読んだ本などの短評 2008年下半期

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「POSSE」創刊号

 9月に出たものだが、ようやく手に入った。福岡では書店では手に入らないのだ。Amazonでも扱っていない。POSSEという労働問題を考え理論的提言・労働相談の実践などをおこなっているNPOの出している雑誌である。

 一番興味深く読んだのは、元派遣会社の業務担当者(田中大輔)が書いた「派遣会社の内側から見た派遣労働」という一文だった。派遣労働者ではなくてその需給調整をする派遣会社の元スタッフが書いたもので、派遣会社の存在意義を確かめようとしながらそこからどうしても生ぜざるをえない疑問、派遣先の大企業の身勝手さが生々しく綴られていて、派遣という業種が資本主義のなかでどう位置づけられているかということが「現場」の言葉としてよくわかる。この短評だけではもったいないので、あとで正式なエントリにして書き直したいほどである。

 次に、編集部の書いた保育士派遣の実態も興味深いものだった。「保育士を好きでやっている」という「聖職観」に近い保育士像がさまざまな労働条件問題の解決を遅らせている実態が簡潔にわかる。

 木下武男「派遣労働の変容と若者の過酷」は、派遣労働の戦前・戦後史がよくかわるものだった。とくに、職業安定法で、現在でも「労働組合等が、厚生労働大臣の許可を受けた場合は、無料の労働者供給事業を行うことができる」(45条)と定めていて、それが戦後直後においてどんな労働の需給調整構想だったのかという指摘は注目した。

 「特集2」は「マンガに見る若者の労働と貧困」であるが、見事なまでにぼくが「m9」創刊号(08年4月創刊)に書いた論点とかぶりまくり。ぼくの提出した論点を批判する視点もあるが、いずれにせよ『ウシジマくん』や『わにとかげぎす』など、とりあげた作品が重なった。まあ客観的にそういうものを挙げざるをえないせいなんだけどね。

(『POSSE』創刊号/NPO法人POSSE発行/2008.12.11記)



『このマンガがすごい! 2009』

 今回もアンケートに回答させていただきました。
 が……。オトコ編の1位と同じものを選んでしまいました。
 正確にいいますと、私が選んだ1位とは重なっていないのですが、私が5位に選んだものと、全体で1位に選ばれたものが同じだったのです。

このマンガがすごい! 2009  にもちょっと述べたことがありますが、全体で1位に選ばれたものを自分が選んでしまうと、なんだか悔しいんですよ。没個性な感じで。
 今回、自分の選んだ作品が、誰の選んだものと「合って」いるとうれしかったかというと、たとえば大御所の評論家たちとではまったくありませんでした。書店員やオタク系の芸能人でもありません。
 では、だれと? 
 答えは、編集のライターたちが選んだ「サルベージ」(トップ20に入らなかったが強く推されるべき作品)のなかに入っていたときですね。そこで紹介されたのが自分の選んだものと同じだったりすると、気持ちが弾んでました。あと、芝田隆広(サイトOHPの人)って何選んでるの? とかチェックしてしまいました。「人があまり知らないものを選びたいが、知らなさすぎると落ち込む」というぼくの病を、「サルベージ」という方法は精神的にまさに救ってくれるのであります。サルベージされるのは、作品だけでなく、ぼくの卑俗な自尊心なのだなあ。

少女漫画 (クイーンズコミックス)  ぼくが本編でベスト6にあげられなかったもので、「サルベージ」しておきたい漫画をあげておけば、まず松田奈緒子『少女漫画』(集英社)。ぼくは「m9」創刊号の原稿でこの作品を高く評価はしているのだがと注釈をつけながら、原稿に関係した部分を批判したんですが、一連の短編のうち、最終話が示した漫画への情熱量は確かに目を見張るものがありました。ぼくの中では僅差で選ばれなかったものであります。
 せきやてつじ『バンビ〜ノ!』(小学館)は料理系スポ根ともいうべき「伝統的な王道」。読んでいて痛快です。最近のマフィアの話題への乱暴な傾倒も、まさに「スポ根」の元祖の一人である梶原一騎の、往年の無茶苦茶なヤクザ展開を彷彿とさせますが、それよりかははるかに心が踊ります。もう十分メジャーになった作品ですので、あえて挙げませんでした。
 それから、東村アキコ『ママはテンパリスト』(講談社)は文句なく傑作ですが、単行本が今回の対象期間外。残念すぎます。近いうちに論じたいと思います。

(『このマンガがすごい!』編集部・編/宝島社/2008.12.5記)



ウィリアム・E・オドム「迅速な完全撤退を」

 アメリカはイラクをどうすべきか、という「フォーリン・アフェアーズ」の論文だ(「論座」08年9月号に和訳掲載)。オドムは元米陸軍大将である。

 その前に載ったスティーブン・サイモンの論文にたいする反響の一つで、「決着は内戦に委ねよ」という刺激的なサブタイトルがついている。専門家は“撤退したら混乱が待っているし、米国は非難される”という予測におびえてきた、とオドムは指摘し、「これ以上駐留を続けて、混乱を抑え込むことなどできるはずがない。もはや、混乱を防ぐための選択肢は存在しない」と断言。「アメリカは、米軍の撤退を遅らせるのではなく、早めることによって、少なくとも混乱の原因(米軍のプレゼンス)を取り除くことができる。これが唯一の責任ある選択肢といえるだろう」と提言する。

 このショック療法によって、欧州は「関与しない」という路線を見直してあわてて関与する、とオドムは述べる。そしてイラクの分裂は、決着がつくまで内戦をやりぬかせ、特定の武装集団が首都を占領して、すべての外国の要素は排斥されるから、それで「解決」する、と言う。イラク自体の結末ではなく、中東全体の安定を考えろ、というわけだ。「国連が政体を主導した場合も政治不安を長引かせ、紛争を煽るだろう」。すべての外国要素をとりのぞくことがオドムにとって重要なのである。

 内戦を気の済むまでやらせろ、というのはあまりの暴論だが、米軍のプレゼンスが混乱の元凶になっていることと、イラクの陥っている深刻さを倒錯して表現したものだと考えればいいだろうか。

(論座2008年9月号/朝日新聞社/2008.8.20記)



田中圭一『サラリーマン田中K一がゆく!』

サラリーマン田中K一がゆく!  以前この漫画について雑誌連載時に言及したことがあるが、単行本で全体像をつかんだのは今回が初めて。

 そのとき「田中圭一の『サラリーマン田中K一がゆく!』は実は意外とタメになってしまった、まじめな玩具業界の営業知識漫画であった。GRPの話、面白かった。冒頭の毛田ちゃんのギャグがなければ、フツーのサラリーマン漫画だぞ!」と書いたが、全編このとおりだった。というか、「フツー」ではなく、かなりすぐれたサラリーマン漫画、業界モノ漫画であった。

 玩具業界の雰囲気が楽しみながらわかる。
番線―本にまつわるエトセトラ (UNPOCO ESSAY COMICS)  まじめに業界を紹介するだけでは何も面白くない。田中が下ネタに乗せながら業界の慣習や作法をデフォルメしているのが楽しい。久世番子の『暴れん坊本屋さん』や『番線--本にまつわるエトセトラ』もこの系列。なぜこういう業界モノの漫画がもっともっとたくさんないのだろうかといつもぼくは不思議に思っている。

(角川書店/全1巻/2008.7.13記)



とよ田みのる『FLIP FLAP(フリップ・フラップ)』

FLIP-FLAP (アフタヌーンKC)  ピンボールをテーマにした漫画である。ゲームセンターにあるあのピンボールだ。ピンボールにまったく興味がなかった主人公が、片思いの女の子を追ってピンボールの道にハマっていく物語。

 ピンボールに集中し、狂躁的に自分だけの世界を創りだしていく描写や、独特の高揚感を表現するのに、おそろしく労力を割いている。そして、グラフィックとして十分に成功している。

 しかし。
 その高揚や狂躁の前提となる「ピンボールというゲームの醍醐味」が読者と共有されないので、読んでいるぼくはおいてけぼり。その高い画力が無駄に花開いているという感じなのだ。

 「『ヒカルの碁』とか『3月のライオン』みたいに、碁や将棋のルールを知らなくても楽しめる漫画ってあるだろ?」という反論がただちになされそうである。
 だが、たとえば『ヒカルの碁』は、碁のルールは知らなくても碁の雰囲気は伝わってくる。でも、『FLIP FLAP』からは雰囲気は伝わってこない。それがなぜなのかはわからない。ぼくなどは、むしろ碁のルールはほとんどしらなくても、ピンボールくらいはやったことがあるというのに、である。
3月のライオン (1) (ジェッツコミックス)  『3月のライオン』は将棋の雰囲気がうまく描けているとはいえない。しかし、「才能」という一般化されたものと、主人公をとりまく人間関係にウエイトがおかれていて、雰囲気が描けていなくても、おk。いわば『3月のライオン』を楽しむ人は、『ハチクロ』と同じテイストを楽しんでいるのだ。
 もし、『FLIP FLAP』がこの路線をねらうのであったら、こんどは逆にピンボール描写に重きを置きすぎたといわねばならぬ。

 おしい作品だ。

(講談社アフタヌーンKC/全1巻/2008.7.13記)



日本が終わるそうです

 すでに別のところで言及しましたが、秋葉原事件にかかわって日雇い派遣の禁止が厚労大臣からうちだされたときに、「雇用規制をこれ以上強めれば、日本は本当に終わる」というエントリが書かれました(ブログ「Zopeジャンキー日記」)。

 それによれば「規制の話が浮上しはじめた頃に、非正規雇用がみるみるうちに『消滅』する」のだそうであり、さらに「いま非正規雇用の社員(契約社員・派遣・アルバイト・パート)は、すごい勢いで解雇されていく。そして、中小企業がバタバタ倒産するから、その正社員も放り出されていく。大企業が拠点を海外に移していけば、国内の雇用は減るばかりで、まったく増えない」のだそうであります。

 (08年)7月2日付の朝日新聞には「日雇い派遣 原則禁止 臨時国会に改正案」という大見出しが一面トップでおどり、「規制緩和の流れが続いてきた派遣制度は、規制強化に向けて転換点を迎える」というリードが。関連して「派遣労働 規制に転換」という見出しの解説記事が5面に出ました。

 さあ、みなさん。
 「規制の話が浮上しはじめ」ました。「非正規雇用がみるみるうちに『消滅』」していきます! そして「中小企業がバタバタ倒産するから、その正社員も放り出されていく」のであります! 
 他でもありません。「規制が強化され尽くした後」でもなく「あらゆる派遣が禁止された後」でもなく「規制法案が国会を通過した後」でもなく、単に「規制の話が浮上しはじめた頃」、つまり話題になったというだけの「いま」この瞬間、本当にこんなことが起きるかどうか、ぼくらははっきりと見定めなければならないだろうと思います。

 実際におきるのは、グッドウィルの廃業にみられるように、派遣業の再編にすぎないでしょう。つまり粗悪な業者が淘汰されていくというだけなんじゃないでしょうか。もちろん廃業したわけですから当然そこで派遣労働者は放り出されているんですが、それが「非正規雇用」そのものが「みるみるうちに『消滅』」なんていう事態ではないことははっきりしています。
 ぼくはとりわけ「人材サービス」には本当に口入れ屋のようなお気軽起業の会社、いわば「人材」を右から左に動かすだけでチュウチュウと甘い汁を吸っているような粗悪な会社が依然として少なくないと思っています。“常用型派遣のように派遣労働者の雇用の安定に責任を負いつつ、同時に、派遣先の企業が求める「国際競争のもとでの雇用の柔軟化」のニーズに応える”なーんていう両立をめざした倫理感あふれるカッコイイもんじゃなく、単に人転がしで中間搾取をしているだけの存在。

 「資本が逃げる」という話についても一言。前回紹介した山家悠紀夫の言葉。「先に、労働環境を抜本的に良くするという提案をしましたが、それは、今と比べて抜本的に良くする、という提案であって、他の先進国に比べて抜本的に良くする、などという提案では少しもありません。……そして、大陸ヨーロッパ諸国の企業経営は、それで成り立っているのです。大陸ヨーロッパ諸国の企業経営が成り立っている、それと同じ条件にしたら日本の企業経営は成り立たない・・・そんなことがあるでしょうか」(山家『暮らしに思いを馳せる経済学』p.208)。

 ちなみに株価はどんどん下がっています。「スターリン暴落」以来の下がり方(連続日数)だといいます。おお、これこそ「非正規雇用の規制が浮上した時点で、日本にいる外資企業はぞくぞくと撤退しはじめ、『外国人投資家』も一瞬で資金を引き上げ、株は暴落していく」(「Zopeジャンキー日記」の同エントリ)という「お告げ」のとおりではないか?
 しかしここでもまたしても原因は「規制が浮上した」ためなどではなく、「原油高など海外発の諸要因が重なった」(みずほ証券の上野泰也チーフマーケット・エコノミスト)にすぎないのです。

 労働規制の緩和・強化が「構造改革」の論点として持ち出され、「世間では『構造改革』が実って景気が良くなったなどと言われていますが、全くの戯言と言うほかありません」(山家前掲書p.24)。「全くのところ輸出依存の景気回復というほかありません」(同前)。そしてまたこんにちの株価下落も外的な要因なのです。「今回の景気回復期にあっては国内需要の増え方が少ない、回復は輸出の増加に依存したものであることを先に見ました。国内需要ではとくに民間消費需要の増え方の少なさが顕著です。……賃金が上がらず家計の所得が増えない、所得が増えないから消費が増えない、消費が増えないから景気があまり良くならない」「もし海外の景気が悪くなってしまったら……国内の景気もたちまち悪くなってしまうという、そんな状態を続けています」(山家前掲書p.35〜36)。

(2008.7.7記)



山家悠紀夫『暮らしに思いを馳せる経済学』

 橋本「構造改革」から現在までを検証して、「構造改革で景気がよくなった」という議論を批判。景気回復が大企業のみのものであるか庶民まで還元されたか、という議論は置いておいて、仮に大企業サイドだけで問題をみたとしても、「構造改革による効果」というのは実はほとんどなくて、実際のところ「外需(輸出)だのみ」でしかない、ということを率直に指摘している。

 「構造改革」で消費、「内需」の力を奪ってしまったために、経済が見事なまでに「外需」に左右されている、というのだ。単にワーキングプアを救うとか救わないとかいう視点ではなく(いやもちろんそれは大事なことであるが)、健全で安定した国民経済をつくるうえでは「内需」にシフトした経済をつくらねばならないとしている。

 もちろんこういう角度での政策はこれまでもあるわけだが、山家は、不良債権処理批判もやっていて、つまり大企業的に見てもそいつは身になってないだろう? ということを書いているのがよかった。その結果、本当に外需にしか依存していないのだということがクリアに見えてくる。
 それ以外にも、財政を家計にたとえることの危険や、「国際競争力をそぐな」という議論を「貿易黒字」という視点から切っているのはぼく的には新鮮だった。

(新日本出版社/2008.7.2記)