高倉あつこ『山おんな壁おんな』



山おんな壁おんな 1 (1)  デパートのバッグ売場につとめる二人の女性の物語。
 主人公は青柳恵美という28歳の女性で、仕事がよくできる美人という設定。ところが、「胸がない」、すなわち胸が「壁」のようであるというのが唯一のコンプレックスだ。
 そこに毬谷まりえという同期の女性が配属される。
 毬谷は、胸が「山」のようにあり、たえず青柳のコンプレックスを刺激し続ける。毬谷も仕事ができるのだが、思慮をはりめぐらし、幾重にも思考を重ねる青柳とちがって、毬谷は「天然」、つまりナイーブなのが特徴だ。人にコンプレックスを感じたり、人の裏を読むということがない。
 こうして、青柳のコンプレックスは、毬谷には感受されず、コンプレックスにかんするかぎり、青柳の「独り芝居」が続く。

 作者の高倉あつこは、『ハゲしいな!桜井くん』で有名なように、主人公のコンプレックスを回転軸にして、それを明るく笑い飛ばすような展開をする。

 最初1〜2巻を読んだとき、今回もその伝であろうと思った。
 正直、毎回毎回乳房が「ブルブルブルン」、ボタンが「プン プッン」、鼻血が「ダラー」というまさに「漫画」的お約束が、いったいこの漫画にどう生きているのか真意をはかりかねた。
 いちいち、青柳は死んだような顔になって「わかりやすく」読者のみなさまにコンプレックスをお伝えするわけだが、ベタな漫才をみているようであった。

 しかも、「いくら腰かけにしても華のある女でいなきゃダメでしょ アレくらいはさあ」「アレくらいはコレくらいよ コレくらい〜〜 わっかるだろーぅ?」(と胸を下から手で揉むようなしぐさ)、「ほほー 間近に見ると大迫力だねー ズドーンとそそり立ってるねー」(胸の大きさを手で表すしぐさ)というようなセクハラ的な展開が満載で、辟易。

 作品中「セクハラ」として断罪されるのは2巻の「トラブルメーカー現る!」だが、毬谷の胸をひじで小突くとか、「実際に触る」というものだった。
 もちろん、触ることがセクハラなのは言うまでもないが、言葉でからかうような言い分がセクハラとされないで見過ごされているのも違和感がある(もちろん、自覚的にそれを快楽として描くことはある。しかし、『山おんな 壁おんな』ではこれが混在しているのだ。戦争をゲームのように楽しむ漫画に、反戦メッセージがこめられているときの気色悪さに似ている)。

 男性にとってハゲはたしかに悩みの種だが、この世が男性社会である以上、男性の容姿はそれほど深刻な問題でもない(※個人差がございます)。明るく笑い飛ばすことができる。
 しかし女性にとって容姿の問題は、この世が男性社会であるがゆえに(それがいい悪いは別として)、扱いが難しい。鴨居まさねの漫画の中で、胸が大きいことが幼少からのコンプレックスだという深刻な話があるが、明るく笑い飛ばすことが難しい「影」がどうしても出来てしまうのではないか。
 徹底してつきぬければ「笑いとばす」ことはできるかもしれないが(乳房を翼にして空を飛んでいくとか)、いかんせん中途半端なのだ。

 それが最初の印象

 しかし、何度か読んでいるうちに、胸うんぬんの話題とは別に、ビジネスの話にひきつけられている自分に気づく。

 たとえば、基本的なことかもしれないが、売場とバイヤーがこれほど画然と分かれていることを、ぼくは知らなかった。つまり、コストと相談して何が売れるかの基本戦略を立てるのはバイヤーの仕事だということになる。
 この漫画の百貨店では、男性二人がバイヤー室にいる。
 「男性がバイヤーで女性の気持ちとかつかめるのかなあ」というのが正直な感想なのだが、つれあいが「女性誌でも男性が編集長だしねー」と横から発言(あわせて「だから女性誌は面白くない」とボソッと発言)。そういうものかなと思って読む。
 毬谷がバイヤーといっしょに行った展示会で気に入って買い付けたバッグが「仏壇」入り(周りを囲まれた箱型のディスプレイスペースに陳列されてしまうことで、客の目にとまりにくくなってしまう)していることに、毬谷が抗議するシーンがある。
 ここでは、「仏壇」入りの指示をするのはバイヤーである。
 青柳は「おとといバイヤーから変更入ってね」と諦め顔で告げるのだが、それほどにバイヤーの指示は販売戦略の上位にあることがうかがえる。

 抗議にいった毬谷に、イヤミなバイヤー課長が言う。

「ちょっと展示会行ったくらいでもうバイヤー気どりかー?」
「オマエらの本業は販売だろ? バッグ1個売ってなんぼだろ?」

 それにたいしてムキになって全部を売りつくそうとする毬谷と青柳が描かれるのだが、ここでは、バイヤーの、販売にたいする優越感、逆に販売のバイヤー側にたいする若干のコンプレックスとあこがれが滲む。

 ぼくはこのシーンは読んでいてなかなかに面白かった。
 このバイヤーの嫌味に対して、売場は一丸となって売る。高倉はその売り口上を一つひとつ描いていく。売ろうとしている商品はファー(毛)がついていて、かわいらしいが「抜けてみっともなくなる」という思いが購買側に生まれやすい商品だ。

「ご心配にはおよびません 抜けてると思われる分は生産過程でカットした毛の部分が製品に残ってしまっているからで 実際製品の方から抜けてハゲてしまうことはございませんので ご安心下さい」

 このシーンを読んで以来、つれあいの買い物につきあわされ、何の興味もわかぬバッグ売場に連れられていったときでも、多少はその売場や売り子を見る目がちがってきたというものである。

 胸の大きさにたいするコンプレックス、イヤミな他セクションの上役、明確な障害とその克服、職場が熱く一丸となる様子……そう、この漫画はすべてがわかりやすい。物事が極彩色のような明快さでキッパリと描き分けられている。
 まるでテレビドラマになることを想定したかのようなわかりやすさなのだ。

 この漫画は、ビジネス漫画として十分に面白いのだと思う。
 それなのに、なぜ「乳房コンプレックス」みたいな余計な付属品をつけるのだろうかと思った。
 ただのデパートのバッグ売場漫画では売れないのだろう。何か(男性)読者をひっかけるものがなければならない。

 それに、この「毬谷の胸プルルン、青柳ゲソー」というパターンは、(ある種の読者には)漫画全体にコミカルなリズムを生み出すものになっている。ビジネスの話だけをえんえん続けたら、きっと息苦しいものになってしまうと作者は思ったに違いない。

 たとえば、最近、かたおかみさお『Good Job グッジョブ』の6巻が出たのだが、その巻の最終エピソードは「営業」と「現場(ここでは設計)」の優越感にまつわる話だった。現場が営業にいつも居丈高な態度をとるのだが(いやー、こういう職場多いよなー)、設計の「クリエイティブ」性ゆえに、設計の連中は、営業にたいして優越感をもっているのである。営業につとめる男性は、心底いやになるわけではないが、タバコをのむ休憩時間にふとした設計のひとことに、軽く傷つく。

「そっちがそんなに偉いか」

と心のなかでつぶやくのである。

 この話は、『山おんな 壁おんな』の「バイヤー」と「販売」の優劣にかかわる話に似ている。しかし、『グッジョブ』では、『山おんな 壁おんな』のように、話の息を抜く材料がないので、話のムードがいくら明るくしようと思ってもシリアスで暗くなる

 高倉の漫画が「シリアス」に行かないために、「胸コンプレックス」が持ち出されているのである。


 ところで、高倉あつこの絵は、90年代前半感が漂うよなあ。
 とくに男性の形象はあのころのトレンディードラマのようだぞ。
 自分の学生時代と重なるので、独特のなつかしさがある。






講談社イブニングKC
1〜3巻(以後続刊)
2006.6.18感想記
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