読んだ本などの短評 2007年上半期

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手代木史織『デリバリーII 60分15,000円の私たち』

デリバリー 2 60分15000円の私たち (2) 06年12月の週刊ポストの2000人男性アンケートではこの1年間にフーゾクを全く利用しなかった男性は33.7%。6割の男性がフーゾク体験があるという……え? まてよ? 「この1年間に」……? …………嗚呼、おそるべし週刊ポスト読者!

 ぼくはフーゾクに行ったり呼んだりしたことはない。ポリティカル・コレクトの問題を別として、単に欲望への対処としてのみ考えた時、相手をする女性一人ひとりの顔つきやシワ、そこにいたる女性の背景や物語、女性との会話、そして性病など、あまりの現実の具体性にクラクラしてしまうのだ。そのような現実を前にしてもなお「空想」や「妄想」を女性にかぶせることができる者のみがフーゾクを「利用」できるのであろう。

 さて、この漫画であるが、「問題提起シリーズ」の一つである。デリヘルで働くとはどういう現実をひきうけることなのかを、できるだけ若い女性に受けれやすい絵柄とスジ展開で批判的に提起する。

 それにしても、デリヘルの女性、全員かわいすぎるだろ(絵柄的にはむちゃむちゃ好きなんですが)。いや、それどころか、「客」の側の男たち、全員イケメンすぎ(右図参照、同書p.21)。「最悪」の客とされる板前の男でさえ「ちょいワル」とか「ワイルド系」っぽい魅力がある。しかも呼ばれる部屋とかホテルとか異様なまでに快適そうだし。
 おまけに、そこで半ば強引にされてしまうというセックス描写もやたら快楽に満ちているのだが。

 さらに、そもそも主人公がデリヘルで働く元凶となった結婚相手のダメ男が、主人公がデリヘルで破滅したあと更生し、労働意欲も回復、あげくに主人公の手をとって「全部まかせろ」などとほざく様にはびっくりホイである。


 こんなの読んだら、「けっこうイイ男が客にいるのか?」「あたしならもっとうまくやる」とかデリヘル幻想をあおりゃせんか。



 やっぱり「問題提起」とくれば、真鍋昌平『闇金ウシジマくん』みたいに、ドきたねー中年男の超臭そうな口の粘液とか、「人妻デリヘル」として呼ばれた先の、悪臭を放たんばかりの独身男性の乱れ切った部屋をリアルに書くのが吉ってもんだろ。ここは。

 左の『ウシジマくん』の絵をみてくれ(同書小学館1巻、p.89)。「ネチッ」とかいうオノマトペまで入れて唾液だかなんだかわからない不穏な体液を活写。これから性欲処理する対象の吐き気を催すような「粘液性」をこれでもかと描いているのがわかる。

 そして結末には毫も救いがない。

 「問題提起シリーズ」はぜひ『ウシジマくん』でやるべきだ。
 しかし、真鍋の絵柄じゃあ、女性読者はいきなり拒絶するだろう。そこで、提案♪ 手代木の絵柄をベースにして、客だけ真鍋が描いたらどうだ!? 合作漫画だ! 全体がリアルなのに、一部がひどく記号的という、水木しげるの漫画みたいになるなあ。


(原案:太田塔子/秋田書店プチプリ/2007.6.29記)



『ぼく、オタリ−マン。』の部数

 以前紹介した本ですが、本人のサイトによればすでに30万部を突破したとか(6月4日時点)。『801ちゃん』もカルく抜いて、週刊誌などでフィーチャ−されまくり。ぼくは、タイトルがアレだとか、編集はわかっちゃいねえとか言い散らかしたのですが、完敗であります。

 アマゾンのカスタマーズレビューなどをみると評価が二分されている。しかし、面白いと思って買う人が大勢いるのも事実なようで、世の中の不条理をまた一つ知った気がいたします。フハッ。

(2007.6.4記)



稚野鳥子『クローバー』18巻

〈宮下美保(27)
 結婚が決まっていたが
 ドタキャンし 現在も広報課勤務
 「痩せたら急にもてちゃって 彼ひとりに決めるの
 ばからしくなっちゃったの」えへ

 なにが「えへ」じゃ、わりゃー! しばくぞ!

〈う〜ん でもそれってある意味 複雑な選択ですね
 なんか精算された人間は
 結婚できない人って烙印を押されたような……〉

 みじんも思わねーよ!

〈女の子なら誰でも夢みるこの瞬間〉

 「誰でも」って……もう自分の世界観の前提について、何があっても小ゆるぎもしないおまいらには呆れ果てました。その難攻不落の要塞的世界観に敬意を表し、イゼルローン稚野と呼ばせていただいてもよろしいでしょうか? 

(2007.5.30記/集英社/マーガレットコミックス)



鈴木みそ『銭』5巻

銭 5巻 (5)  前巻の続きで「骨董の値段」。そしてメイド喫茶とアキバビジネス。最後は「エロの値段」。
 アレだな、人情っぽい話は鈴木は面白くないな。骨董ビジネスというテーマ自体に、ぼくがあまり興味がもてなかったという事情もある。つれあいにつきあわされて「開運! なんでも鑑定団」を観るのは好きなんだが、それはやっぱりシロウトの審美眼がためされる姿がドラマになるのであって、それを虚構で読まされても、あるいは骨董ビジネスの裏事情を読まされても面白くないのである。

 対して、メイド喫茶から新しいアキバビジネスを考案する話はなかなか読ませた。これはコストを事細かに暴露するタイプのエピソードではなく、アキバという場所では価値がどのように創造されるのかをビジネスモデルを考えることを通して示していくのが楽しかった。

〈なんで地味な子のほうがいいのかというと 畏れなのよ〉

 そして、アキバフーゾク(厳密には風俗営業ではない)の女性たちのセックス・アピールを描くことが鈴木はうまいと思う。「いもうと喫茶」の女性たちとかね。それは萌え絵を描くことがうまいという意味ではまったくなく、リアル女性のもっているアキバ的なセクシャルさがよく出ている、ということだ。

 エロ本における経済事情を展開していく「エロの値段」シリーズでも同様である。突然飲み屋でエロ本に出る話を切り出したOLの描写をみよ。
 あと、エロ本出演への現代的相場の話も面白い。こういうあたりは俄然読ませる。

 というわけで、5巻は後半がよかった。本作における鈴木の強みはつまるところ、「女性の性的な描写(セックス描写という意味ではなく)」と「具体的金額提示」の二つにあるといえそうだ。


(2007.5.27記/エンターブレイン/ビームコミックス/以後続刊)




勝田文『かわたれの街』

 『あのこにもらった音楽』とまったく同じ、少女と30代カッコイイイヘタレ男の恋を軸にしたユルすぎる物語。そこでぼくが感想を書いたことがこの作品にも基本的にあてはまるという進歩のなさっつーか、安定感つーか。

 すなわち、ぼくにはただのフォーカスのボケた、つくりの甘いハナシに見えるのだが、この作品を絵本のように雰囲気を味わうものとして読めば、なるほどある種のファンがうまれるにちがいないと思う。花火や潮干狩りの美しい描写、商店街の人々のあたたかい雰囲気という点にかぎっていえば、たしかにぼくも読んでいて楽しかった。ストーリーで楽しむ漫画ではない、とすれば、ぼくの読みが間違っているということかもしれない。いやーホント、絵柄は好きなのになあ……。

 ただし。喫茶店のウエイトレスだったほのかが結婚するとき、主人公の女子高生・木菜にこう言うシーンはとても好きだ。

「ねぇ木菜ちゃん 木菜ちゃんも何かごちそうつくってくれない? なんだっていいの 一品だけでも」
「え…でも私の料理じゃあ……」
「私 木菜ちゃんにお祝いしてもらいたいんだ ね お願い」

 この「私 木菜ちゃんにお祝いしてもらいたいんだ」と穏やかな表情で木菜をみつめるほのかがいい。木菜は目を大きく見開いてその言葉を受けとめ「うん!!」とやがて元気に返事をする。
 このやりとりの何が素敵かといえば、その人にむかってまっすぐ自分を祝ってほしいと語りかけるその言葉の率直さである。人生のもっとも幸福な瞬間をあなたと共有したいという直截なこの表現。もしぼくが言われたらそれはそれは嬉しいだろうと想像してしまう。「○○君の結婚を祝う会」をたとえば頼まれたとて、こんなストレートな言葉では言ってくれまい。そして、それにまっすぐ応える木菜の表情もよい。二人の間にある愛情や信頼が読む者にしっかり伝わってくる。
 勝田の漫画はこのようにして楽しむべきなのかも知れない。

(2007.5.4記/白泉社ジェッツコミックス)


黒井みめい『キミキス lyrical contact』

キミキス~lyrical contact  有名なゲームのコミカライズ。

 ジャケ買い。座り方、見つめ方、ホホの染め方……なにもかもが表紙的にはストライクだった。

 「これくらいの絵どこにもあるじゃん」「ギャルゲーやエロゲーのCGなら1枚1枚がこれ以上の水準だぜ?」などというむきもあろう。
 しかし、種々の要素が一つのバランスを得てイラストとして存在するのは奇跡なのである。「似た構図だから」、「同じような絵だから」、クるとは限らないのだ。
 それと、表紙の1枚がもつ存在感は、仮に同じ絵であってもCGの1枚1枚よりははるかに大きいのだ。受ける衝撃力が違ってくる。

 さて……。

 一般に「萌え」系の漫画には「物語のリアリティ」は一切期待してはいけない、というふうにいえるが、その基準だけでみれば、本作はそのなかでも破壊的である。免疫のない人は読まない方がいい。

 気になる引っ込み思案のクラスの女の子が、やがて主人公に少しずつ心を開いて受け入れていく物語ではあるのだが、物語の節々にはあらゆる必然性が欠如している。星里もちるがご都合主義だとか言ったが、そんなもんじゃないっすよ。自分のオナニーの妄想だってここまでご都合主義ではない。物語としては本当に何一つ説得力がないのである。

 ギャルゲーやエロゲーの場合、CG1枚が(漫画の表紙ほどではないにせよ)大きな存在感をもつから、その「キャラ」を眺めているだけでも読み手は妄想や物語を広げていくことができる。その意味で「物語そのもの」の薄さや安さは問題ではないといえる。
 「萌え」系漫画も似た原理で作動しているので「物語」がどうなっていようがあまり関係ないのだが、しかし、ここまでアレだとわ。同じ『キミキス』の東雲太郎版と比較するのも面白いが、それは別の機会に。(東雲太郎版についてはこちら

(2007.4.27記/作画:黒井みめい/原作:エンターブレイン/スクウェア・エニックス ガンガンコミックス)



さそうあきら『モナミちゃんねる!』

 1991年から描かれたさそうあきらの『愛がいそがしい』が文庫で出ていたのでつい買ってしまったが、なつかしかったなあ。女性の造形に色気があった。「結城みふゆ」みたいな人を恋人にしたかったです。

モナミちゃんねる! そして2007年の今、『モナミちゃんねる!』なわけですよ。小学3年生のモナミという娘と漫画家の父、箏曲の教師の母、という3人家族の日常を描いた1回4ページの物語。もーここには色気なんて1グラムもねーな。いや、さそうの漫画から消滅したっていうんじゃなくて、この作品においては、という意味だが。

 ぼくの前の上司の家は、徹頭徹尾、父権的なものとは縁がなく、家族全体が「友だち」のような(しかも子どもが標準の)家だった。夫婦間に多少ともあったはずの色恋的な感情が消滅したあとにやってくる「ユートピア」とはこういう家族像なのかもしれないと勝手に想像しながらみていた。

 本作はそのような「ユートピア」を虚構によって純化したものである。ドアをあけてウンコしていたり、腹の肉を夫婦でつまみあったり、母親が「ニュースJAPAN」の和田圭解説委員の顔マネをしたり、日焼けのためにめくれた体中の皮を父親から剥いで母娘でふみつけるなど、およそ色恋とは縁のない、子どもレベルのじゃれあいの世界。しかし、こういう子どもじみたことをエンドレスでやっていたい。

 仮にぼくとつれあいに子どもが出来たら、こんなふうになるのものいいなあと思ったりする。というか、否応なくこのようになってしまう危険性がある。

(双葉社 アクションコミックス/2007.4.26記)



たくまる圭『アニキ』2巻

アニキ 2 (2) 実は1巻を読んでいない。探したが近所の本屋にはどこにもないのだ。ゆえに、1巻を読まずに感想文を書くという暴挙をおこなっている。

 本書にたいし「あざとい」という非難があるかどうかしらないが、いかにもそう言われそうな漫画である。父母に見捨てられ遠縁に預けられた小学生の女の子「ゆず」の物語。「アニキ」とは、預けられた先の無口でガテンな男・篠原(大工)のことで、ゆずはアニキと慕っている。という設定。どう? まず「あざとい」と思うだろう。

 そしてゆずの造形。奈良美智のイラストの目つきをかわいくしたような、ムーミンのようなアレ。ここでも「あざとさ」爆発である。

 そしてエピソードも「あざとい」。ゆずは善意から一生懸命やるんだけど、全部それがウラ目に出てしまうのだが、アニキをはじめ周囲のあたたかさがそれを受け入れるっつう。いかにも「ビッグコミックオリジナル」系の、心地よい「ハートフル物語」のパターンそのものだ。

 だから20代とかは読まないほうがいいと思う。浅野いにおとか読んでそうなやつが本作を読むとキレると思う。本作と当該読者をかけあわせてはいけない。うなぎと梅干しみたいな?(関係ないがこの両者の食い合わせは現実には至極いい)

 でもそんなあざとさを感じながらも、汗かいてラーメンを喰い上げるゆずを「かわいい」と思ってしまうのは、やっぱりぼくがもう若くないってことかね。

(全2巻/小学館 ビッグコミックオリジナル/2007.4.22記)



「萌える絵のかきかた教えてくれ」「絵柄の流行史スレ用」

 ブログ「ARTIFACT@ハテナ系」、「このページを読む者に永遠の呪いあれ(更新停止中)」経由で知った。

 まず前者、「萌える絵のかきかた教えてくれ ぷちまとめ」。一度最近よくみかける漫画の描き方本なんかをじっくり学んで、「萌え絵」が描けるようになりたいなあと思っていた。え? 投稿とかするのかって? いえ、そんな大それた。そうじゃなくて、これを会得すれば欲望を惹起させるものが無限に生産できるようになるじゃありませんか。無から有。まさに錬金術。
 という野望はともかく、この解説漫画の教えるところは、(1)萌え絵の細部をバラバラに真似しようとすることの誤り、(2)いったん正確な全体把握ができるようになってそこからデフォルメするのが正しい、というもので、漫画が描ける人には常識かもしれないけど、描けないぼくのような立場からすれば、ナルホドと。
 こういう描画の技法を身につけることは、漫画のリテラシーそのものも飛躍的に向上させることになるだろう。

 後者の「絵柄の流行史スレ用」は漫画における絵柄の細部をみんなで出し合って、なぜそれが古く見えるのか(「オヴァ絵」と称されている)を論じあっている。2chのスレから派生。ハナの影のつけかたとか、虹彩の描き方とか。2chというものの最も有効な活用方法の一つ。
 No.402系統の絵のキモさは禿同。あの種の絵柄に萌えているやつの気が知れなかった。

 あとサイト「ひとりで勝手にマンガ夜話」が最近よくやっている「FLASHで勝手にマンガ夜話」シリーズは、サイトにおける漫画評論の可能性を豊かにしたもので、面白いなと思って見ている。FLASHにして視線の動かし方とコマの関係などをヴィヴィッドかつ印象的に論じられるようになった。テレビなどではできたことなんだろうけど、もちろんこんなこまけーことは、テレビではやってくれない。

 これらはネットならではの豊穣さである。

(2007.4.21記)



武富智短編集『BSCENE』

B scene―武富智短編集 冒頭の短編「いつか忘れてしまうけど」は、中学を卒業した少女が叔父の家に居ついてセックス三昧の日々をおくる話。「若奥様のオナ日記」という露悪趣味のタイトルをつけられた短編は、金満家の老人のヨメとなった若奥様がその淋しさを埋めるように、病院で知り合った男子中学生にセックスの快楽を教え込む話。

 と、こう書くと作者の本意ではない作品紹介になってしまう危険性が高いのだが、これらの作品は上記のように消費するのがおそらく正しいだろう。なんたって「ヤングジャンプ」ですからw

 上記の2短編に出てくる少女&女性は淋しさをかかえた女性である。淋しさをかかえた女性は、なぜだか男たちの性的欲望を積極的に受け入れてくれる。それは淋しさを埋めるために。だから男たちがセックスをしてあげるのは、そんな淋しさを受けとめてあげるとても素晴らしい行為なのである。たとえば岡崎京子がセックス自体に空虚さを感じているのとはまったく違って、この2作に登場する、女性はともかく、男性たちはセックスに濃厚な欲望を感じている。すなわちこの作品は男が読めばはっきりとポルノである。

 前にも何度か書いたけど、女性&少女の淋しさを引き受けられるのは自分(だけ)なんだ、とかいうのは男性にとってメジャーな妄想で、セックスでそれを満たしてあげるという体裁が加われば言うこと無しである。

 以前ぼくは街角の男女にカメラをむけてインタビューをするということをやったことがあるが、新宿東口・アルタ前ですわっていた不自然なまでに痩せて白かった、そしてやや派手な身なりをした若い女性にインタビューをしようとしたら、その横にいてずっとその女性に親密そうに話しかけていたサラリーマンふうの青年――ぼくをもっと病的にしたような青びょうたん――がカメラを見てぴゅっと逃げていったことがある。
 何の根拠もないけど、この女性は風俗で働いている人で、おそらく男性は通いつめている客だろうなあと一瞬にして想像できた。そして、女性の落ち着いたケダルい(しかし真面目な)受け答えからさらにぼくは想像をすすめ、きっと青年はこの女性の淋しさを理解してあげているつもりだったんじゃないかなあなどと一人で妄想を暴走させたものだった。

センチメントの季節 (春の章)  セックスをしてあげることによって女性の淋しさを引き受けてあげるなどという増上慢の妄想をもっとも文学的味つけをして煽動した作品として『センチメントの季節』をあげることができる。本作の2短編は明らかにその系譜である。

 つうかさ。「若奥様のオナ日記」で金持ちジジイのもとで欲求不満をつのらせている美人若妻に性的に翻弄される男子中学生・清の快楽にゆがむ様子がたまらん。あー、本当に気持ちいーんだなーと思う。だれか、今すぐおれを中学生男子に戻せ!(戻されても美人妻が声をかけてくる保障はゼロだが) 

(2007.4.20記/集英社ヤングジャンプコミックス)



よしたに『ぼく、オタリーマン。』

 サイト「るるてん」のリンクを当時みて、初めて「あーウェブ漫画ってこんなにあるんだあ」とか思ったものだった。正確にはこの場合、「ウェブエッセイ漫画」だが。それから数年。ずいぶんいろんなウェブ漫画が書籍化された。
 ふつうの雑誌連載の漫画の場合は、連載中はあんまり面白くないなあと思っているのに、単行本になってまとめて、そして連続して読むと激しく面白いということが、しばしばある。作者の頭の中ではしっかりと構成されておるんだなあと、当たり前すぎる事実に気づいたりする。雑誌連載って本当に難しいんですね。
 ウェブ漫画の場合は、1回1回が断然面白い。しかし、それを本にしてまとめてしまうとどうも即興的な面白さが失せてしまうような気がする。喫茶店とかでちょっとした時間に友人ともりあがってしまった短い時間。だがそれを仮に文字にして本にしたら「なんじゃこりゃ」というふうになってしまうとかいうのに似ているのだろうか。

 ただし、たとえば『となりの801ちゃん』のようにまとまって読んでみて逆に一つの世界に強く引き込まれてしまうというものもちゃんと存在するわけで一概にそういうことは言えんのではあるが。

ぼく、オタリーマン。  ウダウダと書いてしまったが、本作は明らかに単行本にすることで失敗をしている方ではないかと。ぼくはウェブでのこの漫画を見ていないのだけども、おそらくネット上で、毎日1つずつくらい見ていたらもっと違った出会い方をしたかもしれないなと思った。

 要は面白くなかったのだ(そして意味不明というものもけっこうあった)。しかし、面白くない、ということだけではイカンので、少し前向きに考えてみたわけである。

 タイトルは編集者がつけたそうだ。だが「オタクであるサラリーマン」ということに今やなんの付加価値もない。「へー、サラリーマンなのにオタクなんだあ」とか。当たり前である。オタク単体として存在している人はいないんだから(いやごく少数いるが)。「議員なのにオタク」というものだって麻生が『ローゼンメイデン』が好きとかどうのこうのという話があるくらいだから意外性は乏しく、究極の意外性として「皇族なのにオタク」という女まで出てきている以上、「オタク」であることと「サラリーマン」であることをかけあわせることの意味がこんにち見えない。

 『となりの801ちゃん』というタイトルは、「彼女が腐女子」だということを端的に表しているわけだが、これはこれで興味をひく。そして大事なことは、作品がちゃんと「腐女子である彼女」の生態観察になっているということだ。
 ところが『ぼく、オタリーマン。』の場合、そう題してみたものの、書いてあることの大半は「オタク」とは関係のないことである。これでは読んで裏切られてしまう。

 中経出版は漫画に強い出版社では当然ないはずだからこういうことになってしまったのかもしれないが、この人のよさを活かすとすれば、もっとSEという職業に傾斜させたモノを書いてもらったほうが、面白かったのではないか。余計なお世話か。(後日の敗北宣言はこちら

(2007.4.19記/中経出版)



永福一成『無魂の王』

 表題作と「魔弓射手」の2短編からなる。いずれも戦国期が舞台。

 外部との接触を一切断たれた石牢で育てられた人物の物語(「無魂の王」)と、日本では発達しなかった弩(ど/いしゆみ)を使った武田信玄(晴信)暗殺譚(「魔弓射手」)。

 物語に新味はない。「魔弓射手」は、あとがきで作者が「S・ハンター著『極大射程』のボブ・スワガーを時代劇でやったら面白いと思って描きました」といっているように、オリジナルが売りではなく、何かにインスパイアされたものなわけだが(そもそもタイトルもウェーバーの歌劇「魔弾の射手」のようだ)、ぼくからいわせれば中島敦『名人伝』+岩明均『剣の舞』みたいな印象だった。絵も「根が劇画」なので萌え要素ゼロ。“男装の美少女”のセックスシーンも激萎えでござった。

 ただ、つまらない、とは思わなかった。それは弩についてのウンチクが面白かったから。読んでいる最中、なぜこの兵器が日本で発達しなかったのか、ずっと考えてしまった。弩についての特性をさらにつきつめればもっとよくなっただろうに。

(2007.2.25記/永福一成『無魂の王』/コスミック)



シギサワカヤ『箱舟の行方』

 ブログ「第弐齋藤 土踏まず日記」で「表紙がいやらしかったので買いました」とあるが、ぼくもそのクチ。夏ごろに買って読みました。

箱舟の行方 二宮ひかる+こいずみまり、みたいな感じで期待値は高いんだけど、表題作は話が少し雑だなあ。読みにくかった。ラストの短編「空の記憶」くらいわかりやすい方がぼくは好きです。

 「箱舟の行方」も「空の記憶」も、職場の同僚がダラダラとした肉体関係にハマりこんでいる話で、こういうユルユルな快楽はたまりません。おそらく作者はそういう「だらしなさ」「流されぶり」を描いたつもりはないかもしれませんが。
 二人はただの仕事の同僚なのに、連休前の仕事で終電逃して、「……俺ンち、近いけど――」といってそのままセックス。連休中、ずっと部屋でヤリっぱなし。「結局、何日経ったのか 既にわかんなくなってきました 世間はお盆休みで、あたしは してばっかりです」。

 というシチュエーションもさることながら、すごくだらしないくせに、そのなかで「俺達付き合う?」とか律義に聞いたり、男が徐々に自分の日常に「侵入」し自分の中で男の比重が大きくなっていくのを嫌がる「まじめさ」が、逆にいっそう全体のダルさをうかびあがらせる。ダルいんだよ。職場という戦場を介して、こういうダラけきったヌルさを感じるのは、とてもいい。
 このままでは万人にはお勧めできないので、もっと話をつくり込んでほしいなあ(と、投稿作品への編集者のコメントみたいなことを言うw)。

(2007.1.25記/白泉社)



東村アキコ『ひまわりっ 健一レジェンド』3

ひまわりっ~健一レジェンド~ 3 (3) また東村がやってくれた。

〈フヘッ 女の新人漫画家が必ず一度はやっちゃうシリーズ〜!! それはプチ・ロードムービーストーリー!!〉は、もうサイコー。これ自体がすぐれた漫画批評なのだ。

 このセリフの直後に、くだんの副主任による、〈女の新人漫画家が必ず一度はやっちゃう〉漫画を模倣した劇中劇が始まっていくのだが、まず大空にモノローグ
 〈あ〜あ 悲しいくらい青い空 あたしのココロと正反対〉っていう出だしがもう死ぬほど可笑しい。副主任演じる「主人公」のダルげな空の見上げ加減、瞳の描き込み具合が見事すぎるパスティーシュ。笑い転げる。

 しかも「女の新人漫画家」のなかでも、この種の出だしがむちゃくちゃ多かったのは休刊した「ヤングユー」あたりだろ。
 そんな狭いゾーンのギャグをやってどうする。アメリカの喜劇映画とかみると、あまりにコアな映画パロディで埋め尽くされていて、日本人のぼくはワケわからんことが多いんだけど、もう東村のこれなんかも、誰がわかるんだよ、どうするんだよ、という感じ。そんなことを平気でやってしまう、東村が好き。

(2007.1.22記/講談社/以後続刊)



いくえみ綾『カズン』2

カズン 2 (2) 1巻についてぼくはこれが自立の物語たりえるのか、それとも外側から押しつけただけになるのか、という危惧を書いた(1巻の感想はこちら)。しかし、それは率直にいって杞憂に終わりつつある。というのは、「自立」とか「フリーター」とかいうテーマは後景に退き、純粋な恋愛物語として2巻は展開しているからだ。

 そして、非常にうまい。さすがいくえみ綾である。

 まず主人公のぼんちゃんが、本当にどんどんかわいくなっていく。ダイエットしたりおしゃれしたりして、自分がキレイになるために努力し、読者的に見ても(つまりグラフィックとしても)かわいくキレイになっていくのだ。別の言い方をすればキレイすぎずかわいすぎず、実に適切にキレイにかわいくなっていくといえよう。

 また、ぼんちゃんに世話を焼くシロの恋人・りっちゃんの嫉妬の描き方もうならせる。嫉妬で荒れる様子も、それに多少自己嫌悪を感じる様子も、微妙にイヤな感じで微妙に共感してしまう。まあ、ぼく的にはぼんちゃんに「敗れる」りっちゃんの姿に、ちょっとせいせいしたものを感じてしまうのだが。

 ぼんちゃんの茄子川さんに対する恋心も、シロにたいする微妙な関係も、少女漫画が陥りがちなベタな表現をまったく克服している。たとえばシロにたいしては、シロからぼんちゃんへ向けられた恋愛感情はわりとクリアに伝わるがしかし明示はされない。他方でぼんちゃんがシロに向けている感情は、自分でも意識できないほどの輪郭がぼんやりしたものだが、それでも読者は敏感に感じとってしまうのである。その距離感の描き方が本当に絶妙だ。感服する。


(2007.1.6記/祥伝社/以後続刊)