鍋島雅治・はしもとみつお『築地魚河岸三代目』


 「『美味しんぼ』の山岡士郎の目が、目玉焼きに見えてしかたがない」という悩みを、大学時代に友人からうちあけられた。たしかに、一度、そう見えてしまうと、二度と目玉焼き以外には見えなくなる。
 エクスプローラーの「中止ボタン」も、「しいたけ」に見えて弱る、という苦情を聞いたことがある。IEユーザーのぼくは、爾来しいたけにしか見えなくなった「中止ボタン」をながめつづけている。それは関係ないが。

 さて、そういう悩みを聞いて、はや10年の歳月が流れた。

 あまり漫画を読まない友人や同僚に「どんな漫画を読むか」と聞くと、かなりの割合で『美味しんぼ』が入ってくることに、ぼくは驚きをかくせない。86巻(続刊)、全1億冊というから、勢いが衰えるということがないのだ。おそるべし『美味しんぼ』

 評論家の関川夏央が、1990年にすでにこの漫画について酷評している。

「自然食品の優秀さについてはうんぬんしても、そのコストについては語らず、結局は社会が悪い、悪い社会はどうしようもないから財力を貯えて自然食品を買いつづけるという態度は、少なくとも流通不安を呼ばない。この作品もまた八〇年代の明朗なニヒリズムの産物に違いなく、ニヒリズムを雑知識で武装して足れりとする傾きは、現代日本をみごとに体現しているといえる」

 ひさびさに読んだ最新86巻では、冒頭に、「高価な材料を使えば美味しいのは当たり前」と発言する専門学校の校長が海原雄山の逆鱗にふれる。雄山のもとで働いている女性は、

「その校長 最低ですね

と吐き捨てるように言う。
「先生が最高の食材を集めるのにどんなに苦労されているか、わかってません。いい食材を作る人にはそれ相応に報いなければとおっしゃって、高いお金を払ってるんです」

 うーむ、まるで関川が叱られているようだぞ。「その評論家 最低ですね」。

 関川は「読むのにさしたる抵抗のない理由は、ほとんどすべてこの父子対立構図の安定感によっている」と指摘するが、いまでは逆に山岡以外の周辺人物が次々融和を図ろうとする立場になり、山岡自身の対立感情も中途半端に描かれ、この父子対立構図は気持ちの悪い崩れ方をしている。
 「それはまさに山岡が海原雄山に心を開きつつあるという証拠なのだ」という見方もあろうが、そういう中途半端さではないんだな。これが。

 山岡が海原雄山にたいして憎まれ口をたたくときのセリフが、どうもいけない。
「だからと言って閉め出すという雄山の態度も偏狭でごう慢だよ。種田は雄山の被害者だ」
 なんといったらいいか。山岡が憎悪と敬意の間でゆれているとかいう、そんなニュアンスじゃなくて、山岡という役者がヘタな台本を読んでいるような、そんな感じ。
 しかもその憎まれ口をたたくときの山岡の口。
 「│││││」という、実に中途半端な歯ぎしりの「記号」が入る。いや、漫画なんだから記号なんだが、とにかく徹底して中途半端なんだ。まあ、ごらんあれ(下図)。歯ぎしり記号が2本くらい「││」しか見えない。見えないかなぁ?


雄山への憎悪の記号としての歯ぎしり(雁屋・花咲『美味しんぼ』より)

 作者の迷いというか、山岡の雄山への憎しみを本気で描こうとする作者のエネルギーがもう全然ないっつうか。ほんとに申し訳ていど。


 さて、『築地魚河岸三代目』と遠く離れてしまった。
 『築地魚河岸三代目』は、リストラで99人の首を切った銀行員が、100人目に自ら首をきり、義父の跡をついで築地の仲卸の店を継ぐという物語である。主人公は生来のうまいもん好きで、その天性の嗅覚で、読者とともに一つひとつ魚や魚河岸というものを知っていく。

 ぼくは『美味しんぼ』はそんなに好きではないのに、同じような食べ物系蘊蓄漫画であるこの作品はどういうわけか、飽きがこずに全巻買いつづけている。

 何がちがうのか。

 じっさいのところ、ぼくにもよくわからないので、どんなエピソードが自分としては「萌える」のかをあげてみると、つぶれそうになっている食堂を助ける話とか、スーパーでイワシや寿司をどうしたら売れるか工夫をこらす話とか、そんなのをやっぱり食い入るように読んでしまう。

 うーん、よくわからんが、ひとつは目線じゃないかと思う。
 『美味しんぼ』は、山岡と雄山という二つの巨匠が上からかぶせるように極意を説く。初期のころ、山岡が質の悪い料理店や評論家を粉砕していくというエピソードは小気味よかったが、「グルメを制するにグルメをもってするというやり口」は「長く読むうちにやがて退屈を誘う」(関川)。
 だが、『三代目』は、魚河岸のシロウトである主人公が謎ときのように、読者の目線で、迷い、格闘し、その答えを出す。スーパーものや店再興もの(そんな「もの」があるのか)は、したがって、そういう格闘が一番端的に出てくるので、面白い。

 もうひとつは、関川が、『美味しんぼ』を社会を変わらぬときめんで高価な自然食を買い込むというニヒリズムだとのべたことに対比して、『三代目』ではバシバシと「社会」に目を開くという点ではなかろうか。
 東京湾16万坪の埋め立て、三番瀬、川辺川ダム……。どんどん社会に目を見開き、主人公はそこにとびこんでいく。7巻では、主人公じしんが川辺川ダムまでとび、かなり立ち入ったダム計画の批判をする。
 『美味しんぼ』では、コメ自由化にたいして、ぼくからみれば腰砕けの話しか描けなかった。

 『三代目』が政治主義といわれようが、エネルギッシュにわれわれに迫ってくるのは、根底にニヒリズムをかかえていないからである

 なーんてえらそうにね。
 そんなこと書く前に、コンビニに依存した食生活をやめろってんだ。と自分にツッコむ。


作/鍋島雅治・画/はしもとみつお『築地魚河岸三代目』
1〜9巻(以後続刊)小学館ビッグコミックス
2003.12.5記
参考:関川夏央『知識的大衆諸君、これもマンガだ』(文春文庫)
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