私事ではありますが



 私事ではありますが、ぼくもついに「ひとの親」となりました。

「なんか、エントリに出産とか子育て関係とか多くね?」
「ひょっとしておつれあいは、おめでたですか?」

というスルドすぎるツッコミを入れてきたサイト読者の方もいらっしゃいました。まったくもってその通りだったのであります。

 3000グラムの「娘」が生まれました。
 今の職場の同僚から、
「女の子の親だからこれからはエロ漫画のこととかうかつに書けんな! 
( ゚∀゚)ハハハハハノヽノヽノヽノ \ / \/ \」
と脅されましたが、これからも性と愛を赤裸々に綴っていきますので気にしないで下さい。



あれでも難産じゃねーのか?


 出産は「普通」でした。
 ……というとつれあいが目をむいて怒りそうです。
 実は破水(赤ちゃんを包んでいる羊膜が破れて羊水が流れ出ること)から出産まで28時間かかっています(平均は初産の場合、陣痛から出産まで12時間ぐらいです)。普通は破水は陣痛の後にくるのですが、つれあいは順番が逆転しました(前期破水)。といっても予定日を過ぎていましたし、すぐに陣痛が来たので、それほど深刻ではなかったのですが。
 陣痛から出産まで30時間をひとつの目安として「難産」かどうかを見るのですが、そこまでは至らなかったからです。ブログとかみると2日かかっている人もいたりして、そういうケースにくらべるとなるほど「普通」なんだなとは思いました。

 しかし。

 それは冷静で客観的な基準であって、当事者の主観的な記憶からすると、「まったくあれを難産と言わなくて何を難産と言うんだよ!」とつい言いたくなってしまいます。
 微弱陣痛、つまり娩出力(産み出す力)が弱く、最後は吸引分娩となりました。で、看護師さんとかが息んでいる彼女の上に乗って、お腹をギュウギュウと押すのです。いやもう見ていて拷問しているとしか思えない光景でした。

 さらに、陣痛促進剤を入れて何時間も「放って」おかれます。つまりわざと痛みを大きくする薬を入れて、それで何時間も様子を見るのです。看護師や医師は2時間おきぐらいにしか巡回に来ない。「全然親身じゃなーい!」とぼくは心中、怒り狂いましたね。「これで母子に何かあったら、絶対告訴してやる!」とか「もし二人とも死んだら、俺も死ぬ」とか(マジ)。
 しかし、客観的にみれば医師や看護師の態度はごくあたりまえの冷静な態度なんであって、怒り狂っている方がこの場合おかしいのです。

 んでもって28時間です。
 痛みを感じているのは彼女であり、ぼくは横にいただけで何をかいわんやであるのですが、それでも横でずっと呼吸の同調をやって背中やお尻をさすり、なおかつ「大丈夫なのか」と心配し続けているとヘトヘトになってしまうのです。
 終わってみて「あれで『難産』ではないなんて不条理だ!」と思うのは、ぼくの主観的な記憶からすればやむを得ないのであります。まあそれくらいは甘えさせて下さい。

 ただ、そうやって苦労したので、出てきた瞬間には、つれあいといっしょに号泣してしまいました。とくに最後はつれあいと懇意にしていた助産師さんをはじめたくさんのスタッフが来て懸命にやってくれたので、赤ちゃんが出てきてみればもうスタッフが神様みたいに見えました。さっきまで「告訴」とか思っていたくせに(笑)。現金なものです。

 出産というのは誰でもやっていることではありませんが、それでもいま日本に1億人以上の人がいるなら、その人たちの分は確実に経験されてきたことのはずだから「多くの人がやっている」ものなわけです。
 だからマア、車の免許を「多くの人がとっている」、それを取るときはそれなりに大変なんだけど結局多くの人が取れているんだから特殊な人にしかできないようなアクロバチックなことではないはずだ! それと同じようにむちゃむちゃ難しいことじゃないはずだ!――などという類推を働かせていたのですが、出産に立ち会ってみると「こんな大変なこと、多くの人がホントにやってんのかー!?」とか思ってしまいました。そもそもぼくの覚悟が甘過ぎたのでしょうか。



事実婚、胎児認知


 それから、ぼくら夫婦は事実婚です。なので、子どもはどうするのかということがあったのですが「男ならぼくの籍、女ならつれあいの籍」ということにしようとしてあったので、つれあいの籍になることになりました。

 実は手続き的には、事実婚の場合、父親の籍に入るより、この方が簡単です。

 まず、ぼくもつれあいも子どもが生まれる前に「分籍届」を出しました。親元から籍を抜いたんですね。戸籍謄本をそれぞれの本籍地のある役所から郵送でとりよせました。
 それで、母子関係は生まれれば自動的に確定するので、問題はぼくと赤ちゃんの関係になります。
 ぼくは赤ちゃんが生まれる前に認知をしたかったので、「胎児認知」というやつをやりました。
 これはなんと母親の本籍地があるところでないとできないのです。
 彼女の本籍はむちゃくちゃ遠かったのでそんなところまで行っておれません。それで分籍して今の住所地を本籍地にしたんですね。
 胎児認知では認知届に、認知する子の名前を「胎児」と書きます。けっこう妙な感じがして面白かったですが(笑)。

※事実婚夫婦の各種届け出については下記のサイトが参考になりました。
http://www.tom-yam.or.jp/~kazu/childlaw.html

 胎児認知すると何かいいことあるでしょうか?
 いえ、ぼくの場合、なんもありません。
 強いてあげれば、出生届に父の名前を書けることぐらいでしょうか(胎児認知でないと事実婚の場合は、父の欄は空欄になる)。
 あと、ぼくがすぐ死んだ時の遺産相続とか。もちろん遺産は3000億円はあります。脳内に。

 父親の籍に入れる時は、さらに家庭裁判所にいったりせねばなりません。こういうモロモロの手続きが面倒なために、形式上婚姻届を出し、すぐ離婚届を出す人もいます。同僚は4人の子どもがいるので、4回結婚・離婚しています(笑)。

 ところで、なんで事実婚なんだ? という疑問をもつ人もいるでしょうからちょっとふれておきますが、まあ、それぞれ名前を変えると別人みたいでいやだなあというのが一番の理由です。ぼくの本名でつれあいの苗字になると、ものすごく貴族みたいになってしまうのです(笑)。あと、名前が変わると業績の蓄積上、不利なことがあるということもあります。この後者の点の不利益に関する説明が、一般の人(親戚など)には非常に難しく、よく(´_ゝ`)フーンとか言われて会話終了になってしまっていたのですが、「消えた年金」問題勃発以降は説明が非常にラクになりました

※事実婚のもろもろについては下記が参考になります。
http://woman.nikkei.co.jp/culture/lecture/lecturelist.aspx?Genre=rm



子どもができると漫画評に影響するのか?


 子どもができると世界がかわるかどうか、そのあたりのところはまだわかりません。「漫画の感想や批評に影響が出るんじゃないのか」という人もいます。このへんもわからないんですね。

 ぼくがときどき見ているホームページ「よしのずいから天井をのぞく」の人も最近子どもが出来たんですが、もー、日記が子育て一色に(笑)


「赤ん坊が生まれると、すべてが赤ん坊を中心に回る。
とは聞いていたが、確かにその通りであった。
のんびりとこんなところに書き込んでいるヒマはない
授乳すればウンチが出、出ればすっきりするのでまたおっぱいを求め、まだ体力がないせいか、おっぱい飲んでいる途中で眠りにおち、寝たかと思って布団に寝かせれば正気に返り、振り出しに戻るのエンドレス。
誰かが言っていたように、修行僧の境地で無心に対応するのみ」(強調は引用者)

 ああ、ってことはこんなホームページとか書いている場合じゃなくなるのかなあと不安に。

 面白かったのは、この人が大久保ヒロミのコミックエッセイ『あかちゃんのドレイ』(講談社)の感想について「あかちゃんのドレイ、それは私です」と冒頭に書いたあと、

あかちゃんのドレイ。 2 (2) 「出産前に『覚悟』するために読んだときには、正直いって、大したことないなあと思っていた。振り回される日々をデフォルメしすぎなのでは、とも思っていた。ところが今回、出産後に改めて読んでみたところ、激しく共感して思わず爆笑してしまったのである!特に94ページ。おそらく、個々のエピソードは、どれも平凡なもの。しかし出産という、ディテールは十人十色、でも基本は共通の体験を経た者には、どうも身に覚えがあり、かつ経験していない人とは共有しにくいエピソードばかりなのである」(強調は引用者)

と書いていたことでした。
続ご出産!―まるごと体験コミック ぼくも出産後、『ご出産!』シリーズを読み返してみました。
 出産前はただ「痛み」のことだけが強く印象に残ったのですが、今回読み返したときには、看護師や助産師の対応の一つひとつ、出産までの時間、陣痛促進剤の投与、母乳の吸わせ方、過呼吸で手がシビれる……など細部を食い入るように読み直してしまいました。とくに「放置」されたときの不安な心境とか(根津靖世のケース)、前回はまったく視野に入ってこなかったのですが、今回はぶんぶんとうなずきながら読んでしまいました。


新ご出産!―まるごと体験コミック 実はこのシリーズ、つれあいが出産前にくり返し読んでいて、どうもイメトレのための強力な武器になったようなのですが、このように事後読んでみるとまったく違った漫画のように思えてきました。

 至極単純な真理ですが、やはり今後、出産だけではなく子育てや教育などの見方にも影響し、それが漫画の読みにも何らかの影響を与えるのでしょう。経験と概念は近代において大規模な分離をとげていますが、やはり一体となった部分ができれば、その部分はまったく別の世界像を構成するにちがいありません。

 逆に、30代、40代を「子どものいないカップル」としてすごす感覚から得られるものはおそらく永遠に失われてしまったことになります。まあ人生、何かを選択すれば何かを手放さなければならないわけで。


 自分でも生活と世界観がどんなふうにかわっていくのかをこれから実験するような気持ちで見てみたいと思います。





2007.7.1記
メニューへ戻る