菊池直恵『鉄子の旅』


 つい最近、JR・私鉄の日本のすべての駅を制覇(通過ではなく降り立った)した「テツ」=鉄道ヲタク横見浩彦を案内人としながら、作者が編集者とともに、観光でもなく旅行でもなく、ひたすら路線に乗って、駅ごとに降り、駅周辺のみを「楽しむ」という悲惨な漫画。


 作者である菊池直恵は、「テツ」ではない。鉄道に乗ることなど移動の手段としか心得ていないかのような彼女にとって、「テツ」である横見に引きずり回されながらの鉄ヲタの旅は、苦痛以外の何者でもない。なのに、横見は毎回毎回テツとしてのハイテンションをさらけだし、菊池は横で冷ややかに(零下200度くらい)見ているのである。


「木次線には木次線にしかないよさがある!!
 ちょっと来て!
 三段式スイッチバックがあるんだぞ!!
 こんなふうに(腕で仕草をしながら)スイッチバックが連続してるんだ!
 これは珍しい!」

「ここはね、俺が昔よく『駅寝』をした場所なんだよ
 (駅で寝るってやつですね!――随行の編集者)
 そう! ここは窓が少なくて視界を遮るし、ベッドもある!
 ほら! 寝袋に入ってこうやって寝るんだ!
 (イスじゃん!――菊地)」

 人さし指を突き出して、目をつぶりながら、大口で叫ぶ独特のポーズ(もちろん菊池の漫画的誇張だが)をとりながら、横見は菊池に思想の押し売りを続ける。菊池は乗ったことがある電車だと「モーター音の違いとか」がわかってきてしまうようになったという具合に、次第しだいにテツ知識が「脳にインプットされていく」という「恐ろしいマンガ」なのだが……。


 ぼくが不思議なのは、いったいこの漫画はなにゆえ続いているのか、という問題である。

 コミック2巻のなかに挿入されている4コマ漫画で、連載当初の担当であるイシカワが、菊池にたいして、「本当よく続いてますよね。すぐ終わると思ったのに」とのべている。

 たしかに、横見の企画は、なかなかによく考えぬかれたものである。
 だから、企画自体を楽しめるようにはそれなりにできている。
 130円のキップで1都6県を「大回り」するとか、
 名古屋鉄道の実にいいかげんな路面電車の「駅」を紹介していくとか、
 青函トンネルにある「竜飛海底駅」をたずねるとか、
 「秘境駅」めぐりをして山小屋のような駅、がけっぷちの駅を案内するとか。

 この横見の企画に、なんだかんだいいながら、菊池の絵はよく奉仕している。
 菊池のペンタッチは、なかなかに細やか、かつ頑丈で、風景などをわかりやすくしっかりととらえる。紀行などの紹介漫画には最適だろうと思う。

 にもかかわらず、菊池は「あたしもいい加減慣れちゃって、ちょっとのことじゃ驚かなくなっちゃったし」などと贅沢をのべているように、横見の感動をどこかしら冷ややかに見ている菊池がいる。だから、駅や路線の紹介自体には、菊池自身の「愛」がいまひとつ伝わってこないのである。
 だから、この菊池のテンションで、はたして世のフツーの旅企画以上に、横見の企画を伝えているのだろうかと疑問がわく。


 では、しばしばこの漫画について言及されているように、この漫画の面白さは「横見という鉄道ヲタクの生態」であろうか。
 なるほど菊池も先のセリフに続けてこういっている。「駅とか鉄道とかより、横見さんの言動のほうがおもしろいんだからしょーがないじゃん」。

 たしかに横見の言動は愉快だ。コミックのなかに挿入されているテツ語録はなかなかにそのテツっぷりを伝える。ぼく的には「メモなんか後にして」が非常に好き。
 ぼくも、ヲタ友人とともに日常会話で横見の真似している。「次のコンビニはね! セブンイレブンなんだけど、シュークリームがここ限定なんだ!」などと。人さし指をたてながら。
 しかし、ある種のパターンである横見の描写は、いささか単調な感も否めない。
 偏愛のみを描写していれば成立するほど商業ベースは甘いものではない。

 だから、ぼくは1巻の最初を読んだとき、まさにこの漫画の最初の担当者と同じ危惧をもったのである。「こんなんで連載が続くのか」と。

 しかし、続いている。


 なにが続けさせているのか。

 ぼくが思うに、「ひとはみな、鉄道ヲタの素質があるから」というのが結論ではないかと思う。
 なんというとんでもないことを言うのかと怒り出す諸兄よ、しばし待たれよ。

 しかし、路線と駅を制覇することの楽しさ、鉄道というシステムや駅舎へのフェテシズムを、ぼくらは読みながらどこかに感じているのではないだろうか。まあ、万人がそうだとはいわないが、少なくともこの本を読みつづけている人は眠っていたテツ魂があったに違いないとぼくは思うのだ。

 横見のホームページをみると、制覇した私鉄路線の日誌が載っている。
 そのなかに、ぼくの実家の名古屋鉄道(名鉄)西尾線・三河線も登場する。
 ぼくも、幼少のみぎり、意味もなく周辺の駅を乗り降りするのが大好きで、とくに無人駅が多い名鉄路線はまずキップがよかった。昔は無人駅から乗った場合、車掌が車内で発行してくれるキップは、非常に薄いペラペラの紙で、名鉄の全線・全駅が所狭しと書いてあった(その細かい路線図に乗車駅と降車予定駅をパンチしてもらうのである)。いまはハンディタイプの精算機があるのでこの風情が失われているのだが、この特殊なキップがぼくは大好きで、名鉄というシステム全体を手中におさめた、えもいわれぬ感覚がしたんだよ!
 駅舎がまたいいんだ!
 いまはもう壊してしまたけど、名鉄福地駅にはふるいタイプの駅舎があって、昔は職員がいたことをしめす駐員用のスペースもあって、存在自体が田舎駅なのに歴史を語っているんだ!
 さらに、いまは廃線になってしまった三河線の西一色駅の駅舎も、乗降客がほとんどいないのに、無駄にデカイんだ! そのあと取り壊されて、ただのバス停タイプになってしまったのがさびしい……。
 はっ!
 気がつけば、人さし指をつきだして、腕をブンブンふっているぼくがいるではないか。

 ことほどさように、人はみなテツの素質をもっている。
 だからこそ、愛のない路線描写であっても、単調なテツの偏愛ぶりの描写であっても、ぼくらはずっぽりとのめりこめるのではないか。

 ちょっと強引な結論にきこえるやもしれぬので、言い方をかえると、テツの因子をもつ人は、この漫画に何かしら惹かれて読みつづける。テツのDNAをもたぬ輩は、この漫画から早期に離れていくのだ。

 ところで、あるブログで、水と油ほどの関係にある横尾・菊池の両名をさして、

「ぜひ最後まで対立を続けていただきたい。
 とかいいながら、
 そのうちくっついちゃったりしてね(^m^

 などという、世にも恐ろしいことが書いてあったのじゃあ。
 漫画ヲタの読書の視線からは絶対に出てこない、この恐ろしい想定の新鮮さは革命的である。





『鉄子の旅』(小学館IKKIコミックス)
菊池直恵(旅の案内人 横見浩彦)
1〜2巻(以後続刊)
2005.2.26感想記
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