NHKスペシャル「ワーキングプア」を観てのぼくの感想にたいする批判メール



※NHKスペシャル「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」の感想

 ぼくの上記の感想については、さまざまな反応があった。ライブドアニュースでは格差問題ニュースの参照サイトにされた。ブログ上だけでなく、メールもいただいた。以下はぼくの感想に批判的な方からのメールである。ご本人の許可をいただいて、公開する。仮にA氏としておこう。
 本文中で「著者は」とあるのは、たぶんぼくのことだろうと思う(ライター/自由業だと思ってくれているようである)。


------- ここからメール -------------

格差とは貧困の問題である NHK「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」について著者に考えてほしい事項がいくつかありましてメールさせていただきました。

なお、誤解の無い様に、私も毎月の可処分所得が10万円に満たないサラリーマンであることを予め宣言しておく。

まず社会制度を語る上で、個々の事例をもってその根拠とすべきではないということ。どこの世界にも哀れな人々は一定水準存在する。それのみをクローズアップして制度そのものの影を非難するのはあまりにも早計だ。
特に今回の番組で言及されているケースは、そもそもワーキングプアとは関係が無い。巧妙な番組構成による欺瞞といってもよい。

確かに、
「資本はいくらでも後から押し寄せてくる若い「失業予備軍」を吸収しさえすればいいのだから、フリーター(非正規雇用)は使い捨てである。」
や、
「非正規雇用の大規模な活用によって所得を移転している、早い話収奪していることによって成立しているということなのだ。」
は、広義においては正しいし、激しく同意するものであるが、この番組の本質はどこかと問われれば、
「しかし、現実には、おそらくその人の責任だと見てしまうような「手落ち」がいくらかでも含まれているケースが大半だろう。」
に帰結する。あの長文はまさにこの1行に収束されてしまう。

番組で取り上げられた人々のうち、真に働けど働けど暮らしが楽になっていない人とはだれか?あえて極言すれば、あの中で現状を変えるための努力をしている人など一人もいない。

考えてみてほしい、
  1. 日本に34歳のホームレスは一体何人いるだろうか? そもそもなぜそこまで落ちぶれたのか?
  2. 年金額は何十年も前から決まっている。なぜ老後の生活を考えた蓄えをしなかったのか?
  3. 日本中の農家が自由化に対応できていないのか? 赤字ならいっそ辞めればよい。
  4. 本当に学ぶ意思があるのなら、奨学金や特待生といった大学に入る制度はいくらでもある。


「より根源は「社会の構造」にあるのだとぼくは考えるし、この番組はその立場にはっきりと立っている。」
さんざん保護政策が続けられたせいで、努力する意思を失わせたという意味で同意するが、社会の構造が努力を無駄にしているという意味では同意しない。

「そして生活を支えるはずの社会保障が逆に生活の貧困化を促進してしまっているという事態が、からみあって地方を襲っているという様子が「見事」なまでに描き出されている。」
これに関してはまったく具体性が無いし、単なる感情論でしかない。単にお涙頂戴の目くらましで本質を見失っているとしか思えない。社会保障のどの制度が原因で人々の努力が無駄になっているのか? そもそも、自力でどうにも出来ないから社会保障を必要としているのであって、努力している人は社会の保障など必要は無いのだ。

例えば著者は「お隣さんは頑張ってるんだけど低所得だからあなたの原稿料から10%お隣さんに配分します」といって納得するだろうか?しばらくして、「お向かいさんが高齢かつ年金生活で、年金が少ないっていうのであなたの原稿料から10%更に配分してください。」といわれてどうぞどうぞと言うだろうか?

「結局、貧乏人は早く死ねってことと同じだ」
あなたが本当に世の中間違っていると思うと思うなら、増えた分の介護保険料を払ってやるべきだ。74歳と言えば現役時代はさんざんいい思いをしたはずだなのに、

私ならいまさらよくもそんな台詞がいえたものだなと言ってやりたいぐらいである。


あなたに将来仕事がなくなったとして、社会の構造のせいだと言いますか?そもそも自由業なんて社会の構造にすら属していないのですよ。

彼らは、それまで努力をしてこなかったツケがいままさに露呈しているキリギリスに過ぎない。私も確かに気の毒だとは思う、何とかしてやりたいと思う。
しかし、それが次世代への借金と言う形でどっさりと積まれている。お金には限りがある、もはや際限なく個人の欲求を満たしてやることは出来ない。


------- メールここまで -------------

 ある意味で典型的だと思うので公開した。このメールを読んだ人が各々なにかを感じていただければと思う。ぼく言いたいことは基本的に前のエントリ(感想)のなかで書いてあるし、A氏の議論についても基本点はふくまれていると思うので、とくに逐語的な反論はおこなわない。

 ただ、一点だけ述べておきたい。
 それは、なぜここまでA氏がA氏自身は自分の足で立っているかのような自信に満ちているのか、という不思議さについてである。これがA氏の議論の基調をつらぬいているように思われた。なのでこの点だけを言及したい。
 A氏は社会保障について「自力でどうにもならないから社会保障を必要としている」「努力している人は社会保障の必要はないのだ」として、原稿料のたとえを持ち出している。

 「自力でどうにもならないから社会保障を必要としている」「努力している人は社会保障の必要はないのだ」。本当にそうだろうか。

 この感覚はわりと広くある。ぼくはサヨクだから、ビラなんかつくったりして「福祉充実を」なんて書くと、「あたしゃフクシの世話なんかにならないよ!」といったりする人がいるけども、この感覚に似ている。社会保障とかフクシというのは、生活保護、せいぜい失業給付くらいがイメージされているのだろう。

 努力している自分は社会保障などというホドコシを受ける必要はないのだ、と。

 しかし、現実には、社会保障の給付を受けない人はまれだ。
 日本の社会保障給付費は年間80兆円くらいあるのだが、そのうち9割近くは「年金」と「医療」が占めている。2000年の統計で、年金が55%、医療が35%くらいだ。生活保護や失業給付などはぜんぶひっくるめても10%くらいしかない。

 年金や医療を受けない人というのはなかなかいないだろう。
 そこには所得再分配の結果としての、税金がたっぷり投入されている。資本主義体制下であっても、企業体、とりわけ独占体(大企業)は社会的責任をもっている存在として、そこで得た富を税として回収されてきたし、社会保険料負担をおこなってきた。左翼であるぼくからみると、まさに資本主義のなかに、社会が企業体をコントロールするシステムが育ってきているのだなあと思うわけだが。
 いずれにせよ、A氏が年金や医療の給付などを返上していれば話は別だろうが、実際には「自力でどうにもならないから社会保障を必要としている」わけである。

 仮に、年金は保険料をたくさん払っているというのであれば、実際に払わずに貯金しておけばよい。計算すればわかるが、自分の保険料を貯金だけしても受け取る年金額は出てこない。会社から支出される保険料分プラス税金によって、どうにかこうにか安い年金を受け取れるのである。

 だれもが、社会保障の「お世話になっている」のである。そしてA氏の原稿料のたとえを借りるなら、まさにぼくはそのための費用を、「原稿料(所得)」のなかから、年金保険料や健康保険料、労働保険料として毎月毎月拠出し、そして、所得税や住民税、あるいは消費税という形で、「お隣さんは低所得だから」ということもコミで払っている。

 社会保障が貧困を促進するとは、老人世帯などの場合、二極化しており、富裕層はのぞいて、多くの「年金ぐらし」の世帯では、介護保険料、医療保険料、医療費自己負担、くわえて介護保険利用料が次々にひきあげられ、年金は逆に物価スライドでダウンしており、社会保障システムが貧困化を促進する要素になっているという意味である。まさにあのNHKスペシャルで報道されたとおりである。

 自分はすべて自己責任でやっている、という人がいるけども、独占資本主義の時代になって、この社会の富は独占体によっていったん集積され、主に税や社会保険料という形で公的に還元されている。だから普通に暮らしていれば、自分以外の財源、すなわち公的セクターの「お世話」によって生きているのが普通なのである。






2006.10.13記
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