NHKスペシャル「ワーキングプアII 努力すれば抜け出せますか」の感想



※NHKスペシャル「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」の感想こはちら
※NHKスペシャル「ワーキングプアIII 解決への道」の感想こはちら


番組の内容

 2006年12月10日放映のNHKスペシャル「ワーキングプアII 努力すれば抜け出せますか」は、前作「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」の第2弾。
 非常に戦闘的な、言い換えると論争的な中身だった。

 前作はワーキングプア(働く貧困層。生活保護水準以下ととりあえず規定されている)の実態とそれを生み出す構造を描いた。これにたいして、「II」はもちろん引き続きワーキングプアの実態を描くのだが(前作に1400通もの反響があり、キャスターの鎌田自身も未曾有の経験だという)、サブタイトルにあるように「努力すれば抜け出せる」という議論に、ルポを通して反論している。
 「努力すれば抜け出せますか」という疑問、そして反語として。

 「ワーキングプアといっても、努力すれば抜け出せるではないか」――これは自己責任論にもとづく最も有力な議論である。実際にインターネット上でも前作への反響としてこのような議論があった。
 そして、安倍内閣がかかげる「再チャレンジ」政策も、その語感からもわかるとおり、「努力して抜け出せ」という見方が根底にある。番組はこの潮流にたいする雄弁な反論になっているとぼくは感じた。

 「II」は、女性・中小企業・高齢者という3つの分野をみていく。



働くのに精一杯で資格がとれない――母子家庭


 まず女性。女性というジャンルをもうけたのは、おそらく、正社員化の道が男性以上に狭くなっており、非正規としてより簡単に「調整弁」になりやすく、ワーキングプアからなかなか抜けだせないからだろう。

 2つのケースが紹介された。
 一つは、母子家庭だ。10才と12才の男の子をもつ鈴木さと美さん(31)。福島県で4.5万円の家賃のアパートに3人で住み、夜中はコンビニ弁当の生産を各工場にふりわける仕事、昼間は建設会社の事務の仕事をしている。こうやって月給は18.2万円だという。子どもたちの学資など必要な控除をすると、食費など裁量が効く費用のために残るのは2万円余。
 2万円。2万円で母子3人が食べていくのだ。

 小さな子どもが2人いるというだけで、企業の多くはすでに門戸を閉ざす。高卒の正社員だった鈴木さんは結婚して退職。出産後、離婚し、すぐ仕事を探すが、正社員の道はない。スーパー、ビル管理などを8回も職を変わっている。子どもの看病を申し出ただけで解雇されたりした。

 それでも生活できたのは、月4万円もの児童扶養手当が国から支給されていからである。厚労省のホームページにも次のようにある。「女性が一人で子どもを育てながら、働き、子どもとともに生活をするために必要な収入を得ることは大変です。 児童扶養手当制度は、このような母子家庭の生活の安定と自立を促進するため設けられた制度です」。
http://www.city.kimitsu.chiba.jp/hokenfukushi/jido_katei/boshi/Jido_fuyo.1.htm

 しかし、これが2002年に改悪され、08年から最大で半分に減らされるのである。
 かわりに国は「就労による自立」のための支援メニューを用意した、というのが理由だ。じっさい、鈴木さんも介護福祉士の資格をとろうとしたが、専門学校卒業が条件であり、通学には昼間の仕事を辞めねばならず、それは不可能なことだった。

「(専門学校に)行きたくても行けない。したくてもできない。それを簡単に『自助努力』と言われたら、じゃあ……」

 鈴木さんはこう言って、言葉に詰まりながら、次のように続けた。

「……こうやって生活している私たちは、『自助努力が足らない』ということに値するのかなって……」

 番組では、鈴木さんの子育ての様子も映し出される。食事の間はテレビを見ないというルールを定め、それにそむいてぐずりだした次男を叱る。叱った後は、子どもの目線に落として「何で怒られたかわかる?」と聞くのだ。
 忙しさにかまけて甘やかし放題とか、逆に叩いたり怒鳴ったりするだけとは違い、子育てにきちんと手間ひまをかけているという印象をうけた。一人で母親役と父親役をこなしている、と番組ではナレーションがあった。
 限られた情報からの印象にすぎないが、子どもは二人とも歴史や宇宙、数学や体育が好きだと述べ、しっかりと育っているというふうに見えた。
 
 昼間の仕事のとき、昼休みに30分仮眠をとる鈴木さんの姿が映し出される。泥のように眠っている。休日に子どもたちを3000円の費用の範囲でお祭りに連れていったあとで、夜の仕事に出るのだ。大丈夫か、と番組スタッフが聞く。

「大丈夫、というかやるしかない。大丈夫じゃなくてもやるしかないですよね。あと10年がんばれば体がぼろぼろになっても子どもたちが巣立つと思うので、あと10年、自分がどうがんばれるか、どう子どもたちとむきあっていけるかっていうのが、今私が果たさねばならない責任だと思うし」

 一体この人の人生はなんなのか、という思いが胸に迫ってくる。子どもが巣立つまでの「つなぎ」――それがこの人の人生なのだ。
 「扶養手当があるから自立しようとしない。ならばそのカネをうちきって日干しにすれば苦しくなって自立へむけて努力するだろう」――国の、こういう貧しすぎる社会保障観も的確にあぶり出されている。番組ではそのような直截なことは一言もいっていないのに、である。



資格をとっても10円――若い女性


 もう一つのケースが、夢を断たれた若い女性である。
 北海道内陸部の町に住む丘ゆきえさん(23)のケース。
 学年トップの成績、美術では表彰もうけた才能の持ち主で専門学校への推薦入学が決まっていたが、父親のうつがひどくなり失職。専門学校の学費120万円が払えずに進学を断念したのだ。ゲーム会社の正社員になる、という夢は断たれた。

 丘さんは、いま妹とともに町立病院の入院食をつくる仕事をしている。はじめは臨時職員だったが、民間委託されパートに。ボーナスもなく、月8万円の収入である。妹と二人で16万円である。
 ここには、地方にまで押し寄せる「官から民へ」という新自由主義の流れ、そして田舎では女性の雇用先すらなく、あるのは公的部門がつくりだす雇用しかない、という実情が、さりげない形で差し込まれている。

 切なくなるのは、丘さんがスキルアップしようと、半年かけて調理師免許の資格をとったが、あがった時給はたったの10円だったことだ。「資格をとって自分の価値を高めよ」という説教が地方都市の現実の前ではまさに空疎に響く。

「がんばってもがんばってもそこにたどり着けない人は、負け犬って呼ばれちゃうのかな。それもひどい話だな」

 鈴木さんと同じように、静かに怒る感じで丘さんが話す。



グローバル化の波に呑まれる――地場中小企業


 次は、「景気回復を実感できない」というタイトルで中小企業を追う。
 舞台は岐阜の柳ケ瀬にうつる。地場産業の繊維がグローバル化する競争の前に衰退し、地元商店や地場の下請が壊滅的な打撃をうけていることが紹介される。
 ここではさらに中国人の研修生・留学生が安価な労働力として大量に導入されているという事情があった。海外ですでに安い労働力が使われているわけだが、日本に流入してくることによって、海外に展開できない企業も「利用」できるようになり、打撃はいっそう深刻となる。

 中国人は最低賃金で使われ、中には時給200円などというとんでもない搾取をしている企業もあるという。これでは太刀打ちできるはずもない。

 ここでも二つのケースが紹介される。
 一つめはメーカーの下請をする田村幸子さん(57)=仮名。夫に先立たれ工場を一人で切り盛りするが月7万円まで収入が落ち込んだために廃業することになった。

 もう一つは、増田豊満さん(56)のケースで、こちらもメーカーの下請。しあげのプレスをしている。素材ごとに対応を変え、「ていねいな仕事が自慢」だとナレーションが入る。しかし、中国人労働力を使う企業に次々仕事を奪われ、1着100円だった仕事は50円に切り下げられた。収入は一昨年568万円あったのに、今年は300万円に届かぬという。経費をさしひくと赤字。
 この赤字分を補填するために、妻の礼子さんがパートに出る。そのパート先は中国人研修生の寄宿のまかないというから、皮肉な話である。増田さんの娘は大学進学をひかえており、さらに物入りになる。200万円を金融機関から借りたという。



特養に入るために年金身ぐるみ――高齢者


 最後に出てくるのは高齢者。
 ここでも2つのケースが紹介される。
 一つは、京都市の北山徳治さん・文代さん夫妻で80才と75才である(仮名)。無年金者であり、現在空き缶を拾ってお金に替えている。1缶2円で、月5万円の収入。

 なぜ北山さんが無年金者になったのかというと、北山さんは大工の仕事をしており、8人兄弟を養わないといけなかったので、年金保険料を思うように払えなかった。規定まであと5年足りずに無年金になったのだ。

 では生活保護はどうなのか。
 実は北山さん夫妻は「いざ」というときのために70万円の貯金をしてある。そのために生活保護が受けられないのだ。これは前作でも似た話が出てきた。「いざ」というのが何を指すかは明らかにされなかったが、生活保護なら医療や介護の費用が出るので、おそらく葬儀代のことを指すのではないかと思う。東京の立川市のような、個人の尊厳を保てる格式を持つ「市営葬」を生活保護行政としてやればいいのに、と思う。

 御所で拾ってきたギンナンをあぶる文代さんの姿が映し出される。

 空き缶拾いも「競争」が激しくなり、売り上げも落ちてきている様子が報道されていた。

 もう一つのケースが、風間健次郎さん(76)。こちらは月6万円の年金をもらっている(夫婦あわせての額)。額からいって、国民年金だろう。
 しかし、風間さんの「悲劇」は、妻がアルツハイマー型の認知症となり、特別養護老人ホームに入ったことだった。

 驚くべきことに、昨年(2005年)秋から制度が改悪され、特養に入る時には食費と居住費を負担せねばならなくなったのだ(これとは別に介護保険の利用料が必要になる。もちろん保険料も払わねばならない)。これは国民年金の場合、年金額がほぼスッカラカンになる。「特養に入って面倒みるんだから、何もかも置いていけよ」というわけだ。
 扶養してくれる子どもがおらず、夫婦のどちらかが特養に入った場合は、とりわけ悲惨だ。風間さんはまさにこのケースである。妻の特養の費用でごそっと持っていかれるうえに、夫は自分の家賃や生活費を別に工面せねばならないからだ。

 風間さんは、公園の清掃で月8万円の収入を得て糊口をしのいでいる。



再び3人の学者に意見を聞く


 番組では前作と同じように3人の学者に意見を聞いている。
 今回は内橋克人(経済評論家)、岩田正美(日本女子大教授)、八代尚宏(国際基督教大教授)で、ラディカリスト・改良派・政府系といったところ。

 岩田は、「日本の母子家庭は世界でも類を見ないほど働いている」と強調する。なのに貧しいのだ。岩田は鈴木さんの実態をみて、「もっと条件のいい仕事に移れるよう支援を」として「所得保障と連動させる」ことを提案する。つまり、働きながら学べる、あるいは学んでいる間の所得を一定保障するしくみをつくれと言っているのだ。
 しかし、そうやっても北海道の丘さんの例のように、10円しか時給が上がらなければむなしい。むなしすぎる。岩田は「就労支援のむなしさ」と呼んだ。「雇う側に労働条件の責任」を課すことを提言した。

 そして、働いているのに貧しいというのは日本の生産水準からいうと明らかに変であり、生活の最低ラインをはっきりさせることだ、と説く。これはぼくが、前作の感想のなかでのべたことだが、格差が広がること一般が問題というより、貧困が増えていくことが問題なのだ、という指摘に通ずるものがある。
 ある基準以下になったときに支援をする、という社会的合意がなければならない。もちろん、生活保護という基準があるのだが、その適用のきびしさや、その他の社会保障制度の問題点(たとえば国民年金が生活保護以下だという問題)がこの問題をあいまいにしてしまっている。

 八代は「さらに改革をすすめれば解決する」「何より景気回復が第一」「最大の原因は長期経済停滞。もっと高い成長で雇用機会を増やす」などととんちんかんな発言。「いざなぎ景気」をこえるといわれる「実感なき好景気」が続いているのに、何を見ているのか。

 すでに前にものべたように、大企業は大量の非正規雇用の活用(キヤノンや松下の偽装請負活用を見よ)と成果主義賃金による正社員締め上げで、これまで労働側に引き渡す富を吸血しながら成長している。そして、法人税などのくり返しの減税によって再分配機能がマヒしつつある。どんなに好景気が続いても国民全体に実感が乏しいのはそのせいである。これを続けていっても「解決」はしない。むしろ、ワーキングプアのような存在を前提として成長があるのだ。
 「企業成長とともに労働の果実が大きくなる」という神話は右のグラフをみれば、すっかり説得力を失っているのがわかるだろう。※1

 そして、八代は、中小企業も企業なんだから、利潤が出なくなったところにいつまでもいるのはダメで、その分野から資本を移動できないならサラリーマンになるしかないと述べる。「昔と同じやり方をサポートするのはまちがったやり方だ」と主張する。この後半部分の八代の主張は一定の説得力を持っている。

 八代がめざすのは「健全な市場主義」だという。「最低の生活保障は必要」であり、そのために「所得再分配を重視すべきだ」という主張にはまったく大賛成である。

 内橋については後でのべよう。

 最後に、キャスターの鎌田靖が、ここに出てきた人はみんな「家族のために一生懸命」だったと述べ「自らの境遇を誰のせいにもしていませんでした」。そしてワーキングプアの問題というのは、「一部の人の問題ではなく、誰にでも起こりうる問題」だと指摘したのである。



番組を見て感じたこと

 最初にのべたように、この番組は「努力すれば抜け出せますか」というサブタイトルにたいする回答となっている。
 そして、前回同様、いや前回以上に、その問いに対する的確なケースを選びだして報道しているといえる。



全編が「努力すれば抜け出せるか」への反論


 はじめの母子家庭のケースでは、就労支援や「再チャレンジ」のメニューがあまりにも使いづらいものであることをつきつけている。子どものために働きづめの母親にたいして、「学校に通ってスキルアップ〜♪」などという方策を示すことが、いかに現実に合っていないものかがわかる。
 そして政府が「母子家庭は自立していないから自立させないと」と苛立ち、児童扶養手当をカットする姿勢が、まったく現実の要請とは真逆のものであることも、この番組で反論されている。

 仮に「再チャレンジ」政策を善意の目で眺めるとしても、その目線は高すぎる
http://www.kantei.go.jp/jp/saityarenzi/sien.html

 上記URLは「再チャレンジ支援策」のメニューなのだが、ここに鈴木さんのような人が行ってみたとしてどうなるだろうか。

 まず「キャリアパスポート事業」だが、これはそもそも年齢でハネられる。
 次に「公務員採用情報ナビ」だが、これは単に公務員試験の日程が貼付けてあるだけでこれが一体どんな再チャレンジ支援というのかさっぱりわからない。
 「就農」「林業」「漁業」への就業支援も、鈴木さんとは全く合わない。「まず体験して…」などという余裕はないのだ。
 そして「起業」「創業」であるが、鈴木さんがそんなゆとりがないことはハッキリしている。
 きりがないので、これくらいでやめるが、ページの下の方にいっても鈴木さんが求めているようなメニューは見当たらない。

 当該のページをみてわかるように、「再チャレンジ支援」といっても、障害者の部分をのぞけば実は一番「充実」しているのは「起業・創業」の分野のメニューであって、安倍内閣が「再チャレンジ支援」といって照準をあわせているのは、実はこの部分であることがわかる。鈴木さんのようなワーキングプアは、視野にないのだ

 

 さらに、北海道の丘さんのケースのように、「資格」をとったが10円しか時給があがらなかった、という現実は、資格資格スキルアップスキルアップと唱え続けるやり方を、痛烈に皮肉っている。

 思えば、資格を取ること、スキルをあげることが即収入につながるというような資格やスキルはかなり限られている。ワードやエクセルはとりあえず派遣で働く上では欠かせないだろうけど、だからといって正社員の道が必ず開けるわけではない。そして田舎ではそんな職自体も少ないのだ。

 先ほども少し述べたが、田舎では公的セクターが提供する介護や福祉にかかわる仕事が実は「最大の産業」であったりする。
 そこには、たとえば近くの中規模地方都市に通ってサラリーマンたちが稼いでくる富が税金として集められ、また、東京で集められた税金が交付金のかたちで地方に環流してくる。それを原資として、介護・医療・福祉の公的サービスが、かつての公共事業にかわって地方にお金を落とすしくみになっている(ちなみに、北海道でみると同じ1000億円を投下したばあい、生産誘発効果・粗付加価値誘発効果・雇用誘発効果すべてにおいて、社会保障の方が公共事業より圧倒的に経済効果が高い〔自治体問題研究所『社会保障の経済効果は公共事業より大きい』より〕)。
 ところが「構造改革」による地方への交付金の削減(07年度予算原案でも7000億円交付税が削減された)やサラリーマンの収入減が、自治体の財政悪化へとハネ返り、番組に出てきたように民間委託(番組では町営病院の病院食)することで「コストダウン」。地域に環流するカネを減らしてしまっているのである。

 
 高齢者にしても、風間さん夫妻はまさに社会保障制度の改悪(特養のホテルコスト負担の導入)によって貧困に追いつめられているのである。
 北山さんのケースでは、葬儀代だけは確保したいという人間としてごく普通のプライドが生活保護受給をさまたげている。北九州市の餓死事件のように、生活保護を受給するためには、おそろしく厳しい要件をクリアせねばならない。最近ではたとえばぼくの住む福岡県では生活保護を受けられる期間を5年に制限しようという計画を出している。このような厳しい要件、それにくわえて、年金受給資格を得るまでの長過ぎる保険料支払い期間、こうした社会保障の貧困が、北山さん夫妻をして、80になってもなお極貧の中を働かせているといえる。

 地場産業型の中小企業のケースは、ちと複雑かもしれない。
 地場産業は、労働集約・大量生産という高度成長タイプのものが多く、昔は日本の低賃金が武器になったが、今は逆にアジアのいっそうの低賃金によってほとんど成り立たなくなっている。

「原材料基盤を前提とする、産地全体として特定生産物の量産、また、市場的視野の欠如した見込生産、さらに、安価な生産要素を前提とする低コスト生産、これらにより、地方の工業は限られた製品分野の中で、機能性を重視する基礎的消費財、実用品の量産に特化していくことになる。日本の地方圏に広範に発達した伝統的な地場産業の多くは、実はこうした特質を濃厚に示すものであった。そして、高度成長期のような基礎的消費の旺盛な時代、また、低価格量産品の市場が開け、東アジア等に競争者が登場していない時代には、一世を風靡することが可能であった」(関満博『地域経済と中小企業』p.25)

 グローバル化に抗する力をこれらの個々の人が持てるだろうか(※2)。この番組に登場した増田さんや田村さんにそれを求めないといけないのだろうか。八代は“できなければサラリーマンになれ”といっているのだが、田村さんは廃業したし、増田礼子さんは「サラリーマン」になった。そして貧困を抜けだせないでいる。
 仮に八代のいうとおり、この人たちがこれらの運命を甘受せねばならず、工場を放棄してサラリーマンになるとして、貧困から抜け出せない問題は残るのだ。



なぜ努力しても抜け出せないのか


 「構造改革」による社会保障の貧困、地方歳出の削減、非正規雇用の増大、グローバリゼーション――これらが「個人の努力」などというものを押し流すように覆いかぶさってきている。そのなかで「個人の努力」で抜けだせない人がいないとはいわないが、多くの人はまさに押し流されていってしまうだろう。
 まさに番組サブタイトルが示すように「努力すれば抜け出せますか」――抜け出せない、というアグレッシブな反論になっているのである。


 ぼくの親戚で、ぼくと同い年の地方公務員の男性がいるが、彼は母子家庭が税金を食いつぶしているといって「憎んで」いる。こういうメンタリティの人は、けっこういるもので、母子家庭への支出を削減する政治的背景になっている(先にあげた児童扶養手当は連続的に改悪が押しつけられているし、生活保護世帯の母子家庭加算は07年度の政府予算の原案でも全廃が打ち出された)。
 しかし、その男の労働ぶりをみても、鈴木さんの半分も働いていないだろう(公務員一般がそうだという話ではない。念のため)。それくらい鈴木さんはがんばっている。
 そして、しばしば生活保護受給というのは税金で「やっかいになっている」などとして非難されるわけだが、鈴木さんは逆にギリギリのところでふんばっている。
 北海道の丘さんにしても、3人が離散して、父親は生活保護を受け、姉妹は都会で働くという方策がないとはいえない。しかし、彼らはその道をとらずに働いてがんばっている。
 缶を拾う高齢者の北山さん夫妻もそうである。
 この番組に出てくる人たちは、まさに生活保護を受けず、労働によって富を生み出しているわけで、ぼくは生活保護を受けることは当然の権利であるという考えの持ち主だが、仮に生活保護受給を単なる「コスト」としか見ない人たちの立場にたったとしても、この人たちを非難するいわれはないはずである。



ワーキングプアを放っておけば社会はどうなるのか


 では、少し突き放して考えてみたらどうなるか。

 この人たちはがんばっていることは認めるが、それで苦しい思いをしているのは仕方がない。いますぐ死ぬわけじゃないんだから。資本主義のもとではこういう人が出るのも必然だし――こういう考えに立ってみたらどうだろうか。

 そのとき、内橋克人がこの番組でのべた警告――「勤労が美徳とはならなくなる」という風潮が猖獗を極めるだろう。

闇金ウシジマくん 5 (5)  闇金融に堕ちていく人々の群像を描いた漫画、真鍋昌平の『闇金ウシジマくん』(小学館)のなかに、借金苦ではない形でフーゾクと闇金に絡め取られ、モラルを崩壊させていく女性たちの姿が描かれている。

 大卒で美人のヘルス嬢・杏奈は新人のヘルス嬢・モコに次のように諭す。

「景気がよくなったっていうけどさぁ――
 会社がリストラ発表すると、株価が上がるっていうじゃんか。
 それって会社が人件費削って利益が上がるからでしょ?
 ぶっちゃけ会社は正社員は幹部だけで、
 あとは臨時の契約社員でイインだよ!」

 正しい。正しすぎる。杏奈は続ける。

「契約社員なンて、いつクビ切られるかわかんねーし、
 スキルの付かない雑用やらされて、
 30歳くらいでクビ切られたらどーすンの?
 収入のあるダンナと結婚? どこにいるのだ!
 初任給だって、20万もいかないでしょ?」

 あまりにシャープに事態を見据えている杏奈だが、最後の最後で結論を間違えてしまう。

「そんなの月200万円稼ぐと、バカバカしくなるよ。」

 そして説教されているモコは思うのだった。

「200万円。
 すごいなァ……
 年収が200万円の人もいっぱいいるのに、
 杏奈さんは1か月で稼いでたんだ……
 すごいなァ……」

 ここには、まさに内橋が指摘した「勤労が美徳とはならなくなる」という問題が正確に表現されている(同書5巻p.146〜147)。ワーキングプアを放置すれば「美しい国」「愛すべき国」に何が引き起こされるのか――その一つの結果がこれである(もちろんこれだけがその結果ではないが)。右が真鍋の絵だが、「萌え」とは真逆の、写真から起して多少のデフォルメを加えたような真鍋の絵柄は、刺すような古典的リアリズムがある。



どうやって解決するか


 解決策の大綱ともよぶべきものは、3人の専門家を答えをつなぎ合わせれば見えてくる。


 解決の基準は、岩田が示した。
 すなわち、貧困のラインをきめ、人生を犠牲にせずに生活できるように最低賃金や母子家庭への支援額などを定めることである(現状の額はそのようになっていない)。竹中平蔵が言っていたが、格差がいくら広がろうともそれ自体は問題ではない。生活できない、あるいは人生を犠牲にするほど働きづめの人間が生まれ貧困が再生産されてしまうほどの貧困が広がっていくことが問題なのだ。前回の感想のところでもあげた、ロールズの言葉を再度引用しておこう。「不平等は、社会の他の構成員の不利益を招かない限りにおいて、是認される」。逆にいえば、不利益を招けば=貧困を生めば是認されない。

 そのための政策は、八代が示した。
 すなわち、最低生活を保障し、所得の再分配機能を強めることである。
 八代の言うように、それこそが健全な市場がワークする土台にもなる。

 そして、その原資については、内橋が示した。
 「大企業ばかりが利益を独占するしくみを変えない限り報われない」と内橋は述べた。所得再分配の原資を、市場空前の利益をあげる大企業に応分の拠出を求めるということになる。
 「国際競争力が落ちるではないか」と反論があるだろう。内橋はこれについて、次のように言っている。「日本の労働力を安くするといって、外国人のチープワーカーを使う。これでは正当な国際競争力にはならない」。社会的な責任を果たさない国際競争力とは、真の国際競争力ではないというわけだ。じっさい、税負担だけの比較でみると日本の企業は先進国のなかでどっこいどっこいなのだが、社会保障負担分をくわえると、非常に低い負担しかしていないことがわかる。

 それだけではない。
 いま(2006年12月)、政府予算原案で初年度4000億円もの大企業減税(減価償却制度の拡充)、政府税調や与党税調が次々法人税減税を打ち出した。他方で07年度政府予算の原案は、定率減税の全廃をもりこんでいる。これらの動きをマスコミも軒並み「企業には手厚く 個人には厳しく」などと書いた※3
 大銀行の多くは法人税をほとんど払っていない。たとえば三菱東京UFJは9月中間決算で過去最高益をあげながら、法人税は2002年3月決算から1円も払っていないのだ。仮に、利益に見合う分の法人税を払うとすれば、銀行が払っていない分は年8000億円にも達する※4
 それだけの額が経常費としてあるだけでも、貧困世帯に十分手厚い支援をすることができる(たとえば、07年度に廃止された生活保護世帯への母子加算は420億円である)。


 以上みてきたように、この番組は驚くべきほど戦闘的である。そして、大綱的にではあるが、問題の解決の方向も指し示している。
ワーキングプア いくら働いても報われない時代が来る
※門倉貴史『ワーキングプア』の感想はこちら







※1

補足:労働分配率が反映するようにグラフを変更。内閣府政策統括官が06年12月に出した「日本経済2006−2007」、いわゆる「ミニ経済白書」の分析は、「第3章 鈍化する消費の伸びと家計の所得環境」のなかで「雇用者所得」の増大は雇用者数の増大によるものが大きく、賃金が上がらないという問題を指摘している。そして、「雇用の非正規化の流れが労働分配率の低下に一定の役割を果たしている」として、労働分配率の低下と非正規雇用の増大が賃金を押し下げていると分析している(p.62〜65)。
http://www5.cao.go.jp/keizai3/2006/1208nk/keizai2006-2007pdf.html

※2

 たとえば、関満博は、引用にあげたような「地方工業」型の生産をやめて、「大都市工業」型へシフトすることで、生き残りの方策を提言している。

「繰り返しの量産、生産の縦系列の固定化傾向を強めていく『地方工業』とは対照的に、個々の製品の完成に向けて必要な加工機能を必要に応じて組織するという、『柔軟な生産組織』であることを意味しよう。……ここに、『大都市工業』の際立った特質をみていくべきだと思う」(関前掲書p.30)。

 東京の大田区の町工場のように、注文ごとに技術をもった町工場がチームを組んで仕事を仕上げ、仕事が終わればチームを解散する、というようなやり方である。いろんなニーズに対応でき、設備投資も大規模・単一のものでなくて済むわけである。大田区では90社がネットで相談し販売をしている。これによって技術力を集約し、コストを大幅に削減できているという(朝日新聞2006年9月15日付「『東京・大田のモノづくり守れ』脱下請 町工場連合」参照)。

 この関が指摘するような改善方向が、地場産業の地帯でも始まっている。金属加工の地場産地・新潟県燕市で、金属研磨の専門家集団がネットワークを作った。「長引く不況に加えアジア諸国に市場を奪われ、仕事が激減しました。一人や二人ではどうにもなりません。グループが共同でインターネットと見本市で技術をPRして受注体制をとり、競争力を上げようと『磨き屋シンジケート』を設立しました。大手企業注文の研磨加工から個人の高級鍋の磨き直しまで高い技術力を発揮。近年、素材の軽さと強靱さから人気があるマグネシウムの研磨加工でも受注が増えています」(しんぶん赤旗06年9月27日付「挑戦/模索 地場産業復活へ」参照)。

 なるほどこのような努力がたしかに地場の中小企業には必要だといえる。
 しかし、このシフトを個人でおこなうことは難しいというのが正直なところだろう。毎日の食う分を稼ぎ出すのに終われる田村さんや増田さんにそこまでの努力を求めるのだろうか。そこへむけての公的な知恵出しや支援が必要になってくるとぼくは考える。


※3

北海道新聞社説より:「予算案のもう一つの特徴は、企業に優しく個人に厳しい、という点だ。 成長力強化の名目で企業減税が行われる一方、所得税・個人住民税の定率減税が全廃される。すでに決まっていたことではあるが、家計には一兆六千五百億円もの負担がのしかかる。 これでは低迷する個人消費がさらに落ち込み、景気全体の足を引っ張ることにもなりかねない。 社会的弱者への配慮も欠けている。生活保護の母子加算の段階的廃止、持ち家に住む高齢者への生活保護支給の縮小などは、低所得者層の暮らしを直撃する」(2006年12月25日付)


※4

しんぶん赤旗2006年12月3日付より:「大手銀行六グループ(三菱UFJ、みずほ、三井住友、りそな、住友信託、三井トラスト)は九月期中間連結決算でも、過去最高を更新する最終利益(純利益)を計上しました。しかし、どのグループも法人税を納めていません」「六大銀行グループすべてが法人税を納めるとどのくらいの金額になるのでしょうか。業績予想(〇七年三月期通期)で、最終利益は総額二兆九千六百億円と見込まれています。それに法人税率30%(国税分のみ)を掛けて計算すると税額は八千八百八十億円になります」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-12-03/2006120301_01_0.html


2006.12.22感想記(23日、26日補足)
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