榛野なな恵『月の見えるテラスで』


 冒頭に余談であるが、少しでもサイトを読んでくれている人がいるかと思うと、ついサービス精神で新しいジャンルにも漫画を広げてみようかと、逆にいうと、いくら面白いと思ってもすでに紹介した作家ならもうやめようかと、思ってしまうのだが、ハタと思い直し、自分の面白いものをやはり書いていくことにした。そうやっていい加減な気持ちで始めたサイトだったではないか。

 だってさー、『スクールランブル』とかさー『ラブひな』とかさー、いや面白くないとはいわんけど、お子ちゃまなんだもん……。どうせいっちゅうのかと思う。また何かの機会にとりあげるとは思うが。

 と馬鹿な前置きをし、本題の『月の見えるテラスで』である。


 美男子で、大学生のくせにホストクラブでホストをしている薫が主人公。薫は高校時代、佐原という女友達とこんな会話をかわす。

「佐原さんはちょっと正しすぎるっていうか まっすぐすぎて
 ついて来れない人もいるんだよ」
「だめかなあ やっぱり そういうのって」
「ダメじゃないよ 僕はいいと思う」
「ありがとう薫君」

 過日。
 文化祭の企画をクラスで話し合っているとき、佐原が手を挙げ、

「おかしいと思います
 総合テーマは『世界を知り自分を知る』なのに
 何の発見も反省も無くてただ自分達が楽しいだけで

 世界で何億もの子供達が飢えや戦争で悲惨な状況にあるのに
 私達はそのことに痛みも感じず幸福を浪費している
 たとえ疑問を持っても行動しないから
 何も変わらないんです」

とラジカルな意見をいう。
 しかし、これはクラスから嘲笑をもってむかえられるのだ。
 薫はとっさに判断に迷うだが、みんなといっしょに笑ってしまう。
 それを佐原に見られる。
 佐原の悲し気な顔。

 その後、佐原はシカトのいじめを受け、そうこうするうちに何かの事情で学校をやめてしまい、薫は二度とそのことを釈明する機会をもてなかった。「とりかえしのつかない」一瞬だったのだ。

 薫が授業中寝てしまうほど無理をして、「虚業」であるホストをやってお金をかせいでいるのは、実はこのとりかえしのつかない瞬間を原状回復したいがための、しかしある意味空しい行為なのだ(それがなんのためかという具体的な話は読んでほしい)。

 とりかえしのつかぬ瞬間を、とりもどそうとする空しい試み――これ自体は、決して珍しい演出では無い。よくある手法だ。しかし、この話のどこにぼくらは錐でもみこまれるような「痛み」のリアルを感じるかといえば、この高校の回想シーン、すなわち、正論を擁護できずに大勢に飲まれて逆にそれを攻撃してしまったというその瞬間である。むろんこれは友人を裏切った、という現れ方をしていてそのことが痛恨なわけだけども、その裏切りの核心というのは、まさにその部分なのだ。

 少なくともそれは今のぼくにとっては、かなり「痛い」ことである。
 まじめであるということ、もっといえば「善」をなすということ、それを主張するということは、いまの日本では、しばしばかなりの勇気をともなう。むろんそれは杞憂に終わり、理解や賞賛をもって迎えられることも少なくないわけだが、まるで地雷をふむようにときどき苛烈な攻撃を受ける。
 ただ自分が傷つくというにとどまらない。
 その瞬間、「どうせ世界は変わらない」「世の中はこんなもの」「偽善者め」と嘲笑を浴びせる友人たち、もっといえば友人たちのそのような悲しい側面をぼくらは見てしまう。

 友人たちには――そして自分にも――いろんな側面が複雑に同居していると思うのだが、そうはいっても、その一番悲しい、退嬰的で、怯懦な側面を見る時ほど悲しいことはない。
 民衆(あえてこの語を使うが)が民衆を憎む、あるいは嘲笑するという行為──そこでは無知と怖れだけが支配する。生活や尊厳を進歩させようという上昇力は一切影を潜め、権威や旧習に牢固として隷属する、悲しくも、哀れで、無力な存在だとしか見えなくなる。

 だから、この漫画は、十分にぼくには痛い。

 むろんそのすぐそばには、自分だけが正しいとか孤高であるとかという、慢心が口をあけているのではあるが。
 榛野自身には、残念ながら、その嘲笑する側を理解しようとするメンタリティは無い。
 孤高の美しさだけが、彼女の気持ちをとらえている。
 『卒業式』でも『Papa told me』でも、榛野にとっては、主人公はいつでも孤高であり、平凡を好む「民衆」がいつも理解不能な存在なのである(だから、しばしば榛野は、理解されない主人公を「異星人」や「異国人」として扱う)。

 榛野の作品は、いつもこうした世界を彼岸と此岸に分けるというあやうさの周辺にいる。
 左翼にとってもそれは危険な魅力に満ちた設定で、たえず「理解できないヤツら」を設定したくなってしまう誘惑に駆られている。

 それにつけても、ぼくが萌えてしまったのは、主人公薫のおねいさんである。

 またしても、メガネ、さばけた会話、知性……、ああ、もうだめぽ。
 惚れ惚れと何度も読み返す。こんなふうにあしらわれたい、などと。


  *      *     *


 今号(2003.9)の「ヤングユー」誌は全体として堅調で、いい作品が多かった。とくに、友人の結婚式で急きょ写真撮影を頼まれスピーチする上司を「連写」するという、上田めぐみ『あきらめない女たち』は笑った。




集英社「ヤングユー」2004年9月号掲載
2004.8.12感想記
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