細川貂々『ツレがうつになりまして。』
藤臣柊子『みんな元気に病んでいる。』




 「○○さんはウツだそうです」と人生において初めて身近にその種の情報を聞いたのは、思い出してみると、東京で仕事をしていたとき、約10年前だったなあ。そのときはハレモノに触るような心境だった。

 職場として対策をとるために、医者に話を聞きにいった人が「ウツは『がんばれ』と言っちゃいけないそうだ」と話していたのを聞いて、ぼくは「カゼになったらショウガ湯を飲む」みたいな、一定の合理性のある民間療法みたいだなあ、などと思ったものだったが、あとで紹介する細川貂々の本にも出てくるように、それはわりとポイントをついたアドバイスなのだった。

 それから、親しい友人にそれに近い症状が出た。これが8年くらい前だろうか。これには自分自身もまきこまれて、ものすごくアタフタしてしまった。「死にたい」と電話してくるので、四方八方に電話をかけまくったり、医者に相談したり……。

 それから現在に至るまで、ウツそのものという人、ウツに近い症状の人をふくめると、この10年のあいだに、ぼくのまわりに本当にたくさんの人がウツなのだということがわかった。

 1980年代には、うつ病の生涯有病率(一生のうちに一度は病気にかかる人の割合)は、5%だと言われていた。
 厚生労働省の2002年度の調査では20歳以上の住民に対する調査では、うつ病の生涯有病率が7.5%、いずれかの気分障害が9.0%だと報告されている。

〈たった二〇年で、有病率が倍増しているのです。一般人口の一〇〜一五人に一人はうつ病を経験するという、私たちがこれまで経験したことのない時代が訪れています〉(野末浩之『本人と家族のための「うつ」の本』p.40)

 このテの病気にかんする漫画といえば、有名なのは藤臣柊子だろう。
 ぼくが最初に読んだ漫画は、藤臣の『みんな元気に病んでいる。 心がしんどい普通の人々』である。ぼくもこの本の刊行当時に読んだ。



なぜか共感できない藤臣の『みんな元気に…』


みんな元気に病んでいる。―心がしんどい普通の人々  『みんな元気に病んでいる。』は、ぜんぶで19話の「心の病」(ウツだけではない)にかかわるエピソードをのせている。文庫版裏表紙に〈ふとしたことから、心の病いにかかった「普通の人々」を描き、著者が自身の体験をもって、励まし語りかけるコミック・エッセイ〉とあるように、ウツの経験(現在も完治していないという)がある藤臣がその一つひとつに2〜3ページくらいのコメントをつけていくという手法をとっている。

 裏表紙の紹介文のとおり、〈「決して自分だけじゃないんだ」と、読んで心がふーっと軽くなる本〉という効果をねらっている。

 しかし、ぼくは当時もそうだったし、今改めて読み直してもそう思うのだが、「決して自分だけじゃないんだ」「読んで心がふーっと軽くなる」ということはない(ちなみに今の時点でぼくはウツでも何らかの気分障害でもありませんが)。

 たとえばどの話でもいいのだが、第7話「買っているときは、楽しいの」をとりあげてみよう。

 〈夫の浮気に対する腹いせから、狂気の買い物依存症になったC子の場合。(29歳・保険外交員)〉というエピソードである。買い物依存症になったC子は、友人のさそいで保険の外交員になるのだが、すぐにノルマ制となって契約の獲得でキツくなってしまう。C子はふらりと買い物に出てジャンボポッキー30個を買ってきて、大笑いしながら職場のみんなに買い与えるという「奇行」におよぶ。夫と二人の子どもを残し、〈ある日突然 C子は姿を消した 消息はまったく不明である〉(文庫版p.81)というのが結末で、最後の小さいコマで藤臣が登場し、次のようにコメントする。

〈夫の浮気がひき金になっただけで実はいろいろため込んでいたと思うなあ〉。そして手書きで〈もっと早くに 他に向けることができてたらねー〉とある。

 まず、これだけ読んでも、ぼくには〈ふとしたことから、心の病いにかかった「普通の人々」〉という調子にはならない。なるほどこうした悲劇に見舞われている人にしてみれば、それを「普通のことだ」といわれれば「心が軽くなる」のかもしれない。
 しかし、ここでは、多くの読者がもつ、ある種の「こわれっぷり」を読もうとする欲望に応えてしまっていないだろうかと思う。もちろん、その「多くの読者」のなかにはぼくも入っているわけだが。「死体をめぐるポルノグラフィー問題」、すなわち残酷さを暴くという名目で残酷な死体を見たいという欲望にこたえる死体写真をめぐる問題のように、ウツや心の病をめぐる症例がここでは、「うわーうわーうわーうわー」といいながら覗き込んでしまう物語として扱われている。

 だいたい、漫画のあとに一つひとつつけられている藤臣のコメントは、「自身の体験をもって、励まし語りかける」などという調子ではなく、説教にしか聞こえない。
 なんでこんなにエラそうなの
 先ほどの第7話のコメント(p.82〜83、引用中の強調は藤臣)。

〈家庭とか家族ってすごく大切なもんだと思う。
 だけど、それに頼りすぎてはいけないのです。
 「あたしは幸せ」って、その幸せのなかにどっぷり浸かりきってるってのは、ある種怠けていることになるのだ。〉

〈キツいことを言うようだけど、なんとかして状況を自分で変えないと、自分の状態は全然よくならない。
 つらくてもキツくても、生きていくのが人生なのである。
 でも、少しでも楽しいほうがいいよね。
 だったら、何をしたら楽しいか。そんなことを考えたらどうだろう〉

 自分の立場を押しつけず、つとめてクールに言う。なのに言い放つ言葉に強い自尊と説教の調子が混じる――こういう藤臣の言い草が、自分の身近にもいる女性(同窓生)に似て、なじめない一冊なのである。



サポートセンターで働くって大変そう


ツレがうつになりまして。  さて、藤臣の本をえんえん紹介したのは、この細川貂々の本書が藤臣の『みんな元気に病んでいる。』とくらべても非常に共感がもてるつくりになっているという比較がしたかったからである。
 藤臣と細川の絵は、どちらも絵そのものが深刻さを引き受けない簡略体であり、その点はよく似ている。
 だが読んでうける印象はまるでちがう

 表題のとおり、細川のツレが突然ウツになってしまい、激しい動揺と沈みまくる症状、それに巻き込まれている細川、しかしその後本人も努力しつつ、細川がそれをサポートし快復していく過程を描いている(完治はしていないが)。

 細川のツレは「ハードウェア−メーカーのサポート係」の仕事をしていた。
 まずそう聞くだけで、たいへんだなあと思う。
 事実、〈怒っているお客様をなだめるスペシャリスト〉(p.14)などとある。
 自分もコンピュータのことでサポートセンターなどに電話するが、ぼくがコンピューターのことはまったくシロウトなのでこちらの説明が要領をえず、むこうも困っているなあと感じることはたびたびあるし、年輩の人(「クリック」という言葉がすでに分からない人)や距離感がとれない人(いきなり怒鳴りあげる人)が架電してきたらどんなに大変であろうか、などと想像してしまう。

 くわえて、30人いた社員がリストラされて5人になるのだが、このとき、ツレ氏の反応は、瞳をうるませて「期待されてるっ」「がんばるぞー」であった(後ろに手書きで「勝ち組!!」とある)。ふたりでお祝までしたと。
 こういう反応になってしまうというのは、なんだかすごくよくわかる。しかし、飽くなき剰余価値の追求に応じて有機的構成を高度化させていく資本の欲望に、本人も周囲も犠牲になっているわけで、それを連帯して反撃するでもなく、「不運」をまぬかれた「己の実力」に快哉を叫んでしまうというこの状況そのものが哀しい。哀しいだけに、リアルなのである。

 案の定、ツレ氏は、激増する仕事に追いまくられる。

・ひとりサポートセンター
・サポートしながらひとり修理センター
・部品の在庫管理
・英語ができないのに外国本社との交渉

 これが半年続いたというのである。
 これはこわれてしまうだろう。
 疲れすぎ。失敗つづき。不眠。あげくにある朝、真顔でツレ氏は「死にたい……」と言ったのだ。

 藤臣の漫画は――ウツだけを扱っているのではないという違いに留意しなければならないが――大半が家族、幼少期の傷跡、本人の心の持ちようの問題として扱われているのにたいして、細川の漫画は、たまたまツレ氏がそうであったにせよ、「環境によって誰にでも起こりうる問題」としてぼくらの前に提起されている。



パートナーがウツになることを想像する


 冒頭に「死にたい」といったぼくの友人の話を書いたけども、その「騒動」に自分が巻き込まれ、なおかつ医師の話を聞いてぼくが感じたのは、
  1. 病気として医師の処方が絶対に必要であり、本人も周囲もそれを指針にすることが必要。シロウト考えでの個人対応は危険。
  2. 真摯にサポートできるのは家族(または恋人)以外にはないし、部外者は責任など持てないのだから、親切心で中途半端に何かすることのほうが余計悪いのだということ。それ以外の関係者は、冷たいようでも、一般的な原則を守ってニュートラルに接するのが一番。

ということだった。つまり一定のコンパスをもった。
 しかし、依然ぼくのなかで解決されていない問題は、ぼくの身近な人、たとえばぼくのつれあいがウツになったとき、どうするのか、という問題だった。ことわっておくと、つれあいは今ウツではない。ただし、つれあいの職場にウツの人が多く、驚くべきことにスタッフの半分以上がウツなのだった(母数は少ないが)。そらー、心配にもなるわ。
 もちろん、この逆のパターン、ぼくがウツになることもありうるのだが、そのときつれあいはどうするのか。

「もし、わしがウツになったらどーする?」
「もしあんたがウツになったら、わし、どーすればいいの?」

などという会話が夫婦間でしばしば起きる。それくらい、ぼくら夫婦にとって、「片方がウツになったらどうするか」という問題は、周囲にそういうケースが多いだけにリアルな課題なのである。

 細川の漫画は、まさにこのぼくの不安の急所をついた漫画だった。
 細川自身が〈小さいときからうしろ向きな性格〉〈ヒマさえあれば落ち込んでグチをこぼす毎日〉〈ツレにもずいぶんやつあたりをしてきました〉(p.36)という状態だったという。
 ゆえに、ツレ氏が落ち込み〈一日中解決できないグチをエンドレスで聞かされる〉(p.37)というふうに立場が逆転したとき、細川は〈うっとーしー〉(同)と思ってしまう。

 この〈うっとーしー〉は果てしなくリアルだ。

 正直、もしつれあいがこの状態に陥ったことを想像すると、ディティールが描けない今の時点ではこの〈うっとーしー〉という気持ちになるんじゃないだろうかということが、ものすごく容易に頭に浮かんでしまうのだ。

 しかも、細川の漫画を読んでいると、〈私が不安に落ち込むとツレにうつる〉(同)というのだから、サポートする方はこりゃあ大変だあと思った。

 〈PART2 一番、重くて、つらい時期。〉の章を読むと、細川の涙ぐましいまでの努力が伝わってくる(もちろん、ツレ氏本人の苦闘も)。気持ちがダウナーになって負のスパイラルを描いていくツレ氏を何とか上向きにさせようと、楽しい踊りなどを踊ってみせたりする。
 また、何もできないダメ人間だと激しく自己卑下するツレ氏を〈私なんか家事全然できてなかったでしょ ツレはちゃんとできてエラいよ〉(p.44)などとサポートしてみるのである。

 かといって、サポートする「いい子ちゃん」の姿ばかりを細川は描かない。ある日、細川が爆発してツレにひどい言葉を連続して投げつけ、大騒動になっていくくだりのように、ときどきサポートに疲れたり、わがままとも思えるようなツレ氏の要求にムカついたりする心の動きを、きちんと描いている。
 テレビの音が「つらい」という理由で、布団のなかで泣きじゃくるツレ氏に配慮して、テレビの音声を極小にするのだが、〈時々いじわるして〉(p.54)、ツレ氏が一番キライな「渡る世間は鬼ばかり」シリーズのテーマ曲を大きくしたりするなどといったエピソードも、なんとなく微笑をさそううえに、「いい子ちゃん」的でなく好感がもてる。

 クラシックおたくだったというツレ氏はそのクラシック音楽さえ聞けなくなってしまうのだが、そのことを細川は妙なフシギさとともに感心し、ウツのことを、宇宙人のようなカゼ、〈宇宙カゼ〉(p.53)と呼ぶのである。
 なんだか、ふざけてバカバカしいような話にも聞こえるが、これが細川自身の心の平衡を保つ、細川流の病気理解なのであろう。

 理解し難い症状が次々襲うという事態を、ちょっとしたユーモアにくるめて自分の心にたたんでしまうという心理的な操作術で、事実、そのあとも本書で細川は〈宇宙カゼ……おそるべし〉(p.58)などといった理解を書いている。

 このように、ぼくはサポート役の細川の方にずっと目がいってしまった。そしてまさに、細川の視線と同化して、ツレ氏のウツゆえの「奇妙さ」を「宇宙カゼ」として把握しながら読んでいる自分がそこにいたのである。




「病めるときも健やかなるときも…」


 一番感動したくだりは、ツレ氏が随所にはさんでいる1ページ弱のエッセイ〈ツレのつぶやき〉の7回目「結婚10年目の同窓会」だった。
 カトリック教会で結婚式をあげると結婚講座を開く、というのは、けらえいこの本で知っていたのだが、細川夫妻はこの同期の講座生たちと結婚同窓会を毎年開いていたという。
 1年あけて久々に参加したその同窓会で、細川がみんなの前で経過を報告するくだりである。

 キリスト教式の結婚の誓約にしばしば「健やかなるときも病めるときも……」という文言があるのを多くの人は知っているだろう。
 細川はあの誓約を読み上げ(紹介されている文章は少し違うのだが)、〈去年は彼が病気で……〉(p.97)とそこまで言って、嗚咽で先がつづけられなくなったという。

 ぼくのまわりにもパートナーの心の病で、けっきょく別れてしまった人が何組もある。離婚には人それぞれの事情があるから、離婚した人がその人に耐え得なかったということではない。ただ、病気のときにパートナーを支えつづけるのは難しい、ということは共通していえるのではないかということだ。

 ぼくのつれあいがこの本を読んで言っていたのは、どちらかが仕事に問題がない時期だったのは非常に幸運だったのではないか、ということだった。つれあいが仕事がうまくいかずに落ち込んでいた時期があったが、仮にぼくがその時期に同時に落ち込んでいたら、破綻していたかもしれない、とつれあいは言う。ましてや、どちらかがウツなどの心の病にかかっているとしたら、支え合うなどということは容易なことではなかっただろう。

 そのようなときに、健康なときだけでなく、病気のときも支えたという事実は、おそらく並み大抵のことではなかったろうし、ここで細川が嗚咽し絶句したというのもぼくなりにうなずけるのである。共感した。

 さて、あらためて藤臣の漫画をみてみると、細川の漫画に比べて短すぎたというのが最大の欠点だろうと思う。過程を丸めすぎているので、誤解を生じやすいのだ。
 いや……やっぱり藤臣が描くと、長く描いたとしても共感や好感がもてないかもしれない。藤臣の漫画は目線が上過ぎるのである。

※現在藤臣はこのサイトでウツについて漫画化している(UTU-NET)。


藤臣柊子『みんな元気に病んでいる。』(光文社知恵の森文庫)
細川貂々『ツレがうつになりまして。』(幻冬舎)
2006.9.16感想記
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