「ゆるキャラ」にさえならない「とつか再開発くん」


 いやほんとにもうまったく偶然のことなので驚いているのだが、決してコバンザメ商法とかじゃないんだ! 信じてくれ!
 つーのは、昔から「自治体の考えるマスコットや『キャラクター』ってすごいよなあ」ということをくり返しつれあいなどと話題にしていて、今日あたりそのことをサイトに書いてアップしようと思っていたら、職場のサブカル好き同僚の「さー、今日は帰って『ゆるキャラ日本一決定戦』を見なきゃ」という発言を聞きつけ、ツッコんでいったら、テレビ番組の話(テレビ東京系「TVチャンピオン」)。そして、すでにみうらじゅんが自治体などがつくる二流マスコットを「ゆるキャラ」として徹底的に定式化していて、日本で知らないのはぼくくらいになっていたという状態に愕然としたっつうわけ。
 しかも放映の当日とまったく同じ日にその話題をアップしようとしていたというこの……いや、もう誰も聞いちゃくれねえな。

 最近知ってファンになったのは、この右のキャラ「とつか再開発くん」である(右図※1)

※1:出典は横浜市の公式ホームページ
http://www.city.yokohama.jp/me/toshi/totsusai/index.html


 いかがであろうか。

 これを、キャラの完成形態ともいうべき、アビスパ福岡のマスコット「アビー」と比較してみよう(右図※2)

※2:出典は福岡アビスパの公式ホームページ
http://www.avispa.co.jp/html/char.html

 まず、このネーミング。
 「アビー」は市民公募によるネーミングだそうだが、アビスパをイメージさせる「アビ…」という語感と蜂の「bee」をかけるというヒネりを一応入れてある。
 これにたいし「とつか再開発くん」は、そのまんまやんけ

 そして「とつか再開発くん」の、この肢体。
 ひょっとして何か由来があるのかもしれないが、一見して何を表しているのかがまったく不明である。おにぎりが花瓶に生けてあるようにも見えるのだが。
 顔の中央にあるのが、口なのか鼻なのか判別不能なうえ、額に「と」。キン肉マンのノリであろうか。
 かつ、「どうでもいい感」を漂わせる手と足。クツなどを履かせているようだが、わざわざ履かせたクツの「おざなり感」が哀愁さえ誘う。
 体躯の部分にある「T.S」の文字。「とつか・再開発」ですか。またしてもそのまんま。
 そして自治体キャラにありがちな「得体の知れない笑み」をたたえている。ほかにも徳島県の国体キャラである「すだちくん」などをみても、この「得体の知れない笑み」は自治体キャラにとって共通項だといえる。
 宮部みゆき『模倣犯』で次々と残酷な怪事件をひきおこす主犯は「ピース」と呼ばれていた。ピースマークの笑みに似ていることからそう呼ばれていたわけだが、いまや、この種の笑みがもつ意味は、「仮面の笑い」としての上辺だけの笑み、あるいは底知れなさである。

 これにたいして、アビーの方は世界を席巻した帝国主義的な普遍性をもつディズニー型の絵柄(※3)で、キャラとして最高度に完成されたいわば最終形態である。そして、「怒っている」という表情をデフォルトにしている。
 小憎らしい得意顔をしている「NOVAうさぎ」や陰惨な目つきをしている「ルミ姉」などと同じように、どちらかといえば「負の表情」のほうが、こんにちではリアリティを獲得しやすい。

 ディズニー型のキャラが普遍性=帝国主義的世界性をもっているのにたいして、日本的な風景の中で心につきささるのは、少し前に話題になった佐賀県大和町(現在は佐賀市に合併され消滅)の「まほろちゃん」であろう(右図※4)。そう、いわずと知れた「萌えキャラ」である。
 髪の色やツヤ、形がそこはかとなく「萌え」へと傾斜しているが、決定的に他の自治体キャラから飛翔している、その核心をなすのは眼である。「漫画のなかにあって、眼はもっとも重要で特権的な記号である」(四方田犬彦『漫画原論』p.122)といわれるとおり、このキャラは眼を生かしきっている。

※4:出典は佐賀市の公式ホームページ
http://61.7.107.209/kids_link/

 漫画評論家・伊藤剛のブログ「トカトントニズム」も今日その話題(ゆるキャラ日本一)だったんだが、伊藤の用語法にならえば(※5)、自治体がつくるマスコットはまさに「プロトキャラクター態」すなわち「キャラ」である。
 基本的に線だけで構成される描かれたものが、独自の生命感・存在感を発揮する、それが伊藤の言う「キャラ」であるが、ディズニー型を、その普遍性において、「最終形態」だということができるとすれば、自治体がつくりだしている各種のマスコットは、まったく「ハンパ」な形態なのだ。
 それゆえに、みうらじゅんが「ゆるキャラ」と命名する独自の脱力感が生じる。

 しかし、「とつか再開発くん」はその「ゆるキャラ」からさえ、周回遅れの存在となっている。独自の生命感・存在感さえもたない、幽霊のようなキャラ。いわば「プロト・プロトキャラクター態」とでもいおうか。



※このページのつづき(続編)
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/totsuka-saikaihatu2.html


※3:「記号的なキャラクターが、もともと文化の壁を超えやすいというのが、ディズニーが持っていた本来の力なわけです。…〔中略〕…ミッキーマウスという記号化されたキャラクターを考えるときに、これがリアリズム的として描かれていないということは、つまり、キャラクターを理解するための対照する世界認識が要らないということですね。…〔中略〕…キャラクターは物語や世界観からは本来解離しているのです。つまり、キャラクターはそれ自体として知識も前提もなしに理解できるからキャラクターは『届く』のです」(大塚英志『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』p.176〜177)

※5:「『キャラ』を定義するとすれば、次のようになる。多くの場合、比較的簡単な線画を基本とした図画で描かれ、小有名で名指しされることによって(あるいはそれを期待させることによって)『人格・のようなもの』として存在感を感じさせるもの」(伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』p.95)

2006.4.21記
※画像の使用は「引用」の原則をふまえているつもりです。
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