もやしもん』の成功をあてこんでかどうかは知らないが、農大研究室もの。
 残念ながら失敗している。
 『もやしもん』では農大の研究室の特異なエピソードが“農大感”をもりあげ、農学的知識が蘊蓄ではなく快楽として読む側を襲うのにたいし、本作ではホントに「研究室取材漫画」みたくなってしまっている。行政のパンフレットのようだ。
 思うに、1話9ページしかないのに、いきなり7人も登場人物を配置してしまったのが敗因ではないか。9ページしかないのによくやった、とみてもいいかもしれないが。また、大学の研究室の無軌道さを表現するには、宇仁田の画風は善良で平和すぎる。もっとこう、どこかに世界を破滅させかねない、悪意が潜んでいるような「得体の知れなさ」が必要だ。

 巻末についている、別の2つの短編に出てくる、女の子、かわいー。ちょっと恥ずかしそうにホホそめてるだけで、こっちはやられちまう。そういう宇仁田の持ち味を、もうちっと生かしてやれや、編集者! ゴルア!( ゚Д゚)

(講談社KCDX/2006.1.16記)


兄崎ゆな『メガレン 眼鏡×恋』

メガレン~眼鏡×恋 メガネで、オタクで……そして美男子。
 男主人公の貴史って、ぼくにかなり似ていると思う。はっきりいって生き写し。ここまで似ていると肖像権とかモデル代とかそういうことも一応考えておかねばならない。漫画に出てくるキャラでも、現実にこれほど忠実なキャラもいるんだne!

 ところで、貴史は「メガネ」、「美男子」で、この2つは女性妄想の正統な属性であるといえるが、なぜ「オタク」なのだろうか。しかも「オタク」といっても、貴史は「パソコンオタク」なのである(女性側主人公のまどかがアキバでネコミミ・メイド服のコスプレをしてみても、貴史は極度にさめた目でみている)。

 貴史は一種のツンデレで、表面は冷たいが、実はまどかに夢中。Cheese!誌らしくまどかとセックスばかりしているわけだが、そこでは「あたしも『貴史オタク』だよ…」とか「お互いがお互いのオタクだから 大丈夫だよね(はあと)」「まどかの存在すべてがオレの萌えだから……」などと書かれている。

 ちがーう! そうではない!
 職場で日本酒が好きな年輩の男性から「オタクとはなんですか」とぼくは聞かれ、世間ではマニアと同義で使っていて、そういう意味ではあなたも「日本酒オタク」なんですよと説明。しかし、もともとは二次元のアニメや漫画の登場人物に恋をしたり欲望をいだいたりする人のことで、日本酒にやたらくわしい人などは「マニア」といったほうがいいんです、と説明したが、理解不能という顔をしていた。

 女性の妄想のなかに、原初的な意味における「オタク」は、まだ登場することはできないのかなあ。

(小学館Cheese!フラワーコミックス/2006.1.13記)


きょうの出来事06.1.12

 きょう(正確にはきのう)、自分のアクセス解析をみていたらアクセスが激増していたので、なんだなんだと思ったら、『小早川伸木の恋』にYahoo!検索で来ているやつが山のように(12日時点でぼくのページが2番目にヒットする)。第1回放送の午後10時には異様な訪問数が確認されたのであった!

 そんな話とは別に、近所の小さい本屋。年寄りが店番しているような、そして生き残るためにエロ本率も高い、よく街でみかける感じの小さな本屋だ。そこによくいくのだが(エロ本を買うためではない)、なんだか漫画の平積みのラインナップがかわっていて、多少マニアックになり、「オススメ」などのポップがはってある。そして店番に、若いにーちゃんがすわっていた。
 これはそのにーちゃんのシュミだな、と思い、面識もないのに、なにか声をかけたい衝動に駆られた。「品揃えが変わりましたね」とかなんとか。それで漫画数冊をレジに出したのだが、ぼくが声をかける前に、むこうからぼくが差し出した『のだめ』14巻をみるやいなや、

「『のだめ』こんど、15巻が出るんですけど、すごいものがついてくるんですよ!」

などと、声をかけられた。こっちが、え、もう15巻ですか、などとヘラヘラしていると、そのにーちゃんは「なんだと思います?」と、眼をキラキラさせて、知り合いでもない、客のぼくに聞いてくるではないか。「いや、わかりません」などとぼくが言い終わらぬうちに、「これですよ!」と14巻の中をあけて、はさんである予告広告を開いた。「のだめ」が作中で着たマングースの着ぐるみ(の、ぬいぐるみバージョン)が「限定版」についてくるらしい……。そのにーちゃんのあまりの眼の輝かせぶりに言葉を失ってしまった。

 こっちが言葉を失っているあいだに、ぼくの会計がすんで後ろに客がいたので、ラインナップのことは話しそびれてしまった。リベンジだとおもい、さらに1冊(浅野いにお『ソラニン』)買ってレジに持って行って話そうとしたら、こんどはぼくの携帯(いま臨時でもっています)に電話が……。けっきょく話せず。話せなかったけど、おれはあんたみたいないカワイイ努力を買っているからな!

(2006.1.13記)