読んだ本などの短評 2009年下半期

03年短評 04年上半期 04年下半期 05年上半期 05年下半期 06年上半期 06年下半期 07年上半期 07年下半期 08年上半期 08年下半期 09年上半期 メニューへもどる

『楽園』

 白泉社で創刊された年3回刊の漫画雑誌。ラインナップをみるとシギサワカヤ、日坂水柯、二宮ひかる、宇仁田ゆみ、中村明日美子、かずまこを、黒咲練導、竹宮ジン、売野機子、西UKO、鬼流駿河、竹田昼、ニリツと、俺好み。というか、俺が今読みたいと思っている感じの作家と作品を並べた。ここにニッチがあると気づいた白泉社はエラい。「今、読みたい作家を集めた1冊。楽園は、ここにある」というオビは決して誇張ではない。

 ただし作品の出来は今ひとつ、というのが正直なところ。一番よかったのは二宮ひかるの「…ごっこ」。兄妹相姦ものと思わせて…という仕掛けもさることながら、わかりやすくエロいのがよかった。他にも好感度の高かった作品を数え上げたら、ぜんぶセックスがらみ。結局セックスしないと、俺にとってはダメなんだなと、またしても思ったよ。

(楽園 Le Paradis 第1号/白泉社/09.11.15記)



伊藤理佐『あさって朝子さん』

あさって朝子さん  「Hanako」連載の2ページエッセイ風コミック。30歳女性トゥリビャリズム。あるあるネタと、これは気づかなかった!ネタが満載である。

 我が社の「黒木瞳」、橋本さんは美しくてかっこいい希望の40代である。その橋本さんの行動をお茶の時間にきゃぴきゃぴと評価する年下の女性たち。「辞書のこと『字引き』って言うんだよ!」と興奮する若い女性たち。もちろん「かっこいいー」からである。

 「ハンガー」を「えもんかけ」、「シャツ」を「肌着」、「シーツ」を「敷布」……「ぜんぜんほめられてる気がしない」と静かに怒る橋本さんであるが、ぼくも「タオル」を「手ぬぐい」といって、若い人に笑われた。「かっこいい」はずである。

(マガジンハウス/09.11.7記)



『LOVERS selection』

LOVERS selection (Feelコミックス)  なかなかの豪華執筆陣である。漫画家は桜沢エリカ、海埜ゆうこ、南Q太、宇仁田ゆみ、小野佳苗、小説家は谷村志穂、島村洋子、川上弘美、横森理香、唯川恵だ。

 編集者がそういう小説家のセレクトをしたのだろうが、漫画家が描いた作品がいかにもその漫画家のものに仕上がっている。桜沢が描いた主人公はその未熟さが読む者に迫る。南の描いた主人公のとらえどころのなさと40代の男の少しみっともない余裕が、宇仁田は登場する家族のあたたかさがそれぞれじわりとにじむ。

 とくによかったのは海埜で、絵柄自体が小説的世界を描くのにもってこいのベタつかなさがあるうえに、エピソードを端折った感じをいっさい受けないのがすごい。エピソードの一つひとつが生々しい。

(祥伝社/フィールコミックス/09.9.14記)



平尾アウリ『まんがの作り方』2

まんがの作り方 2 (リュウコミックス) さて、1巻についてぼくはどういう感想を言っていたかなと思って読んだらけっこうひどいことを書いていた。
 だから2巻が本屋に平積みされていても食指がのびなかったのは、そういう印象をもっていたせいなんだろうな。そのとき全然忘れていたけど。

 で、1巻の内容をおぼろげに覚えている程度で2巻を買ったんだけど、これはいいわ。良い。というのも百合としては特にさしたる感慨もないんだけど、小ネタのギャグ的なセリフ回しとか(たとえば「先輩のおかげでいい人生を送れたなあ…と 思って」「どうしたの 死ぬの?」みたいなやつ)や、ときどきアシストをする新キャラ・武田さんのドライさが心に残る。

 3巻が出ても買うでしょう。

(徳間書店/リュウコミックス/09.9.10記)



たかぎなおこ『浮き草デイズ』1・2

浮き草デイズ 1 (1)  上洛者の単調なバイト生活日記のようにも読めるのだが、なぜぼくが2巻まで買って読みふけってしまったかというと、その最大推進動機は「なぜこの人、本を出すまでにいたったの?」というある種のサクセスストーリーを期待したからである。そういう期待をもって読まないと、ホントに平凡な絵日記にしか見えないと思う。

 たくさんの本を出すにいたった、という結末を知っているからこそ、バイトに追われて志が果たせない不安な日々が「どうこれが好転するんだ?」という期待をいつも控えさせることになった。

浮き草デイズ〈2〉  ただ、バイトの描写もリアリスティックな微細さがあり、読ませる。ホテルの朝食係とデータ入力のバイトの大変さと面白さがよく伝わってくる。

 結局「ホームページ絵日記」が声をかけられる鍵となったというわけだが、出版的成功を収めたいという人にとっては意外と参考&激励になる。

(文藝春秋/09.9.3記)



青山景『チャイナガール』『ストロボライト』

チャイナガール (ビッグコミックス)  『SWWEEET』の人。『チャイナガール』は行きつけの中華料理店の中国人店員に恋をしてしまうエリート社員の話で、シナリオは別の人がつけているんだが、作品の出来として何から何までダメである。主人公の男性社員(上條)は他の作品なら主人公の意地悪をする類の悪役的脇役のはずなのに、なぜ主人公なのかさっぱりわからない。共感度ゼロである。中国人の店員(徐香蘭)の方も、その粗暴さだけが印象づけられて、奥にあるはずの健気さや可憐が一向に伝わらない。香蘭の心の変化も完全な御都合主義で「連載が早く終わることになったせいですか」としか思えないのである。

ストロボライト 『ストロボライト』の方は、作家志望の青年が、学生時代につきあっていたマイナー映画の出演者とのつきあいをめぐる物語で、こっちの方がまだマシであった。
 
 作家志望学生の卑小な自尊心、エロい下心、主人公にツンデレで好意を寄せる下宿の女子高生とか、ぼく的には面白くなる要素がいっぱいあるのに、そういうものは中途半端に放置して、青臭い「青春の追憶」の風味に仕上げてしまっている。セックスとかしているけど、全然生臭くないのはどうしてだろう。〈確かにストーリーレベルでは破綻しているように見えるけど、なんて言うか「映画」そのものがさっきまでそこに在ったような感触がずっとあって……〉(p.24)というのは自作への弁解でしょうか。鈴木翁二あたりの出来の悪い作品を読んでいるようである。

 ボロクソに書いてしまった。なんか青山景にうらみでもあんの? と言われそうだが、絵はこんなにぼく好みだけに期待してしまうんだろうな。

(『チャイナガール』/漫画:青山景/シナリオ:花形怜/小学館/09.8.25記)
(『ストロボライト』/青山景/太田出版/09.8.25記)



ピエール=アントワーヌ・ドネ『チベット 受難と希望 「雪の国」の民族主義』

チベット受難と希望―「雪の国」の民族主義 (岩波現代文庫)  AFPの元北京特派員が、1990年の段階でつづったもの。〈本書は反中国的なものではない。反チベット的なものでもなければ、反西側的なものでもない〉(p.13)と中立的記述を標榜するが、チベットへの中国の弾圧を告発する調子は随所にほとばしっている。

セブン・イヤーズ・イン・チベット [DVD]  チベット問題について認識が劇的にかわった! ということはなかった。基本的なチベット問題の理解を細部で肉付けしてくれた、という印象をもった。「基本的なチベット問題の理解」などとは偉そうだが、ぼくのそれはせいぜい池上彰『そうだったのか! 中国』(ホーム社)と映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」程度のお粗末なものなのだが。

 最も苛酷な事実が記されているのは、「支配と解体」の章で、「拷問・強姦・電気棒」「強制的な人工中絶と不妊」などだ。しかし〈テレビが西欧の農村共同体の伝統と生活を殺してしまったのとまったく同じように、ここでもテレビがチベット文化を暗殺しているのである〉(p.292)のようなくだりは、すでにその文章自体がチベット固有の問題でないことを明らかにしてしまっているし、そもそも「テレビによる伝統文化の暗殺」などという問題設定自身が有効なのかと首をかしげたくなる。開発によって旧来の文化や民族が浸食・圧迫される問題も、仮に平和的に融合がおこなわれていたとしてもどれほど避けられたことだったのかは疑問だと思った。

 政治的弾圧の無法さだけをもっと際立たせた方が、問題の中心点がうかびあがるような気がするのだが。

 〈国連安全保障理事会の一員である中国はまた、一九八四年一二月十日、国連によって採択された人権宣言にも署名している。中国共産党機関紙「人民日報」によると、「差別、集団殺戮、奴隷売買、難民の迫害、テロリズムは国際舞台で断罪されねばならず、このような犯罪に対する他国からの行動は『内政干渉』とはみなされることはできない」のである。しかし、「人民日報」は、市民の権利と義務、少数民族、女性、子供の保護、さらは犯罪者に対してとられる法的な制裁は、一国の内政問題の分野に属すると判断している〉(p.298)という指摘はチベット問題批判を内政干渉として扱うか、国際的人権問題として扱うかの中国側の基準を示していて興味深い。

 この問題に左翼がどんなふうに「口を出し」、行動するかはいろいろあろうが、そもそも事実自体を知らなくてよいということにはならない。左翼業界において、問題を知ったり、議論したりすることはもっと活発になされねばならない。

(岩波現代文庫/山本一郎訳/2009.8.13記)



田中圭一『マンガ家田中K一がゆく!』

 前回紹介の『野田ともうします。』について、つれあいが同作を読み、同作を高く評価。「これを『モテvs非モテ』の話としたらコンプレックスや競争心が前面に出て嫌味になる」というご批判をいただいた。うるせえ。

マンガ家田中K一がゆく!  さて本作であるが、作者あとがきにあるように、体験実話的フィクションとして興味深く読んだ。サラリーマン稼業をしながらどうやって副業の漫画家をこなしていったか、バレないようにどう苦労したかという話である。

 なぜそんなことにぼくが関心をもっているかといえば、今ぼく自身が このテーマに強い関心があるからだ。早い話が、ぼく自身の“副業”に風あたりが厳しいからである。困ったなあ。

 田中の、本業を絶対におろそかにしないという誓いと実践が実に偉いと思います。

 そういうわけなので、圧倒的に本作へのぼく関心はギャグではなく、その「事実」性にある。だから随所に挿入されている「田中圭一、本書の舞台裏を語る!」のインタビューが実は面白かったりするのである。大手出版社からの掲載の話を、最初の出版社の担当者から断るなんていう囲いこみが日常茶飯事とか、もともとの連載を載せていた掲載誌が休刊なのに他社で書いたらダメとか、どんだけ非常識なの。

(角川書店/2009.8.9記)



柘植文『野田ともうします。』1巻

野田ともうします。 1 (ワイドKC キス)  メガネでおさげで空気を読まない地味女子が主人公。冒頭、合コンの場でいきなりゲル閣下(石破大臣)の答弁のモノマネをやってしまうKY感に作品としてのぼくの期待度は高まった。

 しかし2話目以降は「地味女子」的な感じが退き、単なる「奇行」の類いへとネタがかわっていった。カラーボールへの異様な関心とか、部屋に「夢」とか「愛」とか書いた石を置いているとか。うーん、一定水準以上あって面白いんだけど、冒頭ほどの期待感が見出せないのはなぜだろう。

 田中圭一『マンガ家田中K一がゆく!』(角川書店)で披瀝されていたギャグの手法じゃないけど、地味女子の姿をした人が地味女子の生活を送りすぎている=当たり前すぎるからだろうか。モテ全開の容姿の女性が徹底的に地味だとか。

 いやー、そうでもないよね。ネタさえあればこの路線でもいいような気もする。

 思うに、冒頭で合コンの空気を破壊した野田のKYさにぼくは爽快さを感じたのだ。つまり、はてなとか2ch周辺で「スイーツ(笑)」とやっているような、非モテ界からモテ界への攻撃になることを期待していたのである。モテを笑い者にしてほしいという非モテのぼくのwktk欲望であったに違いない。地味女子ライフという設定は、モテ女子との対比で生きてくるのではないかと。
 けども、本作掲載誌読者でもあるモテ女子を敵に回すような度量は掲載誌にはないとふんだ。残念。

(講談社KissKC/以後続刊/2009.8.6記)