真鍋昌平『闇金ウシジマくん』9巻




※9巻以前の感想はこちら
※ネタバレが少しありますが、バレても作品の面白さは変わらないとぼくは思います。



闇金ウシジマくん 9 (9) (ビッグコミックス)  9巻の結末に驚いた。驚いた人は多かろう。ネット上でも驚いている人が多い。

 わがつれあいも驚いていた。彼女は、産休に入る前に彼女の同僚から「スピリッツ」(『ウシジマくん』の連載雑誌)を借りて第88話を読んだ。そしてこのエピソードの主人公である宇津井は日雇い派遣・ネットカフェ難民からホームレスとなり、最後はホームレス狩りに遭って、当然のように「死んだ」とばかりつれあいは思っていたらしい。

 ぼくもつれあいからそのように宇津井の様子を聞いていた(なんか実在の人物みたいだな)。「『ちょん』って感じで、ホントにあっけなく死んだんだよ」とつれあい。『ウシジマくん』という漫画の救いようのなさを確認しあったものである。
 実際、88話には、宇津井が倒れて小屋に捨てられたあと、人ひとりいない河原の遠景を何カットにもわたって描写し、まるで宇津井の死がその風景に何の影響も及ぼさない「瑣事」であるかのような効果を醸し出しまくっていたのである。

 ところが、つれあいが、復帰して同僚に『ウシジマくん』のその後を尋ねると(仕事のことを尋ねろよ…)、なんと驚くべきどんでん返しがあったのだという。そして、それはつれあいからぼくに伝わり、そのあらすじだけ聞いてびっくりしたものである。

 それもそのはずで、宇津井は実は生きていて、まあ早い話、更生するのである。介護の仕事につき、夜は週1でパン工場で働く。そして、ウシジマの「慈悲」で1年間と区切られた闇金の借金をまじめに返すのだ。
 介護先の老人にも慕われ、職場の若い女性にも親しまれ、賃金が安いとボヤく同僚を前に「俺はこの仕事に本腰入れますよ。それに、俺はもうあれこれ選べる状況じゃないから……」。
 公営住宅の狭い部屋で家族4人で鍋を囲む風景は何とも幸せそうである。

 おかしい! こんなのは『ウシジマくん』ではない!
 と誰もが叫んだことであろう。

 ただ、『ウシジマくん』は、連載の最初の方で大雑把にあつかった主題をリサイクルさせ、大幅に作り直していることがある。1巻の「若い女くん」シリーズは、フーゾクの話であるが、5巻からの「フーゾクくん」になってもっと練られた形でよみがえっている。
 この宇津井が主人公になっている「フリーターくん」シリーズも、1巻にある「バイトくん」のリメイクといってもいいもので、1巻の「バイトくん」のときもやはり他人を見下すだけで何の実体もないプライドにしがみついているフリーターが主人公であった。
 そして、後悔しながらパチスロでカネを失い、借金を重ねる。あげく「電車に飛び込む」寸前までいく。しかし、主人公は山奥の重労働「現場」にトバされるのであるが、死の深淵をかいくぐったせいか、労働の後のお茶を「うまっ」とさわやかに飲みほし、労働の充実感を味わっているかのような終わり方をするのだ。宇津井のエピソードとかなり重なることがわかるだろう。

 これは、作者・真鍋がこうした倫理観にこだわっていることを示すものである。

 宇津井の結末、すなわち「フリーターくん」シリーズの結末を読んでぼくは一つのリアルさと明るさを感じつつも、やはりこういう結末のつけ方を不快に感じる部分が自分の中に残った
 宇津井は更生した後、自分のブログにこう綴る。

「人生の落とし穴がそこらじゅうにあいている。
 ちょっとした穴に見えても
 実際、深過ぎて一度落ちたら上がれない。
 でも本当は………………
 誰かが手を差し延べてくれたら、
 簡単にはい上がれる程度の穴なのかもしれない」

 借金、実家からの放逐、先の見えない日雇い派遣、住処のない不安——宇津井の行為には「自己責任」とよべる部分がたくさんある。しかしいったん外れるとなかなか元へは戻れない。それが宇津井の言う「深すぎる落とし穴」という比喩だ。働こうとする宇津井に絶えず住居のない不安、借金に吸い取られていくむなしさ、将来への絶望が押し寄せ、宇津井から勤労意欲を奪っていく。「見たくねェ現実の借金200万円が重荷となって、全てのやる気を失うぜ」(8巻)。

 宇津井に差し延べられた手は、(1)父親の手、(2)自己破産の法制度と相談システム、(3)毎月5万の返済を1年続ければ借金はチャラにするというウシジマの「慈悲」(反吐が出るような!)である。
 (3)は法律的な義務としてはないから、家族の決意さえあればいいことなのだが(1)(2)は多くの人にとっては絶対的な困難ではない。そういうふうに考えるとたしかに、
「誰かが手を差し延べてくれたら、
 簡単にはい上がれる程度の穴なのかもしれない」
という訴えは一定の説得力がある。

 宇津井は、過去に何度も腰をひどく痛めているのに、おそらく最も腰に悪いであろう職業の一つ、介護の職場を選んだ。
 宇津井の同僚が「キツい仕事なのに給料安い」とボヤくのは道理があるのだ。東京新聞07年8月5日付によれば介護労働者の半数が「腰痛」を訴え「深刻な問題」(同記事)となっている。また賃金も介護労働者全体で平均月20万円ほどしかなく(2005年)、労働者全体の平均より4割も少ない。ヘルパーにいたっては「実際の月間収入は約八万二千五百円」しかない。離職率も20%にも達する。
 「低賃金できつい仕事」がこの記事の見出しである。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/seikatuzukan/2007/CK2007080502039286.html
 真鍋は周到な取材にもとづいて、わざわざこの職業を宇津井の「更生」後の職業にもってきたことがわかる。

 かつて宇津井は、“腰を痛めたからデスクワークを希望”した。それは一種の「甘え」として本作では描写されている。
 もはや生命も財産もすべて失う危機をくぐってはじめて宇津井は「俺はもうあれこれ選べる状況じゃないから……」とあえて介護の仕事につくのである(ちなみに介護は猛烈な需要で有効求人倍率は07年5月で1.70にもなる)。

 だが、「腰を痛めたからデスクワークを希望」することは「甘え」であろうか。あるいは、仕事がキツいのに給料が安くて将来が見えないと離職を考える同僚は「甘え」であろうか。ぼくは、とうていそれを「甘え」だと一蹴することはできない。
 客観的にみて、宇津井はなおひどい貧困の中にいる
 たしかにホームレス狩りに遭って殺されるという絶望の淵から抜け出せない状況と比較すれば、宇津井は労働倫理を回復し、借金のしがらみから解放されつつあり、宇津井は人生への楽観を取り戻そうとしている。そのことはラストの笑顔でも確認できる。
 生きる気力が取り戻せれば人生何とかなる——そう、まさに「何とかなる」とは思う。貧困の中にある人であっても、日々苦痛に歪んだ顔をしている人はそうそういるわけではない。大変であっても生きる根拠を見いだせているのだから生きているのだし、そこに「楽しさ」もあるだろう。

 だが、なおも宇津井は腰痛の不安をかかえながら介護の仕事と工場の夜勤を重ね、「低賃金」のなかを生きているという現実は変わっていないのだ。仮に宇津井の腰痛が再発したら、生活保護は腰痛という理由だけで果たして受けられるのだろうか(ちなみに息子が同居することで両親と祖母の生活保護支給は一体どうなったのだろう? そして痴呆が出ている祖母の介護費用は?)。

 人間の当たり前の理として、救われ、更生した宇津井を見て喜んでいるぼくがいる。同時に、貧困のなかでアリのように働いている宇津井を見て、これをハッピーエンドのようにして終わらせていいのか、と感じるぼくもいるのである。

 もちろん、ぼくが不快感を残したからと言ってそれはこの漫画の出来が悪いという意味ではない。逆に、漫画として非常によく出来た作品だと思う。十分なリアルさを確保したうえで、結論をギリギリ開いたままにして読者に渡し、考えさせているからだ。
 「フリーターくん」シリーズは、『ウシジマくん』のなかでも現時点で最高の到達となったと思う。





小学館ビッグコミックス
1〜9巻(以後続刊)
2007.9.5感想記
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