マルコム・マクファーソン『墜落!の瞬間』



墜落!の瞬間―ボイスレコーダーが語る真実  前にぼくは「墜落機のボイスレコーダーはいつ聞いても恐ろしい」と書いた
 本書は、その墜落機のボイスレコーダーを東西28もの墜落事例から集めてきたものである。生還例以外、どれも「恐ろしい」。


真相究明には役立たないが

 28例もあるので、たしかに墜落という現象がさまざまな要因からおきるという認識の広がりは得られるものの、短いものは1事例3ページしかない。ボイスレコーダーの墜落部分と簡単な状況説明がほどこしてあるだけだ。真剣な原因の解明、というものにどれだけ資するのかは疑問。
 かなりの部分、「読者の野次馬的な興味」を想定してつくられ、出版され、売られているというものだろう。だから、読んでその感想を書いているぼくも、正直なところをいえばその立場とあまり選ぶところはない。

 筆者は冒頭で「最初に筆記録を手にしたのは、飛行機は本当に安全なのか、といった単に個人的な関心からだった」とのべ、ボイスレコーダーを小説仕立てのように脚色する気はない、としている。だが、こう書いてみたところで、本書の記述自体が真相を究明していく力にはなりはしないだろう。
 さいきん、米田憲司『御巣鷹の謎を追う』(宝島社)が出たが、こちらが事故調査委員会の報告への疑問をていするために、技術論や証言をていねいにひろっているのとくらべれば、本書『墜落!の瞬間』が読者の「好奇心」「猟奇」に奉仕しようとしていることは一目瞭然だ。

 それでも。

 どれほど邪(よこしま)な態度から出発しようとも、これを読んだ人は、おそらく飛行機事故に関心をもつようになる。新聞で飛行機のアクシデントの記事をみれば、これまではヘッドラインだけに目を落としてさっさと次の記事にいっていたはずの人が、本文まで丹念に読むようになるだろう。
 依然、それが猟奇や好奇心の範囲を出ないものだったとしても、事故の「真相究明」を求めるうえでの大衆的世論を形成していく大事な素地を培養する。ひとびとは、真摯で清らかな鎮魂の立場からだけ事故の真相にアプローチするわけではないのだ。

 つまりぼくは「通俗」の感覚で、この記録の感想を書いてみる。


整備における「手抜き」がもつ意味

 第一に、整備におけるささいなヒューマンエラーがそのまま大事故につながるということである。

 96年におきたアエロペルー航空603便の事故は、洗浄のために機体の穴をマスキングテープでふさぎ、洗浄後それをはがし忘れたことが大きな原因だった。その穴に空気圧などを測るプローブ(検知器)が入っており、この穴をふさがれると、ボーイング757は「盲目同然」の状態になる。
 この「はがし忘れ」は、その後のフライト前の検査でも見落とされた。

 その結果、検知器はデタラメな数字をしめした。
 ボイスレコーダーでは、機長は計器を信じ、副操縦士は計器を信じない様子が伝わってくる。

 機長「失速なんてしていない! これは間違いだ、何かの間違いだ」
 副操縦士「間違いじゃありません! この振動が失速じゃないとしたらいったい……」

 そして9700フィート上空を飛んでいるつもりが、実は海面近くに来ており、乗務員がそのことに気づくのは海面に接触してからなのである。

 このボイスレコーダーを読むと、たとえ計器が狂っても、乗務員の判断や技量で事故をまぬかれる可能性が高いということがわかる。しかし、その事故の大状況をつくった整備のミスは、ほんの一瞬の判断が命とりになるということだ。
 自動車の場合は逆である。一瞬のハンドル操作やわき見がコンマ数秒後に大惨事へとつながるが、計器や整備の不備は、いったん車をとめて確かめることができる。
 飛行機の場合、上下左右にほとんど障害物はないから、飛行中でも次の操縦を考えたり判断をしたりする時間がいくらかある。しかし、整備上のトラブルは、いったん離陸してしまったらカヴァーしようがない。

 そこから、「整備や安全のための体制をいささかでも軽くする」ということの犯罪性がうかびあがる。これは「交通手段の安全」一般とは異なる、航空機独特の事情だ。


機械対人間

 第二に、さきほどアエロペルー603便の事例もそうだが、操縦者との関係では「機械対人間」のたたかいになって、墜落にいたることである。

 94年名古屋空港に落ちた中華航空140便は、着陸のさいに乗務員がうっかり「テイク・オフ・ゴーアラウンド(着陸復行)」スイッチを押してしまい、飛行機は自動的に空港への進入を中止して空港を迂回しようとするためのあらゆる傾向をしめすようになる。
 これにさからって乗務員はなんとか着陸を敢行しようとする。
 「こうして機長と副操縦士対オートパイロットの戦いが始まった」。
 その結果失速がおき、地上に激突するのである。

 ラウダ航空004便でも、機械は「飛行中に逆噴射をおこす可能性がある」という警告を発するのだが、乗員は「湿気か何かが原因だろう」とこの警告を軽視するのである(事故の報告では「この事故は回避できないものだった」とされている)。

 ここに難しさがある。機械を盲信すればアエロペルー603便のようになるし、かといって、その声に耳をかたむけなければラウダ004便や中華航空140便のようになる。
 有視界飛行ができるときは別として、それ以外の時に、パイロットが身体感覚をもって飛行できるなんらかの別のしくみが必要になるのだ。


一瞬で状況がかわる

 第三に、日航123便のように、「墜落の恐怖」を30分も味わうという事故はそれほどなく、ほとんど一瞬で状況が変化し墜落にいたるものが少なくないことである。

 パシフィック・サウスウェスト航空182便は、近くを飛んでいたセスナが通り抜けたと思ったら真下にいたというものである。
 それに気づき、衝突、墜落まではあっという間だ。
 ちなみにこのボイスレコーダーでは「セスナがどこかへ行ってしまった」という思い込みや願望が、どれほど危険なものかということを生々しく伝えている。

 ソ連のミグに撃墜された大韓航空機007便も、ミサイルをうけて撃墜されるまでほとんど時間がない。当然乗員は何が起きたのか知る余地もないのだ。

 さきほどあげたラウダ004便にしても、逆噴射が設定されて空中分解をとげるまでは一瞬である。機長の「あ、逆噴射が設定された」というセリフは、顔色を失わしめるはずのものなのに、一見呑気に読める。事実というものがいかに無情に、突然、ぼくらを暴力的に見舞うのかということを教える。


 以上、まさに「通俗」の「シロウト」見解である。

 事故の真相究明には役立たないが、航空機事故にたいする個人の認識や関心をふかめるうえでは役に立つだろう。


 ボイスレコーダーは専門用語が多いので正直読んでいてどういう状況になっているのか、わからない部分が多い。しかし、それでもなんらかの緊迫感は伝わってくるし、別に読み飛ばしてもよい。




 蛇足であるが、JAL123便事故もここに載っていて、注意書きもあるのだが、翻訳をおこしたものであるのでボイスレコーダーは日本語の原文とちがっている(たとえば「機首上げろ」は原文では「あたま上げろ」である)。日本語ですでに存在している文献があるわけだから、訳す時は原文を尊重したほうのがよかった。




『墜落! の瞬間 ボイスレコーダーが語る真実』
マルコム・マクファーソン編著 山本光伸訳
ソニー・マガジンズ ヴィレッジブックス
2005.7.5感想記
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